エリクソンの眼からみれば、ルターの発作は、自分を確かにする道を邪魔することの「しるし」でした。
ルターが一生涯苦しんだ、あまり議論されることもない、一連の極端な精神状態、つまり、涙を流し、汗をかき、失神することになる精神状態から判断すれば、この聖歌隊での発作は、よくあったことなのでしょう。その発作は、特別だと報告された形で、すなわち、マルティンが修道僧をしていた数年間に特別な条件下で起きていました。そのいくつかは伝説になっているとしたら、それは伝説なのです。伝説を作り上げることは、歴史を学問的に描き換えるものですが、それはちょうど、元々の事実が学者の業績の中に用いられているのと同様です。私どもは、半ば伝説となり、半ば歴史であることを受け容れざるを得ません。そこでは、報告されている事実が、他のよく裏のとれた事実と矛盾せず、一連に真実が一貫し、心理学的理論と一致する意味を作り出す、ということだけが規定されます。
ルターが聖歌隊の中で発作を起こした、というエピソードは半ば伝説となり、半ば歴史なのでしょう。事実だけを選り分けるのは、もはや困難なことでしよう。ですから、事実相互に一貫性があり、心理学的に考えて妥当な意味があると見做されれは、それでOK、ということになるのです。