新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

半年前の信州旅行記(その46)茅野編 16

2016-04-14 22:53:55 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その45)茅野編 15」のつづきは、遂に国宝土偶「仮面の女神」の登場です

って、これはうちにいる「仮面の女神」フィギュアです

で、本物はこちら

私が「仮面の女神」現物にお目にかかるのは、約半年ぶり4回目でした。

初対面の時の衝撃は忘れられません

約5年前東京国立博物館で開催された「国宝 土偶展」さして期待せずに、しかも敢えて行列に並んで会場に入ると、冒頭にド~ン と展示されていたのが、この「仮面の女神」(当時は重要文化財で、作品名は「仮面土偶」)でした。

そのときの感想を、このブログの記事「縄文パワーを浴びる」から再掲しましょう。

初めっからやられました…
「星空のライヴV Just Ballade MISIA with 星空のオーケストラ2010 in Yokohama」のオープニングの曲が「銀河」だった時に受けた衝撃(こちらに書きました)と似た感覚かも…。
初球がど真ん中に剛速球  みたいな…(ご理解いただけますでしょうか?)。
高さ34cmと、結構デカイ しかも、周りをぐるりと廻って観ると(これがこの展覧会の良いところ)、メタボ系のお腹から更に突き出したデベソがかわいいし、大きなお尻とか、こんもりした両脚とか、全身に施されたグリングリン の文様とか、そして、仮面のデザインがお茶目だし…と、すっかり気に入りました、この土偶

このとき以来、「仮面の女神」お気に入りの土偶になったし、「仮面の女神」を拝見するたびにMISIA「銀河」を連想するようになってしまった私です。

尖石縄文考古館では、「仮面の女神」が出土した状況が再現されていまして、これがまた私をときめかせます。

もう一丁

「仮面の女神」が出土したのは、「その44」に載せた地図でも判るように、尖石縄文考古館の北西にある中ッ原遺跡

「国宝 土偶展」図録によれば、

本例はと考えられる穴から出土したもので、死者に副葬された土偶です。左手は穴の底部に接し、横向きの状態で発見されました。逆三角形の仮面を被りやや上方向を眺める形態をとっています。
中空の土偶で、精緻な研磨が全面に施され、黒光りしています。この研磨は同時期(縄文時代後期)の土器にも積極的に採用される手法です。左右に広げた両手は短く、先端には渦巻文が施されています。前面の胴部中央には粘土を貼り付けて同心円文を配し、左肩部より右脇部に配された渦巻文、さらに背面も同様に右肩部より左脇部の渦巻文に磨消縄文(すりけしじょうもん線で囲って図形を作り、はみ出した縄文を磨り消す)が施されています。磨消縄文はこの時期に盛んに採用される施文手法です。前面中央の同心円の下には女性器が表現されています。脚部は上体に比べて太く、鉢形土器を逆さまにしたような形状をしています。

とのことですが、高さ34cm堂々とした、ホント、堂々とした「仮面の女神」を眼前に眺めると、もう、幸せぇ~ って感じ。

「仮面の女神」には何度でもお逢いしたい と思っております。

つづき:2016/04/15 半年前の信州旅行記(最終回)

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半年前の信州旅行記(その45)茅野編 15

2016-04-13 22:12:59 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その44)茅野編 14」のつづきは、尖石縄文考古館の館内の話に戻ります。

まずは、トイレに入りますと、こんな貼り紙がありました。

うがい・手あらいをしよう

と、マスクをした縄文のビーナス仮面の女神アピールしています。
さすがです。
でも、縄文のビーナスデブっぽいし、仮面の女神宇宙人っぽい…

また、エントランスのカウンターでは、

尖

国宝」のタスキをした仮面の女神が来場客をお出迎えしていました。
こちらは結構リアルな造りですなぁ。

   

さて、仮面の女神の前に、尖石縄文考古館に展示されていた縄文土器もかなりステキでしたので、先にそちらを紹介します。

まずは、こちら。

茅野市下ノ原遺跡から出土した、縄文前期(BC3500年)「深鉢」です。

なんとなく瓦せんべいを連想してしまいますが、素晴らしい造形です

説明板によりますと、

竹を割ったものを使って線を引いて模様を描き、さらに細かい粘土をボタン状にして貼りつけている。

だそうですが、アップにしてみましょう。

いかにも「縄文」ワイルドさがたまりません

この「深鉢」をモチーフにした噴水茅野市役所前にあるそうな。

また、こちらの「吊手土器」も良かった

棚畑(たなばたけ)遺跡から出土した縄文中期(約4500年前)のものといいますから、縄文のビーナス同時期かつ同じ場所のものですな。

この「吊手土器」を活けてみたい と思う華道家の方がいらっしゃるのではないでしょうか?

最後に紹介する縄文土器はこちら

これまた見事

今から4000~5000年前縄文人の方が、どんな思いイメージから、こんなものを創り出したのか、驚異 としか言いようがありません。

人類史上長期間にわたって続いたと考えられている縄文時代、なんだか凄い時代だったように思えてきます。

人類は、時間をかけて進歩したのか、はたまた、「進歩」とひきかえに、ある優れた特性をを失ってきたのではなかろうか、と考え込んでしまったのでありました。

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半年前の信州旅行記(その44)茅野編 14

2016-04-12 23:36:04 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その43)茅野編 13」のつづきも、尖石縄文考古館のお話です。

この博物館の名前、とがりいしじょうもんこうこかん」と読みます。
「尖石(とがりいし)」とは、なんともいわくありげな名前ですが、まさにそのとおりで、尖石遺跡の隣にあります。

33か所の住居址、50余か所の炉址などが発掘され、なお相当数の住居址が地下に眠っていると考えられています。

という遺跡で、その名の由来なったというのが、こちらです。

かなり劣化かつ汚れていて読みづらい説明板を転記しますと、

この石は、高さ1.1m、根本の幅1mで、先端のとがっていることから「とがりいしさま」と呼ばれています。古くから村人の信仰の対象とされたものらしく、いつ頃からか傍らに石のほこらが祀られました。遺跡の名前もこの石の形からつけられたものです。
この一帯は、明治25年頃桑畑にするために開墾され、その時、見慣れない土器や石器が大量に出土しましたが、祟りを恐れて捨ててしまったといわれています。また、この土器や石器は、大昔ここに住んでいた長者の遺したものであろうと、長者屋敷と呼びならわしていました。
そして、この「とがり石」の下には宝物がかくされているとの言い伝えから、ある時こっそり村人が掘ったところ、その夜○○○○○(判読不能)おこり(熱病)にかかって死んでしまったとのことです。この石を神聖視する信仰から生じた言い伝えでしょう。
石質は八ヶ岳の噴出岩の安山岩で、地中に埋まっている深さは不明です。右肩の樋状の凹みは磨り痕から人工のものと思われます。縄文時代に磨製石斧を製作した際に、共同砥石に使用されたものとも、また縄文時代は石を重要な利器としたところから、地中から突き出したこの石を祭祀の対象としたものであろうともいわれています。

だとか。

この説明板だけでなく、こちらの説明板日に焼けてちょっと… な状況でした。

茅野市にはがんばっていただきたいものです

   

上に載せた不明瞭な案内図によれば、尖石縄文考古館の北側に「与助尾根遺跡」があります。
そして、Wikipedia「尖石遺跡」を調べると、「尖石・与助尾根遺跡」がヒットして、

南側の尖石遺跡は戦前から発掘されてきた縄文時代を代表する遺跡の1つとして知られているが、現在では同遺跡と浅い沢1つ隔てた北側の台地上にある与助尾根遺跡と一括して扱われることが多い。

とあります。

この与助尾根遺跡は、住居址復元されていまして、こんな風になっていました。

昔、日本史の教科書で見たような、竪穴式住居が点々と立っていました。

ふと、思いました。

この「竪穴式住居」のイメージそのものの佇まいって、萱葺屋根の古民家屋根だけの姿っぽい…。

上の写真は、江戸東京たてもの園で観た江戸後期の建物「八王子千人同心組頭の家」なんですけれど、この建物から屋根を取り外して芝生の上にポンと置いたら、「竪穴式住居」に見えませんか?

先史時代竪穴式住居って、ホントにこんな形だったのかなぁ~疑心暗鬼になったりして…。

   

ところで、尖石縄文考古館至宝 というか、茅野市至宝 というか、長野県至宝というか、日本至宝 (くどい)の国宝土偶 2体はどこから出土したのでしょうか?

「縄文のビーナス」の出土地は棚畑遺跡「仮面の女神」のそれは中ッ原遺跡だそうで、地図にプロットしますと(画像を加工していますので、ポイントの大きさが合ってない)、

こんな感じで、今、国宝土偶2体が保存・展示されている尖石縄文考古館からは共に北西方向にあります。

次回、茅野界隈に出かけるときには、この二つの遺跡行ってみねば と心に誓っております。

つづき:2016/04/13 半年前の信州旅行記(その45)茅野編 15

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半年前の信州旅行記(その43)茅野編 13

2016-04-11 21:43:04 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その42)茅野編 12」のつづきです。

いよいよ2泊3日信州旅行〆(しめ)茅野市尖石縄文考古館にバスで向かいました。

バスの車窓からの眺めいい

そして、尖石縄文考古館に到着するとサプライズがありました。

本日無料開館

って、え" です。
まったく予想していなかった事態に、あれまぁ~ と驚くしかありませんでした。
そして、館内に入ると、

開館記念日のため 観覧料無料です

とな

これはこれでうれしいかったのですが、これ以上にうれしかったのは、館内の写真撮影OKだったこと

入口ロビーで歓迎してくれる女神お二方(レプリカ)の写真を撮るのもそこそこに、さっそく展示室

尖石縄文考古館に入場して、最初の展示室に、本物女神お二方がいらっしゃいました

民放バラエティ番組ではあり得ない展開です

まずは、「この展示室内は撮影禁止です」などという掲示がないことを確認して、 展示室に入室

おぉ~ 惜しげもない

さっそく国宝土偶2点そろい踏みぃ~

お久しぶりです
なんて書きながらも、お二方には2014年末の「日本国宝展」@トーハクでお会いして以来ですから、実は半年ぶりなんですが…

それはともかく、遂に、国宝土偶2点の写真を撮ることができました。
まずは、国宝土偶としては先輩格「縄文のビーナス」から。

あどけない表情と、豊満極まりないボディーとの組み合わせがよござんす
しかも、ボディーは、雲母らしきものがキラッキラ

被り物渦巻模様いいなぁ~

縄文のビーナス

 

正面から見た、強烈なデフォルメ(腕が途中までしかない)もさることながら、 横から見たときの、

肩からお尻にかけてのラインのなんと見事なことか

加えて、正面から見る以上に巨大腰&お尻と、そこから続くド太っく、かつ、極端に短いおみあしに見られるデザイン感覚凄まじさ

これが紀元前2000~3000年前に造られたなんて、信じがたくて、めまいがしそうでした。

それにしても、後ろ姿もcute だぁ

もう一度書きますけれど、これが今から4000~5000年前に造られたものだなんて、信じられますか?

いやぁ~、凄い、凄い

写真を何枚も載せても、現物の素晴らしさが表現できなくて、かなり辛いものがあります

ぜひとも現物を肉眼で鑑賞されることを期待いたします。

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半年前の信州旅行記(その42)茅野編 12

2016-04-09 22:47:45 | 旅行記

「半年前の信州旅行記(その41)茅野編 11」のつづきです。

まず、「その41」で載せ損なった写真から。

茅野駅も間近という地点で見かけた火の見櫓です。
どおってことのない火の見櫓」かもしれませんが、なんとも魅力的 でした。

やぐらの中ほどにある半鐘小さな屋根がかけられているのがcute だし(に濡れた状態では鐘の音が響かないという実用的な理由があるのかも…)、

最上層の屋根の形もなかなかです

調べてみると、茅野にはこんなにたくさんの火の見櫓がありました(こちらのサイトから)。

実際に使われているのでしょうかねぇ

   

さて、12:15頃、茅野駅前に戻ってまいりまして、この信州旅行最後の目的地「尖石縄文考古館」に向かうバスが出るまで、しばし駅前を探索しました。

この日の朝松本のホテルを出発してからここまで、私は行き当たりバッタリ気ままに動きまわってきたわけですが、この後のスケジュールしっかりと決まっていました。
いや決められていました

なにせ、茅野から東京・さいたまに戻る電車指定券を取っていたことに加えて、茅野駅尖石縄文考古館の足(路線バス)が、あと1往復しかないもので…

ですから、

13:55 茅野駅前発 ⇒(路線バス)⇒14:16 尖石縄文考古館着⇒15:30 尖石縄文考古館発⇒(路線バス)⇒15:51 茅野駅前着⇒16:20 茅野駅発⇒(あずさ26号)⇒18:10 立川駅着⇒(中央線)⇒西国分寺駅⇒(武蔵野線)⇒自宅最寄り駅

というスケジュール遵守必須でした。

で、尖石縄文考古館へのバスの待ち時間は1時間40分
昼食を摂ることを考えれば、ちょうど良い時間だと思ったのですが、、、時間をもてあましてしまいました

駅ビル「Mont-8」(モンパチ?)も、

西口にある「BELLVIA」も、パッとしないし、どこの駅前・エキナカにもあると思っていたカフェ・チェーンもないし、う~む… でした。

そこで、まず、茅野駅西口の展望台に上ってみました。

ひやぁ~、穏やかな眺めだぁ

そしてふり返ると、、、

BELLVIAの壁面には、国宝土偶「縄文のビーナス」巨大な写真が掲げられていました

東口にはこちらでも書きましたように、茅野市の誇るもう一つの国宝土偶「仮面の女神」巨大なパネルが掲げられていますから、「東西の横綱そろい踏みって感じですな。

そして、そして、見下ろすと茅野市民館・茅野市美術館中庭きれい

茅野市民館・茅野市美術館こちらも、「その34」で触れた諏訪市博物館と同様、また今度 ということでパス
時間をもてあましたといっても、美術館に立ち寄るほどの余裕はありませんでしたので…

そこで、手頃に楽しめそうだと、昼食(またソバ)を摂った後に立ち寄ったのは、茅野駅西口からちょっと南にある「茅野駅前縄文公園」という名のポケットパーク

ここにあったのは、「仮面の女神」

「縄文のビーナス」の、

実物の3倍に作られたモニュメント説明板でした。

これからお二人に会いに尖石縄文考古館へ参上しますよ~ と気分が盛り上がる盛り上がる

でも、バスの時刻まではまだ余裕がありましたので、アイスクリーム&アイスコーヒー一服

ということで、次回はいよいよ念願尖石縄文考古館に繰り出します

つづき:2016/04/11 半年前の信州旅行記(その43)茅野編 13

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半年前の信州旅行記(その41)茅野編 11

2016-04-08 23:32:32 | 旅行記
 

「半年前の信州旅行記(その40)茅野編 10」のつづきです。

この信州旅行記を書きながら、いろいろ調べていますと、それまで「変なお祭り」としか思っていなかった「諏訪大社御柱祭」は、知れば知るほど興味深いお祭りに思えてきました。

この旅行で訪れたのは上社だけだったので、上社絡みなのですが、御柱を引きずってくる距離が結構短いということを初めて知りましたし、あの「木落しのや「川越し」の現場が、あれほど街の近く(茅野駅の近く)だとは知りませんでした。

諏訪大社上社御柱祭のルート

上の地図で「上4」「木落し」の会場「上5「川越し」のポイントです。

一方、私が諏訪大社上社前宮から茅野駅まで戻ったルートは、こちらの記事で載せたように、

茅野駅~諏訪大社上社のルートマップ

このように、御柱祭のルート真逆でした

しっかりと御柱祭のことを予習していれば、こんなルートを取らなかったのに…と後悔しきりです
ホント、痛恨です

   

でも、そんなことはつゆ知らず、てくてくと茅野駅を目指して歩いた時は、それなりに楽しかった

例えば、こちらバス停

国宝土偶「縄文のビーナス」が登場しました

著作権を気にせずにすむというのは、デザイナーさんにとっては気楽かもしれません。
なにせ「縄文のビーナス」は、作者未詳な上に、約4000~5000年前の作品ですから

それはそうと、「ビーナちゃん」

ビーナちゃんは、主に65歳以上の人や、障害のある人の社会参加の利便を図るため、やさしく、便利なお出掛けバスとして、既存の生活路線バスが運行されていない地域や運行が少ない地域を中心に、市営温泉施設、病院、市役所等公共施設を経由し、既存バス路線との共存共栄を図りながら運行いたします。

だそうで、私が見たこのバス停「ビーナちゃん」がやって来るのは、

毎週水曜日(のみ)、それも3本のみ とな

福祉バス「ビーナちゃん」

1週間に3本しか運行されないバスって、まるで飛行機の国際便のようです。

こんな運行頻度で、どれだけの人たちが利用しているのか、かなり気になりました。

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半年前の信州旅行記(その40)茅野編 10

2016-04-07 23:15:48 | 旅行記

ずいぶんと間が開きましたが、「半年前の信州旅行記(その39)茅野編 9」のつづき、「半年前の信州旅行記」再開です。

「半年前の信州旅行記」休止している間に諏訪大社上社「山出し」「木落し」「川越し」が行われたりして、時間の経過の速さに改めて驚き入る今日この頃です。

で、まずは、諏訪大社上社前宮「一之御柱」

先入観なしにこの写真を見ると、回りののどかな風景ともあいまって、電柱のようにも見えますが、正真正銘諏訪大社上社前宮「一之御柱」です

この「一之御柱」に限らず、諏訪大社上社前宮は、先にお参りした諏訪大社上社本宮と違って、なんか地味で、「村の鎮守」の雰囲気が漂っていました。

諏訪大社発祥の宮とも考えられている諏訪大社上社前宮ですが、諏訪大社4宮唯一拝殿の後ろに本殿を構える「普通の神社」の造りであることも、諏訪大社上社前宮「村の鎮守」っぽく見せているのかもしれません。

本殿の写真をもう一丁

それにしても、前宮の南東側から拝殿と本殿を巡るように流れる清流「水眼:すいが」というらしい)といい、

本殿周りの巨木といい、

まさしく神域でした

このように、かなぁ~り満足して、茅野駅前へと向かったのでありました。

ところで、明日、諏訪大社下社御柱祭・山出しが始まります

つづき:2016/04/08 半年前の信州旅行記(その41)茅野編 11

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2週連続の上野公園(後編)

2016-04-06 23:13:43 | 美術館・博物館・アート

「2週連続の上野公園(中編)」のつづき、先週末に東京国立博物館(トーハク)で観てきた特別展「黒田清輝」の見聞録の最終回です。

代表作「読書」はオーラを放っていた。

黒田清輝の代表作といえば、「教科書に載っていた」はずの「湖畔」「読書」でしょう。
私、「湖畔」は、6年半前黒田記念館(記事はこちら)で拝見していましたが(実際に拝見するまで、この作品が油絵だとは思いませんでした)、「読書」を拝見するのは初めてだったかも…

で、この「読書」オーラを放っているようでした

2次元タブローのはずなのに、絵そのものがを放っているように見えます

いったいどんなライティングが施されているのか不思議に思って、後ろの天井を見上げたりして…。
と、同じように、後ろを見上げる観客の方がいて、やはりなぁ…と思いましたです。

東京駅丸の内駅舎の復原にあたっては、貴賓室の壁画も復原して欲しかった

特別展「黒田清輝」の会場の中に、八角形のエリアがありました。

ここは、東京駅丸の内駅舎「帝室専用玄関壁画 再現」のコーナーで、説明板によるとこの壁画は、

鉄道院は「山の幸」「海の幸」の主題を神代の時代設定で描くよう(黒田に)希望したが、黒田は時代を「現代」とし、山の幸として機関手、農業、鉱業及び機械、操車、海の幸として航手、水産、運輸及び造船、漁業、水難救助を主題とした作品が入口から奥に向かって並ぶように配置した。

だそうで、戦災(東京空襲)焼失してしまったのだとか…。

再現されていたのは、モノクロで、しかも、半分だけ
せっかくの機会なんだから、全部再現してよ
と思ったのですが、どうやら、オリジナルの資料がないみたいです。

手許にある、鉄道博物館2014年末~2015年初に開催された「東京駅 開業100周年記念 100年のプロローグ」展の図録を括ると、、

載っていました、この幻の壁画

この写真(東京駅開業当時の記念絵はがき)を見ると、あれま特別展「黒田清輝」で見た展示そのままだ
そして、手前にあったはずの壁画の再現無し
ということは、この図録に載っている、上の写真他数点が、黒田清輝&和田英作による壁画を現代に伝える数少ない資料なのかも…

脇役が豪華だった

「中編」で、「低いテンションで臨んだ『黒田清輝』展と書いたわけですが、正直、黒田清輝の作品には大きなインパクトを与えてくれる作品は多くありませんでした。
はっきり言って、あまり面白くない
でもその代わり、黒田に影響を与えた画家などの参考出品作面白かった

モネとか、シスレーとか、シェヴァンヌとか、ピサロといった作家の作品が日本各地の美術館(ピサロ埼玉県立近代美術館所蔵の「エラニーの牛を追う娘」集結
加えて、黒田大好きだったというミレーの「羊飼いの少女」が、

はるばるオルセー美術館から出張してきていました
これらの脇役(失礼)の中では、ブルトン「朝」とか、シャヴァンヌ「冬」(パリ市庁舎控えの間のための下絵)を「お持ち帰り」したかった…

「木かげから別の作品を連想した

妙なポーズの女性を描いた作品がありました。

「木かげ」という作品なんですが、この女性は何をしているんでしょ?

この作品を観て連想したというか、思い出したのは、、、、

梅佳代さんの写真集「うめめ」の表紙に使われた作品でした。

というわけで、ワクワクドキドキ…なんてことはなかったものの、それなりに楽しめた特別展「黒田清輝」でした。

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2週連続の上野公園(中編)

2016-04-05 23:36:22 | 美術館・博物館・アート

「2週連続の上野公園(前編)」のつづきは、東京国立博物館(トーハク)で観てきた特別展「黒田清輝」のこと。

「前編」で、この日曜日に上野に出かけたことについて、

目的は二つありまして、まずは、満開

と書きましたが、もう一つの目的は、この「黒田清輝」展ではありませんでした。

生誕150年 特別展「黒田清輝」のフライヤー敢えて「黒田清輝」展を観に行く気はなかったのだけれど、せっかくトーハクに行ったのだし、これまでのペースだと、「1年間に国立4博物館の特別展を6展観られる」という「東京国立博物館パスポート」を使いきる可能性が低かったからでした。

そんな低いテンションで臨んだ「黒田清輝」展、印象を箇条書きで並べてみることにします。

トーハクの「黒田コレクション」は凄まじい量だった

トーハクの特別展専用のスペース、平成館2階は、日本一といってもいいくらいの広い展示スペースを持っています。
そんな会場を埋め尽くした作品は、参考出品の他の作家のものを含めて170点近くあったのですが、黒田清輝の作品に限ると、その多くがトーハクの所蔵品でした。
かなり頻繁にトーハクに出かけているはずの私でも初見黒田作品ドッサリ でした。
いったい、何点もっているのだろうか?

レーニンの横顔黒田清輝の横顔はレーニンに似ているかも…

展示作品の中に、黒田清輝自身の住所録がありまして、その表紙には、黒田清輝自身による自画像らしきものが描かれていました。
「黒田清輝の装幀による住所録」なんて、それだけで商品になりそうなんですが、その「自画像らしきもの」がどことなくレーニンに似ていました。

黒田清輝も若い頃、お金に苦労したんだ…

説明板を引用します。

婦人像(厨房)が落選となった黒田清輝は、翌年のサロンへ向けて「夏」を主題として裸体群像に取りかかった。
数々の人物素描や構図案を描いたものの、裸体モデルを雇うだけの経済的余裕がなかったため、やむなく中断。同時期に黒田は着衣の女性群像を制作しているが、こちらも下絵(したえ)のみで完成されることはなかった。

ですって。
なんとなく、洋画界の重鎮っぽいイメージの黒田清輝ですが、若かりし頃はお金にも苦労したんですなぁ。

なんとも中途半端ですが、「MISIA星空のラジオ」に集中したいので、今夜はここまで

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2週連続の上野公園(前編)

2016-04-04 22:11:01 | タウンウオッチング

きのう4月3日(日)、またもや上野公園に出かけてきました。

目的は二つありまして、まずは、満開

の名所の一つ上野公園は、の花にも負けないくらいの大賑わいでしたが、やはりのこのボリューム桜の勝ちでした。

の咲き誇ると、黒々とした幹や枝とのコントラストイイなぁ~

そして、先週は、こちらの記事で、

竹の台広場賑わいとは裏腹に、トーハク前庭閑散といってもいいくらいの人しかいませんでした。

と書いた東京国立博物館(トーハク)も、花見から流れてきたのか、大勢の人たちで賑わっていました。

先週は幹と枝だけだった本館裏のオオシマザクラも、今週は八分咲きでした。

前にも書いたと思いますが、私、オオシマザクラ大好き

ソメイヨシノと違って、葉っぱと一緒に芽吹くので、花びらの白葉っぱの緑、そして黒い幹と枝を同時に楽しむことができます。
そして、花が大きい

これまた大好きな蕪の浅漬けを連想してしまいます

この眺めは、この時期ならではで、

カモたちもくつろいでおりました。

と、ここまでばかりを取り上げてきましたが、トーハクで咲いていたのは桜だけではありませんでした
まずは、正門を入ってすぐのところで咲いていた、ゲンペイモモ

赤い花(平氏?)と白い花(源氏?)が入り交じって咲いて、なんともおめでたい
牡丹きれい

そして、ほとんどの人が目もくれないカエデの花

地味ですものねぇ~
すぐ近くにこんなステキな眺めが展開されているのですから、仕方がないかも…

"

ソメイヨシノなどは今週半ばで散ってしまうでしょうけれど平成館前のシダレザクラは、まだ咲き初めの状態ですから、

トーハクは来週末以降も楽しめそうです。

つづき:2016/04/05 2週連続の上野公園(中編)

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