エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

アザケリ顔のみじめな末路

2015-09-17 04:11:37 | アイデンティティの根源

 

 

  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす… アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの末路を思います。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.227の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

ルターが非常に激怒したのは、ドミニコ修道会のテッツェルが ルターが担当してた管区の人々に、節操のない約束をしたからでした。その人たちが群れを成して国境までやってきて、テッツェルの騒々しい儲け話に興じて、自分も一口噛もうとしたんです。テッツェルは、ある時は、罪の告白なしで済ませちゃっいましたし、まだ頭に浮かべただけの罪も許される、とする厳封された信用状も配ってたんですね。さらに悪いことに、「免罪符を予約しさえすれば、自分が好きな司祭を選べますよ」と触れ回ったことでした。それで、1500年の記念の年には、厳しすぎる司祭は、ご免こうむることもできました。これは、やりすぎでした。こんなことは、ルターのヴィッテンベルグ管区の人たちの敬虔な気持ちをないがしろにするものでした。

 

 

 

 

 

 いつの時代でも、自分や自分の組織の利益のみを考えて、その組織以上のことを考えなくなった存在は、個人でも組織でも、ウソのゴマカシ、そして、アザケリの存在になります。ウソかゴマカシなんぞ、すぐに「化けの皮」が剥がれるとも知らないで、「うまく騙せました」とばかりに、ニンマリしてんですね。今晩参議院議場にいた閣僚のアザケリ顔が、まさにこれでしたね。でもね、テレビに映し出されていないところでする、アザケリ顔も、同じなんですよ。「化けの皮」がはがれた後の、みじめな末路を見てやりましょうか!

 

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エリクソンが予言した、愛着障害だらけニッポン! ガンバラナイ方がいい?

2015-09-17 03:21:28 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 industry、「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」は、あらゆる建設的で、人間らしい暮らしを形作る源です。お役所仕事は、人類に対する犯罪です。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p75の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 industry、「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」の反対は、inferiority、「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」だと、私どもは仮定してきましたね。これもまた必要な、心と心が響かない関係ですが、いちばんうまくすれば、やる気を引き出すのに役立つ場合もあれば、気の毒な勉強している子どもたちを、(いっとき)「もうダメだぁ」と感じさせる場合もあります。この舞台での「中核的な心のビューキ」は、しかし、inferiority、「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」が、人生を左右するほどの葛藤になりがちなことなんですね。inferiority、「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」があると、その子どもは、諍いが絶えなかったり、ひきこもりや表情がさえない子になったりします。

 

 

 

 

 

 ここの部分も、脱抑制性愛着障害と抑制性愛着障害のことを言ってるみたいですね。エリクソンって、預言者のようでしょ。日本の、愛着障害だらけの小学校、中学校…を、アメリカで、何十年も前に、すでにハッキリ、見定めていたんですから。

 マハトマ・まど・みちおさんと同じ目をした詩人です。

 

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人智を超えた、大いなる力

2015-09-17 00:14:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
「大いに甘やかせましょう!」 と≪約束≫
仕事をする上での倫理と女性の役割2013-09-16 03:46:37 | エリクソンの発達臨床心理 アメリカ移住が、出エジプト...
 

 

 愚かな茶番劇を、永田町で見せられると、とても残念な気持ちになりますね。でも、私どもは、いつでも何度でも、自分を超越している≪本当の自分≫と、これまた自分を超越している宇宙、神羅万象に思いを馳せたくなります。

 そういうときには、聖書で言えば、詩篇か、コレヘトの言葉、あるいは、イザヤ書、それから、ガラテャ書などを読むと良いですね。仏教でいったら、ちゃんと呼んでるのは、歎異抄くらいですが、道元禅師や法然和尚の著作も良いのかもわかりません。また、加藤周一さんの著作でも、『日本文化における時間と空間』、『日本人とは何か』なども良いでしょう。丸山眞男教授のものも良い。

 しかし、それだけではないでしょう(加藤周一さんみたい…)。私は、こういうときに立ち帰るべき、心のふるさとが、マハトマ・まど・みちおさんです。ご自分を「ちっぽけな存在、と肝に銘じている」偉大な魂≒マハトマです。エリック・エリクソンと同じ目をした詩人です。マハトマ・まど・みちおさんの詩を一編。

 

  なんでもない

 

  なんでもない ものごとを

  なんでもなく かいてみたい

  のに つい なんでもありそうに

  かいてしまうのは

  かく オレが

  なんでもないとは かんけいない

  なんにもない にんげんだから

 

  ほら このみちばたで

  ホコリのような シバのハナたちが

  そよかぜの あかちゃんとあそんでいる

  こんなに うれしそうに!

  なんでもないからこそ

  こんなに なんでも あるんだ

 

  天のおしごとは

  いつだって こんなあんばいなんだ

 

 

 

   Peace!

 

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