銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

銀座レーシック手術の問題点 +海老蔵会見

2010-12-10 09:34:06 | Weblog
 私は前報(スクロールしていただけると下にある、または左のカレンダーで、8日をクリックしてたいただけると読める)『人は誰でも死ぬ。どう死ぬかが問題だ』を読んでいただきたいのです。だから、更新をしたくないほどです。ところが、その文章の中で、一箇所とか、二箇所問題がありました。今は直しましたが、6時間から、8時間それを、ご覧になった方もあると感じます。それで、急遽次の文章を書いて、訂正しておこうと思いました。

 第一に訂正しなければならないのは、海老蔵君が入院している病院が、慶応病院であると、8時間ぐらい書いておいた事です。テレビ映像を見ると一瞬そう見えました。が、AOLの報道によると、港区内にある病院だそうです。すると、慈恵医大だったりして。ふ、ふ、ふ。『値段による、差別があったよ。私は、三万円だったから、うっ血の内側からの吸引など、してもらえなかったので、顔がお岩さんみたいになったのに』、と書いた同じ病院が、最高級の手術を海老蔵君に対してはしたとなります。それは面白い現象でした。

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 次に、これも、8時間程度さらした言葉ですが、街医者という用語を使いました。話し言葉としては絶対に使った事は無い言葉です。それでも、いったん、このブログ内で使ったのは、ひとえに、字数制限の事を考えたからです。三文字で、大病院との差を示す言葉として適宜だと考えました。しかし、私は昔から、大病院より、地域社会で評判のよい、個人クリニックの先生の方が、はるかに技術が上のような気がしています。たまたま、京橋での顔の怪我に関しては、お上手な手術であって、今では、細い目の十文字の線がそこに残っていますが、自分自身は劣等感など、すっかり消え去っていて、安心して暮らす事ができますので、新進の頭のよさそうな、あの先生がお上手だったのを感謝していますが、大病院には時々、大変なミスが生まれるのです。それは、皆様も新聞記事を読んでご理解をしておられる事だと感じます。

 そんなミスが生まれると、個人病院は立ち行かないので、技術的にもインフォームドコンセントという意味でも、立派なお医者さんがおられます。で、人生の要点の一つとして、よい個人クリニックを見つけて置く事も大切です。そのよいクリニックですが、地域社会と結びついていた方が、さらに安心です。

 今回銀座で、目の手術で、失明しかけた人がたくさん出たという事で、お医者さんが逮捕されました。この件ですが、銀座というのは、地域社会ではありません。ほとんど、住人がいません。で、クリニックはありますが、働いている人が通う事となるでしょう。でも、レーシック手術は繰り返して受ける手術ではありません。で、一見のお客として、患者は通います。そこに関してお医者さんも、自らの姿勢を、正す必要を感じなかったのでしょう。内科の先生など、患者が何回も通う対象です。ですから、あれほどの、ずさんさは、評判の悪さへ繋がるから、消毒など、きちんとなさるはずだからです。

 ただし、この件は患者も悪いです。今、苦しんでいらっしゃる患者さんたちに追い討ちを掛けるようになってはいけないとは思いますが、それでも、「あなたたちって、考えなしだったわね」とは言いたいです。

 一つ目の問題点は、銀座というブランド名に、踊らされたという事です。それから、レーシック手術そのものに、踊らされたという事です。その背後には落ち着いた生活とか、年長者の知恵の反映が見えません。残念な事です。
 
 そこに、患者として通い、もし、失明をした人がいるのなら、その人は、きっと、一人暮らしの若者でしょう。というのも、手術で近眼が治るなんて、ちょっとした、年長の人で、自然の摂理を知っている人間だと、傲慢な発想だとして、「それは、ちょっと変な手術だから、止めなさい」というはずです。ただ、内の母なんか、股関節の手術と、白内障の手術を、老人ホームに入ってから受けたみたいで、その気力と、体力には驚きますが、私は手術なんかできるだけしたくない方です。
 
 股関節なんか、10年以上前からおかしくて、右足を全部、直角に近いほど真横に曲げて、はめ直したりしたのですが、今では、その直角に曲げる事ができなくなったので、だましだまし、生きています。まあ、その直角にはめ直す作業だって、外ではできないので、大変でしたけれど。股関節に関しては、名医が、丹沢のふもとの病院にいらっしゃると聴いていますが、『手術なんてとんでもない』と思っています。

 白内障の方は、母以外の知人でも、いろいろな人が経験している手術です。でも、詳しく聞くと、水晶体の代わりに、プラスチックを入れるらしいです。異物を体内に入れるという事です。これが目という繊細な部所だけに、心配ですね。

 『薔薇の名前』という映画があって、そこに登場する、高齢な神父たちが、白濁した目(たぶんコンタクトを使っている)で演技をしていました。『あのくらいになったら、プラスチックの水晶体を入れるのも、仕方がないかもしれないけれど、今は、まだ、見えるからいいわ』という感じです。その水晶体を入れると、近視も治るそうですが、でも、やらないつもりです。なんていうのかな、人工のものですから、ピントは短いか遠いか、ある一定の距離にしか対応しないそうですし。

 また『身体髪膚これ親に受く』ですから、そのままだけでも感謝すべきだし、白内障という老いも、従容として受け入れるという気持ちも大切だと思っています。とはいっても、歯に関しては、相当人工物を使っていますから、ただ、自分が、無知なだけかもしれません。

 でも、レーシック手術で、不潔だったから失明したとなれば、それは、慎重であれば防げた災いですから、『賢さとはナンだ』と、言いたいところです。

 私なんか、視力がすでに、0.01なんていう段階ですが、それでも、一日に10時間以上パソコンに接しているので、そりゃあ、馬鹿の典型ですから、他人様の事は、あれこれは、いえませんが、・・・・・
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 ところで、上のところまで水曜日に書いて、そのまま、放って置いて、木曜日に銀座へ出かけました。すると、よく通る道に、この眼科があったのです。京橋口(他の駅で言うと北口)の有楽町駅から、銀座へ向かうと、交差点の対岸の二階の窓に、驚くほどの、大宣伝をしているのです。それなのに、今まで、視野には入りませんでした。不思議な事です。ただし、その医院を見ると、『確かにお金儲け主義であろうなあ』という感じがしました。

 ただ、もし、間違えたらいけないので、その医院のエントランス側に存在する画廊で、「目の前の医院が、例のうわさの医院ですか?」と質問をするかどうかを、よっぽど迷いましたよ。で、『下品な質問だから止めよう』と思って画廊内に入ると、パリ在住の日本人版画家が個展をしていたので、パリの版画工房、コントル・ポアン、シテ・デザール、アトリエ・ボーなど、よく日本人が利用するところについて、話がはずんで、その下品な金儲け主義医院についての会話をする事は、ありませんでした。

 それに画廊とは、窓がないものですから、逮捕劇などは見ていないと感じますし。そうです。世間の喧騒とは無縁の場所です。

 でね。私はこのブログの世界で、相当えぐいことや汚い事を書いているわけですが、すごく清冽な精神も保持しえているのは、やはりベースに現代アートがあるからだと感じています。自画自賛ですが、今、絵を描かないでいても、版画を制作しないでいても、主軸はそこに在る自分を、『人間としてしっかりしているはずだ。バランスは取れているよ』と信じています。

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 ここで、話題を変えて、海老蔵君の会見の中身について、書きましょう。あれは、火曜日には見ておらず、次の日の朝のモーニングショーで見たわけですが、私が以前言った事を訂正する必要があるのは、一点しかありませんでした。

 それは、奥様の実家が大金持ちで、成田屋の借金を助けたという点だけでした。

 奥様の実家とは、お姑さんに言わせると「もっといいおうちから(お嫁さんを)貰いたかったけれど・・・・」だそうです。その発言は、内々の親しい間柄で交わされたものだと感じますが、外へ出たのは、大問題ですね。

 が、お父さんの職業は銀行員だそうです。特に信託銀行の在籍で、金融の事がわかっているので、助言ができたのかもしれません。で、昔から抱えていた借金は、すでに清算をされているそうです。

 週刊誌によると(といっても、私はまだ、読んでいませんが)、嫁姑の確執があるそうです。これは、お姑さんの方が、実年齢的にも心理学的年齢からいっても、若いような気がします。そして、もし、お姑さんが、梨園のファン層を味方につけて、お嫁さんを批判するのなら、それは、キャリアーウーマンであった雅子様を、批判したと報道されている20年前の皇室と同じです。

 まあ、嫁姑、二人ともお嬢様育ちでしょうから、大変ですね。一人の美形の青年を、取り合ったり、張り合ったりして、・・・・・

 これは、深い問題を含んでいます。海老蔵君が、いまだ、少年であって、結婚にふさわしくない人格の段階であるのに、彼の人生を助け、まとめ、教育するために周りが用意した結婚のようだと感じますから、実存的に言って、奥様は、幸せではないのです。

 これは、深いところに在る問題だから、彼女自身が自覚をしていないかもしれません。でも、自己責任ではあります。『海老蔵君との結婚が、人生の勝利だ』と彼女が感じて選び取った結果でしょうから。

 でもね、経験をつんだ目から見ると、この結婚は『彼女にとっては、実存的には満たされない結婚でもあり、しかも彼女自身に、結婚前の挫折が少ないと見えるので、非常に危ない結婚だなあ』となります。結婚とは『割れ鍋にとじぶた』という側面があって、結婚する同士とも、ある程度の諦めを人生に感じているときに、やっとできるもので、それでこそ、持つのです。

 男性の場合は、実存的な挫折を経験した後に、結婚するかどうかは、わからないところもあります。が、過去の失恋の経験などはあった方がよいでしょう。その方が妻を大切にすると思います。

 余談ですが、内のだんなはそれこそ、少年みたいな人で、過去に失恋の経験など無かった人です。だから、私は彼から、唯一無二の存在として、大切にされる事はありません。

 だけど、彼は、家庭とは、何かがわかっているところはあって、家庭が大切だと考えている人です。お姑さんは、後年は、「四人の息子の家の中で、あそこが一番落ち着く」と、言ってくれたみたいです。そして、長居をしました。が、最初はお見合いを考えていた私以外の娘さんもあって、大切にはされませんでした。

 だから、私は、自分のケースでは『絶対に、お嫁さんをいじめたりはしないようにしよう』と考えています。が、どんなに、優しくしても、『ちょっと怖がられているんではないかなあ』とは感じます。それは、動物的な部分ではなくて、社会的な経験の差でしょう。

 ともかく、だんなとしてはあんな事件を起こしたら失格です。それを機縁として、この結婚は解消した方がよかったのに』と感じました。のに、突然に良妻スタイルへと、ご自分を変えられたので、『本当の意味での、信念がある人とも、インテリだともいえないのかなあ』とも思います。ともかく、若い時期には、誰だって未熟です。だけど、婚家先に味方がいないと見えますので、心配をしてあげているのです。

 ただし、こういう言い方をしても、海老蔵君にたいして敵対したり、いじめようとしているわけでもありません。彼は、本質的にはまだ少年であって、妻を娶る資格も、意思もない段階だと見えますし。婚家先の義父母が冷静ではなくて、お嫁さんを批判をしているのなら、真央さんには、救いは無いです。ただね。これから先は仮定の問題ですが、もし、彼女の人格の中に(本質的に)計算高いところがあって、それが周辺から嫌われているのなら、問題はまた、変わってきます。

 本当に難しい問題です。
 で、あの会見では、問題はちっとも片付いていないのです。それは、対暴走族よりも、海老蔵君自身の成長のことです。彼は、悪がきとして、相当長い時間を生き直し、それによって、心理学的な真の自立に達し、結婚が可能なほどの、成熟をしないと駄目な若者なのです。彼にとって、必要なのは、暴走族に自己主張をすることではなくて、親や、松竹、はたまた、奥さんに直接面と向かって、「これは、嫌だ」とか、「これは、できない」と主張をすることなのです。利害関係がある、日常的に接する人間に対して、きちんと自己主張をできる大人には、まだなっていないのです。裏では「真央にはもう飽きた」といっていても奥さんの前ではいい顔をしてしまう少年でしょう。そして、擬似的に悪い子となるために、がール・ハントを繰り返し大酒を飲む。

 33歳にもなって、お母さんがでしゃばっているのは、変ではありますが、その再成長の過程を一緒にやれるのは妻ではなく、親なのです。母親は、姑としては、でしゃばる未熟なお母さんで駄目な人ですが、もし、海老蔵君が『まだ、こどもだ』と本能的に推察しておられるのなら、ここは、出しゃばりたくも、なるところでしょう。

 お嫁さんはそこで、張り合っては駄目です。これは、非常に実存的な問題だから、あるかっこうのよい男の『女同士での、とり合い』という側面はお捨てになること。

 でも、世間体と言うものがあります。33歳にもなっていて、背も高く、肉体的にも偉丈夫になっているのに、母親とべたべたはできないと思われるのであったら、一人で海外修行をなさいませ。特にその際に奥さんの手を借りてはいけません。

 ただね。海外で、修行をするといっても、NYの札幌―ラーメンの店員程度のアルバイトから始めないといけません。それができるかどうか? もしできないのだとしたら、一般的な、『こういう方向で、日本国内で、復権して行こうと言う事となります。
 そういう意味で、彼周辺の誰もが、納得をするおとしどころが、あの会見だったのでしょう。私は当事者ではないので、踏み込んだ忠告などできるはずが無いのです。 

 デモ、自分が忠告をしたポイントは間違っていなかったと感じています。海老蔵君は、結局はいい子なのです。男の子の喧嘩として、負けたわけですが、本質的には、反抗すべき対象に対して、きちんと反抗をできない少年です。立派なことを言っていますが、自分の人生を、非常に早い時期から決められてしまったかわいそうな少年です。

 そして、実は加害者たちだって、成長の過程に問題があるのかもしれません。

 記者会見を冒頭から、全部を見ていないのでわかりませんが、両脇に控えていた年長のサラリーマンが松竹の社員だったら、「これから、先、海老蔵君を座長にすえないように」と要望したいです。一番大切なことは、彼には、お金に絡む大きな責任を負わせてはいけない事です。
 天分はあるので、役柄上では、大きな責任を負わせても、ビジネス上の責任を負わせてはいけないタイプなのです。一応、ここで、それを言っておきます。

 ただ上の意見は私固有のもので、世間一般には、違う意見があるでしょう。このまま、ここで、幕引きが順当ということになるでしょう。夫にも、ここで、挫折が訪れたし、妻も世間の批判を浴びた(あの美しい顔を見ると、「その程度の怪我なら、警察に被害届けを出すべきではなかった」とも言えますので、「これは、大騒ぎをしてしまった妻の方の失敗だ」と言う報道が当たっているともいえますかな?)ので、二人とも傷を負ったので、割れ鍋にとじぶたとなって、二人で出直しますというのもありえる発想で、そこらあたりで一件落着となるのでしょう。で、人の噂も75日だし、ともかく彼は痛い思いをした上に、大いなる恐怖にさらされたのだから、それで、贖罪は済んでいるともなります。

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 ともかく、私のような年齢の人と、海老蔵君や、その奥さんなどの、三十代の人では勧めることも違います。私のような世代(60歳以上)では、「結婚は、最終的な保障制度ですよ」といって、それを、壊さないようにとすすめたりしています。

 でも、30代では、まず自分を確立する事が大切です。それが未だだったとあらゆる人の前に見えてしまった二人ですから、これから大変ですねと、言うしかないです。

 デモ、二人に限らず、一生未熟である人もあるのです。普通ならそれで、一生を無事に送る事ができたのですが、認知症の発症多発をしると、その前の何十年間の、こころの中の低層に横たわってきた問題に、ふたをしてきた歳月は、結局は、爆発すると言う事がわかるわけです。

 だったら、問題が起きたご家庭では、「思い切って根本的な解決に向かいなさいませ」といいたいのです。

 この件では、池上彰さんとか、ビートたけし氏が「何も、言わない」と発言をされています。それなのに、私があれこれ、何回も述べたのは、これが、心理学的に言って、誰にでも共通する問題だからです。成長していない若者の問題は大きな現象です。それは、私にも当てはまる問題です。だから、ここまで考え続けているわけで、面白がっているわけではありません。

 たまたま、彼が美形であり、スターだったので、いわゆるパンとサーカスの対象となっていますが、ある程度は仕方が無いし・・・・・

 です。が、ここで、週刊誌は、これ以上、あっちこっちを、ほじくるのは、止めてあげて欲しいです。たまたま玉三郎に秋があったからよかったですね。

 ま、私の意見など、どこにも採用されないでしょうが、それでも書いてみました。この件で想起させられた自分の事は、今日は20時間ぐらいあげておりましたが、起承転結を完成させるためには、字数が足りないと、ここで、判断しました。恐れ入ります。

 追伸、ここまで書いたら、相手の暴走族の男の子が逮捕されたというニュースが入りました。私はそれを聞いてもちっとも喜べません。問題はまったく別のところにあると思うからです。相手の男が一方的に悪人にされるのは、少年同士の喧嘩としては解決がまずいと思うし、裏で示談金が動いたとか、言われているのも、うんざりですね。
        2010年12月10日                雨宮 舜
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