心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

臨書の先の表現こそ

2009-05-11 | 書の話
                       石鼓文 臨書2種




書を始めて20年位になるけれど、行草、楷書の道はあまり通ってこなかった。

書を始めたいと思う人の多くは、キレイな文字が書きたい・・から始まるようだけど
私の場合 中川一政の書 を見て「こんなのが書きたい」だったわけで。


それでも一番最初に臨書したのは蘭亭叙。
その間に私の個性を感じ取って下さった師は、その後敢えてきちんとした楷書や行書を
選ばず、龍門造像記、隷書、木簡、甲骨と時代をさかのぼり。

師は時々「本物とは、きちんとした書も書けた上で、遊びのある書が書けることだ」と
本筋からずれようとする私を戒めて下さっていたけれど、
本能的にというか、どこかできちんとした書が書けるようになったら遊べなくなると
避けて通ってきたところもあり

けれど今頃になって、きちんとした楷書が書けたらなぁ・・と反省も含めて思う日もある。

それでもあれもこれも完璧になんて、怠け者の私には無理だから
せめてこれだ!と思ったものだけでも、探し続けたいって言い訳混じりに思ったり

それにしてもつくづく私は、師に恵まれたなぁ・・と有難い思いが日々募る。
感謝感謝の一念なり 


今日の臨書は、石鼓文。

教室にいらしてるKさん、初めは強くてシャープな印象で書かれていたけれど、
私は逆にのんびりあったかい線で書きたくて、こんな感じに。
右のはちょっと遊びすぎだけど

臨書と言っても、表現は様々。
書を学ぶということは、ただ形を似せて書くことだけではなくて
まずは形、そしてその先の自分らしい表現を探すことこそ、書の魅力かなって思う。

それは最初に書きたいって感じた時と、今も全然変わっていないかな。



↑臨書の場所とは違うけど原本はこんな感じ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする