パレーシアとはどんな意味なのか、まだ申し上げていませんでした。フーコーが今日のところできちんとそれに触れてくれています。
1.パレーシアと率直さ
まず初めに、「パレーシア」の一般的な意味は何なのでしょうか? 語源的に申し上げれば、「パレーシアゼスタイ parrhesiazesthai」とは、すべてを語ることです。つまり、「パン pan[παυ](全て)」と「レマ rhema[δημα](語ったこと、つまり、話し言葉)」からできているのです。 パレーシアを用いる者、すなわち、パレーシアステス parrhesiastes は、心の中にあることを腹蔵なく語る人のことです。つまり、その人は、何事も包み隠さずに、自分の心にあることや気持ちを、対話を通して他者に完全に打ち明けるのです。パレーシアにおいて、話し手は自分の心にあることを完全に、しかも、正確に説明しているように思われますが、それは、聴き手が 話し手の考えていることを正確に理解するためなのです。ですから、「パレーシア」という言葉は、話し手と実際に話し手が口にしていることの、1つの関係について述べることです。なぜならば、パレーシアにおいては、話し手は、自分が話していることが自分自身の意見です、ということをハッキリと明確に表明することだからです。しかも、その話し手は、自分が考えていることを覆い隠すような類のレトリックを避けることで、意見を明確に述べます。その代わりに、パレーシアステス、すなわち、パレーシアの人は、探しうるものの中で一番直球の言葉と表現形式を使います。レトリックに頼れば、話し手は聴き手の気持ちにベールをかぶせるのに役立つテクニックを手に入れるけれども(レトリックを使う人は、自分が口にしていることについて、自分の意見は実際どうなのかは問いません)、パレーシアにおいては、パレーシアステスが、他の人たちの気持ちに影響するのは、他の人々にできるだけ率直に、実際に自分が信じていることを示すことによるのです。
ここを読んでいただけたら、なぜ私が、「特定秘密保護法案」に抗して、パレーシアのことをブログに書いているのか、ご理解いただけるだろう、と思います。権力が最も嫌がるのは、言葉ですから、その言葉をハッキリと明確に表明する人、パレーシアステスを、権力は最も苦手とするからです。
このブログを読んでいただいて、皆さんが立派なパレーシアステスになって下すったら、こんなに嬉しいことはありません。