R 04.11.19 地 下 埋 2 NO.3613
江戸時代の日本人の身長は5尺(150cm)位だったので、2m以上の人骨は日本人のものではないと考
えらます。 推理作家は色づきました。 これは「弥助」に違いない。
弥助とは秀吉が信長からもらい受けた黒人奴隷でした。
秀吉はその奴隷を「弥助」と命名して可愛がり、馬回りの家来としてとりたてました。
その弥助がどうして茶臼山の元豪商の敷地から白骨死体となって出土したのかということも謎でした。
考えられることは、弥吉が光秀の護衛としてレンタルされ本能寺にいたのではないか?
光秀が襲われてもう絶対絶命になった時に、光秀は家宝の茶碗 (曜変天目茶碗?)を信頼のおける弥助に
託して、大阪茶臼山の豪商「某」に届けるように命名し、本能寺火を放ったのです。
弥助は紅蓮の灯の中を何とか潜り抜けて茶臼山にたどり付きました。
・・・続く