エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「飲み食いのお祈りをするルター」

2013-12-01 03:35:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 グリザールは、ルターが自己中心なのは、ルターは「昔頭が変だったからね」ということにしてしまう見方をします。しかし、こういう類の見方は、かなり一般的な見方だといえると思います。何か問題行動、ないしは、「理解しがたい行動」があると、「あの人は子どもの頃、○○だったからね」という見方をしがちではないでしょうか? この○○には、非行、心の病気、犯罪歴、親の様子などが入ります。

 

 

 

 

 

 敵意のある人でも、ない人でも、ルターの伝記作家すべての中で、ダニフル先生ほどルターに似ている人はいないように思います。少なくとも、誠実なところがあるけれども気分で変わる点と、一方的に怒り出す点で、2人は似ています。「チロル人の率直さ」と1人のフランス人の伝記記者がルターについて述べています。このイエズス会の修道士は、ルター神学を学問的に批判する点で、最も見事です。つまり、彼は、ルターの下品さに対して自分が腹を立てる点がとても好きです。ダニフル先生が考えたのは、本当の神の人なら、「私はボヘミア人の様にたらふく食べ(fresse ドイツ語で「がっつく」の意)、ドイツ人の様に酔っぱらう(sauff) 神は誉むべきかな。アーメン」とは言わないはずだ、ということです。

 

 

 

 

 

 ルターは、日常も肯定していたのでしょうか? 飲み食いも肯定していたというのでしょうか? 祈りをそのように祈ったと、ダニフル先生は批判します。エリクソンはそれにどのように答えるでしょうか?

コメント
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