エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

中世カトリック教会は、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちに、似ている! 改訂版

2015-09-14 08:26:22 | アイデンティティの根源

 

 

 やりたくてたまらない礼拝も、いつものにか「お休みしちゃぁ、牧師さん(神父様)にワリィーからさぁ」ってな感じの、日曜礼拝になっちゃいます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.226の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 1500年の記念祭は、世界中にたくさんの免罪符をバラまく格好の口実になりました。それで稼いだお金は、サンピエトロ大聖堂が完成するのに役立つ、というまふれこみがありましたし、このお御堂は、単にこの世を支配する、ケバケバしい館なのに、神に繋がる拠り所のような顔をしていました。免罪符は、その筋の修道士が一手に引き受けて、銀行員が随行することもありました。その修道士には、宗教を騙るお金が手渡され、サンピエトロ大聖堂を立てるための金だという触れ込み以外につかわれる場合もありました。しかし、ルターは、例によって、免罪符のことは、一言も言いませんでした。ルターが免罪符を批判したのは、自分の町と自分の管区に、サンピエトロ大聖堂建設のためと言って免罪符が来てからでした。

 

 

 

 

 

 カトリック教会の身勝手な振る舞いは、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの身勝手な振る舞いに似ています。嘘八百を並べて、金を集めるだけ集めて、その金を飲み食い遊びに使ってたわけですね。西武学園の女校長と同じですね。東京電力のお偉いさんたちやその他もろもろも、アベシンちゃんや、それに接待されているマスコミ各社のお偉いさんたちも同じでしょう。

 ルターは、しかし、それを批判するのに、非常に慎重でした。中世カトリック教会を批判しだしたのは、確かな証拠を掴んでからでした。

 

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あなたは、人生を掛ける価値は何ですか? 「カネ」って言わないでね!

2015-09-14 07:50:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 若者らは、自分が賭けても良い価値と仲間を探しています。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p74の最終行から。

 

 

 

 

 

 思春期と、高等教育期間と大学時代という、さらに長期の見習い期間は、人間関係を心理的に見た場合、moratorium モラトリアム、すなわち、「どの価値に賭けるか決めないままでいる時期」と見なされます。すなわち、性的にも知的にも成熟しているけれども、「どんな価値に賭けて生きるのか? という課題を伸ばしていいよ」と認められている時期だ、という訳です。初等教育期間は、その代わりに、人間関係を性的に見た場合、モラトリアム、「どのような異性をパートナーとするかを決めないままにいる時期」です。なぜならば、初等教育機関は、精神分析では、「潜伏期」と呼ばれる時期ですし、幼児的な性はお休みになりますし、性的な成熟も先延ばしになりますから。

 

 

 

 

 

 聖書に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(コレヘトの言葉 第12章1節)という言葉があります。これは、高校生か大学生の時期に、自分の一生を賭けてみたいと感じる価値、ヴィジョンを見つけなさい、ということですね。エリクソンの主張と一緒でしょ。

 あなたは、ご自分の人生を掛ける価値って、何ですか? 「カネ」って言わないでね!

 

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蟻の一穴 「話し言葉とアクションで示さなくっちゃぁ、イケマセンゼ!」

2015-09-14 05:09:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
お母さんが≪約束に忠実≫ですと、赤ちゃんが≪信頼≫を貰えます
アメリカの新しいヴィジョン 対立に和解をもたらす見方2013-09-13 03:15:08 | エリクソンの発達臨床心理 アメリ...
 

 

 蟻と一穴。とても小さなものですね。でもバカにしちゃぁ、ダメよダメダメ、というのが、今晩のお話です。

「蟻の一穴」、あるいは、「蟻の穴から堤も崩れる」とも言うそうですが、 三省堂の『大辞林』によれば、韓非子の故事らしいですね。「ささいなことでも、油断すると、災いを招くことがあるというたとえ」と出てきます。堤防が崩れたら、どうなるのか? 鬼怒川が溢れた、茨城県常総市でも、渋井川が溢れた宮城県大崎市でも、広い範囲で、人命や家や家財などが失われました。

 戦争法案が、今後日本に大きな災いをもたらす話を、昨日のブログで書きましたでしょ。戦争法案は、決して「蟻の一穴」と言えません。もっと大きな穴でしょう、アベシンちゃんの戦争法案は、モグラの穴よりもデカいですね。じゃぁ、日常生活の中にある「蟻の一穴」とは何かなぁ? と考えました。

 あなたはどう考えますか?

 私は、「なんか変だ」という感じ、吉本隆明さんの言葉で言えば、「腑に落ちない」感じです。以前にも、「腑に落ちない」をゴマ化さない 吉本隆明さんで書きましたね。「なんだか変だ」「腑の落ちない」と感じた時に、ホッタラカシにすることが「蟻の一穴」だと申し上げたいんですね。

 先日、テレビで、太平洋戦争末期、海の特攻のことをやってました。それを見たら、人間魚雷「回天」も、人間機雷「伏龍」(苛性ソーダ性の潜水具を着て潜って、棒の先の機雷で敵艦を突く)も、機械の性能が悪くて、事故が多いことは、はじめから分かってたそうですね。でも、その作戦の現場指揮官は、そのことを知っていても、上司を諌めることも、部下に危険があることを伝えることも、「できなかった」ってんですね。東芝と西武学園の話と一緒です。どちらも、つまり、戦争中も、最近の東芝や西武学園も、「腑に落ちない」のにホッタラカシにしてたでしょ。すると、かたや10代から20代の青年が、むざむざ殺されることになりましたし、かたや、何千億もの不正会計や、何千万もの横領が起きたわけですね。 不祥事という言葉では、収まりきらない、日本ではどこにでもありそうな破滅ですね。大川小学校の事件でも、結局、「山に逃げよう」と言った子どもの意見を取り入れようとすれば、管理職が責任逃れ(山に行って、子どもが怪我でもしたら、非難されるのは校長(教頭、主幹、主任…)の自分だぁ…)の意見を言ったことを諌めなくちゃならないのに、それを言ったら損だと思った教員が全員だった、ということでしょう。だから、70人以上の子ども等が殺されることになったわけですね。

 私どもは、「腑に落ちない」と感じたら、それを話し言葉とアクションで示さなくっちゃぁ、イケマセンゼ!

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