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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

原美術館・森村泰昌展と、映画『命の食べ方』 + 三島由紀夫の先見性△

2013-12-10 09:32:09 | 政治

 今は、12日の、午前3時ですが、やっと推敲を終わりました。真理と、変換されるべきところが、心理と、変換されていたりして、意味が通らなかったと思います。恐れ入ります。ただし、こういう類のものを書くと、疲労困憊してしまって、しばらく、液晶画面を見たくなるのです。睡眠時間は別として、せめて10時間は間を空けたいのです。で、遅れました。お許しくださいませ。

 副題1、『原美術館に、71歳にして、初めて行ったが!』

副題2、『映画、命の食べ方を、あなたは、すでに、ごらんになったでしょうか?』

副題3、『たった、一枚の写真にこめられた、現代文明に対する深い批評精神』

副題4、『三島由紀夫の、割腹の日の演説を再現した作品については、言及を避けたいが・・・・・チャネリングだけは感じるのですよ』

副題5、『2013年12月5日の、私はめちゃくちゃに、広い地域を移動をした』

副題6、『夕方の六本木は、切ないほど、さびしかった・・・・・そして、突然に、三島由紀夫を思い出す・・・・・彼はソドムとゴモラの市を焼き払いたかったのかな?』

副題7、『若い日に読んだ、川端康成と、若い日に、実物に出会った大江健三郎を、私は一切評価をしない』

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副題1、『原美術館に、71歳にして、初めて行ったが!』

 品川駅から、少し南側に下ったところに、現代アートの世界では、とても有名な原美術館と言うものがあります。「今日、初めて行きました」と言うことは、現代アートの世界に住んでいるものには、なかなか、言いにくいことです。(笑い)

 だが、品川に、午後4時以前に、到着するというのは、鎌倉発で、しかも、午前中にブログを書く事をやっている私にとっては、とても、難しいことなのです。しかし、最近は、銀座の画廊の訪問先の数を減らしていて、かつ、母の見舞いが終わったので、やっと、この手の、小さい、しかし、有名な、私立美術館を訪問する余裕ができました。

 と、行っても、品川駅構内の、ロッカーがどうしてか、途中で、故障をしてしまい、それで、10分ぐらい、無駄な時間をすごしてしまい、またもやぎりぎりになったので、歩いていかれる距離なのに、タクシーで出かけました。

 見る時間は、正味40分です。だが、非常に見るのが早い私には、十分です。特に、1996年と2007年の横浜美術館での個展を見ているので、今回の、レンブラントに取材した、カラー写真部門は、一種のデジャブーがあります。だが、最初の作品と最後の作品には、『うーむ』と、うなって、その二つを見ただけでも、よかったと思ったことでした。

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副題2、『映画、命の食べ方を、あなたは、すでに、ごらんになったでしょうか?』

 原美術館の、今回の森村泰昌個展で、最初の作品と、最後の作品は、現代に、リンクしています。そして、真ん中に、レンブラントとか、そのほかの、古い作品から発想を得た、作品が飾ってあるわけですが、その最後の作品は、作家も相当に、思い入れがあると、私には思われました。

 テレビなどの紹介でも、一切、この作品は出てこなかったので、それで、なおさらの事、作家の、「どうですか。僕は冒険をしています。新たな地平に、踏み出したのでよ。あなたは、これを、どう、受け止めますか?」と言う真摯な問いかけを感じました。

 そのときに初めて、森村さんの・まじめさ・と言うものを感知しました。

 彼の作品は、自らがレンブラント原作の中の人物に扮装して、写真をとり、それを、布の上に転写して、まるで古典的な、油絵のように見せる、一種のだまし絵であり、相当に知的な遊びであるわけですが、しかし、成功したアーチストとして、いざ、ここで、『自分の本心を打ち出しましょう』という覚悟を感じ取ったのです。

 だから、見に行って、よかったのです。

 他の私立美術館では、しいて言えば、箱根の、ポーラ美術館にびっくりしたことがあるくらいです。なかなか、満足ができないのに、今回は、この最後の作品、ひとつを見ただけでも、小さな美術館にもかかわらず、満足感を与えられました。

 いや、箱根には、彫刻の森と言う大美術館があるわけですが、それは、昔から見ていますので、ここに何かを、書く事は止めます。

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 ところで、ここで、一種の挿入ですが、はっきり言って、日本には、批評と言うものが成立していないと感じています。映画は観客の入りを狙っていて、筋の紹介程度でしょう。週刊文春他に載っている頁は、大体そうですよね。日経新聞では、相当な字数を使わせていますが、悪い映画については、取り上げないというだけで、やはり、ほめているだけのものが多いです。

 文学の世界については、触れないことといたします。専門家ではないので。

 そして、美術の世界に入ります。美術の世界、特に現代アートの世界には、回りまわっているお金が少ないです。したがって、世界が狭くて、ちょっとした言動でも、つまはじきになる可能性があります。

 これから、書く事は、森村さんに対する悪口でもなんでもないのですよ。だけど、悪口、または、礼儀知らずと誤解をされる、範疇に入るやも知れません。だが、大切なことだから、あえて、はっきりと、書きましょう。私は非常に勇敢だし、美術の世界のヒエラーキーなど、信じていない方ですから。

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 最後の作品を見たときに、私は、・・・・・森村さんって、映画『命の食べ方』を見たんだわ・・・・・と、感じました。ここが、上の挿入と、抵触するところなのです。作家の創作の原点とか、創作の秘密に触れて、それを、一般の人(いわゆる、素人さんといわれたり、大衆といわれたりする人々)に向けてさらすのは、失礼だとか、生意気だとか、いわれる可能性があります。

 が、そういう事を言う人たちには、『スノビズムには、反吐が出ます。芸術家を、真に理解するということは、甘い感性では駄目なのです。甘い言葉も、向きませんよ。本当はね』と、言葉を返しておきたいです。

 ところで、読者の皆様に、お問い合わせをいたします。あなたはその映画を、すでに、ごらんになりましたか? 絶対に見るべき映画です。食料品の大量生産の現場を取材していて、すごい映像が、次から次へと出てきます。また、早いテンポでね。特に、豚、牛、鶏などの、生産現場がすさまじいです。工場の映像など、すさまじいです。

 あれを見ると『シーシェパード(反・捕鯨運動)の、欺瞞性など、すぐわかります。

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副題3、『たった、一枚の写真にこめられた、現代文明に対する深い批評精神』

 さて、最後の部屋は、それ以前の、柔らかで暗い、中世風なインテリアとは、まったく異なり、煌々と、人工的で、かつ、真っ白な照明(LEDか?、蛍光灯か?)で、照らされた部屋となっており、そこにおいてある作品を見た時の、衝撃を、強めるためにか? 入り口にはカーテンが下がっていて、遠めには、何がそこにあるかがわからない形となっています。

 最初は、『そこは、スタッフルームだろう』と、誤解をして、私は、一回は、その前を、去ってしまったほどです。(笑い) そのカーテンを開けるのは、一種の罪悪寒を感じさせます。・・・・・間違えて、開けてしまった、カーテンの向こうには、乱雑な個室があった。・・・・・などと言う感覚に近いです。または、良く知らない女性の、寝室を、間違って、のぞいてしまった・・・・感覚とも、似ているのですが、照明が、煌々と明るいので、そこから先にあるのは、事前には、寝室とは、思いません。が、それでも、開けてはいけない部屋を、開けようとする感じ。

 入ると、円形の6畳程度の部屋に、大きなサイズの写真が一枚だけ飾ってあります。いや、飾るというより、展示をしてあるという風情です。その写真は、それ以前の作品とは、まったく異なっていて、甘さが微塵もないのです。だから、飾ってあるという言葉は、適切ではないです。

 そして、その写真を見ると、なぜ、作家が、カーテンを引いていたかがわかります。だけど、そこだけは、文章化してはいけないでしょう。なぜ、テレビ番組・日曜美術館も、この作品を取材しなかったかが、すぐわかります。

 ただ、私が衝撃を受けたのは、この写真だけは、それ以前とは、まったく趣をことにしているのです。遊びが一切ないのです。ただ、一箇所、顔に細工がくわえられていますが、そここそ、・・・・・私に言わせれば、もっとも、大きな文明批評であって、・・・・・・人間が他の生き物を犠牲にして生きている存在であること・の・・醜さ・・が、見事に象徴をされていて、心が打たれました。

 私はその日は、午後二時半から、大船で、こってりした中華料理を食べていたのです。だから、午後4時半には、おなかがまだ、いっぱいだったのですが、この作品の余韻に浸りたくて、4時半のオーダーストップぎりぎりにコーフィーを注文しておいて、もう一回、それを見に行ったのですが、ケーキも注文したのは、その最後の作品から、受けた感動を、じっくりと咀嚼したかったからでした。

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副題4、『三島由紀夫の、割腹の日の演説を再現した作品については、言及を避けたいが・・・・・チャネリングだけは感じるのですよ』

 最初の部屋の動画(または、映像)は、三島由紀夫の割腹自殺の日を再現したものです。これも、NHKの事前取材では出てこなかったと私は感じています。もしかすると、別の部屋で、何かの用事をしていて見逃したのかもしれません。が、自分としては、ここでは、事前の取材がなかったとして、文章を進めます。

 ここで、用語としては、普通なら、「論を進めます」というところですが、わざと、文章を進めますと言っているのは、この作品は、誰が見ても政治的、概念が、こめられていることがわかるからです。そして、私が何か言うと、必ず否定をされますので、何も言いません。感想も言いません。

 ただし、大きく、チャネリングだけは、感じるのです。先週、六本木に行って、新国立美術館って、もしかすると、三島由紀夫の割腹自殺と、その直前のバルコニーにおける演説の場所を、使って作ったのではないかしらと、感じて、いろいろ、モノを考えたばかりだったので、びっくりしました。なお、今丁寧に、グーグル検索したら、そちらは、正確には市谷駐屯地であって、六本木にあったのは、旧軍の施設ですが、三島が割腹自殺をした場所ではなかった模様です。

 しかし、六本木を歩きながら、三島由紀夫を思い出したことは確かだったのです。

 私は生前には、三島由紀夫を嫌いだったのですよ。マスコミにちやほやされる形で、自分を売り込んでいて、過剰に名声を得ていると感じていたのです。で、生前は一作も読みませんでした。死後です。『仮面の告白』を読んだのは。『オー。この人は、真実の文学者ですね。気の毒に。ああ、川端康成などとはまるで、違った人物です。川端康成が、自殺で、人生を終えているのはさもありナンといえるでしょう。こちらの、方がはるかに立派な生き様でした』と、思ったことでした。::::::::さもありナンと言うのは、ノーベル賞が川端康成にとっては、重荷だったと思われるからです。彼は、幼い頃の家庭的な不遇があるからこそ、これだけの栄誉をもらう資格があると思ってノーベル賞をもらったと思いますが、それでも、その栄誉と自らの才能のバランスが取れていないことは、知っていたでしょう。それゆえの自殺だったと私は考えています。::::::::

 そして、夕方の、六本木を、三島由紀夫を哀悼しながら歩いていたのです。そのたった5日後に、品川の原美術館で、三島由紀夫の割腹の日の演説を再現した動画を見るとは。チャネリング現象には、本当に驚きます。

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副題5、『2013年12月5日の、私はめちゃくちゃに、広い地域を移動をした』

 ここで、また、挿入ですが、5日(木)の私は、相当な範囲を、動き回ったのでした。それは、中国の防空識別圏(後注1・・・・それはアップの日付が今は、5日になっていますが、本当は2日に書きました)について書いた、日の直後の事です。体を傷め付け過ぎて、なんと、4日は、夜の11時に目が覚めたのです。

 今の私は、睡眠導入剤アモバンを使わないので、書く事があれば、それを、書き終わるまで、起きているし、それが、朝まで、続いたら、その次の日も起きていたりしていて、不規則、極まりない形の生活になっています。しかし、2日の月曜日に、静嘉堂文庫に行って、その周辺で、ひどいカーチェイス(緊急の工事を設定され、自分が乗っているタクシーが、行き先々で通せんぼを食らった)を、経験している身には、そういう際こそ、それを突破しておかないとならないと、決意しているのです。しかも、現在の催し物である松浦武四郎展は、8日までなのですから、絶対に行っておきたいところです。

 主人の仕事の関係で、昼間出られるのは、月・木・金しかないので、5日のうちには、静嘉堂文庫には、絶対に行っておきたいと思うのに、前夜11時から起きていたのでは、体力が持たないので、早めに出たほうがいいと、感じて、朝の六時から家を出たのです。

 体内時計と言うのもあって、前夜の11時に起きたのなら、いつもどおり、18時間起き続けるとして、次の日の、午後五時まで使えるかと言うと、そうでもないのです。

 ところが、その体内時計の狂いのせいで、電車の中で、眠ってしまい、横浜駅で降りて、東横線に乗り換えるつもりが、なんと、湘南新宿ラインで、大宮まで行ってしまったのでした。大宮とは、7歳ぐらいの時に、船橋市に住んでいたときの、小学校の遠足で行っただけなので、珍しくて、降りて見学をしました。前から駅中商店街もチェックしたいと思っていましたしね。

 そして、朝の六時に鎌倉の自宅に居たときの自分よりは、元気になっている自分を、大宮で、午前9時に、発見をしたのでした。それで、急遽予定を変えて、六本木に行くことにしたのです。それから先は、エルメスのスカーフと言う文章(後注2)に書いたとおりの行動が始まりました。

 新国立美術館に行きたかったのですが、こんなに朝早く、六本木にいることが珍しくて、それで、リッツカールトンのランチ・ビュッフェを試すことにしたのです。すると、思いがけずエレベーターの前で大内順子さんにお会いして、すべての予定を変更して、まず、45階(もしくは、46階?)のロビーで大内さんとお茶して、その後、田園都市線で、郊外に向かうという彼女に、引っ付いて、二子玉川まで行ったのでした。

 そこまでしたのは、一時間、電車で眠ったことで、自信を持っていたからです。服装は惨めでしたよ。日本一のファッションライター、大内順子さんの前で、コートを脱いで紅茶を飲む服装ではなかったです(笑い) ただ、心身ともに、健康であるという自信はありました。

 その3時間前まで、ずっと、不調だったのです。めちゃめちゃな、睡眠スケデュールのせいで、の心身ともに疲弊しきっていました。ところが、電車の中で寝るというのは、どういうものか、熟睡に近いのです。それで、たった、一時間でも、見事に、全身が、回復していて、自分が素敵な会話ができるという自信があったのでした。

 で、1998年に、パリのエルメス本店で、押し合いへし合いしながら争って、スカーフを買っている日本人主婦達のみっともなさを話したわけです。それには、大内順子さんも、納得をし、共感をしてくださるとの確信がありました。ところが、そんな文明批評がとんでもない形で、永田町の国会で、機能したのが、特定秘密保護法案・・・・・特に森まさこ大臣のブルーのエルメスのスカーフだったのです。

 デモ、ここで、問題なのは、それでは無くて、二子玉川の駅から、また、六本木へ引き返したという事が大切なのです。これは、前報でも、前々報でも書いていないことですが、実際にはその日は関東一円をまたにかけたといってよいほどの大冒険をした日だったのでした。無論のこと、静嘉堂文庫には行きましたよ。その後で、六本木へもう一回、行ったことが、ここではひどく大切なのです。

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副題6、『夕方の六本木は、切ないほど、さびしかった・・・・・そして、突然に、三島由紀夫を思い出す・・・・・彼はソドムとゴモラの市を焼き払いたかったのかな?』

 交通費はめちゃくちゃに、かかります。デモ、不思議な熟睡感があって、元気いっぱいです。こういうときは、目いっぱい使わないと駄目です。主人は私が早く帰ってくることを望んでいて、夕食を一緒にとらないと、途端に不機嫌になるタイプです。それは、判っているのですが、だからこそ、一回外出し始めたら、それは、最大限に利用しないと駄目です。

 ただ、田園都市線から東上すると、乃木坂駅はどうしても利用できず、私は、新国立美術館に行くために、また、六本木駅を利用したのでした。朝11時にミッドタウンにいて、再び、午後の4時半に同じ場所にいます。そして、西へ向かいました。冬の日の入りは早く、空は、茜色に染まって、すでに太陽は見えません。

 右手にあるミッドタウンは、2011年の暮れにはイルミネーションを飾り立てていたと思います。ただ、今年は、旗だけです。これは、40代から60台にかけての主婦が来る町ではないからだなあと、感じます。若い人向けの商業圏として成立しているでしょう。だけど、アベノミクスで潤う(?)のは、すでに金持ちである、60以上の人たちなのです。

 私が、遺産相続の節税対策セミナーに招かれて出席したときに、例題が、三億円とか、二億円の資産を持つ人物だったので、目をむいたのですが、そういう人は、お金持ちでも老人だから、遠出をしないのです。ミッドタウンや、六本木ヒルズが、開業したてて、珍しいうちは行くけれど、慣れてくると、新宿とか、横浜周辺で、モノを買うのでした。

 アベノミクスといって騒ぎ立てているのは、銀座で買い物をできる・・・・・国や、自治体勤務で、税金を自由にできる・・・・・階層だけではないかしらと思ったことでした。

  そして、ミッドタウンの真ん中で、聳え立っているリッツカールトンを見上げました。それは、首相官邸と同じ設計者が作ったのではないかと思うほど、はかなげで、豪華さが感じられませんでした。

 これは、設計時の景況感にも左右されるのかもしれませんが、横浜駅そばのシェラトン、または、金沢駅そばのANAホテル。または、日航ホテルなど、また、大阪梅田に立っているタワーホテル(阪急だっただろうか?)など、庶民が利用できるところで、豪華なところはいっぱいあるので、内装外観ともに、質素なリッツカールトンを見上げると、切なくて、切なくて、突然に、日本の将来の疲弊と没落が見えたような気がしました。

 そこには、旧大日本帝国の、軍の本部か何かがあったのですよね。その時に、場所的に、間違えて三島由紀夫を思い出したのではなくて、日本の将来に対する疲弊と没落の予感が、私をして、三島由紀夫を思い出させたのでした。

 そして、その六本木の歩道を歩きながら、2013年12月5日の夕方、私は、曽野寂しさと、せつなさゆえに、ふと、三島を思い出し、彼が、憂国の人であったことを再評価したのです。彼の価値を再認識させました。

 生前にはロココ調に飾り立てた家に住み、ボディビルで鍛えた体に、オイルを塗りたくって、他人に誇示している・・・・・そういう姿に幻惑をされていたし、書いている小説もプロットだけを読むと、まるで、興味を引きませんでした。

 しかし、彼が日本の将来を憂えていたのは事実でしょう。自分の命を賭してまで、人々を目覚めさせようとしたのです。クーデターがよいかどうかは、疑問ですが、ともかく映画、ジーザスクライストスーパースターの中で、イエスキリストが、ソドムの市(もしくはゴモラの市)で、テーブルクロスを引き破って、商品を売る人々をしかりつける場面には、度肝を抜かれましたが、

 三島由紀夫のやりたかったことは、まさにあれなのです。それは、普遍的な真理として、常に、人間が心に留め置かないと駄目な、金銭優先主義への、警告なのでした。

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副題7、『若い日に読んだ、川端康成と、若い日に、実物に出会った大江健三郎を、私は一切評価をしない』

 実は、私が若い日に美大へ、進学するつもりがなかったのは、以前からそれをいっているとおり、親が禁止していたせいもありますが、自分でも行くべきではないと思っていたのでした。親は、良く見ていたと思います。もし、美大にでも行っていたら、シモーヌ・ヴェイユになっていたと。

 若死にしていたでしょう。71歳まで生きることが最善だとも思いませんが、天才として、死ぬのも、苦しいことです。

 私は小さいときから、他人から、「あなたは、ひどく違う。日本人離れしている」といわれていました。それから目上のひとから「天才だ」と言われたり、『あなたは、上のはみ出しだから、苦しむのよ』と、言われたりもしています。だから、こそ、今園芸をやったり、刺繍をやったり、単純なパソコンゲームにふけったりして、考えない時間を作ることに勤めています。版画とか、油絵は、まったく別の神経と、頭脳を使うので、面白いのですが、家族と協調しては、できない分野だと思っています。

 文章の方も、もし、小説を書くのだったら、妻でありながら、または、母でありながらでは、できない分野だと思っています。

 ところで、ノーベル文学賞を得ている、川端康成と、大江健三郎ですが、前者は、子供の頃にハードカバーを4冊程度読み、何の感慨も与えられませんでした。

 それから、これを言うのも危険かも知れませんが、大江健三郎が、23歳で芥川賞を取った後で、お茶大に講演に来たのです。当時そこの付属高校に通っていた私は、200人ぐらい入れる平たい床の教室で、行われた大江健三郎の講演を聴きに行きました。聴衆は少なかったですよ。

 30~50人ぐらいだったと思います。ところで、私ですが、お話を聞いていてもさっぱりと判らないし、ふにゃふにゃした人で、男性としても、人間としても魅力のない人だったので、何も感動を与えられませんでした。いや、敵を、ますます、大勢作ってしまうから、言うべきではないのでしょうが、過剰に高い評価を得ている人材として、嫌いです。「王様の耳はロバの耳」といいたいし、「王様は裸です」ともいいたいです。

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 今回、wikipedia を丁寧に読んでみて、彼は「サルトルなどを、勉強した」とあって、・・・・・・なるほど、なるほど。でも、それって、田舎出身だからこそ、フランスにあこがれる、田舎モノ特有のスノビズムですね・・・・・と、改めて感じた次第です。

 サルトルって、今ではほとんど、きえていますよね。チョムスキーとか、ハイデッガーと言う名前は残っているのに、サルトルを問題にする人間は居ないです。当時の私ですが、サルトルを読んでも何にも感じなかったですよ。そして、彼が、自分の都合のよさのために、新しい結婚の形と言うもので縛り付けていたシモーヌ・ド・ボーボワールの苦悩が、当時からわかりましたので、サルトルは、当時から大っきらいでした。

 この間、NHKか、民放か、忘れましたけれど、パリを紹介する番組があって、その中で、往時のサルトルが一日中そこに入り浸っていた喫茶店があって、オーナーかギャルソンが、とても嫌がっていたという話が出て、さもありなんと思いました。

 私は、人間が、設定した、枠組みとか、装置と言うものを信じない人間なのです。だから、ノーベル賞の権威も、信じないし、朝日新聞系列の権威と言うのも信じないし、共産党などが、行使する数の力と言うのもまるで、信じていない人間です。この自分の目で見て、耳で聞いて判断をしたことしか信じません。だから、大江健三郎は、読みたいと思ったことがないのです。

 そして、猿取ること、曽野わかりにくさによって、国際的軍産共同体に、めでられていた哲学者でした。つまり、極少数の富裕層が、永遠に、利益を得続けるためには、庶民が賢くなっては困るのです。だから、哲学は、衒学的に、なり、ただ、ただ、難しい言葉を使うものと成り果ててしまっています。 だけど、真の哲学って、非常に易しいものなのですよ。そして、シンプルなものなのです。

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 しかし、大江健三郎のように、政治的に、大権力者たる、国際的軍産共同体に役立つ文化人に比べると、右翼として、切り捨てられている三島由紀夫の、切ないほどの、潔さが、際立ってきます。

 私は、平凡に生きることの努力が実って、よく、「お母さん見たい」といわれていました。10年ぐらい前までは、いまほど、諜略行為について、分析をしておらず、平凡な愛すべき人と見なされて居ましたが、その頃の話です。

 その種の母親らしい目で見ると、なんと、三島の自決した年齢、45歳は、まさしく息子に等しい年齢です。もし、私が26で、子供を生んでいたら、三島の自決した年齢に、自分の子供が、達していたでしょう。

 なんと、かわいそうなことだと思いますよ。それを、正午前と、夕方の二回、六本木を訪ねた日に、強烈に感じたことでした。そして、そのたった、5日後に、品川の原美術館で、三島由紀夫の自決の日の演説をリメイクした森村泰昌の作品に出会い、驚愕をしたのです。チャネリングのすごさに。

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なお、これから先は、テーマがまったく異なるので後で、独立をさせ、推敲をしてから再度、アップさえませしょう:

  これ以降の部分は、独立させて、そちらも推敲をして、再度アップいたします。

後注1、

中国の防空識別圏とは、何なのか? + 石原慎太郎とは右翼? それとも走狗?

2013-12-05 21:27:22 | 政治   この文章は、現在は日付が5日になっていますが、初稿を書き始めたのは、2日です。
 
後注2、

エルメスのスカーフ(森少子化大臣・・大内順子・・野見山暁司・・醍醐イサム・・山口光子)△

2013-12-06 18:36:56 | 政治
 
 後注3、

秘密保護法案は、その推移が、山本美香襲撃事件とも、嘉田新党設立にも似ているが、□

2013-12-08 14:08:10 | 政治

なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、 1931491です。

 

 

 

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