ルターの豊かな人格の中に、弱点もあるというのは、実に不思議なことではないでしょうか? エリクソンはなぜ、あるいは、どのようにしてそのように言うのか?ぜひ聞いてみたいと思います。
この弱点にもなる要素が支配的になる時、多くの場合、ルターは品がなくなるので、あの聖職者や、あの精神科医の恰好のカモになります。2人とも面白そうに引用します。すなわち、「汝、本なぞ書くなかれ。年老いた雌ブタの放屁聞くまで。その雌ブタに汝の口を明けよ。そして語れ。『感謝です、麗しき小夜鳴き鳥よ、我、我のための聖句聞くべし』と。」。しかしながら、自分自身にうんざりしながら、こんな気持ちを分かち合える著者がいるのでしょうか?あの分別の言葉も見つからないのに。
ルターの筆はここで滑っているのでしょうか?