エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

引っ込みがつかなくなる。 アベシンちゃんと悪魔の仲間たち

2015-09-21 11:30:05 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターが新しい時代の始まりをもらたしたのは、「腑に落ちない」こと、すなわち、聖書が “言ってること” と、カトリック教会がじっさいに ”やってること” が違うじゃないか! ということを、捨て置かず、その一致を実現しようとする「少しの勇気」があったから。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.228の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 民衆の反応が広がったことは、ルターにとっても、カトリック教会にとっても、反乱したい人たちが沢山いて、いわれなき課税問題一つで多くの人に火が付くぞ、と警告することになりました。この後数か月、ルターは、自分が主張したことを取り消したと思われた時も何度かありましたし、ローマ教皇は、免罪符売りが、あるとしたり、あると言ったり、ないとは言わなかったりした、神のとりなしをもたらするローマ教皇の力は、誇大広告でしたと、公に「認める」と歩み寄りを示したことも何度かありました。しかしながら、ルターもローマ教皇も、まるでケダモノのように振る舞いした。つまり、自分の怒鳴り声が跳ね返ってくるのを聴いては尻込みし、相手が尻込みすれば勇気100倍、引っ込みがつかないほど、すぐにでも関わって、一度血が流れれは、後戻りをする余地は少しもありません。

 

 

 

 

 

 妥協の余地のある時に、明確にその意思を示すには、「負けたつもり」になる覚悟と、その責任を負う覚悟がなければなりません。その2つの覚悟がなければ、戦いが始まりそうになった時点で、すでに惨めな終局を迎える道が決まってしまいます。

 アベシンちゃんと悪魔の仲間たちのやってることは、オゾマシイまでの黙示録的破壊の結末なのに、「そんなことはございません」と、世にもオゾマシイ、ウソ800を並べたのが、今回の戦争法案でした。

 私どもは、目を覚ませて、これを廃止する政治を作り出して生きましょう!

 

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エリクソンの「愛着障害臨床実践マニュアル」

2015-09-21 09:10:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 エリクソンは、ピアジェの見事な認知発達理論を高く評価します。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p76の、下から13行目から。

 

 

 

 

 

グリーンスパン(1979)によれば、「ピアジェは、エリクソンがフロイト理論を人間関係の心理的な読み解きに拡大して用いたことに、つよく賛成しています」。ですから、グリーンスパンは、ピアジェ(1960)を引用して「エリクソンの舞台の一番良い点…は、フロイトの理論的メカニズムを、より一般的な行動(たとえば、歩くこと、探索すること、などなど)に当てはめることによって、前の舞台で身に着けたことを、その後の舞台のレベルで統合すると仮定しようとした点にあります」と言います。

 

 

 

 

 これが、エビジェネシス、同じ遺伝情報があっても、生活環境とのやり取りの中で、その遺伝情報が上手く発展するのかどうかが決まってくるという、エリクソンの発達に対する見方を、ピアジェが見事に言い表しているところを、エリクソンも「ピアジェさん、分かってもらってアリガトサン」と言わんばかりに、引用しています。

 このエリクソンの発達の図式、エピジャネシスの理解は、昨日の心理臨床学会は、「発達障害とトラウマ」のプログラムの中で、慶応大学OGの渡辺久子さんが、愛着障害を理解する上でも、不可欠な要素として強調した点ですよ。すなわち、エリクソンの理論は、半世紀も前のものですが、現在進行形の、今も役立つ臨床実践マニュアルでもあるんですね。

 

 

 

 

 

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感じが悪いのは、イジメだから

2015-09-21 06:22:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪関係=やり取り≫を下支えするものは、≪忠実であること≫=自発的犠牲
 新しく、大きいものは良い、とする生き方2013-09-20 03:38:15 | エリクソンの発達臨床心理...
 

 今晩は、日本の組織的なイジメを考えます。

  今回強行採決になり、議事録もないような戦争法は、手続き的に見ても不当ですし、そもそも憲法違反ですから、参議院選挙と衆議院選挙を待って、自民、公明、次世代、改革、次世代以外の、民主、維新、生活、社民、共産の連立政権を樹立して、この法案を永遠に葬り去る日を待ちましょう。

 今月号の『世界』が、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちのおバカで、狂気(凶器)の戦争法案を特集しているので、久しぶりに購入しました。その中の、上智大学の中野晃一さんの「“感じの悪い”政治との決別」『世界』no.871,2015, Septemberを参考に、日本の組織的イジメを考えましょうか。

 中野さんは、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちがやってることは、ウソと金魚の糞と脅しだと言います。政治学者ですから、「虚偽と追従と恫喝」とやや難しい言葉を使ってんですが、要するに、ウソと金魚の糞と脅しです。

 アベシンちゃんと悪魔の仲間たちがやってることを、中野さんは丸山眞男教授の「古層」研究を手掛かりに考えます。丸山眞男教授の「古層」研究とは、日本の歴史を通じて、外来思想や外来の政治システムなどが、日本的に書き換えられてしまって、元来の姿をとどめなくなってしまうこと、その原因を歴史を通して研究したものでしたね。

 中野さんはそれを、アベ政治は、上下関係の連鎖によって政治を作ってる、ってんですね。すなわち、「自分よりも上位にあるものに対して、奉仕、服従、帰順しつつ(まつろう)、下位の者に対しては、彼らの上位の者に奉仕、服従、帰順させる(まつろう)役割を担う二面性を持っている」と。これはまさに、エリクソンの「人間を上下2つに分けるウソ」です。だから、アメリカには尻尾を振るけれども、「下」と見た者には、露骨に「自主的服従を強制」すると言う訳ですね。アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが「下」と見なしてんのは、沖縄辺野古ですし、新聞やテレビ局などのマスメディア、日本市民でしょ。私どもをバカにして、服従すべきものと考えてる訳です。マスメディアは、かなりの割合で「自主的服従」を選びましたね。でもね、辺野古の人たちも、私ども日本市民も、唯々諾々と服従するのを、潔しとはしない。でも、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが「下」と見なした者に対しては、露骨にイジメをしていることが、この中野さんの論文を読めば、一目瞭然です。

 私は、日本市民の人権を尊重し、日本に暮らす市民が人間らしい暮らしを保証することが政治の務めでなのに、アホノミクスで、「おカネをたくさんあげまっせ」とだましつつ、日本に暮らす市民をイジメているのが、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの真の姿だと考えます。

それが、

1)辺野古や沖縄などの日本市民に対して「米軍基地があっても我慢せい」、

2)福島だけではなくて、東北から関東に広がる沢山のホットスポットに暮らす日本市民に対して「放射能で汚れたところでも、我慢して暮らせよ」、

3)日本に暮らす市民に対して、「放射能で汚れた食べ物、空気、水を口にしても、気にするなぁ、そのデータは公表しませんよ」

4)日本に暮らす市民に対して、「人間らしい働き方、子どもの幸せ、老人の幸せ、ハンディキャップの人との幸せな暮らし、女性の幸せは、諦めなさい」

と言っているのと同然な無策の政治を、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちがする、根本原因は、「人間を上下2つに分けるウソ」です。

 

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