asahi.comに出ていた記事(http://book.asahi.com/booknews/interview/2012112800018.html)。
テレビで「岸辺のアルバム」を見た記憶はないのですが、小説は文庫本で20年後くらいかな、読みました。
インタビューの後半、震災や震災者との関係に山田さんらしさ。
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【http://book.asahi.com/booknews/interview/2012112800018.html】
山田太一「岸辺のアルバム」 励ますだけがドラマか
[掲載]2012年11月28日
日本映画の黄金期が1950年代なら、テレビドラマが最も輝いていたのは70年代だ。日本テレビがイキのいい青春ドラマで若者の心を捉えれば、TBSは端正なホームドラマで大人をうならせた。中でも山田太一の「岸辺のアルバム」(77年)は幸福な家族の暗黒面を容赦なく暴き出し、今もテレビドラマの最高峰であり続ける。
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家族のぬくもりを描いたドラマはたくさんありましたが、そればかりではいけないんじゃないかと思っていたんです。家族の本当の姿を描けないだろうか、と。
それでまず書いたのが、73年の「それぞれの秋」でした。脳腫瘍(しゅよう)で抑制をなくした父が妻子に不満をぶちまけ、家族の様々な本当が露呈してしまう物語でした。
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「岸辺のアルバム」では、主婦の心の飢えを描きたかった。当時、カルチャーセンターに通ったり、パート仕事に出たりと、主婦の選択は広がりつつありましたが、女は家にいて家を守るものという空気もまだ強かった。
家族の世話ばかりの日々の孤独からエロスの誘いに逆らえなくなっていく姿を、薄汚く見えないように書こうと思いました。
しかし、母親は不倫をし、長女はレイプされ、父親の会社は経営危機に陥る、そして洪水が起こってマイホームも流される――こんな陰気な話をドラマにするのはまず不可能だと思い、ちょうど依頼されていた新聞小説として書きました。
ところが、すぐTBSの大山勝美プロデューサーがドラマにしようと言ってくれたんです。視聴者は実は暗いものも求めている。癒やされるものばかりがエンターテインメントではないんですね。
当時のテレビの人たちには、何かテレビの世界をきりひらいてやろうという気持ちがありましたね。私一人じゃとても作れなかった。きっと視聴者からは「暗い」と非難されるんだろうなと思っていました。しかし、非難はほとんどありませんでした。
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このドラマは、1974年に起きた東京の多摩川水害をベースにしています。実際に家を失った方が「ウチがモデルだと思われて迷惑した」という話も聞きましたが、責任を問われるようなことはありませんでした。
現在のテレビの状況だったら作れただろうか、と思います。今なら東日本大震災ですね。被害の規模は異なりますが、ドラマは立ち入るまいとおびえているようです。
被害に遭われた方々への配慮は大切です。被災者が励まされるドラマはもちろん必要です。しかし、当たり障りのないところから踏み出そうとしない冷たさも感じます。
「絆」の大切さを私たちは教えられました。しかし、戦後の日本は「絆」を振り払い、核家族から更に一人暮らしという方向で歩いてきました。「助け合うのが当たり前」という現実を突きつけられて、親族隣人という他者と生きる細かな事実は、それだけでも安易にハッピーエンドに出来ない、私たちの「個」が問われるたっぷりしたドラマです。
震災はもっといろいろな角度から描かれるべきです。たとえば、同情されたくない老人。一人だけ生き残った人の、理由のない罪障感。人々の不幸につけ込んだ小悪党の貧しさと孤独。近づけなかった異性と避難所の一つ屋根の下で寝る少年のときめき。立ち入れない深い絶望。
真剣に作れば、被災者を傷つけることにはならないと思います。腫れ物に触るような扱いは、かえって孤立感を深めるんじゃないでしょうか。(聞き手・石飛徳樹)
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やまだ・たいち 1934年東京生まれ。脚本家・作家。テレビドラマに「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」など。「岸辺のアルバム」のDVDボックスが30日に発売される。
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