エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ブタを小夜鳴き鳥とおどけるルター

2013-12-05 03:56:52 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターの豊かな人格の中に、弱点もあるというのは、実に不思議なことではないでしょうか? エリクソンはなぜ、あるいは、どのようにしてそのように言うのか?ぜひ聞いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

この弱点にもなる要素が支配的になる時、多くの場合、ルターは品がなくなるので、あの聖職者や、あの精神科医の恰好のカモになります。2人とも面白そうに引用します。すなわち、「汝、本なぞ書くなかれ。年老いた雌ブタの放屁聞くまで。その雌ブタに汝の口を明けよ。そして語れ。『感謝です、麗しき小夜鳴き鳥よ、我、我のための聖句聞くべし』と。」。しかしながら、自分自身にうんざりしながら、こんな気持ちを分かち合える著者がいるのでしょうか?あの分別の言葉も見つからないのに。

 

 

 

 

 ルターの筆はここで滑っているのでしょうか?

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問われるべきは、話をする人自身の主体性(主観)

2013-12-05 03:34:33 | フーコーのパレーシア

 

 パレーシアについて、フーコーは語源にさかのぼって、解説してくれましたね。

 

 

 

 

 話の主題(発表のテーマ)と話をする形式(文法上の)主語の違いを区別するなら、言葉を発するその人の主体性、すなわち、話し手の確固たる信念や意見やら、もあるということができます。パレーシアにおいては、話し手が強調する事実は、話のテーマと話し手本人の主体性、すなわち、話をする人自身が、話をする意見の主題である、ということです。パレーシアな話をする人の「言語活動」というものは、このようにして特定の形をとります。すなわち、「私は、なんだかんだと考える人です」という形になります。

 

 

 

 

 

 パレーシアの人は、「客観的」な話をしていても、その人の主体性、話のテーマについてその人が考えていることを、表明することになります。それは、対話が単に情報の交換ではなくて、いっそう人間的な暮らしや文化を創り出すと言う様な目的、visionを実現するために、対話の中からより良いものを創り出していこう、という明確な方向性のある、創造的な対話をもたらすことでしょう。

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