
生きている意味 ― 女子高生買春と20代の自殺 ―

心の時空を秩序づける力 : 市民宗教~体制順応主義2013-09-11 03:00:02 | エリクソンの発達臨床心理 ...
来週末、神戸の日本心理臨床学会に行きます。その読み上げ原稿やら、パワーポイントの資料が佳境を迎えています。今回の発表は、≪約束≫に関するものですので、今晩は、またまた、≪約束≫を取り上げます。「あんたも好きねぇ」と言われそうですが、実際約束が好きなんですね。
約束には、2種類があるそうですね。ちょっと難しそうな響きがあるんですが、1つは片務的約束(片務契約)、もう1つが双務的約束(双務契約)です。片務的約束とは、簡単に言えば、一方が他方に、見返りを求めずに何かをプレゼントする約束です。たとえば、トウモロコシを畑で作っている人に、「たくさん取れたから、おすそ分け」などと言われて、トウモロコシをただでいただく場合が、片務的約束です。他方、双務的約束は、簡単に言えば、お互いにプレゼントを交換する約束です。たとえば、何かを買ったら、その代金を支払うのは、双務的約束です。あるいは、仕事をしてもらったら、その仕事の対価、賃金を支払うのも、双務的約束です。
子どもの発達でも、約束が大事でしょ。特に、赤ちゃんの時のお母さんの献身。これは、夜昼関係ありませんでしょ。真夜中でも、ぐずれば、オッパイを上げたり、オシメを取り換えたり、あやしてみたりしますでしょ。これは、典型的な片務的約束です。でも、今の日本、愛着障害だらけです。どこの学校に行っても、愛着障害の子どもがゴマンといて、教員の手を手こずらせています。なかには、愛着障害を相手にすることが大変で、心身に不調を訴える教員さえ、あっちの学校でも、こっちの学校でも生じてくるような在り様ですよ。ですから、そのいう子どもは、赤ちゃんのころに、母親の献身、片務的約束が全然足りなかった。学校生活は、ルールや時間割、年間予定、いろんな教科、お片付けなど、いろんな双務的約束の塊でしょ。でもね、愛着障害の子は、この双務的約束が1つもやりません。できないんですね。大人が見ている場合はやるケースもないではない。でもね、見てなきゃ、たちまち、やんない。おかしいでしょ。妙でしょ。
でもね、これが本当なんですね。どうして本当か? 人間が双務的約束が出来るようになるためには、徹底的に片務的約束をしてもらわなければ、ならないからです。母親の献身でなければ、どなたかの献身が、母親の献身の代わりをしなくちゃぁなりません。献身と言う片務的約束をしてもらって、子どもは(大人もですが)はじめて、自分でも約束(双務的約束)をすることができるんですね。
子どもを眼の前にして、「約束を守りなさい」「ルールを守りなさい」「今は算数の時間なんだから…」などと言っているあなた。その眼のまえの子どもが、1度でも、徹底的に片務的約束、献身をしてもらっているかどうか、どうか、確かめてあげてくださいね。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
