自分には不愉快なことでも、不都合のことでも、「本当のこと」には、誠実に耳を傾けることが、パレーシアとパレーシアステスの相手ですし、王様や殿様だけではなくて、まじめに政治のことを考える人ならどなたでも、そういう耳を持っていることが大事です。
なぜか?
それは、自分を確かにする道を歩むためです。それが私どもひとりびとりの、アイデンティティなのです。そして、自分を確かにする道は、社会の在り方と切っても切れない関係にありますから、その社会、あるいは、近所でもいいです、そこを人間らしい暮らしのできる場にしていくため、そこを確かにする道を歩むためでもあります。ですから、その耳はとっても大事です。
君主制のパレーシアのやり取りには、第3の演者がいます。すなわち、サイレント・マジョリティ 大多数は声を上げない ということです。一般市民は、王様と王様の顧問たちのやり取りに立ち会うわけではありません。むしろ、顧問たちは、王様に助言する時には、一般市民のために、一般市民のことに触れます。
パレーシアが、君主が統治する場で登場する場は、王様のいる宮中になり、もはや広場ではなくなります。
王様の顧問たちがパレーシアを実践するところは、皆が自由に出入りする広場ではなくて、特権階級しか入れない宮中となります。その顧問たちは、声なき声の多数者の代弁者になることが期待されますが、代弁者になるか否かは、顧問たちに委ねられているものですから、顧問たちは代弁者にならない場合もあります。
国会議員は、日本においても、国民の代弁者に決まっていますが、今の日本では、ウソとゴマカシを多用して、自分(達)の利益を追求していますよね。
先日、安倍晋三首相が靖国神社と言う、元々は陸海軍の施設を訪問した時の談話は、そのウソとゴマカシの典型で、国民の代弁者どころでは全くないこと、詭弁者・詐欺師であることをハッキリさせるものでした。談話で言っていることと、実際のやっていることが真逆ですし、靖国強行訪問、特定秘密法案強行採決をしておいて、平和と民主主義のためと言う様な人物は、当然、「平和と民主主義の敵」であることに間違いはありません。