asahi.comの書評のページに出ていた記事(http://book.asahi.com/booknews/update/2013021900010.html?ref=comtop_fbox_u)。
昨年末亡くなった中沢啓治さんの遺稿が見つかったという記事。
『●「はだしのゲン」中沢啓治さん、亡くなる』
『●「原子力」と「核」、言葉は違えど「原発=原爆」である』
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【http://book.asahi.com/booknews/update/2013021900010.html?ref=comtop_fbox_u】
「はだしのゲン」続きあった 中沢さん自宅に新たな遺稿
[文]後藤洋平、小玉重隆 [掲載]2013年02月15日
昨年12月に73歳で亡くなった漫画家、中沢啓治さんの未完成の作品となった「はだしのゲン」第2部の新たな遺稿が見つかった。広島平和記念資料館に寄贈されている未発表作品は16ページまでだが、続く17~32ページが埼玉県所沢市にある自宅の仕事場に残されていた。
今年1月、遺品を整理していた中沢さんの妻ミサヨさん(70)が、作業机の辺りで見つけた。A3用紙を半分に折り、表裏を使って1枚あたり4ページ。計4枚で鉛筆書き。絵を書き込む位置などは大まかに示されているが大半がせりふとコマ割りのみだった。
これまで明らかになっている16ページまでの物語は、漫画家になるため上京したゲンが、盗みを働こうとした男児と知り合う場面で終わっていた。新たに見つかった遺稿では、知り合ったこの男児と、ゲンとの切ないやりとりが描かれていた。
男児は東京大空襲で両親を奪われた孤児。ともに生き延びた妹も栄養失調で亡くし、「こんなおれが生きのこるためにはドロボーをするしかないだろう。だれも助けてくれないんだから」と独白を続ける。ゲンは「わかるよ。わしも広島のピカで同じ思いをしたけえのう……」と被爆体験を重ねる。全財産が入った財布から千円を取り出して渡そうとしたところ、財布ごと奪われてしまった。
最後の32ページ目は、孤児を追いかけたものの逃げられたゲンが、「わ、わしは一文なしになってしもうた……一文なしに……」とのセリフで終わっていた。
ミサヨさんによると、第2部の執筆は17~18年前に出版社から打診があり、中沢さんも承諾。漫画家を目指したゲンがその夢をかなえ、海外を旅するその過程を描く構想だったという。今回見つかったものと併せて第2部の遺稿は、当時描かれたものとみられる。
ところが、執筆を始めた直後に右目の眼底出血と診断され、出版を断念。ミサヨさんによると、中沢さんは「それぞれの人の心の中で、ゲンの続きを想像してほしい」と話していた。「本人はすごくショックを受けていたように見えた」
中沢さんは2009年、白内障のため断筆を宣言。原画の劣化などを心配し、段ボール30箱以上に及ぶ作品の大半を広島平和記念資料館に寄贈した。未発表だった16ページ目までの遺稿は同館が所蔵し、4ページのコピーが今年1月に一般公開されたばかり。16ページまでのうち、絵が描かれていたのは冒頭の1枚のみだった。
中沢さんからの寄贈品の担当をする同館啓発課の菊楽忍さん(54)によると、中沢さんは、第2部のあらすじについて「東京大空襲で両親を亡くした孤児と仲良くなるんだ」と語っていたという。「続きがあって、とてもうれしい」と話した。ミサヨさんは3月にも広島市を訪れ、同館に寄贈するつもりだ。
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