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昨日の毎日新聞 2011年6月8日づけ、脳脊髄液減少症の記事を読んで
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20110608ddm003040044000c.html
質問なるほドリhttp://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20110608ddm003070055000c.html
あんな、患者の現実からかけ離れた、はじめに起立性頭痛ありき、の
「脳脊髄液減少症診断フローチャート案」を知り、
今回のニュースでのうれしさよりも
私は怒りのほうが大きかった。
黙っていられなくなって、これを書いている。
脳脊髄液漏れが事故で起こることは
実際に事故で発症した患者なら誰でも知っている真実で、
真実が真実としていつかは認められるのは、世の常だ。
その時が来ただけのこと。
当たり前のことだ。
そんな当たり前のことをやっと認めたぐらいで患者たちを喜ばせて、油断させて
陰でいったい何をたくらんでいるのか?
当たり前のことを、いまごろやっと認めたかと思ったら、
このごに及んでまだ、「起きて30分以内に頭痛が悪化する。」を第一の診断のめやすにするのか!。
では、頭痛のなかった私は脳脊髄液減少症と診断されないことになるではないか。
第一、これは、国際頭痛学会のかつてのなんの根拠もない「起きて15分以内に頭痛が悪化する。」という診断基準を15分のばしただけじぁないか!
こだから脳脊髄液減少症の症状の経験のない人たちは困るよ。
おしえてあげましょうか?
実際の脳脊髄液減少症患者の起立性の症状はね、起立してから症状悪化までの時間は
数分後から数時間後までもっと時間に幅があるんですよ。
うそじゃないですよ。
脳脊髄液減少症の専門医にやっとの思いでたどりついた時、すでに私は事故から年月がたち
慢性期で頭痛は消えていた。
頭部MRIにも、脊髄MRIもすでに画像専門医で撮影済みで、異常なしといわれていたし、その画像では脳脊髄液減少症専門医も、漏れはわからなかった。
それでも、経過と症状から脳脊髄液減少症を疑い
RI検査をしたら、そこではじめて漏れが判明した。
それが証拠に、そこにブラッドパッチをしたら、
改善には年月はかかったけれど、悪化と改善をくりかえしながらの
まるで螺旋階段を上っていくような改善の仕方で長く苦しんだけれど、
振り返れば今の私はあきらかにブラッドパッチ前の数年前の自分より改善している。
ブラッドパッチをする前の最悪の時は5分も座っていられなかったのに、
何回かのブラッドパッチで、今はもう、起きて歩け、車椅子も杖も使わないで、
時間限定だけどひとりで外出できるようなった。
もし私があの診断フローチャート(案)に最初から当てはめられていたら、
私はRI検査も受けられなかっただろう。
漏れていることも知らないまま、病名もないまま、放り出され、またふりだしにもどり、
生活苦と、家族の無理解と、だれにもわかってもらえない孤独感と、けっして理解されない、多彩で複雑で耐え難い症状の苦しさで
この苦しみから、死をもって逃げ出したいと願い、
おそらく、いまごろこうして生きてはいなかっただろう。
あの診断フローチャート案では、絶対に脳脊髄液減少症患者は見逃される。
いえ、見殺しにされる。
事故直後は頭痛以外の症状を経験し、その後もさまざまな症状を経験した私は、
そう断言してもいい。
こんなフローチャートを本気で脳脊髄液減少症の診断基準に取り込もうとしている医師が存在するなら、
あなたたち、それでも患者を救おうとしている医者ですか?
お願いだから、脳脊髄液減症の治療経験豊富な医師の意見に
きちんと真摯に耳を傾けてほしい。
あんな、患者の現実からかけ離れたフローチャート案は
ひとりでも多く脳脊髄液減少症患者を早期発見、早期治療に導くためのフローチャートではなく、
ひとりでも多く脳脊髄液減少症患者を最初の診断の入り口で排除し、
ひとりでも多く「脳脊髄液減少症」の診断名にたどりつくのをさまたげ、
なるべく脳脊髄液減少症患者を見逃すことを目的としたフローチャート案のようにさえ、私には思える。
これでは損保の思うつぼじゃないか?
これでは、水俣病の教訓が少しも生かされていないではないか!。
こんな案がまかり通ったらとんでもないことになる。
患者の現実を何も知らない医師たちや、
脳脊髄液減少症を水俣病のように
ごく一部の患者しか認められないような診断基準にしようとたくらむ人間が
公的研究班にまだ数多く存在するのだろう。
もし、そうなら
なんという、恐ろしいことだ。
私は事故後すぐに起立性の頭痛はなかった。
ただ、意識がもうろうとする、過眠などさまざまな異常を事故から1ヶ月以内に自覚していた。
当時私は自分に何が起きているのかわからなかったが、
あきらかに事故後、体に今までとは違う異常を感じていた。
その後も、手足の異常な冷え、不眠、平行感覚の異常、ふわふわ感、
音がつらくなる、朝の吐き気、生理に伴う激しい頭痛やだるさやいらいら怒りっぽさ、
生理不順
寝ていても起こる頭痛、精神的な異常感、まわりがゆがんで見えるなどの視覚の異常、急にさむがり、暑がりになる。(今考えれば、体温調節ができなかったのだと思う)
などさまざまな症状に苦しんで医師めぐりを強いられた。
今考えれば、脳脊髄液が漏れてしまって人間の中枢の脳が機能不全に陥れば、
脳がかかわることすべてに異常がでたってすこしもおかしくない。
なのに、当時の私は、症状ごとに医師を受診し、
根本原因の脳の不調には気づけなかった。
当時、私の症状の原因が脳脊髄液が漏れていたことだなんて、医師のだれも気づけなかった。
私の場合、あきらかな頭痛が出てjきたのは事故からかなり時間がたってからだった。
しかもその頭痛は起立性とは言えなかった。
寝ていても頭痛はおさまならなかった。
しかし、起立性のどうきやだるさや息切れはあった。
しばらく横になると、その症状は消え、楽になった。
脳は非常に精密で繊細な臓器だ。
その脳にかかわるなんらかの異常が体に起こったとき、
頭痛というたったひとつの症状だけを脳の不調や病の診断のめやすにはしないと思う。
たとえば、脳腫瘍を早期発見するのに、「頭痛」だけを診断の基準にするだろうか?
頭痛はないけれど、
急に目がみえなくなった、視野が狭まった、など脳神経にかかわる症状を訴える患者に対しても、
脳外科医は、脳腫瘍や脳血管障害を疑ってくわしい検査をするはずだ。
なぜなら、脳神経にかかわる病の症状は頭痛だけとは限らないのだから。
もし、
脳腫瘍の診断の絶対条件が「頭痛」だったら、どうだろう。
頭痛がないからといって、そこで、すべて、「脳腫瘍の疑いなし」され、
脳の詳しい検査もされず、放置されたら、
多くの脳腫瘍患者が見のがされてしまうことだろう。
脳脊髄液減少症も同じだと思う。
なぜ、同じ脳神経系にかかわる脳脊髄液減少症に対しては、
診断の絶対条件を「起立性の頭痛」だけに絞る必要があるのか?
そうしないと症状が多彩だから、医療現場で過剰診断などの混乱が起こるのを警戒してか?
起立性のなんらかの体調不良は経験していても、
起立性の頭痛のない患者は、脳脊髄液減少症のRI検査も受けられず、門前払いで
脳脊髄液漏れがあるのかないのか検査結果も知ることもできないまま、
苦しみ抜いて、さっさと自殺して死ねというのか?
今回のことは私は素直に喜べない。
あんな「脳脊髄液減少症診断フローチャート案」ではすべての患者の早期発見はできない。
脳脊髄液減少症を発症している患者のうち、ごくごく一部の患者しか発見できない。
そんな診断基準があるか?
多彩な症状がありながら、一般的な検査で異常が見つからず、過去に事故歴や、
体に衝撃を受けた可能性のある人で、
精神科の病を疑われるような症状と
脳脊髄液減少症で見られる症状がある人は、一度は脳脊髄液減少症を疑って検査する体制を整えたほうが、患者を見逃さないと思う。
過剰診断を恐れるより、
脳脊髄液減少症が見逃されることのほうが、患者本人のみならず、家族、社会にとって、企業にとって、
どんなに不利益で
どんなに恐ろしいことが引き起こされるかを
わかっていない人たちが多すぎる。
ここに書いてあるT先生の言葉を、患者の実際の症状経験を踏まえてアレンジさせていただくなら
「頭痛に限らずなんらかの身体的精神的不調が続き、
時に症状がよくなったり悪くなったりしながらいっこうに改善せず、
以前の健康だった時の自分の体とあきらかにと違うと感じ、
さまざまな医療機関や症状ごとに医師を受診して、検査しても、原因がわからず、
あるいはなんらかの診断名がついて治療してもあまりよくならず、
症状が多彩で、
しかも過去に何らかの事故歴がある患者は
特に積極的に脳脊髄液減少症を疑うべきだ。」
と患者の私は思います。
なんらかの事故で発症している患者が多い以上
思い出せる事故歴が過去にあるかないか は、
脳脊髄液減少症かどうかRI検査するかしないか決める上で
重要な判断材料だと思うが、
事故歴については何もふれられていないのは故意か?
意図的にはずされたのか?
誰かわからないが、事故歴を意図的に判断材料からはずすことが
自分たちにとって有利だと考える人がもしいるなら
まわりまわって、自分たちの墓穴も掘りかねないことに
全く気づいていない愚か者だ。