銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

東大の推薦入学はやはり駄目ですよ。日本全体がひどく暗くなる。△

2013-03-25 11:00:39 | 政治

 最近、少しでも書くことができたら、公開し、その書けたところまでで、タイトルを暫定的に、つけ、そのあとで、タイトルをどんどん変えて行く事にしていますが、ここでも同じで、最初の2時間は、

 『専業主婦というRPGが、もしあったら、私は、ダントツの経験値を持っている(笑)』としていました。その次に、『海上保安学校って、通信簿が、1と2だけでも入学できるのかなあ?』としています。そして、今は、三番目のものへと変えておきます。

 なお、ご変換が残ったままで、兆時間を、経て、申し訳ございませんでした。今は、推敲を終えていますので、タイトルに△印をつけておきます。

副題1、『もし、専業主婦ゲームというものがあったら、経験値が出るわけですよね』

副題2、『中低層団地(公団)とか、県公社の住まい方、ヤングママ編』

副題3、『街中のマンションでは、違う暮らし方が、開発されたらしいが』

副題4、『増・改・築ができないとは、変だぞ』

副題5、『増築ができないというのは、私をいじめるために、できた法規でしょう』

副題6、『そういえば、達増知事は、岩手県民の、復興への意欲を阻害しているが』

副題7、『小沢一郎氏は、3.11の二週間後に、やっとしかも背広で現れて、なぜ、収束できないのだろうねと、言った。なにも知らないのだ・・・・・と、私が書いたから、この岩手県民を、いじめるだけの都市計画案が、発生した』

副題8、『規制緩和が求められているが、ばかげた規制が発生する理由を、これから語りたい』

副題9、『お砂糖の貸し借りの件で、すぐ、継母だとわかったが』

副題10、『息子が、リンチ事件の加害者の一人なのに、何も知らない安野夫人』

副題11、『海上保安学校(舞鶴)って、通信簿が、1と、2でも、入学可能なのかなあ?』

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副題1、『もし、専業主婦ゲームというものがあったら、経験値が出るわけですよね』

 前報を、推敲し続けないといけないのですが、頭に降りている文章が違う内容なので、そちらを優先して、そちらを先に書きます。

 でね。私は東大の、推薦入学が、よくないという論理を出しているわけですが、それの続きは、多分この中では語りません。また、差別についても、語るつもりでしたが、そちらの方については、この中でも、少し触れましょう。

 私は土地の利用について大損害を被っていて、しかも、その原因者たちが、数の論理で、いじめてくるし、その裏側に、伊藤玄二郎鎌倉春秋社・社長という大きなエージェント(日本国内の国民の思想的、支配を、それとなく行う人たちを指す)が、いて、それゆえに、信じがたい迷惑をこうむり続けていて、その被害総額は五億円に達すると常に言い続けているわけですが、

 ボーイング787の事故なども、それも一種の間接的な攻撃だと感じていますので、それも、含めれば、被害総額は、いくらになるかわからないという体たらくです。

 だからこそ、はっきりといろいろ書きますが、読者の皆様の中には、「あなたの方も悪いのではないですか? 井戸端会議があるのなら、そういうところに参加しないと村八分になって、いじめられるのは当然でしょう」と、おっしゃる向きがあるといけないので、ここで、少し、専業主婦の在り方について述べたいと思います。

 実は、私は井戸端会議の大ベテランです。というか、専業主婦の大ベテランです。だからこそ、安野夫人がにせものの、お母さんであると、すぐわかるわけです。そして、前田夫人のどこがいけないかについても、すぐわかるわけです。この山の事は、何もかも、すべて、引っ越してきて、一か月以内に、把握をしています。ただ、1980年代当時は、ブログなど無かったので、井戸端会議に出て来ない私について、彼女たちが、誤解をしたというか、何も分からなかったというだけです。そして、自分たちの尺度で、推察した私像に対して、勝手に、攻撃をしていたというわけです。

 こっちは黙って、それを見つめていて、内心で、深い分析を重ね続けていたわけです。だから、たった一日をもって、すべてを書けるほど、ご近所様については、分かっているのですよ。ただ、パソコンの入力のためには、それなりに、時間がかかるわけですし、グーブログには字数制限があるので、一日で、全部を書けないだけの話です

 つまり、もし、専業主婦ゲームというものがもしあったら、私の経験値は、この山で、一番高いでしょう。岸田淳平夫人は、実子が、3人もいるし、ご主人が流行歌の歌詞で、当てたとか言って、高収入でもあったらしくて、『ちょっと、私はあなた方とは、違うんでございますよ』というムードを出しておられたけれど、『山間の煙』(下にある文章の中で、事情は書いてあります)の事後処理を見ると、専業主婦経験値は少ないですね。私から見ると、主婦として、だめです。

 強いて言えば、センスの上で、最も見事だったのは石井夫人でしたが、彼女は、『あわよくば、仕事を再開したい』と思っている人でしたから、近所づきあいは、そこそこで、済ませていました。

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副題2、『中低層団地(公団)とか、県公社の住まい方、ヤングママ編』

  私は、現在70歳です。だけど、むろんのこと、若い時期もあったわけです。私の若いころとは、1960~1980年代にかけて、団塊の世代が家庭を持った時代で、日本じゅうに、活気が満ち溢れていた時代です。

 NHKニュースによれば、多摩団地が、リニューアルしようとしているそうです。1950年代から、公団住宅というものが建設をされて、はじめは2DKだったと思います。でも、当時の若夫婦にとっては、あこがれの住宅でした。

 その次に、もう少し広い住宅が売り出されるようになりました。公団も、中低層住宅として、3DK、または、3LKを売り出しました。または、駅周辺の、立地の良いところを公団が、地上げして、再開発をして、一階を、商店街にして、二階より上に、11階位の当時としては、高層ビル(笑)を建てたと思います。

 私はね。これは、決して自慢にはならないのですが、親に、過保護にされていて、家を買う際は常に、援助をしてもらっていました。で、ひどく若い時期から、3LKの中低層住宅に住んでいました。横浜線、鴨居駅、最寄の、東本郷住宅という、県公社の提供する団地です。総戸数180戸です。今は鴨居駅周辺は、大きく変化しているみたいですが、バスの便が良いし、棟と、棟の間が広くて、植木が、しっかりと育っているので、なかなか、風情のある団地となっています。

 さて、そこで、経験をしたことから、わかったことですが、『総戸数200戸以内というのはまずいな』という判断です。特に当時、そういう団地の一区画でも、相場は高かったので、皆さんの意識の中に、「自分は、勝ち組なんだ」という意識が芽生えて、 

 『ならば、その中で、さらに勝ち組となりたい』という意識も強烈に芽生えて、激しい競争心も、起きたのです。ただ、戸数が大きいと、人々の、注目が、全体にいきわたらないので、勝ちたい人の欲求が勝ちすぎるという弊害も起きにくいのですが、総戸数、180戸というのはまことに微妙で、情報が、全体に、瞬時にいきわたるので、まずくすると、大変まずくなるという場所でもあります。特に悪いことが、瞬時に伝わります。たとえば、ある家の、お母さんが4歳と五歳の男の子を置いて、家出をした・・・・・仕事時代の上司と、不倫の関係が続いていて・・・・・などということがすぐ伝わる場所です。

 私は、そういう勝気な女性に狙われてね。嫉妬の対象になったので、息苦しくて、逃げ出しました。ほかの人にとっては、ローンを組んだりして、入居後、10年以上は転居できないというところでしょうが、私はそこが、親の持ち物だったので、横須賀、北久里浜の方で、ローンを組んで、一戸建ての住居に転入したわけです。でね、その後は、横須賀では、その種の嫉妬心は、より緩やかでした。それなのに、もっと、洗練されたマナーの場所だろうと、推察して、引っ越した、この鎌倉で、東本郷時代の、勝気な主婦軍団のマナーと同じものを、すでに、40代になっていて、中学生を持っているお母さんが、見せたので、びっくり仰天をした次第です。

 30代の主婦が、やっているのと、おんなじことが、ここで、再現をされているのに、びっくりしたのです。子供を育てるにつれて落ち着くということが、ここでは見られないので、驚いたのです。

 しかし、ここ、鎌倉では、主婦としての近所づきあいをしないのですと、豪語している私も、その東本郷では、子供を二人産みましたので、ヤングママとして、べったりと、近所づきあいもやっていたのですよ。毎日、五六時間、ママ友と一緒でした。会話は、ひどく哲学的なものでしたよ。言葉遣いは平易ですが、内容は深いものでした。

 その時の友達は、お子さんを二人とも医者にしました。これはひどく重要な話なのです。私は、この鎌倉の井戸端会議の内容の空疎さと、くだらなさにびっくりしたのですが、はっきり言って、威張りかえって、いた前田家で、坊ちゃんが、医者にならなかったでしょう。やはりと思いましたよ。母親が、くだらない時間を過ごしていたら駄目です。しかも、その井戸端会議で、私の土地を実質的に盗む結果となっているのですよ。それで、どうして、神様にご支援を頂けるだろう。

 私は、ここへ引っ越してくる前は、決して、孤立化していたわけでもないのです。子供が小さいと、すべての母親は、近所づきあいをしないとならないのです。よく、小学校の時から私立へ入れようと、お受験に取り組むような主婦がいる模様ですが、それは、こういう中低層団地では無理だと思います。お子さんが、それこそ、村八分というか、孤立化するので、かわいそうです。

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副題3、『マンションでは、公団とは、違った生活スタイルが確立したらしいが』

 この章だけ、下へ独立させて、分離させました。

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副題4、『増・改・築ができないとは、変だぞ』

 私は、自分がオオ損をしているからこそ、特別に感性が鋭くなっていて、忌わしい事にはすぐ気が付きます。『それは、不自然だぞ』と思うわけです。

 で、今、増築ができない事になっているそうで、これが、変だぞと思っているのです。そして、それは、たぶんですが、例の通り、鎌倉エージェントの一人である、井上ひさし(この人はまだ生きています。地下潜行して、ありと、あらゆる、諜略的ニュースを考案していると見ていますが)が、提言をして、建設省(=今の国土交通省)が決めたのでしょう」と思っていますが、これって、庶民いじめの法律です。

 一応、責任者がいるでしょう。法案の提出者等。それがだれか、皆様も関心を持って、突きとめてくださいませ。

 たまたま、上の土地もとてもお若いご夫婦が買いました。そういう風に、お若い人が、土地を買ったら、その次には家ですね。ただ、最初に小さい家を建てて、次に、子供が生まれたら、増築すると、三段階に出費を分ければ、とても楽に家を持つことができます。こういうやり方の、方が、実現できる、夢が持てます。最初の土地への投資に一千万円。次に、平屋で、1LDKの家を建てて、15坪で、1200万円使う。次に、子供が中学生ぐらいになったら、二階や一階へも、増築をして、あと、二つの子供部屋と、親世代が、来たときに、宿泊が可能な、和室も建て増す。それに、1200万円と継ぎ足していけば、10年ごとの出費となり、とても、スムーズです。

・・・・・と、こういう流れが理想的だと思うのです。

 この我が家のある土地、鎌倉雪の下は、連綿と述べているように、安野夫妻という、人々が、引っ越してきて以来、他の住人の中に、ノイローゼが出たり、引っ越して行く人が出たりして、入れ替わりが激しい一帯です。で、何度も、売り物の広告のチラシが、わが北久里浜の家に入って来たのです。で、一回目は、現在は、浅野家が、住んでいる、家を見に来たものです。

 ところが、そこは、敷地いっぱいに、家が建っていて、しかも、すでに、床が傷んでいたので、・・・・・これは、浅野家の前の住人が直したと推察していますが・・・・・買わず、二度目に見に来た時に、東側に、広いスペースが、更地として、残っている今の家を、増築ができる家と見て、買ったのでした。  増築ができるぐらいですから、もともとあった、古家は、18坪と小さかったのです。

 で、連続してお読みいただいている方には、我が家が、とても、小さいので、小馬鹿にされた可能性はあると、申し上げてあります。だから、土地を盗まれたり、崖を勝手に他人に崩されたりしたのだとも申し上げてあります。

 しかも、外壁がトタンですから、とてもみじめには見える古家です。だけど、そんなことを理由にして、土地を無断で盗まれたり、崖や山を無断で、崩されることは容認はできません。それは、当たり前の話です。

 でもね。その、ばかにされた原因である、小さな家に増築をしました。当初の予定通りです。大変高価な建築費をかけて、15坪分、増築しました。で、総坪数は、33坪に変化しています。これですと、他の家と、大差ない大きさとなります。その増築後は、前の前の会長のA氏など、「あれっ」という感想を持ったみたいです。それから、先のことは、前々報に書いてありますが、ぐっと、見直ししてくれ、柔軟に態度を変えてくれて、あまつさえ、尊敬してもらえる様になりました。

 人は、単純な見かけで、上下関係を作り上げるものだと、わかりました。

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副題5、『増築ができないというのは、私をいじめるために、できた法規でしょう』

 2012年の、秋に私たちは、二度目の普請を、今のこの家で、やるつもりになって、上に書いた古家部分を壊して、そこに、新築する予定を立てました。今の法規だと隣地とは、50センチの距離だけ離せばいいそうですから、以前の18坪より、大きく22坪以上の、新築部分が、建てることが可能で、

 たった、4坪程度の差でも、図面上は大きな差が出るので、二階にトイレが作れるか作れないかの差になるのでした。で、新しいトイレの施設や風呂の施設、窓枠のトレンドを探りに、平沼橋の、住宅展示場に向かいました。

 今、就職先として、大変人気のある会社であるらしい、一条工務店と、スエーデンハウスでは、その注意は出なかったのですが、アイダホームという会社と、木下工務店では、「増築ができない。そういうケースでは、リフォームしかできません」と聞いて、びっくり仰天です。

 丁寧に、説明を聞きましたが、理不尽極まりない理由でした。すぐ、ピンときました。これから、いろいろ、丁寧に書いていきますが、これは、私の文章を精細に研究している、井上ひさしが、この家の、改良ができないようにするために、急きょ、作りだした案である可能性は強いです。

 急きょといっても、昨年というわけではなくて、私が「家を増築してうんぬん、かんぬん」と文章に書いた途端に、急きょという意味です。

 しかし、これは、大変に変な話です。表向きは、防災、特に耐震技術を高めるためと言われていますが、リフォームなら、いいといっても、リフォームの方が耐震機能が高くなるとは言えないのです。新しく新築する部分には、前の工務店も、今お願いしている工務店も、新しい柱を、添え木として、かぶせて下さるので、補強はさらになされて、しっかりとして来ます。

 この増築がだめだ。耐震構造が弱くなるから・・・・・というのは、すべて、机上の空論で、この国をひっかきまわす、井上ひさしあたりの発案でしょう。絶対に、実情からずれている法規です。

 私は、本当にやる事がいっぱいありますが、この法規がいつ、誰によって国会に提出されたかは、きちんと調べておかないといけません。

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副題6、『そういえば、達増知事は、岩手県民の、復興への意欲を阻害しているが』

 実は、最近は、除染の事でもなんでも、3.11の事後処理が不透明になっているというか、何というか、真実や、本質からひどく遠いところで、論議されていて、被災県民が、幸せになる事へ、道がますます遠くなっていると感じます。

 フェイスブックをやっている最中ですが、岩手県、盛岡市で、タウン誌を発刊している高橋某という女性から、何度も私の投稿に対して、見当はずれな、ご注意が来たのですが、

 「それは、もっと、言葉に気を付けてください。被災民に対して失礼ですよ」と言うものでした。だが、すぐ裏側がわかったのですが、これこそ、鎌倉春秋という大きなタウン誌を発行している、伊藤玄二郎が、業界人固有のコネを使って、小さなタウン誌の編集長を、動かしたケースです。私の、文章から読者を引っ剥がすことを目的で、高橋某女史を動かしたのでした。

 高橋某、女史のコメントだけを読むと、いかにも私がきつく見える、・・・・・だから、読者が離れて行くという事を狙ったものだと、推測しています。

  私は書くことで、この国や、国民に役立つ方向を目指しているわけですが、そういう方面で書いた文章の中で、もっとも、価値が高い部分は、3.11に対して、どういう風に、被災者は、ふるまったらいいかについて提言をしたものでしょう。

 それは、すべて、「新しい地域で、新しい生活を組み立てなさい」と、言っています。でも、それを言うと、原発の、本質が、国民の目にさらに、明らかになり、政府の責任は問われるし、核燃料を売り付けている、そちら側が世界の権力のすべてを握っているのだという真理も明らかになるので、絶対に、発言をさせまいとして、フェイスブックにも入れなくなったわけですが、別に、この高橋某女史による、攻撃も、その一手でした。

 今は、被災民自身が、「本当の事を言ってくれ」と、切実に願っている模様ですが、そこに住むのは、やはり、おやめになった方がいいですと言う事です。広島に、放散された量よりもはるかに多くの死の灰が降った可能性はあります。そこを、避けて、違う地域に住む方いいと、言う方が、ぐずぐずと、帰還を期待させる甘い言葉で引っ張って置くよりも、ずっと親切なものなのだと自負しています。ただ、現実には盛岡に住む高橋女史から、激しい攻撃を受けるわけです。

  今頃になって、NHKニュース内では、沿岸部の、福島県の被災民が「本当の事を言ってくれ、私たちを迷わせないでくれ」と言っていると、伝えていますが、最初から、はっきりしているのです。ほかの地域に住んだ方がいいのです。そこは捨てたほうがいいのです。

 除染をすれば大丈夫だなどという言葉は原発関連の産業を多数内包しているフランスや、日本の重工業を救いたいための甘言にしかすぎません。はっきりと厳しいことを言う人の方がはるかに親切なのですよ。

 そういえば、あの被災三県で、もっとも県民の意欲を阻害しているのは、達増岩手県知事です。何か、都市計画を盛り込むつもりだそうで、沿岸部に、自由に家を、建てられないのだそうです。悪政極まれりです。

 その裏に、こういう事情が隠されています。

 小沢一郎という政治家は、この各燃料を売り込んでいる、国際的軍産共同体には、最もかわいがられている政治家です。で、彼には、私のブログの内容は、逐一入っていて、そこに書かれていることとは、反対の、行動をとるように進言をされているでしょう。

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副題7、『小沢一郎氏は、二週間後に、背広で現れて、なぜ、収束できないのだろうねと、言った。なにも知らないのだ・・・・・と、書いたから、このいじめるだけの都市計画が、発生した』

 私は、ニュースを見ていて、3.11後、姿をくらましていた、小沢一郎氏が、やっと、2週間後に姿を現して、「どうして、収束ができないのだろうね」と、テレビの中で、発言をしているのを見ました。すぐ批判を開始しました。原発の、破損など、そんな、簡単にできるものではないです。彼は、一王敬王y大学卒のはずですが、普段、何も考えておらず、勉強もしていないことを明らかにしています。・・・・・と、書いたので、俺は、しっかりやっているのだと言いたくて、上にあげた、三陸海岸の、復興について、元の持ち主が、そこに家を建てるのを、阻害しました。復興後の、都市計画ができるまで、建ててはいけないということになったのです。

 で、人々の原初の息吹と、意欲を阻害しました。石巻へ行って、すさまじい被害の後を、日和山から、見てみましたし、下へも降りていきましたが、岩手で、復興が進んでいないのは、ひとへに小沢氏の、自己顕示欲と、そこから来た、役に立たないアイデアのせいなのです。

 また、達増知事というのが、東大出身ですが、偏差値秀才は、本当は頭が悪いということの典型なのか、それとも、クラスの優等生は、いじめっ子には弱いというのの、典型なのか、小沢氏にべったりですから、すぐ、そういうアナウンスを出します。したがって、岩手県民の、復興意欲は大いに疎外をされました。意気をくじかれたのです。そして、救援年金をあてにするような乞食根性に堕してしまいました。政治が悪いと、人間が不幸になるという好例です。

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副題8、『規制緩和が求められているが、ばかげた規制が発生する理由を、これから語りたい』

 規制緩和が求められています。安部内閣は、受動喫煙と、分煙制度への緩和策を、持ち出したらいいです。それは、小さな喫茶店や、レストランは、大弱りの悪法ですから。

 そして、増築も自由にできることにしたらいいのです。その方がずっと理にかないのですから。その方がずっと、強い建築ができて、耐震的にも得なのです。そして、工務店も、地域ごとにいる、小さな工務店・・・・・(それは、プレハブ業者よりはるかに丈夫で、いい家を作ってくれるところなのですよ)・・・・・・も、仕事が増えて、安部内閣も、それこそ「底辺から、国民の生活を向上させてくれた」といわれ、感謝されるでしょう。

 今のような放棄ですと、プレハブ業者の方がダントツ有利です。古家を全部壊さないと、増築ができないとなれば、ほとんどの家は、今まで住んでいた家を、一回更地に直し、どこか、別の住まいに、移転をして、新築をし直すことになります。それは、実は、こう法的に簡単なのです。それよりも、家の一部を壊し、本当に必要なところだけに、増築をするということを許せば、そういう工事は小回りが利いて、建築の技術を深く、かつ高く持っている、大工さん(今は名目は皆さん、工務店と、名乗っているが)に依頼できるし、その方が、丈夫な家を作ってもらえます。

 ところで、この増築をしてはいけないという規制も、一条工務店と、スエーデンハウスでは注意項目としては、出なかったのはなぜかということですが、そちらでは、プレハブ会社の中でも、単価が高い方なので、元の古家との、合体技術が高いのだと感じています。そういうプラス費用を嫌がらないと見ました。しかし、単価が安いプレハブ業者では、そういう作業を嫌がるのだと思います。

 ところで、私は不当な弾圧を受けていて、しかも、それは悪人どもが、自分が過去になした悪を暴かれたくないからだとわかっているので、怒り心頭なのですが、

 上の、増築はできないのだというのも、抜け道はむろんあるわけです。それは、壊さない部分の家が、構造的にしっかりしていれば、問題がないということらしいのです。

 我が家の場合、20年前に増築した部分は、ひどく建築費が高かったし、見ていても、太い柱を使っていますので、開けてみれば、絶対にそこに増築して大丈夫という建築だと思います。

 それは、今、仕方がないので、増築ではない、リフォームの形でお願いをしている立派な大工さん・・・・・昔は宮大工だったらしい・・・・・の方も、太い材木を使ってくださっているし、見る目もあるので、大丈夫だったと思います。が、もし、壊して、だめだとなったら大変なので、壊さないで、リフォームという形で、工事を進めています。

 だから、こういう法規がありますよと、皆様にお知らせをしても、増築が大丈夫な家は多いでしょう。だって、一部増築して、家を広くした家など、日本じゅうにいっぱいありますよ。急に増築をしてはだめだという法規ができたなんて、非常におかしいことなのです。

 アイダホームと、木下工務店の、説明スタッフは、特に、アイダホームの方は、不親切だったが、それだけでは、駄目ですよ。きちんと、政府に抗議するような運動へ持っていかないと駄目です。そうでないと、足達ホームが安普請だからと、顧客に見抜かれてしまいます。確かに、足達ホームは、2クラスの値段設定をしていて、安い方は、業界随一の安さで、テレビ広告でも、555万円で家が建ちますと言っていますが・・・・・

 で、ともかく、仕方がないので、リフォームという形で、工事をお願いをしているところです。

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副題9、『お砂糖の貸し借りの件で、すぐ、継母だとわかったが』

 連続してお読みいただいている方は、私が、この近辺の井戸端会議をどれほど、嫌がっていたかをご存知です。それが、原因で、崖を崩され、土地を奪われたのですからね。ところで、それが毎日行われていた場所は、我が家と、高低差、12,3メートル、水平差、12,3メートルのところでしたが、道路でした。

 その内容が、前田夫人という人の内容だけは、明瞭に毎日聞こえるのですが、大学院を出ているというのに、低級な内容で、うんざりしていたのです。

 でもね。彼女たち、かしましい主婦グループは、そこに出てこない、藤本夫人や、私のことを不器用で弱いから出てこられないのだと、誤解をしていた可能性があります。

 一度、安野夫人が、我が家へ、「お砂糖を貸してください。今、子供の友達が来ているのだけど、お砂糖がなくて」といいに来たので、そのように推察しているのです。お佐砂糖云々は口実であって、引っ越してきてから、彼女の主催する、井戸端会議に出席しようとしない私が気にかかって、気にかかって仕方がないから、誘い出すために、彼女としては、自分が折れたつもりになって、誘い水をかけよう。そういう意味で仲良くなろうと、言うサインだったと思います。

 私だって、それは、すぐにわかりました。が、ぞっとして、はっきりと、「私はそういう感じのおつきあいを、ここでやるつもりはありません」と断ったのです。それはね。主婦の経験が、少ない女性にとっては、驚天動地の、失礼なことであり、きっと、安野夫人は、自分の普段の、井戸端会議の仲間に、ご注進ご注進という形で、悪口として、エピソードを広めたと思います。

 だけど、これこそ、私が、彼女が本当のお母さんではないと見破った最初の、きっかけだったのです。し、ともかく、人は一人一人考え方が違うのは当たり前であって、安易にお砂糖を借りに行ったりしてはいけないのです。それは、だれにとっても、真実ですよ。

 まず、自分の子供にお客が来たから、他人の時間をディスターブしていいのだと、言うのは、ある意味で、ひどく善良みたいですが、子供が中学生にもなって、他人に言うことではありません。赤ちゃんの時は子供はかわいいです。天使みたいです。で、子供が生まれたことの本質的な意味が、薄められていますが、子供とは夫婦のセックスの結果、女性の股から生まれるものであり、その家の、一種の生命保険として、親にとっては大切なものですが、他人にとってはどうっていうことのないもので、私のように常に集中して勉強している者にとっては、大っきらいな、安野夫人の子供のために、どうして、私の勉強時間が邪魔されないといけないのですか?という類の存在でしかないのです

 それでも、こどもが小さいうちは、勘違いするお母さんはあるのです。子供ができたことに有頂天になっていて、ご自分が、いかにもおおごとをなした大切な人間であるかの如く勘違いをするタイプです。

  だけど、プレ幼稚園、幼稚園、小学生期、の十二年間も、母親業をしていたら、とっくに、そんな態度は反発を受けていて、やってはいけないことだと、わかっているはずなのです。それが、わかっていない。そこで、まず、この人は実母では無いと、気がついたのですよ。ただ、ただ、子供にとって、とてもいい母親でありますというお芝居をしている女性でしか無いのでした。

  あのね。本当に、やさしくて、いい母親なら、お菓子は常に自宅に、用意されています。お砂糖も切らしているなどという事はありません。でも、万が一、お砂糖が、切れていたとしても、別に紅茶やコーフィーを出す必要もないのです。夫の会社の上司ではないのですから。

 後で、申し上げますが、私は幼稚園のPTA会長をしていました。それは、我が家にいつもよその子が来ていて、子供好きでエネルギーレベルが高い母親だったから、自然と、人目に立って他を圧倒したからもありますが、ともかく、子供には、自分の子供にも他人の子供にも、大勢触れて来ていますので、お菓子が家にないとか、お砂糖が家にない生活など、考えられません。そのうえ、もし、その依頼が、私を巻き込むための策略ではなくて、本当にお砂糖がないとか、本当にお菓子もない様な、不用意で、だらしのない家だったら、それこそ、付き合いたくはありません。そのあとでは、一生を彼女に振り回され、忙殺されるか、または、時間の使いかたの自由なんて、一切補償をされなくなる生活となるでしょう。

  しかも、母としても『馬鹿じゃあないの?』と思いますよ。お砂糖なんかなくたって、お菓子と水、または、お菓子とお茶だけで、接待できるでしょう。それも、用意がないのなら、自分で駅まで行って、買って帰ってくればいいじゃあないですか。「ただ、ただ、自分は、非常に深く子供を愛しています」と、他者に言いたいだけなのです。それが見え見えだけど、こどもの年齢が中学生にもなっているのに、そんな態度はおかしいです。すでに、反抗期が始まっているのに、お砂糖のために、お隣をわずらわすほど、子供じみていて、かわいいなんて、普通ならあり得ない段階ですから。

  しかも、それ以前にも彼女がハタ迷惑極まりない、井戸端会議を開くことを見聞し、その意味を考えてみて、すでに、『この人は、この町に引っ越してくる前に、主婦経験が無いな。なにもわかっていませんね』と思っていたから、その訪問を本当にいやな事として受け取ったのです。

  それは彼女がこれほど、家が少ない環境で生協を始めた事からも、ずっと前からわかっていた事でした。生協側も最近では、だんだんわかってきて、個人で入れますと変化していますが、初期には、班制度があって、班を組織しないと配達してもらえない仕組みでした。だが、ものが足りない時期ならともかく、班制度が持つ煩わしさが、やがて、地域社会でトラブルを引き起こして行くのが、わかって、生協そのものが、班制度を取り崩して行くようになるほどです。それも、ベテラン主婦なら、みんな知っている事であり、ここみたいに、戸数の少ないところでは、絶対に始めてはいけない事でした。

  都会の生活人とは、別にテレビドラマ、(安直なホームドラマであり、英語で言うと、ソープオペラといわれるもの)で、規定をされているわけではないのです。それぞれの、個人生活はまるで違っているので、どこまで、他人の生活に関与していいか、いけないかは、賢い主婦なら、子供が中学生になる頃までには、すっかりマスターしているものなのです。

 それにね。お砂糖の貸し借りなんて、実家のある日吉だって、だれもやっていないし、横浜東本郷の、集合住宅だって誰もやっていないし、横須賀、北久里浜の通称池田団地だって、だれもやっていませんよ。ましてや鎌倉の一戸建て住宅ですよ。安野夫人というのは、どういうお里の育ちだろう。と、呆れかえりました。

 ほかに、午後の一時まで、島森という書店で、息子が、マンガを読んで、時間をつぶしていたら、「子供が行方不明になりました」といって学校へ電話をかけて、先生方に探させた件、とか、

・・・・・・・これはね。午後の一時だったら、本当の母親は騒ぎ出しません。子供とのコミュニケーションが取れているので、しかも、信頼があるので、『あ、どこかで遊んでいるのだろうな、中間試験も終わったところだし』と思うだけです。どうしても心配だったとしても、先生に探させるようなことは致しません。自分の子供だもの、自分で探しに行きます。何度も言っているように、子供とは、自分たちのセックスのせいで生まれた存在で、将来は、生命保険や年金の肩代わりをしてくれる存在だから、他人の手を煩わせる存在ではないからです。それが全く分かっておらず、いかにも親切で、愛情深い母親だと、他人に見せつけることが第一番の願いのようですね。だけど、それが、変だから、どんどん、継母だなとわかってくるし、

 そのうえ、略奪婚だとも、わかってくるのです。

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副題10、『息子が、リンチ事件の加害者の一人なのに、何も知らない安野夫人』

 うちの子が、引っ越して来てすぐ、リンチ事件の対象になったらしいのです。読者の皆様に対しては、申し訳ない言い方ですが、見かけ上の、恰好がいい子なのです。声の質は悪いが、人の気は逸らさないし、結構、素敵な子です。それで、「目立つリーダーとならないうちに、しばいてやれ」ということとなったらしいのです。場所は、我が家の近所でしょう。大人に気が付かれないで、そういうことのできる場所はいっぱいあります。森の中に住んでいるわけですから。

 で、ワイシャツとおズボンに隠れているところは、棒などで、ひどく殴られて、傷だらけで帰ってきたそうです。洋服の外へ出ていて目立つところは傷つけないそうです。

 だけど、そのいじめが、その後、尾を引かなかったらしくて、その日だけで終わったみたいなのは、うちの子が、たった一人で反撃して、相手三人をやっつけてしまったから、らしいのです。それで、それ以降の日々、いじめられることはありませんでした。

 私ね、子供に対して、中学受験を、一生懸命面倒を見てやらなかったことは申し訳なく思っています。うちの子の世代は、子供の数が多くて、大学の受験が大変でした。でも、子供の時から、十分に遊ばせているから、こういう時に助かったのです。男の子としての身動きが機敏なのです。それに、気迫もあるでしょう。で、少年同士の対決としては、一対三でも、負けなかったらしくて、その姿は安野君の尊敬を勝ち得たらしいのです。

 ただ、うちの子は、男の子、特有のマナーや、品性を持っている子であって、何も語らないので、一切を知りませんでした。ところが、彼が二十七歳になった時に、安野夫人から電話があって、「うちの子が、お宅のお子さんに、絶対に逢いたいと言っていますので、ぜひ、何月、何日にはお宅で待っていてください」といわれました。で、息子にそれを言うと、「ふーん」といって、その約束の時間の前に、外出してしまいました。

 うちの子は、安野君については、「学校では、一種のペットになっている」と言って、いろいろ、面白い話を打ち明けてくれていましたので、<こちらでは、相手を友達としては、眼中に入れておらず、久しぶりに会いたいといわれても、遊ぶ気にはならないのだ>と私は考えて、「待っていなさい」とも言わなかったのです。

 やってきた安野君は、二人連れで、私が「うちの子は今出かけていて、家にはいないわよ」というと、「チッキショー」っとこぶしを握りました。ひどく、悔しそうでしたが、私はうちの子を信頼しているので、安野君に何か、悪さをしているはずもないので、ただ、黙っていると、彼ら二人は、残念そうに帰っていきました。でも、その訪問の意味を後で、知って、私は安野君を見直したものです。彼は就職して、自信を持って、勇気も持ったのです。それが、謝罪をして仲直りをしておこうという気持ちにつながったのでしょう。いい子です。

 丁度、そのころ、彼は自宅の屋根のペンキ塗りをやって、勤務先へ帰りましたので、すごく成長した、いい息子さんとなっていました。

 その三年後、二十九歳で、娘がお嫁に行くことになって、夜、私は二人で、いろいろ思い出を語り合いました。その時に、このリンチ事件の話が出て、びっくり仰天です。私は鎌倉へ引っ越して来た直後は、塾の先生をしていて、夜、自宅にはおらず、主人は松坂に単身赴任中だったので、中学一年の娘と中学二年の息子だけで、知り合いもまだいないこの鎌倉の、しかも前のうちよりも小さくなった家で、どんなに不安だったろうかと、かわいそうに思いましたが、そのうちあけ話を聞いた時点では、すべては過去のこととなっており、わが娘もすべてを語りつくして、思いを残さず、家を出て行くのでした。

 そのあとで、息子も結婚をして家を出ていきました。ただ、息子の方は、結婚式を前にして母親と、何かをしんみりと語ることはありませんでした。が、式や披露宴のすべてを終えた後で、「お母さん、横浜のパシフィックホテルのB1の宴会場の前で、「一緒に写真を撮ろう」と言ってくれました。二人だけが写っている写真で、かれは、とても明るいいい顔をしています。きっとそれで「ありがとう」という思いを、伝えてくれたのだと思います。男の子というのは、そういうものなのでしょう。そして彼はいまだにリンチ事件のことは一切語りません。

 ただね、私の方は当夜は、家にいなかったのです。だけど、安野家では、専業主婦の安野夫人は家にいたわけですね。一対三なので、うちの子の方は、彼らにズボンの中とか、ワイシャツの中とかだけを、傷つけられていたそうです。だけど、うちの子の方は、一人で、必死で防戦をするのですから、抵抗する相手の、体のどこかの場所を選んでいる暇などは無いでしょう。すると、相手が顔を前に出せば相手の顔を殴ったりした可能性もありますよね。それを、専業主婦で、家で、待っている、安野夫人がどうして気が付かなかったのだろう。不思議です。

 その前のエピソードで語っているように、一時間帰りが遅くなっても、学校へ・・・・・形としては、優雅ではあるものの、・・・・・・実際には・・・・・・怒鳴り込むに等しいことをする安野夫人が、どうして、黙っていたのだろう。不思議です、そういう事件を重ねていって、私は彼女が、お子さんについてどれほどの深いレベルで、何も知っていないかを知り、継母だと確信をするようになったのです。

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副題11、『海上保安学校(舞鶴)って、通信簿が、1と、2でも、入学可能なのかなあ?』

 で、もうひとつとても、重要な話があるのです。それは、国立大学付属高校ご入学おめでとう事件というので、石川和子さんが、けれん味いっぱいの、お芝居をしたケースですが、後ろに瀬島隆三か、その手下としての、伊藤玄次郎が隠れている話です。それなので、ひどく長くなりますので、本日は詳細を、語りません。だが、二十六年以上前から、彼ら(=国際的軍産共同体のエージェントたち)が、私の周辺で、暗躍していたということが、その話で、確定します。

 ところで、ここで、国立大学付属高校というのは、実際には、海上保安学校を指します。安野君は、そこへ入学をしたのです。ただ、「おいっちに、おいっちに、の安野君」っていうことで、御成中学では、とても、有名だったので、海上保安学校って、そういう成績でも、入学が可能なのかなあとは、不思議には、思いますが・・・・・・

 つまり、上の呼び名は、愛称ですが、「通信簿で、1と、2がとても目立つね」というので、有名だったのです。それでも、海上保安学校は入学ができるのかと思いますが、

 一方で、通信簿とは別に、内申書というのがあります。私はね。最近の、彼らエージェントたちのやることの異常さを見ていると、内申書で、下駄を履かせたのではないかと見ています。たとえば、1、と、2が多かったとしても、それを、3、と、4に変更してしまえばいいのです。

 神奈川県内の高校に入学する際に、そういうことをしたら、他の子との対比で、すぐ、策略が分かってしまいます。子供たちの間で、大評判になってしまうでしょう。でも、舞鶴だと遠いですよね。それに、神奈川県から入学しようとする子はいないのではないかなあ? となると、いいようにできますよね。

 そういう可能性も感じています。この件はものすごく深い問題を含んでいるので、あす、もっと丁寧に語ります。

 私はね。安野夫妻には、浅野家の令嬢の携帯を利用して、頭に水をぶっかけられそうになった以外にも、ひどいことが山積するほど、いじめられているので、上のことを語ることに対して、一切の良心の疾しさは感じません。本当にひどいことをやられ続けていて、現に、アジサイ畑を私は使えないのに、彼らは、南側も、北側も、私道部分を全部、使っていますからね。ひどいものです。そして、こちらは、崖を無断で壊されているのに、鶴岡八幡宮は、数十万円をかけて、単に安野家の日当たりを良くするためだけの高枝はらいを、「鎌倉市の防災無線の音を通りやすくするため」という口実で、やってあげているのでした。ああ、のんきだね。あ、は、は。

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副題10、『安野家を、大変暗い家だと言いきっているのは、この海上保安学校への入学も含めての話です』

 神奈川県では、輪切りといって、内申書の書き方は、非常に厳密なはずです。それは、普通ですと、三年生の三学期の成績だと考えられますが、違うはずです。でね。どう考えても、海上保安学校への入学が不思議で仕方がない部分があるのです。

 あの子がどうして、舞鶴にあるその学校を見つけてきて、親に向かって、僕そこへ行きたいというだろうか? そんなお子さんではないと見えます。反対に、親が見つけてきて、それに、唯々諾々と従ったのでしょうか? 普通だと、鎌倉の友達を離れて、しかも、寮生活、しかも、繁華街とは遠い辺鄙な場所にあると聞いたら、あの時分の鎌倉の中学生が、はい、行きますと、言うだろうか? 普通なら、「僕、そんな学校へは、行きたくない」と言い張るはずなのに、「いきます」と、子供が言ったらしい。不思議な感じがします。いまでこそ、公務員は、とてもいい仕事です。一生安泰です。だが、あの当時は、お金があれば、大学へ行くというのが普通でした。

 安野家は、お金があるでしょう。その直後かな。総ヒノキ(または、ひば)造りで改築しましたよ。まあ、継子だから、遠くへ追いやったのかな? それって、反抗期も一切経験しないらしいので、母親としては、本当に楽な親業でしたね。と、言いたいです。・・・・・というのも、三人の、思春期の子供がいるのに、親子げんかの雰囲気が一切ないのです。

 特に、午後の一時ごろ、安野君が、島森書店で、漫画を読んでいた日に、学校の先生を動かして探させたそうですが、それは、うちの子が知っていて教えてくれたことです。うちの子が、ちゃんと自宅へ帰って、私に顔を見せて、お昼を食べた上で、自転車で、図書館へ行こうとしていた時に、御成中学から、先生方が、血相を変えて、4,5人、自転車で降りてきたそうです。そして、うちの子に向かって、「安野が、行方不明になった。お前も探せ」とおっしゃったそうです。

 で、そのまま、自転車に乗って、海岸の方へ行って、あっちこっちを探した上で、図書館まで戻ってきたら、先生方も戻っていらして、安野親子ったら、しょうのない連中だ。島森で、漫画を読んでいたのだ。なんで、私たちが探さないといけないんだ。ばかばかしい」と、ぷんぷんしていらっしゃったそうです。安野君が誰にでも、からかわれるのは、こういうお母さんがいるからでしょう。だけど、安野君に、「おかん、やめてくれ。みっともない事をするのは」と、親子げんかをしている雰囲気がまるっきりないのです。この日だけは、そのぐらい言わないと駄目です。だが、しーんとしていましたね。不思議で、不思議で、仕方がなくて、それも継母だと確信した次第ですが、・・・・・・

 子供たちは、誰も、安野君が、海上保安学校へ行ったことを知りません。だが、私が知っています。どうして、それを知っているかというと、「国立大学入学おめでとう」事件というのがあるからです。

 これが、本当に面白い事件なのですが、あと、二万字制限に対しては、250字しか、字数が残っていません。とてもではないが、そのエピソードは、書けません。で、別章で、書きましょう。この文章はここで、終わりとさせていただいて、続きますと、させてくださいませ。

 さて、この文章は、一貫した流れの中にあります。そうタイトルは、八幡宮の大広告の4といたします。

 そして、この章で、何が本当に言いたいのかというと、入試、特に税金で運営されている学校に、情実やら、裏があると、日本という国家がズタズタになるということなのです。

  以下、続きます。なお、このブログの2010年から数え始めた述べ訪問回数は、1562601です。

                     2013年3月26日 雨宮舜  (本名、川崎 千恵子)

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マンションでは、公団と違った形の生活スタイルができたと聞いているが。

2013-03-25 01:41:47 | 政治

副題3、『街中のマンションでは、違う暮らし方が、開発されたらしいが』

 で、上にあげた公団形式の、集合住宅とは別に、独立した、 形式のマンションも、1980年代以降は、数多くできましたね。これは、庭がないので、自然には恵まれていないのですが、近所に公園があったり、駅に近 かったりして、住む人が多くなったと推察しています。で、多摩ニュータウンが、人気が落ちて、ゴーストタウン化してきたとも思われます。

  で、本来なら、総戸数が、東本郷住宅より、もっと小さいところ(20~60戸)は、さらに気まずい環境になりやすいと思われます。ところが、マンションの 住まい方については、住人が、公団とは、違った意識と、違ったスタイルで、向かった模様で、あまり問題が起こらず、今も引き続き、マンション人気は高い模 様です。だから、マンションに住む限り、上に上げたような、3歳児で、お受験に励むというような生活も可能になると、推察しています。つまり、個性を生か せる、生活スタイルが可能だと見ています。

 でもね、私は、トレンドとして、マンションの、人気が高すぎるのは、やがて、再びの反動が来ると思っています。で、一戸建ての人気が再び復活して来ると見ています。

 そのうえ、私は逆ザヤを張るのが好きで、現在のトレンドには乗らない方が、いいのではないかと考えている人間で、今は、マンションが優勢だからこそ、一戸建てが安いので、一戸建てを、選択なさったらいかがですか?とは、思っている人間です。

 特に、家あまりの時代で、空き家が多数あるので、一戸建てを買うにしろ、賃貸に住むにしても、一戸建てに住むというチャンスではあります。

  我が家の北隣の、旧藤本夫人宅など、正味40坪で、1000万円とか、1200万円でお売りになったと聞いています。安い。安い。鎌倉駅から、歩いて12 分ですから、超・お安かったです。ただし、2年前の売買ですが。石段がありますが、もっと駅から遠い場所で、50坪で、一億を越すお値段で、売っていたか ら、ここはお買い得です。

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