エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

いつでも大事なのは、最初の感動と、最初の精神なんです。

2015-09-13 16:27:06 | アイデンティティの根源

 

 

 

 ルターは「地獄の沙汰も金次第」のあり様を捨て置けなかったのです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.226の9行目途中から。

 

 

 

 

 

 聖人の中には、自分一人が救われる以上に救いの貯金を積み上げた人もありました。カトリック教会は、その救いに与る上で、免罪符を配ることを任されましたのも当然でした。カトリック教会の体制の中には、手に入れられるものがゴマンとありました。ところが、カトリック教会が救いを独占している、その外側には、1つの救いも落ちていませんでした。だんだんと、このカトリックが独占している大政翼賛会体制の中で取引することが、従業員たちを都合し合ったり、沢山の取引相手と商売したりして、「この世は全て金次第」という考えに支配されるようになりました。一番みじめな、カネが全てということの現れは、たくさんの貧しい人たちが、賽銭箱にたくさん小銭をチャリーンと入れることでした。お賽銭は、最初は、礼拝に加わるオマケだったのに、次第に、カネそのものが直性的な不思議な力を帯びるようになってしまったのでした。それは、カトリック教会の上下関係を通して、天の会計簿に影響力を持つに至ったのでした。

 

 

 

 

 このようにして、最初は、非常に個人的な悦びの源、少人数の間でのその分かち合い、助け合う関係が、堕落していくんですね。お金も最初は実費程度だったでしょうね。しかし、次第にそれがなくてはならないものになんですね。

 マックス・ウェーバーが、プロリンの中で、資本主義について、「初めは自分が望んでそうしていたことが、資本主義が軌道に乗ると、次第に、そうしなければならなくなります」ということを言っていたことを思い出します。

 本物の礼拝も、一人静かに神様に向かい合う時の圧倒的な悦びを、何人かで分かち合うことから始まりました。しかし、いったんその形が出来上がってしまうと、最初のガイスト、精神が忘れらてしまいます。どんな礼拝でも、どんな制度でも、それを作り上げる時の精神が大事になるのは、精神が形の中で失われやすいことにあんですね。

 

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堤防決壊!! 改訂版

2015-09-13 13:55:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 日本人だって、全ての人が、ポテンシャルを戴いて、生まれてきます。それがない人は1人もいないんです。でも、これだけたくさんの人たちが、生き辛さを感じ、自分を確かにできずにいるのは、科学技術が示す社会の在り方(原発のない、クリーンエネルギーと、人々が助け合う社会のためにその技術を用いる、というような)と、宗教的、ないしは、政治的価値(人間皆兄弟、弱い立場の人やイジメられている人は助けるのが当たり前だ、と言う価値、など)がハッキリしないからです。パレーシアステスの持ち味は、このいずれか、出来れば、その両方をハッキリと話し言葉にする点にあります。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p74の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 この舞台での、やりたくてたまらない礼拝が、もちろん、ビックリしたり、ゴチャゴチャになったり、ムカムカしたりするのは、若者らが同じ年端の仲間らとやり取りする関わりを礼拝にしたいし、小さな仲間の集会を作りたいという最初の試みをする時に、あっちに行ったり、こっちに行ったりする時なんですね。でもね、若者らは、スポーツをするフィールドやコンサートホールで、あるいは、議事堂や礼拝するところで、行われる集会に参加したいんですね。こういったいろんな分野で、若者らは、価値を確かめたいと願っている訳です。ですから、やりたくてたまらない礼拝や形式が整った行事が生まれるん訳です。しかしながら、価値を確かめたいという願いが、全体主義が旗印の、形ばかり大事にする軍隊に、熱狂的に参加する羽目になっちゃうこともあります。すなわち、全体主義の世界の見方は、夢幻ですから、自分を新たにする力も在りませんし、世にもオゾマシイ破壊と破滅をもたらすことにもなります。

 

 

 

 

 最近の、津波や、堤防の決壊も、地滑りも、噴火も、おぞましい破壊への警告と受け止めることが、できますね。憲法前文と憲法9条という「人類の英知」という名の堤防が決壊した後の、世にもオゾマシイ破壊、破滅を、予め、「小さな」形で、眼の前に見せてくれているのだ、と私は考えますね。

 

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民主主義の約束

2015-09-13 05:27:52 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪約束≫に基づく遊びとその応用
ヌミノース 神の御許(新しいヴィジョンの中で)で自分自身を選び直すこと2013-09-12 03:09:28 | エリクソンの発達臨...
 

 今晩は、「民主主義の約束」を考えます。約束がいかに好きか分かりますでしょ。

 以前、信頼こそ、民主主義の基、とブログに書いたことがありました。信頼があればこそ、民主主義は生きる訳ですね。デンマークとスウェーデンの教育施設、福祉施設、地方政治の現場を歩いて、あるいは、そこで世話になった日本人(ストックホルムの大滝昌之さん、コペンハーゲンの千葉忠夫さん https://www.youtube.com/watch?v=o7zUQf2IpgAで千葉さんのお話が聴けます)の話を聴くと、デンマークでも、スウェーデンでも、実によく≪話し合い≫をしていることが分かります。以前にも書きましたよね(ハンナ・アーレントと「やり取りのない仕事ぶりは、ダメよダメダメ」日本の公教育の病理 その5 主権在民の忘れ物)。今晩は、この千葉さんの話を手掛かりとして、考えます。

 民主主義の基本は、物事を決める時には、徹底的に話し合うということです。逆に申しますと、徹底的に話し合うことが、物事を決める時の≪約束≫になっている訳ですね。話し合いが徹底すればするほど、人間らしい暮らし、幸せな暮らしができるからです。先の千葉忠夫さんのお話を聴けばわかりますが、デンマークでは、徹底的に話し合うことが現実にありますよね。ですから、日本人には信じられないくらいに人間らしい暮らしが実現しています。小学校から大学まで、教育費は無料です。医療費も無料です。福祉施設も無料です。保育所も、高齢者施設も無料です。4万人も、300万人も、保育所に入れないことはありませんし、50万人もの人が高齢者施設に入れないこともありません。また、国民年金を貰うのでも、掛け金が皆無ですから、一度も働かなかった人でも、65才になれば、どなたでも同額の国民年金をもらえます。考えてみてください。教育費も0円(デンマークはクローネですが)、保育所代も0円、高齢者施設利用料も0円、歯医者に行っても、手術をしても、0円です。それでいて、年金は全員が平等に貰えます。

 千葉さんは「民主主義の同義語は?」と問います。何でしょうね? 日本人に聴いても分からない場合が多いのだそうですが、千葉さんが挙げるのは、「主権在民」です。主権在民とは、社会に対して、政治に対して、能動的であることです。さらに、「今の日本に「自由」や「平等」がありますか?」と千葉さんは問います。東芝や西武学園だけじゃなくて、いろんな組織で、物を自由に言えない空気がありますよね。ジャーナリストは言論の自由の砦なのに、政権や上司の眼と拳が怖くて、ものがハッキリ言えません。不自由ですね。日本軍の兵隊と同じくらいの不自由さですね。様々な差が、ワーキングプアなどという、非人間的な労働環境、すなわち、派遣労働という非人間的な、人間を蔑ろにする制度を、公に是認することが、貧困と不平等をもたらしている訳ですね。社会連帯に関して言っても、高い税、25%の消費税を払っても、満足しているデンマークと、「節税」という言葉があり、税金に対する不満が多い日本の差。政治や行政に、ウソやゴマカシが多すぎるからでしょう。

 デンマークでは、原発も、国民がよく話し合った結果、原発なしで済ませています。原発をデンマークでは一度も建設も輸出もしたことがないそうですね。

 かたや、戦争法案、辺野古の基地、新国立競技場、非正規雇用法、原発再稼働、原発事故の健康被害を調査しないこと、福祉施設を非人間的な状況から改善しないことなど、国民に話し合いのチャンスもなく、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが勝手に決めて、勝手に押し付けようとしています。

 自由にものを言い、話し合う、という、民主主義の約束を守らないからです。

 私どもは、人間らしい暮らしを少しでも実現するために、自由にものを言い、話し合いを大事にして生きたいものです。

 これが、民主主義の約束です。

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