新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

世間より一足早くゴールデンウィーク(後編)

2016-04-29 11:10:05 | 美術館・博物館・アート

「世間より一足早くゴールデンウィーク(前編)」のつづきも、「生誕300年記念 若冲展」を観ようとしたものの、東京都美術館前のあまりの人混みビビって、代わりに行ってきた東京国立博物館(トーハク)での見聞録です。

迫力満点の300インチ大型スクリーンに超高精細(ハイビジョンの約4倍)4K映像が映し出されます。ナビゲーターによるライブ上演でVR作品をお楽しみください。

というトーハクのミュージアムシアター「総合文化展(平常展)なら有効期間中はフリーパス」東京国立博物館パスポートを持っていても別料金500円が必要となりますが、わたしはちょくちょく観に行っておりまして、昨日も観て参りました。

現在「上演」されているのは、

「国宝指定決定記念 特別VR上演 洛中洛外図屏風 舟木本」の「前期 京散策四条河原から方広寺編」です(5月29日まで)。

これが面白かった

これまで何度も実物複製トーハクで拝見して、その「見どころあり過ぎに感嘆してきた「洛中洛外図屏風 舟木本」で、ミュージアムシアターでも「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」を観たのですが、何度接しても新発見があるし、何よりも楽しい

「162.7cm×342.4cm×1双」の特大画面に、恐らく東寺の五重塔から見下ろす視点から描かれた17世紀初頭京の街並みと、2500人もの「生きている人々」

いったいどれだけのドラマが閉じこめられた作品なのか、呆然としてしまいます。

そして、大スクリーン超拡大してもクリアな画像にも感心
美術作品デジタル化して保存することの意義深さにも感じ入ったのでありました。

「ドラマ」といえば、「洛中洛外図屏風 舟木本」の作者・岩佐又兵衛は、2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも、「絵の上手な男の子」として登場していましたっけねぇ…
岩佐又兵衛の父親は、戦国武将・荒木村重。村重は織田信長謀反を起こし、その結果、数百人もの一族郎党が信長によって殺害されたという人物なのですが、数少ない生き残りの「一族郎党」が、村重本人岩佐又兵衛だったというのですから、凄いお話です。
村重の妻岩佐又兵衛の母親(実際のところは不明らしい)だしを演じていた桐谷美玲がむちゃくちゃキレイでした…

「国宝指定決定記念 特別VR上演 洛中洛外図屏風 舟木本」の「前期 京散策四条河原から方広寺編」の上演は5月29日まで6月1日から7月10日まで「後期 京散策寺社めぐりと二条城編」が上演されるそうで、こちらも行こうっと

そうそう、「国宝指定決定記念キャンペーン!」として、GW期間中(4月20日~5月8日)は、小・中学生は無料(通常300円)だそうですぞ。

   

「洛中洛外図屏風 舟木本」の現物は、 「平成28年新指定国宝・重要文化財」の一つとして、本館8室(2F)で展示されていました(国宝指定名は「紙本金地着色洛中洛外図 岩佐勝以筆 六曲屏風 一双」らしい)。

今年、国宝や重要文化財に指定(格上げ)された作品は、彫刻が本館11室(1F)、その他が本館8室(2F)に展示されていまして、私が最もときめいたのは、[彫刻の部]「重要美術品に文化財を追加して重要文化財に」なった宝山寺所蔵の「木造不動明王及び脇侍像」から選抜展示(?)されていた矜羯羅(こんがら)童子制多迦(せいたか)童子像でした

杖に肘をついた物憂げな矜羯羅童子とやや腰をかがめて合掌する制多迦童子、どちらもステキなポーズで、活き活きとしていて、そしてかわいらしい

作者は江戸時代の仏師院達(いんだつ)だそうですが、これほど見事江戸時代の彫刻作品を拝見したのは初めてでした

こちら「1089ブログ」には院達「小野篁像」について、

小野篁像は元禄2年(1689)、当時の六道珍皇寺住職、大昌院塔主(たっす 塔頭の主)で建仁寺首座( しゅそ 修行僧の筆頭)である石梯龍艮(せきていりょうこん)が仏師院達に注文して造らせたものであることがわかりました。篁・冥官・獄卒の3躯ともなかなか優れた出来栄えで、一見鎌倉時代の作のようにも見えます。院達は江戸時代屈指の巧匠と言えます。

と書いていますが、矜羯羅童子像制多迦童子もまさしくそのとおり でした。

今度関西に行くときには、宝山寺に出かけて再会せねば

ところで、現物が大きすぎパネル展示だった「作品」もありました。

それは、[歴史資料の部] 「文化財を重要文化財に」なった氷川丸233号機関車
さすがに蒸気機関車トーハクで展示するのは難しい氷川丸の場合は不可能

233号機関車は、めでたくきょう開館する「京都鉄道博物館」で所蔵されていますが、私は、2014年1月閉館が間近に迫った交通科学博物館(記事はこちら)で現物を拝見いたしました。

もう1枚、233機関車の運転席。

「交通科学博物館」の説明板によれば、

明治36(1903)年、大阪汽車製造合資会社の初期の製品で、当時の短距離列車用汎用機として大量に輸入された英国製A8系、軸配置1B1形のラジアル・タンク蒸気機関車(先従輪が線路の曲線に従って左右に移動できる構造で、急曲線の通過が容易)を忠実に模倣した設計であった。ただし、当時の日本では鋼材の生産能力がなかったためにそのすべてが輸入であり、とくに車輪、車軸、煙管などは完成品を輸入して組み立てられた。

だそうです。「忠実に模倣しつつも、重要部品どころか鋼材も自作できずに輸入品に頼ったなんて、今は昔のお話ですなぁ~
ちなみに、日本で最初に高炉を使った近代製鉄が始まったのは釜石鉱山田中製鉄所1886年日清戦争で得た賠償金をもとに建てられた八幡製鉄所(当時は「製鐵所」という名称だったらしい こちらの記事をご参照方)の操業開始は1901年ですからねぇ~

「京都鉄道博物館」にも出かけてみねば

   

ところで、この記事の最後の部分を書くにあたって、八幡製鉄所の流れを汲む新日鐵住金HPを覗いてみたんですが、「沿革」の記述が酷い 1950年「八幡製鉄株式会社発足」から始まっているんですから

投資家から集めたお金土地や設備を買い工場を建てて操業を始めたわけでないのですから、この記述はあまりにもお粗末だと思うのですが…
もしかして知られたくないのでは…と勘ぐられますぞ

   

さて、昨日と打って変わって、何とも気持ちの良い天気

きょうも外出するとしますか…

コメント
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