エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ラッキー、を見通すルター

2015-09-05 10:08:26 | アイデンティティの根源

 

 真の改革は、敵をも唸らせるものがあるみたいですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.224の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 宗教改革と呼ばれる一大ムーブメントにとって、ルターがどんだけ大事か? ということに関して、歴史的な評価には、賛否両論、いろんな意見があります。こういったいろんな見方は、党派心に強く彩られていますから、ルターがもともと指導力があったと証言する見方もあれば、ルターのシンパは、ジョン・ウィクリフやヤン・フスのシンパに関する噂を、タイミングよく利用したものに過ぎないという見方まで、あるくらいです。シンパがいたおかけで、ルターが生き残り、力を持つうえで、天賦の摂理を確かにすることができましたし、ルターの敵たちが躊躇してくれるという形で幸運を保つこともできましたし、さらには、ルターが抵抗を最後までやり遂げることもできました。それは、当時を基準に従えば、ルターが何度も火あぶりにあって、命を落としてもおかしくない状況下でのことでした。

 

 

 

 

 ルターは、こうしてみると、かなりラッキーだった、と言えるようですね。何度も火あぶり刑にあってもおかしくなかったのに、その危機を生き延び、力を維持したんですからね。ルターが幸運に恵まれたこと自体が、天与の摂理と見る人が現われてもおかしくないでしょう。

 しかし、マルティンがルターになった時、ルターはこの種の幸運も、見通していた、と私は見ますね。

 

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≪本当の自分≫生かしてる?

2015-09-05 08:58:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日本ですと、「お互いに認め合う」範囲が非常に狭いので、日本に生まれ育った人に中でも「ハジカレル」人が多いですよね。ましてや、外から日本に入ってこようとする労働者、難民、亡命者などへの壁も猛烈に高くて、ほぼ悉く「ハジカレル」訳ですよね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p72の最終行から。

 

 

 

 

 

 ≪自分を確かにさせる≫という対人関係を心理学的に見た考え方が、≪本当の自分≫、すなわち、個人の心の核になる考え方、と如何に関係深いのでしょうか? すでにご指摘してきたように、≪自分を確かにさせる≫という幅広い感じは、子どもの時期に経験するさまざまに変化していくセルフ・イメージに、徐々に一致するようになります(思春期に、これらのセルフ・イメージは、劇的にまとまる場合もあります)。また、≪自分を確かにさせる≫幅広い感じを若者たちが選択し、それに自分を賭けてみる役割をやってみるチャンスにも、徐々に一致するようになります。反対に、≪本当の自分≫というずっと続く感じは、意識的な≪私≫をいつでも経験することなしには、存在しえません。この意識的な≪私≫とは、いまここを生きる、ということから感じるヌミノース、すなわち、圧倒的な悦びの源なんですね。

 

 

 

 

 

 ≪自分を確かにさせる≫感じは、非常に幅広いものです。赤ちゃんから後期高齢者まで、感じることができるものです。外から着けるもので、赤ちゃんから後期高齢者まで似合う物って、そうそうないでしょ。ですから、≪自分を確かにさせる≫感じが、いかに大事かがそれだけでも分かりますでしょ。しかし、何と言っても≪自分を確かにさせる≫感じが大事なのは、≪本当の自分≫という、心の核になる部分を生かして生きる上では、なくてはならないものだから、ですね。≪本当の自分≫を生かすことができれば、今日のところでハッキリと、エリクソンが記しているように、圧倒的な悦びを感じて生きることができるからですね。心からの平安も、≪本当の自分≫が生かされているからこそ、毎日感じることができる訳でしょ。

 あなたも、≪本当の自分≫を生かして、≪自分を確かにさせる≫感じを感じながら、圧倒的な悦びを日々味わってみたい、と思いませんか?

 

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保育園とスタジアム

2015-09-05 02:50:29 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
トラウマに対する「新しい見方」
めまいを感じる時の、圧倒的な歓び2013-09-04 04:37:12 | エリクソンの発達臨床心理 アインシュタインも、コペル...
 

 今晩も、「≪人間らしい暮らし≫を実現する政治」を考えます。

 単刀直入に申し上げれば、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは、「≪人間らしい暮らし≫を実現する政治」の真逆、すなわち、「≪人間らしい暮らし≫をぶち壊しにする政治」をしているので、1秒でも早く、ご退場させましょう、ということです。

 今現在、保育所に入りたいけれども、入れずに困っている母親が、全国に40000人以上、居るそうです(http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11907000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Hoikuka/0000078425.pdf)。日本の困難な状況を過小評価しがちな、国が認めている数字です。子どもを保育所に通わせることができずに、仕事に復帰できなかったり、仕事を辞めざるを得ない人もいるでしょう。あるいは、仕事に就けずに、お金に困ったり、1日3食が1日2食に、1日2食が1日1食になっている方もあるかもしれません。でも、やはりこの数字はあまりにも過小評価で、待機児童は3000000人はいるという見解もあります(http://getnews.jp/archives/989692)。

いずれにしろ、多くの人が≪人間らしい暮らし≫ができずに困っている訳です。日本国憲法の前文にあるように、「福利は国民がこれを享受する」ことに反している状況です。

 それに対して、国は「福利は国民がこれを享受する」ように改善しなくてはなりません。じゃぁ、保育所の整備のために、国は実際にはいくらの予算を計上しているのでしょうか? 保育所の整備のために用意された今年度の予算は、554億円です(http://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/administer/setsumeikai/h270310/pdf/s6.pdf)。これでは、3000000人はおろか、40000人の保育所待機児童の解消にはほど遠いでしょう(http://www.garbagenews.net/archives/2092001.html)。

 かたや、スタジアム。新国立競技場。オリンピックというお祭りにかこつけて、群がるアリアリ🐜。ぼろ儲けのネタにしようとしている人が、必ずいると私は考えます。第1回目は、260000000000(2600億)円。北京やロンドンのスタジアムに比べて5倍位。目立ち過ぎて、ジャーナリズムの精神を忘れがちな日本のマスメディアでさえ、批判しました。保育所を一つ作る儲けと、スタジアム1つ作る儲けは、建設業の人の訊かずとも、どちらがうまみがあるかは、分かりますよね。桁が3つや4つ、違いますからね。第2回目は、150000000000(1500億)円。これについては、ジャーナリズムの精神を忘れがちな日本のマスメディアは、批判しませんでしょ。なぜこんなに高額になるのか、50000000000(500億)でも、多いと私は考えます。なぜならば、そんなお金があるならば、保育所整備(高齢者施設整備、老人医療費の無料化予算、高校、大学の無料化予算、東日本震災復興予算削減分の復活…)に、お金を回すべきでしょう。保育所を整備するお金の3倍ものお金を、1つのスタジアム建設のために使うのは、「オリンピック」という大義名分に隠れて、ゼネコンを儲けさせ、政治屋がそれだけたくさんのリターンを目論んでいる方便、ウソとゴマカシだと、私は考えますね。

 あなたは、どう考えますか?

 

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