エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

新しい話し言葉で語られる、新たなヴィジョンが必要な時

2015-09-09 07:23:36 | アイデンティティの根源

 

 

 心にも身体にも響く、話し言葉が必要です。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.225の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 読み書きそろばんと、母国語を意識的に話すこと、これらは、私どもが現代において、自分を確かにさせることの柱になっていることですが、これらは、自分を確かにさせるという建物に、今まで長く生き続けていることですよね。しかし、グーテンベルグは、いわば、ルターを待っていたんですね。すなわち、マスメディアの技術が、このようにして、ルターが神学的に活躍するために活用されました。ルターが神学的に活躍したことは、民族を魅了し、ルターのシンパも魅了しました。未来はいつだって、新しい科学技術を使いこなすことに、普遍的な新たな意味をもたらす者が作り上げる、ということを軽く見てはなりませんよね。しかし、カトリック教会は、その影響力が、民族国家の台頭で揺らいでいたのに、ドイツに行っていた重大な投資にしがみついていたんですね。ドイツは、ヨーロッパの真ん中にあるがゆえに、世界のいろんな力強い考え方が拮抗していたんですね。

 

 

 

 

 今まで投資してきたことに、カトリック教会はこだわった。カトリック教会が、初期のキリスト教徒とは、全くの別物になって、「持てる者」に変質していた証拠です。それに引き換え、ルターは、「持たざる者」として、自由にグーテンベルグの印刷術を駆使して、世界と人生に対する新たな見方を、暗黒時代に、生きづらさ、と息詰まりを感じていた人に提供できたんですね。それが近代が生まれる時でした。

 今の日本も、暗黒時代の中世ヨーロッパ並みの、生きづらさと息詰まりの時代ですから、世界と人生に対する新たな見方、すなわち、新しいヴィジョンが必要な時です。

 新しい話し言葉で語られる、新しいヴィジョンこそが、必要不可欠です!

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 改定 「対話のない生き方にこだわり、いつもでも『自分は上』にせずにはいられない、迷惑な生き方」

2015-09-09 06:32:43 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 赤ちゃんの時の危機で、根源的信頼感ではなくて、根源的不信感の方に傾いている人が、少なくとも今の日本では多いので、その後の人生においても、人と対話できない、魂が響き合わない負の傾向も、早まっている、と言えそうですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p73の、下から4行目途中から。 

 

 

 

 

 

role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」の最後は、negative identity ネガティヴ・アイデンティティ 「自分とも人とも対話のない生き方にこだわり、いつでも『自分は上』にせずにはいられない、迷惑な生き方」という邪な傾向を選んじゃう、ということです(これは、いつでも、≪いまここ≫にあるものですけれども)。negative identity ネガティヴ・アイデンティティ 「自分とも人とも対話のない生き方にこだわり、いつでも『自分は上』にせずにはいられない、迷惑な生き方」とは、すなわち、人々が受け入れがたいもので、しかも、頑固に凝り固まった、自分を確かにする要素を組合わせたものです。もしも、社会が生きるのに適当な選択肢を提供できない場合、role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」になると、その人は、おしなべて、突然「境界例」人格障害になるやもしれませんし、赤ちゃんの時の≪私≫という感じを経験する葛藤へと退行するやもしません。しかし、これらはみな、自分が生まれ変わりたい、という絶望的な試みなのですね。

 

 

 

 

 ここを読むと、ますます、今の日本の現状を預言した件であることが、ハッキリと分かります。子どもから、それなりの仕事をついている、いい年をした大人までもが、この「役割を果たさない」ことになっちゃってる訳ですね。この場合、「役割」とは、たとえば、母親としての役割、父親としての役割、教員としての役割、社会人としての役割などです。そのそれぞれは、社会の状況の変化に合わせて、変化する部分と、時代や地域には無関係に普遍的な部分がありますよね。この普遍的な部分で、たとえば「母親としての役割」や、「教員としての役割」を、果たさない人が増えてる、ということです。

 「虐待をする母親」、「イジメをする教員」、「会社の目先の利益しか考えない社会人」などは、その普遍的な「役割を果たさない」人たちの典型ですね。最近はこういう人たちが多いことが残念ですし、社会病理として、私どもが解決しなくてはならない課題です。

 

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創造する パーラー

2015-09-09 01:07:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
マインドフルネス その2
 人と社会を方向付ける、陽気で楽しい力2013-09-08 06:32:08 | エリクソンの発達臨床心理&a...
 

 創造する。といっても、真似や同調することが多い日本人には、ビ〜ンと来ないかもしれませんね。でも、そもそもこの「創造する」は人間業ではないんですね。

 ヘブライ語の「創造する」=パーラーは、神様しか主語にならない、特別な言葉だそうです。上智大学教授で、旧約学がご専門の雨宮慧先生がそう仰せですから。今晩は、創造の原点から、「人間とは何か?」を考えたいと思います。それは私ども心理臨床家にとっても、本源的な課題です。

 旧約聖書の「創世記」の創造物語は、第1章(1章1節~2章4節前半)と、第2章(2章4節後半~25節)とに1つずつ、都合2つの創造物語があります。第1章27節は、

「神はご自分にかたどって人を創造された。

神にかたどって創造された。

男と女を創造された。」

ここで注意していただきたいのが、「神にかたどって」とは、どういうことか? ということと、「人を創造すされた」=「男と女を創造された」ということですね。

 まず、「神にかたどって」とは何のことでしょうか? いろいろ言えそうですね。しかし、人が7日目に創造されたのは、6日目に創造の業を終えて、その創造のすべてが「極めて良かった」と神自身が振り返って宣べられた後だったこととを考えてみる必要がありそうですね。それは、人が「自由意思」を持つ存在として、しかも、極めて良かった創造を共に味わう存在として、創造された、と考えることができます。ですから、人間は、本源的に「自由」で、しかも、「神と対話する存在」だ、ということですね。

 次に、「人を創造する」=「男女を創造する」ということ。これは、人は本来2人が1セットだ、「対なる存在」だということでしょう。人間は、いま触れた通り、「自由意思」を持っています。ですから、対なる存在として、それぞれのパートナー、その場その場の眼の前の相手と、相対する存在であり、相対することを「自由意思」で選択することを予定されている、ということでしょう。あるいは、対になる相手と対話するように「自由意思」で選択することが要請されている存在だ、ということです。

 もう1つの創造物語では、神はまず人(アダム)を創造します。しかし、「人が1人でいるのは良くない。彼に合う助ける者を作ろう」と言って、神は、人のアバラから女を創造したと言いますね。ここでは、女はイシャーと呼ばれ、男はイシュと呼ばれます。ここでも、その呼び名から分かりますように、男女は一対の存在であることが分かります。この「合う」と訳されている言葉は、雨宮慧先生によれば、「向き合う」という意味だそうです。すなわち、人間は、神と対話するだけではなくて、人間同士も「向き合い」、「対話する」ように、創造されていることになりますね。

 さて今晩の結びは何になると思われますか?

 それは、人は本源的に、神と対話するようにできていること、そして、人とも対話するようにできているということです。でも、それだけじゃぁない。私が申し上げたいことは、この2つがパラレルだということです。

 すなわち、神様と対話して、≪本当の自分≫を生かしながら生きていると、その分だけ、人と対話して生きていくことができる、ということです。

 この真逆は、人は神(自分や現世を超えた存在)との対話を忘れ、≪本当の自分≫を生かせないほど、人とも対話ができないということ。

それはまた、人と対話ができないで、ウソとゴマカシをやったり、コントロールしようとするのは、≪本当の自分≫が死んでるからだ、ということですよ。

 どうぞ、ご自分をご大切に、っね!

 

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