心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

答えが先なのではなく

2009-05-22 | 書の話
                      「乃孫乍且」  (半紙)



教室でTさんが取り組んでおられるので、久々に金文の臨書。
最初はちゃんと形臨、そして筆を変えて違う表情にしたらこんな感じ・・とか意臨する。
(形臨:文字をなるべく忠実に真似て書くこと 意臨:書き手の意を汲み表現すること)

金文は左右対称、直線的、デザイン的な印象だけど、羊毛のやわらかい筆を使って
もっと自由に表現することだってできる。

「乃」は半紙全体の空気を吸い込むように包み込むように
「孫」は「子」が「糸」を連れているような表情に
「乍」は「乃」の空間をより広く感じるように縦長にして
「且」は逆に墨量もやや多めにして太っちょにして安定感を持たせ

(ちなみに「且」と「乍」の間の□は雅印を捺す位置の目安)


書はもちろん、線や空間のゲイジュツでもあるけれど
そこに思想がなければ何も響いてこないって思う。

文字そのものに意味を持つ「書」というものは、ある意味それが弱点になることもあるような。
たとえば、ゲイジュツとして全体を捉えて欲しいのに、人はつい・・すぐ聞きたがる。

「これ、なんて書いてあるんですか?」

ゲイジュツに確信犯の答えなんかいらないのであ~る
まず答えや結果を求めるから、その先の発見や感激に出会えないわけで 

そして、人と人の関係もまた似ているような
この人はこうに違いないとか、自分の価値観の中に当てはめずにいられないのが常らしく。


私は・・人の、そして人と人の可能性も無限であると信じたいな。
いつも心はニュートラルに 

答えが先なのではなく、永遠に答えのない答えを
寄り道しながら、口笛を吹きながら探し続ける人生でありたいなって思う



コメント (2)
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