銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ジェシカ・ラングにアカデミー賞を与えたアメリカは健全です。

2010-05-14 15:12:57 | Weblog
副題・・・・ブルースカイの4

 ブルースカイと言う映画そのものについては、夫役のトミーリージョーンズの章で、ほとんどを述べました。今日は、もう一人の主役である、ジェシカ・ラングのすごさを述べたいと思います。そして、この演技で、彼女にアカデミー賞、女優主演賞を与えたアメリカ文化も健全だと、失礼ですが、お褒めの言葉を差し上げたいです。映画はその時期の文化レベルと言うか、環境を見事にあらわしています。
 これほどの、スケールの大きな映画、そして、問題作にきちんと、賞をあげると言う形で顕彰したアカデミー賞、委員会は健全です。しかし、太地町のいるか漁のドキュメンタリーに賞を授与した2009年は、大いに不健全だったと言いたいです。誰かが教唆すると言うか、裏からの采配があると感じます。政治に文化が屈していると感じます。そこは、残念ながら、大いに不健全ですが、それは、対日本ということで、理解が深くないのでしょう。本質的なところまで、考察が深くなりえない。

 しかし、ブルースカイは、アメリカが舞台の映画です。監督トニー・リチャードソンはイギリス人ですが。それに対して、一応、女優主演賞だけでも、与えた事はえらいです。本当は作品賞をあげてもよいぐらいでしょう。だけど、公開まで4年もかかって、ほとんどお蔵入り寸前だったものですから、誰だって見たら、ある意味で問題があり・・・・・リスキーな事は分かるはずです。だから、作品賞までは授与し得なかったのでしょう。

 でも、誰だって、そのいきさつは推定できるし、賞如何がすべてではないと言う、基本に立ち返れば、それで、OKということになります。
~~~~~~~~~~~

 私は彼女については何も知らないで映画を見始めました。でも、40分ぐらい経過すると、『この人はすごいな』と思い始めました。なんでもない場面にリアリティが、あるのです。120%といっていいぐらいあります。たとえば、台所で、外をうかがいながら、心配のみぎりになる場面とか。精神を病んでいるという設定になっています。だから、他人が気に掛かるのです。で、敷地がアメリカの住宅としては、余裕が無くて、道路を通る人とか、そとで立ち話をしている人の雰囲気がもろに、伝わってしまう家なので、過剰にそれを、負担に感じていると言う場面です。

 彼女の役柄はほとんど、せりふがないのです。直前にみたクローサーでは、こじゃれたせりふがいっぱいあって、ジュリア・ロバーツも、ナタリー・ポートマンも、自己分析を果たしている存在です。賢いと言う事が言葉で、証明されます。

 しかし、この映画内でのジェシカ・ラングは、そんなこぎれいなせりふは何も発しません。単純に言えばあほな女です。自己分析など出来ないままに、子宮・・・(映画内ではそんな、下品な表現はどこにも無いが、彼女の悩みは女であることの根源的なところから、生まれているものでしょう)・・・が突き動かすままに動いている女性となっています。

映画女優になることを夢見て、主婦業に専念できない女性とは、どこか、雅子様と共通します。ここではない、どこか、別の場所に、自分が本来いるべき場所があると、信じている女性。夢見る夢子さんですが、ジェシカ・ラングほどの体格的にたくましい(身長、173cm)女性が演じると、リアルです。現実にこういう女性はいるだろうと思えてきます。彼女はボディ・ラングェッジだけで、
それを表現します。カメラ目線などは、まったくなくて、みえを張るようなしぐさもないのです。
非常に自然なのですが、女性そのものと感じられます。

 そして、それは、哀れでもあります。だから、夫は、彼女が、。・・・自分にとっては敵となった上司(大佐)と・・・間違いを起こした後でも、いとしく思い、かばって、大切にしています。それゆえに、最後の大逆転劇、が効力を持つのです。つまり、妻が意外な方法で夫を助ける事が有効に成ります。

 彼女は一人で、馬に乗って、核兵器実験場に乗り込み、・・・・だれか、民間人が砂漠の中にいても、核実験が行われてしまうこと・・・・それが、夫と上司との争点であった・・・・を全国的に、アッピールして、精神病院という名の監獄へ、入れられていた夫を救うのです。夫婦が実質的に大きく仲良しであった事が、夫の苦境を救いました。それが、一般の観客の感情移入を誘います。

 文芸映画の中には、難解な解釈を要求するものがありますが、そう言う映画だと観客はカタルシスを感じにくいのです。しかし、この映画のように、家族にさまざまな危険が及び、崩壊寸前になってしまうが、最後には、辛くも、再建し、幸せになるという大団円ですと、ほっとするし、心の向かう方向として、それがとても自然なのです。

 ここで、ちょっと余談ですが、この時期に、トニー・リチャードソン監督の奥様だったヴァネッサ・レッドグレイブが、彼の元を去ったのは、悲劇・極まりないことで、それも監督の命を縮めたでしょう。
 そういえば、ジェシカ・ラングも離婚をしています。しかし、こどもの父も、すべて大物が相手です。業界人の大物が相手です。それは、潔いですね。
 で、上のプライヴァシーについては、意外なところもありますが、元の映画内に戻れば、私は思いがけない感動に見舞われました。

 さて、これほど、感激したのには、他にもさまざまな裏があります。それは、彼女がいわゆる美形ではないことにも、一つの原因があります。日本で言ったら、昔の顔。戦前に近い顔といってよいかなあ。今の若者は、小顔で、ほとんどの人が美形です。しかし、戦前は、そうではなかった。ジェシカ・ラングは、1949年の生まれですから、第二次世界大戦の前の生まれとはいえないものの、えらが張っているほうの顔です。固い顔です。オードリーヘップバーンのような顔ではない。でも、演技がすばらしいので、女性として哀れでもあり、かわいくもあり、素敵だと思えます。

 彼女に比べれば、ドりュー・バリモアなど、俳優一家の生まれと言うこともあるけれど、もって生まれた顔がかわいいので、3歳ごろからETで主役の一人を果たし、今でも、水も滴る・いい女です。だけど、社会問題に対して、主張がある人だとか、インテリであるとはいえないし、みえないです。

 比較すると、ジェシカ・ラングはアメリカで言えば、地方の出身です。名門のお嬢様でもない、失礼な言い方だけど、山だしの人です。でも、日本でも特に美術の世界を見ているとそうなのですが、地方の国立大学を出た人って、たくましいですよね。

 そういうタイプです。しかも健全な中流階級で育って、最初は、大学を出て美術の教師に成る事を最初目指したのですが、パリへ行って、パントマイムを勉強したことで、人生が変わりました。
 もしかしたら、パリは、美術の勉強が目的で行ったのかもしれないのに、別の進路をみつけてしまった場所となります。その後は努力、努力の人生でしょうが、最初の大役が、キングコングだった事は彼女にとって大いにマイナスだったようです。
 それは、拾ってくれた人の薦めだから、従わなくては成らなかったといえますが、ライフワークとしての、本来の役(まじめな演技を必要とする役柄)とは、かけ離れた役、だったからです。

 彼女は演劇のほうでは、『欲望と言う名の電車』のブランチ役(未婚のままで中年になってしまい、寄遇先の妹の家で、その夫から、「お前は上品に振舞ってはいるが、本当は、性欲がおおいにある、バイタなんだ」と、ののしられる、かわいそうな女性)をやってますから、内面を重視する役をやりたい女性でしょう。

 このブルースカイの奥さん役も、一種の汚れ役です。彼女だからこそ出来たのではないかなあ。同じくらいの年の、メリル・ストリープは、未だ、有名ではなかったから駄目としても、他にできそうな人が、見当たりません。完璧なくらい自然に、あほに見えるように、振舞えるなんて、驚くべきことです。
 最後になりました。女性であることの、根源的な悲劇についてはまた、いつか将来に語りましょう。子宮が、行動を支配し、身を、突き動かすといっています。それは、私の表現ですが、この場合の奥さんの、心もとなさと精神の不安定さも、そこに原因があると思われますので・・・・・2010年5月14日   雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BOSSのCM俳優はお勉強家です。(ブルースカイの3)

2010-05-14 01:50:04 | Weblog
 映画ブルースカイの説明はインターネットでは、2010年の5月12日の一日だけグー映画の中の一項目が出ていました。しかし、13日には引っ込められています。英語で調べたが、出ていない。主演女優のジェシカ・ラングはこれで、アカデミー主演女優賞をとっているのに、英語のWikipedia でも、何も出てきません。

 もし、どうしても情報の開示が、このまま、何もないのなら、goo映画の情報を、コピーアンドペーストしてお知らせをいたします。が、今は、できるだけ、迂遠な方法で、そのよさを説明しましょう。

 私はこの映画を昼間、そばに誰もいない時に見ました。多分ウィークデーだったのでしょう。それは、よかったです。非常に心理的に複雑なので、途中で「お茶を、入れて」なんて、頼まれたら、わけがわからなくなって、「もう、これ以上は見ないわ」と、なっていたでしょう。事前には、たいした映画ではないだろうと、見くびって気楽に見始めて、最後にいたって、びっくり仰天です。

 そのころ、新聞でも、よい批評があったとも知りませんし、その日の新聞の紹介記事が、ハワイで飛行機を操縦しているときにうんぬん、かんぬん・・・・・とか、書いてあったので、パイロットが主役の甘い、甘いラブストーリーかなあ? と思って、気軽な娯楽としてみ始めたのです。しかし、結果としていえることは、これは超がつくほど硬派な、映画だということです。

 だからこそかなあ? 相当に、娯楽的に作ってあります。奥さんが巨乳で、しかも頭がいかれていて、セックス好きだと言う設定など、その典型です。それをジェシカ・ラングが演じていて、この映画で、アカデミー主演女優賞を取っています。すっごくうまい演技です。まったく演技をしていないように見える演技です。はじめて見て、いっぺんでほれ込みました。

 だが、今日は、夫役をやった、トミー・リー・ジョーンズを、中心にお話を展開させてくださいませ。彼は夫、またはお父さんの役をしますが、誠実で、苦労をする夫です。

 彼は、将校で、しかも核兵器の開発に取り組んでいます。この映画の情報が一切、現在閉じられているのは、核兵器とか、軍内部の様子が、あまりにリアルに、描写されているからなのでしょう。そして、監督は、微妙にも、かつ間接的に、核兵器に反対しているのだと、私は思います。娯楽映画という間接的にも間接的な形で、それを表明しているから、かえって人々の心に訴えるのでしょう。だからこそ、情報を閉じられているのです。

 だから、映画を見ている人にとっては、救いがありますが、途中のはらはら感といったら、ありません。核実験場に、民間人が二人迷い込んでいるのを、無視して、核爆発を起こしたことを内部告発するのですが、その影にその荒事を平気でやった、上司(大佐)と、奥さんが不倫をしているという切ない状況があって、・・・・・

 公的な批判が、私的な恨み言・・・・・と誤解をされるのです。しかも核兵器の実験というのは、軍の最高機密ですから、それに関してごたごたを起こしたということで、彼は抹殺されかかって、

 精神病院へ入れられるのです。切ないですよ。まったく切ないです。しかも戦慄すべき恐ろしさです。フランス映画『メスリーヌ・ノワール篇』で主人公がカナダの牢屋の懲罰房に入れられて、裸にされて高圧の水を浴びせかけられる場面がありますが、あんなのより、もっともっと怖いです。
 しかし、映画は、最初はハワイの紺碧の空の下、真っ青な海のそばのビーチから始まります。しかもFカップの奥さんが、トップレスで現れるなどという能天気な場面で始まるのです。

 また、核実験のことは、暗号として、ブルースカイと、名づけられています。そのダブりの意味で、タイトルがつけられているのですが、大部分の舞台は、アラバマ州の軍事基地内です。ところで、アメリカ軍の核実験は、実際にはネヴァダ州の砂漠で行われました。だから、この映画がアラバマという設定なら、それは、フィクションであることを示しているわけです。

 そして、娯楽作品です。あくまでも、完璧に娯楽作品であります。でも、いろいろな場面でリアリティ満載です。それは、どうしてかというと、脚本家の自伝的、要素が濃いのだそうです。となると、この映画内の誰が書いたのだろう。年齢的には、奥さんが書くのがふさわしいのですが、映画内では、奥さんは、脚本家になるほど、知的ではないという設定です。もし奥さんが脚本を書いたのだとしたら、超がつくほど頭のよい人です。だって、ご自分を、一種の道化というか、悪役にしているからです。たぶんですが、この映画内の、長女が書いたのでしょう。となると、核実験は、ごく初期のもので、小さい規模のものだということになります。そうなると、なるほどという設定が成り立ちます。
 名前は、ラマ・ローリー・ステグナーという人ですが、英語で調べても、何も出てきませんでした。今元気なのかなあ?

 プロット上は、核実験場にカウボーイが二人いたのに、実験を強行したということが大問題になるのですが、大規模な水爆などの実験なら、目視で、カウボーイがいるかどうかも、見ることは不可能でしょう。それに、地下実験へと移っていきますね。だから、これが初期の核爆発実験だとすると納得できます。

 ハワイから一家が移住した、という設定ですが、それも、パールハーバーからの時節の移ろいを象徴しているのかしら? で、引っ越した先の家ですが、将校用・宿舎といっても、あまり豪華ではないのです。平屋で、他人の家との距離が近いです。そして、庭とか、植木が、通り一遍のもので、無味かんそうです。青い芝生もなければ、パンジーやらぺチュニアが、植わっているわけでもなくて、ひょろひょろっとした、常緑樹が、家のまわりに、6本程度あるかないかという住宅地です。空もどうしてか、青くありません。

 その中で、婦人たちの、地域活動(日本で言えば町内会とか、PTAというもの)のストレスも奥さんにかかってきている状況です。つまり、夫の職場での上下関係が、奥さんの私的な場所にも影響を及ぼしています。これって、社宅におすまいの方はよくお分かりの状況でしょう。

 ハワイのようにスカッとした地域から転勤してきた一家は、こういうストレスが大きい環境にぶち込まれて、もともと不安定だった奥さんは、さらに、おかしくなっていきます。だから、夫はおちおち、勤務に集中できません。それなのに、勤務は核実験ですから、言うにいわれないほど、緊張感に満ちています。

 子供も思春期に差し掛かり、ボーイフレンドと一緒に、手榴弾を爆発させてしまった、いたずらが大問題になるし、一家の大黒柱として、苦労が次々に訪れる中で、

 核実験を、一般人を見殺し(そりゃあ、後が大変でしょうね。すぐには死なないとしても・・・・・第五福竜丸事件を思い出せばそうなります)する形で行った上司に対する正義感から来る怒りと,抗議、・・・・・そして、それは黙殺され、反対に、精神病院送りという報復を受け、・・・・・薬によって、ほとんど、廃人に近いところまで、追い込まれるのです。

 この場面は戦慄すべき、怖さです。その後、続々現れた、追突とか、ジョーズとかいう映画内にあるスリルより怖いです。精神を破壊されることは、肉体を破壊されることより、見ているだけでも怖いです。

 しかし、ともかく、奥さんの破天荒な働き・・・・・馬に乗って、彼女が核爆弾実験場(砂漠)に乗り込む・・・・それが全国的に報道をされる・・・・で、苦境を脱して、大学教授へと転進ができます。だからそれも、娯楽映画になっていると、私が主張するゆえんです。ハッピーエンドだから。

 大変な大変な夫であり、お父さんであります。それを、そのころ、44歳だった、トミー・リージョーンズが演じています。美景ではないけれど魅力いっぱいです。アメリカの俳優として、なんと、頼もしい男性像だろうと、感嘆しました。
   
 今、渋い中年男として、缶コーフィーBOSSの宣伝をやっています。
 彼は一種の苦労人なんだそうです。奨学金でハーヴァードを卒業しています。その時の寮(?)のルームメイト、または、クラスが一緒だったのが、副大統領だった、アル・ゴア氏です。

 このブルースカイが、一切インターネットの世界から消えてしまっているのは、核実験とか、軍の内部の描写が、リアリティに満ちているからでしょう。

 この映画をテレビ視聴をしたのは、1995~1997年のどこかです。1998年から私は10年弱、ほとんどテレビを見なかったから。あのころから比べるとアメリカ、国内が、もう一回、反動化したというか、自由がなくなっているのがわかります。もしかしたら、9.11の影響かもしれません。こんな映画でも軍の機密を漏らすことになるから、一種の利敵行為に当たるとでも判断をされているのかな? わかりませんが、映画としては、抜群に面白いかつ、よい映画だと信じています。               では、今日はこれで。   2010年5月13日   雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする