心理臨床をしていますと、いろんな経験をします。信頼し合える喜びも一方でありますし、子どもが見事な自己表現をして、こちらも予想しなかったほどの発達をするのを目の当たりにして、人間のポテンシャルとワンダーに眼がさめる思いをすることも、少なくありませんね。
でも、逆に、人間の悪、愚かしさを目の当たりにすることもあります。
前者は子どもが示すことが多いのに対して、後者は「良い大人」が示す場合が非常に多い。
今晩は、その「良い大人」のおバカをご紹介して、皆さんで考えてもらいたいと思います。
ある学校でのこと(デフォルメしています)。その学校にも、重たい愛着障害の子どもが、たくさんいました。その一人と私が心理面接をすることになりました。その1回目の面接の日、突然面接ができないことになりました。学校行事が入ったようです。「それじゃぁ」、ということで、その次の面接の日に行って見ますと、今度は、保護者が用事があると言って、その子が早退したってんですね。面接の予定も、≪約束≫に基づくものですから、「≪約束≫に基づく遊び」セラピーの時の≪約束≫と同様に、非常に大事なものです。私も17年間心理臨床をしていて、2回連続で約束した面接がキャンセルされたことは、一回あるかないかですから、これは「異常なこと」だと、すぐに分かります。それは何だと思いますか?
担任と校長が、面接に「抵抗」してんですね。「抵抗」と言うと、心理面接では、普通クライアントが示すものですが、学校臨床では、担任や管理職が「抵抗」を示す場合が少なくありません。「学校や教室は、教員のもの、教員の城」という迷信に囚われている人たちが、まだまだ日本には多い。この場合も、担任と校長が、心理臨床家が「活躍されたら、面白くない」と感じていることを感じましたね。
私はそれと分かっても、それを非難するようなことはありません。「愛着障害」が、子どもの頃にセラピーをせずにホッタラカシにされると、「寿命が20年短くなること」、「思春期以降に、摂食障害、薬物・アルコールなどの依存症、境界性人格障害、重いうつ病、などの罹患する可能性が非常高い」とお伝えします、すると、たいていの場合、セラピーに「抵抗」を示してた担任や管理職も、おバカであっても、大バカではないので、セラピーが出来る場合がほとんどです。
この場合も、その後面接が出来て、その愛着障害の子どもは見事に、根源的信頼感を豊かに育むことができましたから良かったんですが…。愚かな教員の、ヤクザな縄張り意識のために、愛着障害の子どもの人生がメチャメチャになる所でしたね。ことほど左様に、地域社会でも一目置かれている(? 今は昔の話?)「教員」と言う「良い大人」が、こんなおバカでヤクザなハカリゴトをする場合があんですね。