以下に、天皇会見記について述べますが、そのほかにも今日など、検討すべきニュースはほかにもいろいろあります。尖閣諸島ビデオを流した、海保職員の停職とか、秋田の弁護士殺害時のありえない警官の行動は、単にバカだったことであるのか、それとも、諜略行為だったのかとか、さまざま検討しなければならないニュースはあります。だが、私は頭に詳細な全文が降りてきた文章しか、書かないことに決めております。
ただ、石原都知事分析などのように、頭の中を駆け巡る文章がありながら、このブログ一回の字数が一万字と決められていて、それを、オーヴァーしたために、その夜のうちにパソコン内に落とさなかった考察は、再び想起するのが、相当難しいことにもなります。
でもね、あまり無理をしないことに決めております。
10年前はあせりました。どうして、自分には時間がないのだろうとか、制限の中で生きているのだろうかとか、悩みました。若いときからそこへ突進した人には、すでに会社があったり、秘書がいたりしていますが、遅く出発した身では、書くことだけで精一杯で、書くために環境を整備することなど、無理な相談で、ただ、ただ、書くだけなのです。
が、『それでもいい。敵がいて、さまざまなストレスを浴びている現在なら、怒るとか、悩むとか、あせるとか、していたら、大いなる陥穽に落ち込むぞ』と、用心していて、それゆえに、何ごとでも、満足するすべを獲得いたしました。で、ゆったりと構えているわけです。これはわれながら思いがけない展開です。驚くべき展開です。災いを転じて福となすの典型でしょう。
さて、こういう気持ちの下で、何をどう書くかですが ニュースの重要性如何よりも、『これを、書きたい。書きたくて、眠れない』と思うようなことだけを書いていくつもりです。そのことは、恐れ入ります。
さて、
本日のメインディッシュです。
天皇誕生日の記者会見の様子が、ウエブニュースで展開しています。すると朝日新聞の中には、「会見全文」と書いてあるのに、読売新聞と内容が違う部分がありました。特に問題なのは、天皇の記者懇談が、三年ぶりに再会されたが、ご健康を勘案して、すべてを再開する可能性はないと言う記述です。
そこを特化、強調して、ウエブニュースへあげていることが重要です。天皇のお言葉が、出てこなくなったのは、表向きはご健康を配慮してですが、実際には、私が、『カタール皇太子との会見で、江戸時代の平和の重要性に触れていらっしゃるのは、意味があることだ。明治維新の経緯を考えると、感無量のことがある』と書いた直後から、おきた現象でした。
また、天皇家の秘宝が、国立博物館(平成館)で、開かれていた時期に、午後五時15分の閉館直後に、天皇、皇后両陛下がいらっしゃって、それの警備のすさまじさに驚いたという一文を、このブログにも載せたことがあります。が、(後で、トラックバック機能を足します)
そのときに、どうしてか、それを察知した一般の人で、博物館を出てきたばかりらしい若い人を中心のグループがじっと待っていました。通りがかった私(芸大美術館か、芸大図書館を利用した帰途だったと覚えている)が一緒に待っていると、・・・・・その中から、突然に「天皇陛下ばんざーい」と言う哀切な声が聞こえ、それが右翼でもなさそうなので、平成天皇のお気の毒さと、日本国民両方の気の毒さが、その声に現れている・・・・・と書いたことも、天皇の記者会見を中止させる動機となったでしょう。
~~~~~~~~~~~
つまり、私がブログで、天皇陛下のお言葉に感嘆したと書いたから、『あ、日本国民は、天皇を中心として、再び、まとまってしまうかもしれない』と恐れた、国際的軍産共同体が宮内庁にまで、何らかの指令を出して、病気を理由にお発言を取りやめるように仕向けたのです。宮内庁も完璧に、国際的軍産共同体に支配をされているということです。そして、庶民に対して感化力を、天皇がお持ちならば、それは、そがなければならないとなります。
~~~~~~~~~~~~
ところで、ここで挿入ですが、小沢一郎氏の習近原氏との会見は、9月の半ばに書いた私の文章からアイデアを汲み取ったはずです。『そうか。天皇って、意外と利用できるのだ』と考えた手合いがあって、「小沢氏が立派な政治家だ」と言うイメージを国民に植え付けるために企画をされたのでしょう。
デモね。そのアイデアは大反対の方向へ進みました。小沢氏の新聞記者相手の睥睨目線には『私は関係ない』と思って我慢をしていた、大勢の日本人が、『え、天皇まで利用をするの? 驚いたなあ。これは、たまらん。嫌なやつだ』となってしまったわけです。天皇が国民の象徴だからこそ、小沢氏にたぶらかされ、利用をされているのは、まさに自分たちだとわかってしまったのです。
こういうところが『天網恢々粗にしてもらさず』の典型で、私がいつも、天を恃むといっているところです。ところで、ここでもっとも大切なことは、小沢氏が何か、表に出ているときは、騒乱が世界中からやってきて、日本を襲うということです。不安を掻き立てられて、英雄が現れてほしいなあと国民が思ってしまいます。その日に向けて、用意周到に『小沢が偉い』というコンセンサスを作っておけば、小沢氏が首相になれると、彼を裏で繰っている組織は思っています。
その一例が、普段の10倍の大きさの『小沢は偉い』という巻頭記事を載せている週刊ポストの大広告となっていったわけです。
そして、日本人が働いたお金はすべてすい取り上げられ、奴隷の国と、さらに化すでしょう。JALに今起きていることが、日本の隅々まで起きるということです。または、トヨタにおきているリコール運動がまたしても、再燃すると言うことです。真央ちゃんはさらに泣き顔を見せ、国民は全体に、灰色の精神状態に陥れられ、人を疑い、いじめあうようにさらになっていくでしょう。
さて、今二十四日に入り、推敲を重ねようとしているところですが、・・・・朝五時に寝たので、外出は急遽、取りやめたのです。・・・・で、午後零時からパソコンを開くとアマゾンから来たメルマガ内に「監視と密告の国アメリカ」という本の広告がありました。私なんか、この日本に住んでいても、監視と密告の中に、24時間暮らしていますが・・・・・
その手の不自由が全日本人に及ぶのが、小沢体制下の日本でしょう。
悪の権化のリーダーが支配をはじめようとしているとき、その危険性に気がつき、警鐘を鳴らす人間は、いつの時代でも弾圧されます。私のこうむっている被害はその典型でもあります。
~~~~~~~~~~
ここで、挿入から元に戻らせてください。
この天皇の会見中止という発表は、カナダご訪問の直前に行われたので、その奇妙さが余計に目立ちました。ジェット機にお乗りになっても、11時間はかかるでしょう。それが大丈夫でいらっしゃるのに、お言葉を発することができないなどとは、普通なら考えられません。
昨日2010年12月23日のNHKニュースでもお立ち台での天皇は明るい表情でいらっしゃったから3年前にはもっとお元気だったはずで、スピーチをなさるなどなんでもないことだったでしょう。ただ、私のほうもこの三年間に相当しぶとくなりました。で、こういう諜略行為が裏にあるニュースには眉唾を付けながら接するようになりました。
たとえば、宝くじですが、我が家で夫婦で何かをそれについて話したとたんに、宝くじを売り出さないこととなりました。それ以来派手な広告が朝日新聞に載ることはなくなりました。でも、そのうち、いつの間にやら、実際には復活していて、今年など、また、ニュースとして年末ジャンボの有楽町での、列が、流されています。以前ほど沸騰はしていませんが、それでも、売り出していることは確かなので、私をびびらせる事が目的のニュースは、実態はどうなっているかは、わからないと考えています。
で、平成天皇のお言葉も、カナダでは返礼として、やはり、披露をされはずだと、今では思っています。それから、日本の宮中で内外の賓客を迎えたときは必ずお言葉を発して折られるでしょう。ただ、それが、外へはいしんされなかっただけでしょう。そういう風なからくりで、行われていると今では、感じています。
で、外国の人々に対して失礼はないと感じていますが、でも、日本国民は、貴重なお話を聞くことができないわけで、『なるほど、そういうことですか』と思っているわけですが、その22日のasahi・comは、書きようが、ひどかったですね。
ところで、紙の新聞のほうでは、それほど、あくどい工作は見られませんでした。
~~~~~~~~~~
ここで、第二の挿入ですが、朝日新聞が無料で配達をされることは、とうとう終わりました。12月のはじめから来なくなったのです。で、コンビに等で買ったりしました。どうしてかというと、あのけたたましい操作力を見せ付けさせられる生活から、逃れた方が静かに暮らせるから、老後の人生が安泰でしょうと、感じましてね。『それも一興よね。何が得になるか、人生はわかりませんよ』と思っていました。
だけど、今までの、書きようがありますね。読者に対する私なりの責任というものがあります。それに、ちょうど、天からの報酬と私がみなしている遺産も母から入りはじめましたので、少しは余裕ができましたから、この16日から朝日新聞をお金を出して読み始めたのです。のっけから、重要な事案・・・・週刊ポストの広告がいつもの、5倍の大きさになっていて、それは、いつもの4倍である、週刊現代より、はるかに衝撃的なサイズの活字を生むという現象を発見しました。その裏に、小沢一郎氏を、国民に『立派な人物である』と売り込み洗脳させる目的があると気がついて、前報を書いたわけです。
『よかった。よかった』と思っています。間一髪で、お金を出した購読開始が役にたちました。こういう些細な現象にも、天からのお助けを感じる次第です。
~~~~~~~~~
ここで、第二の挿入から離れ、天皇は体力的には十分にスピーチをできるはずだという私論へ再び入ります。
オバマ大統領の演説ほど、それは、長くはありません。それに、オバマ大統領ほど、対立相手を説得する必要性もないのです。平成天皇は、いわゆる身の丈にあった自然な発想でお言葉を発せられているのですから、無理に背伸びなさっているわけでもないので、それほどのストレスを感じてはおられないでしょう。むしろ、気晴らしになるのではないかとかんじます。愛子様の不登校や雅子のご病気と言った心配ごとを吹っ飛ばしてしまうほどの達成感を、お感じになるはずです。
ストレスがあるであろうなどと推察するのは、下種のかんぐりといった種類のものです。
で、朝日新聞に代表される、国際的、軍産共同体に近い連中は、私がブログで言った点を気にしていて、「今回は特別だが、これからも、記者会見があるわけでもない」と、添えごとをする形で書いています。しかも、天皇陛下自らのご意思で、そうなさっているというニュアンスで発表されています。
またまた、しょっていると皆様に言われて、しかられてしまうかもしれませんが、上の部分で、見事に私の前の発言が気にかかっていて、一種の偵察用アドヴァルーンがあげられたなと感じています。
それは、まさしく、あの秋葉原のホコ天再開の手法と同じです。1月23日に再開予定だというものを、12月初旬に発表する。そして、私がどう出るかを様子見している。
読売のウエブサイトにはそんなことは書いてはありません。このようにニュアンスが違う記事のもっていき方があるのに、「あらたにす」というウエブサイトを作って、その三社が協力するというのは、本当に忌まわしいことです。戦時中の大政翼賛会を思い出させます。そして、産経新聞と毎日新聞を阻害し、排除しています。
まるで、中学校のいじめスタイルと同じです。番長はだれだ?
しかもそれを作り上げたのが、例の、人的コネを利用した浅はかで、薄っぺらな少数陣(人)の、連絡の交し合いで、あっという間にきまったことであろうから、非常に残念です。し、怒りもわきます。また、「あらたにす」の開始時期を丁寧に検討すれば、私がブログを始めたり、そこで、重要な発言を始めた時期と、関係があるでしょう。
ただね、この「あらたにす」を丁寧に読んでいる人物が実際にいるかどうかは疑問です。でも、テレビの視聴率と同じで、この記事が人気があるなどという報道がやがて出てやがて出てくるでしょう。ここで、予言をしておきましょう。ともかく『あらたにす』というアイコンの紙面上の大小さえ、記録となって残っていくでしょう。それこそ、私のブログの内容と国際的ぐんさん共同体との攻防の記録となっているはずです。
ここで第三の挿入に入ります。
また、また、文句で恐れ入りますが、
朝日新聞とNHKが、天皇に対して敬語を使わないのも、違和感があります。それは、幼児性丸出しといってよいほど、普通の感覚とずれています。そして、佐高信氏が、週刊朝日に連載を持っていることと類推を作動させれば、朝日新聞の首脳陣は日比谷野外音楽堂で、下品極まりない言動で、天皇や政府を批判した、在日に縁がある人たちと、ぴったりと癒着していると、見えます。
で、ここからも、国際的軍産共同体は、在日の出自を隠している政治家に、日本を支配させるように、企図していると言う結論が出てきます。また、文化面でも同じこと、スポーツ面でも同じことです。
「発言をなさった」と書くのが普通のところを、動詞部分を必ず、「発言をした」と書きます。以前、私以外の誰かに、すでに、批判を受けていると思いますが、のど元過ぎればあつさ忘れるで、すぐ元へ戻ります。私など、一応ですが、お茶大の付属高校の出身ですから、(不、不、不、超いやみですが)国語の基本から考えても、お尻がこそばゆいという以上の違和感があります。
ただ、読売新聞は敬語に関しては、普通です。違和感がない形で記事が書かれています。
ところで、天皇陛下が国民に向けてメッセージを発するか、発しないかについて、自由がなくて、しかもあたかもご自分から「会見を控えている」と、おっしゃらなければならないところに、象徴も象徴としての、日本人の不自由さが現れています。
そして、ここに漫画の表現の自由を制限した東京都条例を発した石原都知事に見られるディレンマが同じ形で見られます。石原都知事は「横田基地を返してもらおう」と発言したりして、日本人はアメリカ人と対等であるはずだと信じている人です。
それから、天皇も純粋に日本人の代表なはずですよね。そのお二人が、私が普段言っていることとは、反対の方向で、お話をされたり、条例を出したりする・・・・・『お前には味方は誰もいないのだよ』と、この日本を真意支配をしている側の人間たちはいいたいのでしょう。
石原都知事など、『四男に甘かった。公費を四男のために使っている』と責め立てられているのに、本質にそむいてあの都条例を発したのです。天皇陛下だって、「私にとって、メッセージを出すことは,今のところは、負担ではありません」と軽くおっしゃりたいところだと感じますのに、まわりから「こうしてくださいませ」と勧められて、ああおっしゃる。
私はすさまじい形での言論弾圧を受けてきました。でも、別に理由があるわけでもないのです。この現在の日本では国際的軍産共同体側についた人間には、大特権があり、それ以外の人間は、それだけ不当に、権利や自由を奪われているということです。
こう書くと『惨めそのものである』といった日常を皆様はご想像をなさいますか?
それが、そうでもないのです。不思議なことですが、常に感じるのは、天がこちらにお味方をして下さっているということです。
皆様は、お正月に鶴岡八幡宮に初詣にいらっしゃるでしょうか。800年から生きてきた大銀杏は、今年の春たおれました。
それは、境内の美術館の職員用玄関の前にあった臥龍のごときアメリカキササゲを、悪人たちの讒言により切ってしまわれたからです。
それは、私が書いたエッセイ、『二人だけの音楽会』の最寄の場所の証拠を消すという目的があったわけですが、そのエッセイの再録を含めて
これから先は、書くのが大変難しいし、時間がかかるので、いったんここで、この文章は終わりとさせてくださいませ。音楽会については、別稿を立てます。とお断りばかりしているうちにも、またまた、微妙な心理操作が始まっていると感じます。ウエブサイト、ライブドアーの目次に、昭和天皇に関する幻冬社の『小林よしのりさんの本』が取り上げられていて、それと、この文章を連動させられると、私は困ることとなります。でも、敵方の狙いは、それと連動させ、『あいつは右翼だ』と決め付けたいのでしょう。それも、喝破し打破しないといけませんので・・・・・大変です。私は右翼でも左翼でもない、ごく普通の人間です。そして、喫茶店などで、隣の主婦グループがほとんど同じ傾向で、皆さん、お話が弾んでいますので、私の観点は一般庶民代表です。
もちろん、みなさんが、打ち解けて話し言葉ではないのですが、 では、
2010年12月23日から、25日にかけて書く、雨宮舜
ただ、石原都知事分析などのように、頭の中を駆け巡る文章がありながら、このブログ一回の字数が一万字と決められていて、それを、オーヴァーしたために、その夜のうちにパソコン内に落とさなかった考察は、再び想起するのが、相当難しいことにもなります。
でもね、あまり無理をしないことに決めております。
10年前はあせりました。どうして、自分には時間がないのだろうとか、制限の中で生きているのだろうかとか、悩みました。若いときからそこへ突進した人には、すでに会社があったり、秘書がいたりしていますが、遅く出発した身では、書くことだけで精一杯で、書くために環境を整備することなど、無理な相談で、ただ、ただ、書くだけなのです。
が、『それでもいい。敵がいて、さまざまなストレスを浴びている現在なら、怒るとか、悩むとか、あせるとか、していたら、大いなる陥穽に落ち込むぞ』と、用心していて、それゆえに、何ごとでも、満足するすべを獲得いたしました。で、ゆったりと構えているわけです。これはわれながら思いがけない展開です。驚くべき展開です。災いを転じて福となすの典型でしょう。
さて、こういう気持ちの下で、何をどう書くかですが ニュースの重要性如何よりも、『これを、書きたい。書きたくて、眠れない』と思うようなことだけを書いていくつもりです。そのことは、恐れ入ります。
さて、
本日のメインディッシュです。
天皇誕生日の記者会見の様子が、ウエブニュースで展開しています。すると朝日新聞の中には、「会見全文」と書いてあるのに、読売新聞と内容が違う部分がありました。特に問題なのは、天皇の記者懇談が、三年ぶりに再会されたが、ご健康を勘案して、すべてを再開する可能性はないと言う記述です。
そこを特化、強調して、ウエブニュースへあげていることが重要です。天皇のお言葉が、出てこなくなったのは、表向きはご健康を配慮してですが、実際には、私が、『カタール皇太子との会見で、江戸時代の平和の重要性に触れていらっしゃるのは、意味があることだ。明治維新の経緯を考えると、感無量のことがある』と書いた直後から、おきた現象でした。
また、天皇家の秘宝が、国立博物館(平成館)で、開かれていた時期に、午後五時15分の閉館直後に、天皇、皇后両陛下がいらっしゃって、それの警備のすさまじさに驚いたという一文を、このブログにも載せたことがあります。が、(後で、トラックバック機能を足します)
そのときに、どうしてか、それを察知した一般の人で、博物館を出てきたばかりらしい若い人を中心のグループがじっと待っていました。通りがかった私(芸大美術館か、芸大図書館を利用した帰途だったと覚えている)が一緒に待っていると、・・・・・その中から、突然に「天皇陛下ばんざーい」と言う哀切な声が聞こえ、それが右翼でもなさそうなので、平成天皇のお気の毒さと、日本国民両方の気の毒さが、その声に現れている・・・・・と書いたことも、天皇の記者会見を中止させる動機となったでしょう。
~~~~~~~~~~~
つまり、私がブログで、天皇陛下のお言葉に感嘆したと書いたから、『あ、日本国民は、天皇を中心として、再び、まとまってしまうかもしれない』と恐れた、国際的軍産共同体が宮内庁にまで、何らかの指令を出して、病気を理由にお発言を取りやめるように仕向けたのです。宮内庁も完璧に、国際的軍産共同体に支配をされているということです。そして、庶民に対して感化力を、天皇がお持ちならば、それは、そがなければならないとなります。
~~~~~~~~~~~~
ところで、ここで挿入ですが、小沢一郎氏の習近原氏との会見は、9月の半ばに書いた私の文章からアイデアを汲み取ったはずです。『そうか。天皇って、意外と利用できるのだ』と考えた手合いがあって、「小沢氏が立派な政治家だ」と言うイメージを国民に植え付けるために企画をされたのでしょう。
デモね。そのアイデアは大反対の方向へ進みました。小沢氏の新聞記者相手の睥睨目線には『私は関係ない』と思って我慢をしていた、大勢の日本人が、『え、天皇まで利用をするの? 驚いたなあ。これは、たまらん。嫌なやつだ』となってしまったわけです。天皇が国民の象徴だからこそ、小沢氏にたぶらかされ、利用をされているのは、まさに自分たちだとわかってしまったのです。
こういうところが『天網恢々粗にしてもらさず』の典型で、私がいつも、天を恃むといっているところです。ところで、ここでもっとも大切なことは、小沢氏が何か、表に出ているときは、騒乱が世界中からやってきて、日本を襲うということです。不安を掻き立てられて、英雄が現れてほしいなあと国民が思ってしまいます。その日に向けて、用意周到に『小沢が偉い』というコンセンサスを作っておけば、小沢氏が首相になれると、彼を裏で繰っている組織は思っています。
その一例が、普段の10倍の大きさの『小沢は偉い』という巻頭記事を載せている週刊ポストの大広告となっていったわけです。
そして、日本人が働いたお金はすべてすい取り上げられ、奴隷の国と、さらに化すでしょう。JALに今起きていることが、日本の隅々まで起きるということです。または、トヨタにおきているリコール運動がまたしても、再燃すると言うことです。真央ちゃんはさらに泣き顔を見せ、国民は全体に、灰色の精神状態に陥れられ、人を疑い、いじめあうようにさらになっていくでしょう。
さて、今二十四日に入り、推敲を重ねようとしているところですが、・・・・朝五時に寝たので、外出は急遽、取りやめたのです。・・・・で、午後零時からパソコンを開くとアマゾンから来たメルマガ内に「監視と密告の国アメリカ」という本の広告がありました。私なんか、この日本に住んでいても、監視と密告の中に、24時間暮らしていますが・・・・・
その手の不自由が全日本人に及ぶのが、小沢体制下の日本でしょう。
悪の権化のリーダーが支配をはじめようとしているとき、その危険性に気がつき、警鐘を鳴らす人間は、いつの時代でも弾圧されます。私のこうむっている被害はその典型でもあります。
~~~~~~~~~~
ここで、挿入から元に戻らせてください。
この天皇の会見中止という発表は、カナダご訪問の直前に行われたので、その奇妙さが余計に目立ちました。ジェット機にお乗りになっても、11時間はかかるでしょう。それが大丈夫でいらっしゃるのに、お言葉を発することができないなどとは、普通なら考えられません。
昨日2010年12月23日のNHKニュースでもお立ち台での天皇は明るい表情でいらっしゃったから3年前にはもっとお元気だったはずで、スピーチをなさるなどなんでもないことだったでしょう。ただ、私のほうもこの三年間に相当しぶとくなりました。で、こういう諜略行為が裏にあるニュースには眉唾を付けながら接するようになりました。
たとえば、宝くじですが、我が家で夫婦で何かをそれについて話したとたんに、宝くじを売り出さないこととなりました。それ以来派手な広告が朝日新聞に載ることはなくなりました。でも、そのうち、いつの間にやら、実際には復活していて、今年など、また、ニュースとして年末ジャンボの有楽町での、列が、流されています。以前ほど沸騰はしていませんが、それでも、売り出していることは確かなので、私をびびらせる事が目的のニュースは、実態はどうなっているかは、わからないと考えています。
で、平成天皇のお言葉も、カナダでは返礼として、やはり、披露をされはずだと、今では思っています。それから、日本の宮中で内外の賓客を迎えたときは必ずお言葉を発して折られるでしょう。ただ、それが、外へはいしんされなかっただけでしょう。そういう風なからくりで、行われていると今では、感じています。
で、外国の人々に対して失礼はないと感じていますが、でも、日本国民は、貴重なお話を聞くことができないわけで、『なるほど、そういうことですか』と思っているわけですが、その22日のasahi・comは、書きようが、ひどかったですね。
ところで、紙の新聞のほうでは、それほど、あくどい工作は見られませんでした。
~~~~~~~~~~
ここで、第二の挿入ですが、朝日新聞が無料で配達をされることは、とうとう終わりました。12月のはじめから来なくなったのです。で、コンビに等で買ったりしました。どうしてかというと、あのけたたましい操作力を見せ付けさせられる生活から、逃れた方が静かに暮らせるから、老後の人生が安泰でしょうと、感じましてね。『それも一興よね。何が得になるか、人生はわかりませんよ』と思っていました。
だけど、今までの、書きようがありますね。読者に対する私なりの責任というものがあります。それに、ちょうど、天からの報酬と私がみなしている遺産も母から入りはじめましたので、少しは余裕ができましたから、この16日から朝日新聞をお金を出して読み始めたのです。のっけから、重要な事案・・・・週刊ポストの広告がいつもの、5倍の大きさになっていて、それは、いつもの4倍である、週刊現代より、はるかに衝撃的なサイズの活字を生むという現象を発見しました。その裏に、小沢一郎氏を、国民に『立派な人物である』と売り込み洗脳させる目的があると気がついて、前報を書いたわけです。
『よかった。よかった』と思っています。間一髪で、お金を出した購読開始が役にたちました。こういう些細な現象にも、天からのお助けを感じる次第です。
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ここで、第二の挿入から離れ、天皇は体力的には十分にスピーチをできるはずだという私論へ再び入ります。
オバマ大統領の演説ほど、それは、長くはありません。それに、オバマ大統領ほど、対立相手を説得する必要性もないのです。平成天皇は、いわゆる身の丈にあった自然な発想でお言葉を発せられているのですから、無理に背伸びなさっているわけでもないので、それほどのストレスを感じてはおられないでしょう。むしろ、気晴らしになるのではないかとかんじます。愛子様の不登校や雅子のご病気と言った心配ごとを吹っ飛ばしてしまうほどの達成感を、お感じになるはずです。
ストレスがあるであろうなどと推察するのは、下種のかんぐりといった種類のものです。
で、朝日新聞に代表される、国際的、軍産共同体に近い連中は、私がブログで言った点を気にしていて、「今回は特別だが、これからも、記者会見があるわけでもない」と、添えごとをする形で書いています。しかも、天皇陛下自らのご意思で、そうなさっているというニュアンスで発表されています。
またまた、しょっていると皆様に言われて、しかられてしまうかもしれませんが、上の部分で、見事に私の前の発言が気にかかっていて、一種の偵察用アドヴァルーンがあげられたなと感じています。
それは、まさしく、あの秋葉原のホコ天再開の手法と同じです。1月23日に再開予定だというものを、12月初旬に発表する。そして、私がどう出るかを様子見している。
読売のウエブサイトにはそんなことは書いてはありません。このようにニュアンスが違う記事のもっていき方があるのに、「あらたにす」というウエブサイトを作って、その三社が協力するというのは、本当に忌まわしいことです。戦時中の大政翼賛会を思い出させます。そして、産経新聞と毎日新聞を阻害し、排除しています。
まるで、中学校のいじめスタイルと同じです。番長はだれだ?
しかもそれを作り上げたのが、例の、人的コネを利用した浅はかで、薄っぺらな少数陣(人)の、連絡の交し合いで、あっという間にきまったことであろうから、非常に残念です。し、怒りもわきます。また、「あらたにす」の開始時期を丁寧に検討すれば、私がブログを始めたり、そこで、重要な発言を始めた時期と、関係があるでしょう。
ただね、この「あらたにす」を丁寧に読んでいる人物が実際にいるかどうかは疑問です。でも、テレビの視聴率と同じで、この記事が人気があるなどという報道がやがて出てやがて出てくるでしょう。ここで、予言をしておきましょう。ともかく『あらたにす』というアイコンの紙面上の大小さえ、記録となって残っていくでしょう。それこそ、私のブログの内容と国際的ぐんさん共同体との攻防の記録となっているはずです。
ここで第三の挿入に入ります。
また、また、文句で恐れ入りますが、
朝日新聞とNHKが、天皇に対して敬語を使わないのも、違和感があります。それは、幼児性丸出しといってよいほど、普通の感覚とずれています。そして、佐高信氏が、週刊朝日に連載を持っていることと類推を作動させれば、朝日新聞の首脳陣は日比谷野外音楽堂で、下品極まりない言動で、天皇や政府を批判した、在日に縁がある人たちと、ぴったりと癒着していると、見えます。
で、ここからも、国際的軍産共同体は、在日の出自を隠している政治家に、日本を支配させるように、企図していると言う結論が出てきます。また、文化面でも同じこと、スポーツ面でも同じことです。
「発言をなさった」と書くのが普通のところを、動詞部分を必ず、「発言をした」と書きます。以前、私以外の誰かに、すでに、批判を受けていると思いますが、のど元過ぎればあつさ忘れるで、すぐ元へ戻ります。私など、一応ですが、お茶大の付属高校の出身ですから、(不、不、不、超いやみですが)国語の基本から考えても、お尻がこそばゆいという以上の違和感があります。
ただ、読売新聞は敬語に関しては、普通です。違和感がない形で記事が書かれています。
ところで、天皇陛下が国民に向けてメッセージを発するか、発しないかについて、自由がなくて、しかもあたかもご自分から「会見を控えている」と、おっしゃらなければならないところに、象徴も象徴としての、日本人の不自由さが現れています。
そして、ここに漫画の表現の自由を制限した東京都条例を発した石原都知事に見られるディレンマが同じ形で見られます。石原都知事は「横田基地を返してもらおう」と発言したりして、日本人はアメリカ人と対等であるはずだと信じている人です。
それから、天皇も純粋に日本人の代表なはずですよね。そのお二人が、私が普段言っていることとは、反対の方向で、お話をされたり、条例を出したりする・・・・・『お前には味方は誰もいないのだよ』と、この日本を真意支配をしている側の人間たちはいいたいのでしょう。
石原都知事など、『四男に甘かった。公費を四男のために使っている』と責め立てられているのに、本質にそむいてあの都条例を発したのです。天皇陛下だって、「私にとって、メッセージを出すことは,今のところは、負担ではありません」と軽くおっしゃりたいところだと感じますのに、まわりから「こうしてくださいませ」と勧められて、ああおっしゃる。
私はすさまじい形での言論弾圧を受けてきました。でも、別に理由があるわけでもないのです。この現在の日本では国際的軍産共同体側についた人間には、大特権があり、それ以外の人間は、それだけ不当に、権利や自由を奪われているということです。
こう書くと『惨めそのものである』といった日常を皆様はご想像をなさいますか?
それが、そうでもないのです。不思議なことですが、常に感じるのは、天がこちらにお味方をして下さっているということです。
皆様は、お正月に鶴岡八幡宮に初詣にいらっしゃるでしょうか。800年から生きてきた大銀杏は、今年の春たおれました。
それは、境内の美術館の職員用玄関の前にあった臥龍のごときアメリカキササゲを、悪人たちの讒言により切ってしまわれたからです。
それは、私が書いたエッセイ、『二人だけの音楽会』の最寄の場所の証拠を消すという目的があったわけですが、そのエッセイの再録を含めて
これから先は、書くのが大変難しいし、時間がかかるので、いったんここで、この文章は終わりとさせてくださいませ。音楽会については、別稿を立てます。とお断りばかりしているうちにも、またまた、微妙な心理操作が始まっていると感じます。ウエブサイト、ライブドアーの目次に、昭和天皇に関する幻冬社の『小林よしのりさんの本』が取り上げられていて、それと、この文章を連動させられると、私は困ることとなります。でも、敵方の狙いは、それと連動させ、『あいつは右翼だ』と決め付けたいのでしょう。それも、喝破し打破しないといけませんので・・・・・大変です。私は右翼でも左翼でもない、ごく普通の人間です。そして、喫茶店などで、隣の主婦グループがほとんど同じ傾向で、皆さん、お話が弾んでいますので、私の観点は一般庶民代表です。
もちろん、みなさんが、打ち解けて話し言葉ではないのですが、 では、
2010年12月23日から、25日にかけて書く、雨宮舜