先生、ごめんなさい。
先生には、何度も何度も助けてもらったのに、私は先生を助ける事ができない。
脳脊髄液減少症を提唱しはじめた先生は間違っていなかったのに、
正しかったのに、叩かれ続けた。
何年も何年も。
それでも、脳脊髄液減少症の患者と向き合う事をやめなかった。
多くの医師に、医学会に、「脳脊髄液減少症なんて存在しないし、あってもきわめて稀」と叩かれ続けた時代が長くあった。
私は闘病しながらも、患者として何ができるか考えた。
今度は私が先生を助けたいと思った。
先生は悪くないと。
伝えたかった。
できる範囲で頑張ったけれど、
脳脊髄液減少症をとりまく環境は
いまだに何も変わらないことに愕然とする。
10年前と、何も変わらない。
ごめんね。先生。
私には、伝える力がなくて。
私が権力者で、お金持ちだったらもう少し先生が正しかったこと、伝えられるかもしれないのに、
もう少し、上手に伝えてられたら、
プライド高いけど勉強不足の医師たちを、
怒らすことなく、
うまく、伝えられたかもしれないのに、
それができない私でごめんなさい。
先生、どうか長生きして。
まだ、まだ患者として伝え続けるから。
いつか、世界中の医師たちが、
先生の主張が間違っていなかったことに、
必ず、
必ず気づく時がくるから。
その事は、治してもらった患者が一番知っているのだから。
いつか、必ず脳脊髄液減少症患者と、
脳脊髄液減少症の治療に早くからとりくんできた医師たちの
みかたになってくれるたくさんと医師たちが現れてくるはずだから。
私はあきらめない。
生きている限り、伝え続ける。
脳脊髄液が漏れて減る事で人間の体と精神に起こる現象は、
経験した人間しか知り得ない事だから。
終戦の日に誓う。
戦争を体験した人が死に絶えたら、戦争の体験を語る人が誰もいなくなるように、
脳脊髄液減少症の存在すらないとされた時代に、交通事故で脳脊髄液減少症になり、
生き延びた人間の経験した事は、
その人高齢化して死に絶えたら、誰も語る事が出来ないのだから。
2000年以降の、脳脊髄液減少症に気づき始めた時代以降に発症した患者と
それ以前に発症した患者は、
苦しみの質が、別格だと私は思うから。
生きているうちに、何かの形で書き残さないと。
最近の事故の患者たちの経験ばかりがこれから大多数を占めていくと思うから。
昔、発症しつつも生き残った脳脊髄液減少症の患者の人間の数は少ないはずだから。