いやあ、皆様、昨日は重いものをアップして、しかも初稿は完成していますが、推敲がまだの段階です。それをお約束した通りに、推敲をしていかないといけないのですが、閑話休題、突然マグカップの話に入らせてくださいませ。
上にワインが入っていた木箱の中に猫が眠っています。中に毛布やら、湯たんぽが入っていて、冬でも暖かいようになっているのです。その箱のふちに、マグカップが乗っていますね。それが、本日の話題の先です。
二つ似たようなマグカップがありますが、一つは庭に置いていて、植木鉢の高さ調節に使っていました。それを、まあ、普通の用途に使いましょうかと思って、台所で洗っているうちに、このカップの製法が、絵をフィルムで焼き付けた形なので、『どうも白さが100%は、回復しないなあ』と思うし、
よく見ると、カップのふちも小さく欠けているし、『静岡で、別荘でも買おうとしたアイデアが、<絶対に使うはずがないよ。単に重荷になるだけだ>という家族の反対で、つぶれている。それに比較すれば、家財にお金をかけるなど、たいした金額ではないなあ。このマグカップは、買い換えよう』と思って、主人に以下のように話しかけました。
「ねえ、あなた、近々・下馬<ゲバ>四つ角・へ行く? マグカップを一つ買ってきてくれるといいなあ」と。私はブログの手当てで忙しくて、実のところ、ゆっくりと買い物さえしたことがないのです。この12年間はそうでしたね。で、こんな、毎日、4回は使うものでも、他人任せにしていて、主人が買ってきてくれればそれでいいと思っているわけです。
下馬四つ角というのは、瀬戸物屋さんが近所にある場所なのですが、我が家からは、20分は歩きますので、自分では、行く時間がないと思って。・・・・・
すると主人が、「でも、そのカップには猫がいるのだよ。だから、大切なカップなのに」と言います。それで、初めて絵を詳細に見つめてみました。すると、小さすぎるので、この写真には写っていませんが、左のカップには屋根の上に一匹、右のカップには建物前の道路に、二匹猫がいるのです。20年近く使っていて、全く気がつきませんでした。
「うわあ、驚いた。本当にいるわ」と、言うと、「そうだよ。それは、紀伊国屋で買ってきた大切なものなのに」とも言います。「へえ、そうなの」と驚いて、カップの裏側をひっくり返してみました。本当に20年目にして初めての行動です。
すると、たしかに、Made in England と書いてあります。『そうか、紀伊国屋で、イギリスフェアーか、なにか催し物があって、その時の付属の、目玉商品として、これが売ってあったのだ』と気がついて、その裏文字を、更に詳細に検討しました。主人も続けて、「箱に入っていて、五客ぐらいセットだったのだよ」とも言います。つまり、『捨てるなんてとんでもない』と思っているわけです。
で、詳細に検討したら、右の3階建ての建物の絵がある方の裏には、スー・スカラードのデザインによる田舎の旅館(Village Inns designed by Sue Scallard)とあり、もう一つには、スー・スカラードによる、小さな家(Cottages designed by Sue Scallard) とありました。
そのスー・スカラードですが、よく知っている芸術家でした。それゆえに、本日新しく知ったことが、あまりにも偶然の一致であり、驚きに打たれました。このカップを使い始めて、すでに20年にわたりますが、その間、スー・スカラードの、原画は銀座の画廊、月光荘で、何度も見ているのです。ところで、ここで、原画と言っていますが、それは木口版画というもののはずです。
ただ、このマグカップの原画は、色がついていますね。それが、不思議なので、もしかしたら、いわゆる水彩画なのかもしれません。だが、木口版画として、この人の画風には、すでに、20年以上にわたって触れているのでした。
実は一点だけ、買ってもいます。ただ、とてもわかりやすい作品なので、誰かにプレゼントしてあるはずです。我が家にはすでにない筈です。誰が自宅においても、気分がよくなるような作品ですからね。
ところで、似たような画風の作家がほかに二人いて、三人の作品に、20年以上にわたって、月光荘か、別の画廊で、ずっと、注目をし続けてきたのでした。
ほかの二人とは、
Cordelia Jonesコーディリア・ジョーンズ と、Yvonne Skargon イヴォンヌ・スカーゴン
です。これらの作家は、日本人で、英語と英国文化に熟達している女性二人組、・あ・り・す・が、輸入をして紹介してる作品群だったのです。
私は主人に、よく「今日は友達が主催する展覧会に行って来る。オープニングもあるので、もしかすると遅くなる」といった覚えがあります。銀座ではなくて、京王線の仙川などでも、開かれた歴史があるからです。その時は夜遅く帰ったはずです。で、主人はイギリスの木口版画という言葉は知っていると思いますが、それでも、これが、そういう作品だったとは、気が付いていないのでした。
私自身も、全く気が付いていませんでした。それがどうしてかというと、実は、このマグカップは、プリントで、絵付けされているからです。それはね。原画がどんなに良いものでも、出来上がった完成品は安っぽくなります。手描きで、絵が描かれているマイセンとかとは、比較のしようもないほど、大量生産品の安っぽさがあるのです。
で、私はこれが、現代の若い画家または、デザイナーによる、一種のお土産品感覚の作品であろうと、頭からバカにしていたのでした。
イギリスでは、大変、人気のある女流版画家の原画でできているものだったのですが、そういうほどの、品格を感じなかったのです。
絵や作品が、工業デザインに応用されると大量生産に回ります。ということは作家側から見ると、自分が人気があるということの証明だから、とてもうれしいことであり、断る作家はいないでしょう。
ただね。イギリス本国から遠く離れた場所に住んでいる、しかも、美術作品に対しては、相当に厳しい目利きである私にとっては、『たいした作品ではないなあ。一種のお土産ものだ』と、思い込んでしまうほどの、品格にすぎなかったのです。
つまり、マグカップというものに、つける絵は、これほど、ごちゃごちゃして複雑である必要がないのです。同じ作家のものを使うのなら、彼女たちがよく描いている、庭先に憩う猫一匹でいいのでした。
しかし、それは、彼女たちの責任ではなくて、これを生産した、Dunoon Ceramics という会社の幹部の判断にあるのです。
マグカップは、最近の日本では、陶製が多くて、厚手で、べったりと一色で塗られています。ぼってりとしているタイプが多いのです。それに慣れていることもあったでしょう。
で、デザイン全体像としては、このマグカップに、ある種の不満を持ったことは持ったのですよ。でも、猫と、スー・スカラードには、感謝しました。
私は知らないうちに、大好きな猫という守り神と、それを、また大好きで、猫の作品を作り続けている、スカラードに見守られていたのです。
しかも、作家の来歴については、何も知らない主人が、たった、幅4ミリX高さ6ミリ程度の白い猫・・・(旅館の入り口にいる)・・・のとか、幅8ミリX高さは、しっぽを入れて5ミリの屋根の上の猫・・・(コッテージの方)・・・を目ざとく見つけていたということです。
何という小ささ、しかも両方の絵とも、犬もいるのですよ。その中から、猫を見つけ出した主人にもひどく驚きました。私は70歳ですが、子供のころから猫を飼っていました。が、主人は、現在の猫がはじめての猫体験です。でも、すっかり猫に魅せられているのでした。
小さな驚きのご報告ですが、こんなところにも、私は神様のご支援を感じるのです。私は本物の猫だけではなくて、イギリスでは、非常に高名な女流版画家の描く猫に、毎日、囲まれてパソコンを打っていたのでした。ほとんど、一日中、薄い薄いコーフィーを飲んでいる人間ですから。パソコンのそばには常に、このマグカップが置いてあったのです。
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では、本日はこれで、2013年3月18日 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)