これはタイトルから見れば、軽い話題のように見えるでしょう。だが、政治的な問題として、相当な字数を使う大事(おおごと)となりました。今、7日の午後4時ですが、推敲を終わりましたので、タイトル横に恒例の△印を入れておきます。
なお、いつも、先頭に副題のまとめを、水先案内人としておいていますが、2万字の字数制限ぎりぎりに、本文の方が達してしまいましたので、それを、削除いたしました。だが、今回も副題1~14まで、続く長い文章となっています。(笑い)
副題1、『2013年12月6日の午後零時からのNHKニュースで』
上の副題に上げた時間のニュースの録画を午後五時半に見ていたら、森少子化問題担当大臣が、特定秘密保護法案について、何か、答弁をする映像が出ました。今までは、スーツだけだったのですが、両肩から、大きなサイズの絹のスカーフが垂れ下がっています。すぐ、エルメスのスカーフだと感じました。それは、結構政治的な課題へと入っていきます。
ところで、今、念のために、グーグルの検索で、値段を確かめたら、48000円だそうです。ふーん? エルメスのスカーフとしては安いですね。それなら、まだ、十分にお若くて、目も大きくて、派手なお顔立ちの森少子化担当大臣が、それを、両肩から、たらしていても、国民に叱られる問題ではないです。 だから、取り上げるべきではないかしら?
いえ、値段よりも、もっと、大きな、政治的な問題がうらにありそうなのです。ここでは、二子玉川と言う駅と、大内順子さんと言う有名人が鍵となっています。
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副題2、『今の課題のひとつとして、美術館めぐりを入れていて、月曜日には二子玉川駅に居た』
私は、今は、ブログしか、創作の仕事をしていないわけです。本作りもしていないし、油絵を描いていなし、水彩画も描いていないし、版画は無論のこと、やっていません。でも、それだけ、このブログを書くのが大変なのですが、・・・・・・
で、ブログの内容ですが、批判も多いでしょうが、『「良くぞ、ここまで、書けましたねと」・・・・・言うところまで、到達しているなあ。よく、「これでも35%までしか、書いていないのですよ」と、言ってはいるが、ここまで、書けただけでも、よかったね』と、自分は、心の中で、考えていますから、やや、ほっとしていて、いろいろなことへ、再度、手を伸ばそうと思っているわけです。
あきらめたと、言いながらも、実際には、何もあきらめては居ないわけでした(笑い)
その・いろいろなこと・ですが、手術を受けた予後の人が、急には大きな運動をしないように、私も急には大きなことに取り組むつもりはなくて、受動的なものに、収めておく段階だと思っています。
子育てに関しては、能動的な期間(ゼロ歳から10歳ごろまで)が、母親にとっては体はきついが、心理的に言えば、楽な時期であり、受動的な期間(12歳ごろから、子供が結婚をして、自宅を出て行くまで)が、何もできないが、見守っていなくてはならないという心理的には、苦しい時期なのですが、
自分が、自分自身で決定できる種類の、自分が主役である業務に関しては、むろん、能動的なもの(たとえば個展を開くとか、本を一冊作り上げるということ)が苦しくて、受動的なものは気楽なものです。
で、昨年は、ホテルの宴会場を探索して歩くという課題を作っていたのですが、今年は美術館をめぐるということに挑戦をしています。ところで、この12月の2日には、朝から、外出をしてよいこととなっていました。これは、珍しいケースです。それで、私は銀座の画廊めぐりの前に、静嘉堂文庫を訪問することに決めました。今、松浦武四郎の業績を展示していて、それが、日経新聞の朝刊にも出ていたし、主人が数年間単身赴任をしていて、私も良く訪問をしていた松坂の出身でもあるということなので、興味を抱きました。
しかし、最終日にまだ、余裕があるのなら、今週行くこともないと思って、グーグル検索で、開催日を確認しました。こういうことをすると、必ず、妨害やら、嫌がらせを受けるのです。それは、判っていますが、昼間訪問をするのだし・・・・・と、思ってわざと気にしないで、ネット検索をして、その後に出かけたのです。
ところで、その日は、朝から使えるということ、しかも、ブログを、手当てしないでいいと言う、状況の二つに喜んだあまり、その日が、月曜日だということは、すっかり忘れていました。(笑い)
月曜日と言うのは、公立・私立を問わず、美術館は休みなのです。(乃木坂の新国立だけは、別ですが)大笑いですが、それをすっかり忘れている私は、本当に、何十年ぶりに、大井町線を、自由が丘より先へ向かって進むのでした。
東急電鉄の株は、父からも母からも遺産相続として受けていて、本来なら、1万株を持っているはずですが、すでに、売り払っていて、4000株しか持っていません。だけど、優待切符は、年に20枚程度来るので、大井町線を使うのには十分です。
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副題3、『晴天の夕方の二子玉川は、美しかったが、道路が次から次へと封鎖されていて、通れないことになっている?????』
あんなに朝早く出たつもりなのに、二子玉川駅に降りると、すでに、4時すぎでした。主人が先に行っていて、駅から結構な時間がかかることを事前に知っていたので、
『こりゃあ、タクシーを使わないとだめですね』と、大急ぎで拾ったのです。西へ向かう多摩川沿いの道は込んでいて、それだけで、ひやひやしたのですが、さらにびっくりしたのは、静嘉堂文庫へ向かう道に急に道路工事が始まっていたことでした。事前の通告もないものだったので、運転手さんはびっくり仰天です。私は以前から、目撃している出来事ですが、『は、はーん、最近、静嘉堂文庫についてネット検索をしているので、早速、脅迫をやって来ましたね』と、内心で思うわけです。
で、運転手さんに指導して、「回り道があるでしょう。そっちを使ってくださいね」と、頼みました。東京にしろ、どこにしろ、住宅地と言うのは、東西に10軒分、南北に、2軒分で、造成をされていて、それを囲む道路が、できているものなのです。で、すぐ、回り道が可能であって、静嘉堂文庫の前に出ました。
すると、運転手さんが二度目のびっくりをして、「あれ、休みですよ」と言うのです。その前の会話ですが、「門から中まで、入りますか」と言うものだったのですよ。門から玄関までが遠いそうで、せっかくタクシーでやって来ても、タクシーを降りてから、悪くすると、5分以上はかかるそうです。
そんな和やかな、会話を交わしていたのに、突然に門前で、拒否を食らってしまいました。
道路封鎖に出会った直後ですから、危うく、『これも、また、諜略行為かな?』と思いました。が、10秒後には、『本日は、月曜日だったね』と思い出し、大笑いをしながら、「じゃあねえ。このまま駅まで帰ってくださいね」と頼みました。さて、駅へ向かう道路ですが、こっちにも通せんぼが、設定をされているのです。
しかし、ほぼ、一ヶ月前、これも入場券と、切符の優待券を利用していっていた五島美術館のお庭や、周辺を散歩していたことが役に立ちました。
西側に向かって開けていて、富士山を望める山をひとつ買って、岩崎家は、お墓を作り、五島家は、お屋敷を建てたのです。だから、やまや坂の状況が二つはそっくりであって、普段は、この地域に、出没しない私も、どういう風に変更をしたら、この大いじめの状況から、脱出できるかがわかっていて、運転手さんが、「用賀に向かいましょうか?」と、提案をしてくれた時には、すぐ乗りました。で、無事に田園都市線の駅まで出ることができて、残った時間を銀座の画廊めぐりに使うことができたのです。よかった。よかったと、自分を慰めたことでした。
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副題4、『なぜ、これほど、しつこい、嫌がらせを受けるかについては、無論、考えてみたが、・・・・・その手は桑名の焼きハマグリよ・・・・・と、そらす事を、まず考える』
さて、このケースですが、二子玉川は、鎌倉ではありません。神奈川県内には、緊急呼び出し用車両と、横に大書された車の中で、運転手が眠っていた事を、目撃したことがあるので、土木建築業界には、そういうお達しが出ていて、私が行くところ、行くところに、緊急用、嫌がらせ用、工事を出来させるのです。
一番すごかったのは、2008年に、新大塚にある友人宅を訪ねた夜でした。前後700mの範囲で、工事用、赤白段だらのトンがリコーンが突っ立っていて、小沢一郎氏のポスターが、10mおきに張ってありました。(笑い)
で、それらに比較しても、二子玉川で、これほど、すばやく対応ができたことは不思議で、どんな裏があるのだろう?と、考えていたのですが、4日の火曜日に、前田祝一氏が目の前に現れたときに、そのすべてがわかったのですよ。以前から、薄ぼんやりと判っていた事が、確信を持って、判って来たのです。
それで、昨日アップした文章を初稿として書いたわけですが、それは、前田氏の行動が書かせた問題でした。
無論、頭の中には、特定秘密保護法案の事も、中国防空識別圏の事も書かねばならないなと、思っていましたよ。ただ、それらは、起きてから一週間程度経っていて、それを書かせないがために攻撃をするつもりなら、今、攻撃をしてくる意味はない和歌で、この日、急にこれほど、強く攻撃が現れたのは、別の意味があると考えました。で、以下の過去ブログが問題なのだと、結論をつけました。
トルコエフェソスから、酒鬼原聖斗事件、や、片山容疑者(猫好き)や、湘南爆走族?!?へ△
そこに書いたことを敵さんたちは、大問題としていて、そこを分析した結果、脅かした方がいいのだと、敵さんは考え、企画をされた工事だと、推察がいたりました。
これは、相当に複雑な攻撃様式です。相当に考慮のなされた攻撃様式です。つまり、私が、この世田谷区、岡本二丁目の急造道路工事を、ブログで直後に書いたとしますね。すると、以前書いた京浜急行の金沢八景駅、および、金沢文庫駅での、嫌がらせについて、と、二重に印象を与えます。そして、私側が悪いのだと読者が誤解をするはずだ、敵さんたちは、考えたと思われます。
それで、こちら、世田谷区岡本二丁目の工事も用意されたと、考え始めました。
京浜急行の方ですが、私の行動様式が研究されつくしている事が判ります。鎌倉霊園に行くと、まず、バスで、東の金沢八景駅に向かい、その後は、南へ向かって、いまだ持っている古い家がある北久里浜に向かうか、
北へ向かって、金沢文庫で降り、グリーンファームと言う、神奈川県一、扱い量が多くて、かつ、サカタの種に比べるとお値段が安い園芸店に向かうか、私の行動パターンは決まっていて、それを読み取られていて、下の写真のように、脅かしようガードマンが待っていたのです。
この三宅さんと言うおばさんが、予測どおりに、その日(2013年11月29日)にも、女子トイレの前で、がんばって待っていたのですが(大笑い)
それと、似たことを何度も書くと、読者が絶対に離れるぞと、敵さんたちは考えて、世田谷区岡本二丁目で、大・緊急・道路工事・作戦を展開したのでした。
いや、面白かったですよ。スリリングでした。あっちこっちへ展開する路地を、こっちへ曲がろうとか、考えると、突然に目の前で、とんがりコーンを並べている工事人に出会ったりするわけで、カーチェイスならぬ、道路工事チェイスであって、最近、このブログにユーモアが足りないなあと、考えている私にとっては、格好の話題でした。しかし、直後には、それを書きませんでしたね。
敵の狙い(引っ掛けて来ている)が、わかっている時に、それに、うかうかと乗るほど、私は、馬鹿ではないつもりです。
しかし、今、6日の夜10時ですが、なぜ、その二子玉川の追跡劇をアップするのでしょうか? 決意後、たった4日しか経っていません。変でしょう。自分固有の手法を、急に変更するなんて。
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副題5、『森少子化問題担当大臣は、本日、二度ほど、エルメスのスカーフを見せつけて、テレビカメラの前に登場したが?????』
しかし、そここそ、森少子化問題担当大臣のエルメスのスカーフが、鍵として絡まってくるのです。そして、人としては、大内順子さんが、からまってくるのです。6日のNHKニュースを見た方は、この文章に納得をされるでしょう。で、ここで、それを丁寧に書き表すこととして、
その前に、もうひとつのキーワードとして横たわっている二子玉川駅を、取り上げたのが、上の文章でした。道路工事チェイスは、前置きだったのです。
と言うのも、大内順子さんに、であったのは、リッツカールトンの、一階であって、お別れしたのは、二子玉川の駅でした。その間に、エルメスのスカーフについて、私側がパリでの、ある思い出を、大内さんに語っています。それが、盗聴をされていたのか?
それとも、敵の中のだれかが、大内さんに、接触をして来て、「彼女(=私の事)は何を話していましたか?」と、問い合わせをして、「そういえば、エルメスのスカーフについて、話をしていました」と、大内順子さんが答えたと仮定します。そうすると、
それが嫌がらせに役立つと考える手合いが、森少子化問題担当大臣に「エルメスのスカーフを、ぜひ、まとってください」と頼んだのでしょう。ただし、彼女が議員会館の箪笥の中に、すでに、一枚もしくは、数枚を持っていたら、事は簡単ですが、持って居なかったとしたら、昨日のうちに、銀座か日本橋に買いに出たと考えられます。
私が大内順子さんと別れたのが、二子玉川の駅で、5日(前日)の午後の一時過ぎでした。そのときから、「森さん、動いてください」とかの女自身に頼むか、秘書か、だれかが、代わりに買いに行くか、で、今日に間に合わせたと、推察されます。
もうひとつの、最終的なびっくり案は、「もしかしたら、大内順子さんの持ち物の中から?」一枚を選び、大内順子さん地震が、スタイリストとして、森大臣にぴったりと寄り添っていたと言う4種類の選択肢があります。
ともかく、森大臣に、12時のNHKニュース内では、両方の肩から襟の外へ、それを、たらすという派手な演出で、それを用いて、夜、7時のニュースでは、今度は、襟の内側に、襟のラインに沿って、数センチ見せる形で、身にまとって、現れました。どうして、スカーフが、脅かしの役に立つのかを語るためには、大内順子さんの登場を待たないといけませんが、その前に、安部さん提出の法案について一言を・・・・・
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副題6、『今、恣意的と言う言葉が、安部さんの口から多発されるが?』
今、最後のニュース、今晩、参議院の本会議場で、この法案が、可決されたという、ニュースがあり、森少子化大臣は、さらに、幅広く、スカーフを見せておりました。横から撮影しているカメラの中で、襟の下で、幅が10センチ程度左右から、見えておりました。その様に見えるために、彼女はスカーフを細いベルトで、ウエストのところで、締め付けており、スカーフが左右に、引っ込まないように、演出をしていました。おや、おや、おや、ものすごいこだわり様です。
笑っちゃうほどのこだわりです。明日からどうするつもりだろう? 色変わり、別模様のスカーフを身にまとって現れますか? 被災地の出身だそうですが、選挙民から反発を招かないかなあ?
さて、この法案そのものが、どういう意味を持つのかは、ここでは、論じないで置きましょう。もう少し、様子を見てから論議を進めたいと思います。
ただ、恣意とか、恣意的と言う言葉が、最大限に使われています。
この言葉こそ、私が、2003年以来、使い続けてきた言葉なのです。そして、前報も推敲後は、平木さんと言う家族について、見事にその恣意と言う言葉を使う予定がありました。本日は突然目の前に現れた、エルメスのスカーフと言うものに、幻惑をされて、スカーフを先に語っていますが、前報のほうが重要であり、そちらは、推敲後、二度目として再度、一番トップに持ってくるはずです。
安部総理大臣が、「恣意的には用いません」と、言っているのをしつこく、NHKは、映像として、繰り返しています。これは、私が、敵の攻撃に、『凜として、負けません』と書いた後で、
榊原節子さんが、PHPから発刊した著書のタイトルとして、『凜として・・・・』と言う言葉を使い、現在のICU同窓会長Wさんが、その言葉を意味ありげに、私の目の前で使い、(それは、10期生向け、50周年同窓会での席でしたが)、私の顔を盗み見るように反応を試したように、言葉が、剣として、脅かしに使われているわけです。
だがね。私が彼らの望みどおりに参っているでしょうか? 読者の皆さんは、どう、ご判断なさいますか? スカーフを脅かしに使って来ても、それで、鬱病になって、ブログが書けないで、居ますか?
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副題7、『大内順子についての、解説をここでトライして見る』
さて、女性なら誰もが大内順子については知っていると思います。と、断言しきるのですが、最近の40代の人はもしかすると、すでに、知らないかなあ?
特に男性の中には、知らない人も居るでしょう。で、今、念のために、グーグルを検索してみました。これは、普段は絶対にやらないことなのですが、一般の人がどの程度の情報をネットから取得できるかを確かめたくて、一応の検索をして見たのです。
その結果、三つほど、以前は知らなかった情報を手に入れることができました。
まず、彼女は、毛利藩より前に、山口県を制していた大内氏の末裔であるとの事。大内氏は、武よりも商業とか、文化と言う面で優れていた大名であり、現在も、大内雛(おうちびなと読む)と言う、漆でできた名産品に、その名前を残しています。
その次に、ご主人が、宮内裕であるということ。宮内裕と言う人は、一世を風靡した人です。ただ、仕事が、デザイナーと言うか、ファッション専門の画家であって、その分野には、流行があるために、今wikipedia がたって居ないほど、消えてしまっていますが、装苑(文化出版局)などをよく読んでいた私には、ひどく懐かしい名前です。
『そうなんだ。大内順子さんって、同業者(同じ業界に住んでいる人)と、結婚をなさっていたのだ。でも、いいご夫婦だったのだろうなあ』と、思っています。だって、夫も妻も有名人なのに、スキャンダルがひとつもないご夫婦ですから。
彼女の著書に、『争わない生き方』と言うのがあるそうです。この20年間の私は、徹底的に忙しくて、新聞を隅から隅まで読むという生活から離れてしまったので、その著作の事も一切知らなかったのですが、それ以前に、知っている大内順子だけで、十分であって、リッツ・カールトンホテルの、一階のエレベーター前で、大内順子さんを見かけたときに、見まごうはずもなかったのでした。
だけど、男性の中には、彼女を知らない人も居るはずなので、若い頃の写真として、
ファションポストと言うURLの記事を参照なさると、よいかも知れません。オードリー・へプバーンも、ものかはと、思うほどの美人です。ただ、ウエストが細くて、華奢で、目が大きいというタイプは、女性が、好む美人といえるかもしれません。男性って、フェロモンが横溢していて、ちょっと、太目の人のほうが好きでしょう? 違いますか?
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副題8、『水は、方円に従うというが・・・・・』
上の方で、「私はすでに、新聞を隅から隅まで読む生活を捨ててしまっているので」、と、語っています。それ以前は、隅から隅まで読んでいたのですが、それは、子育て期間であって、自分が受動的に待機をしている期間だから、新聞を読むとか、読書をするとか言うことぐらいしかできなかったからです。思春期の子供なんて片手間では育てられませんよ。画家とは両立がしないです。
でね、1990年に子供が二人とも大学へ入って(下の子は、まず、短大へ入って、後ほど、四年制に移行をしたのだけど)ほっとして、画家業を、再開するわけですが、その20年後の今、再び、画家業を捨てているわけですね。自分の、最低限の健康を維持するためと、このブログを書く必要があるからです。でも、・・・・・大きな分量であった美術系作家であるという部分・・・・を捨てているために、心の余裕がいっぱいあるわけです。
で、今の私を説明する、よい言葉は、『水は方円に従う』です。今の私なら、どんな人とも、仲良く楽しい会話ができます。だから、本当なら、昔から保持していた、5000人を超える知人と、毎日メールでも交換していたらいいのです。そうすると、ブログも書かないでしょうね。だから、敵さんも楽なのに、その敵さんが、最大の攻撃策として、私の知人を、自分達側にリクルートをして、そちら側に寝返りをさせ、私に対する攻撃用弾丸と仕立て上げるということに、数回、と言うか、数百回ほど、であってしまいました。それで、私は一切の社交生活を捨てております。
ところが、ここで、神様が登場します。神様って、同情心が厚いのです。で、私の現況を見て、深く同情をしてくださっているらしくて、私は思いがけないところで、よい会話に恵まれているのです。むろんの事、未知の人を相手なので、お茶に誘うということもなくて、五分程度の短い会話です。でも、本当に心慰む、よい会話に恵まれています。
これは、1999年と、2000年のニューヨークでは恵まれていた事ですが、日本では無理だと思っていたものです。それが、日本でも可能でした。
で、私は会話には、ひそやかな自信を持っているので、大内順子と言う有名人にも、であった途端に、臆せず、話しかけました。と言うのも直感として、彼女はマナーのよい謙虚な人だという思いを抱いたからです。林真理子などとは、正反対な気質と心の余裕のある人物です。
「大内順子さんですね?」と、質問をすると、「ええ、そうです」とお答えになるのだけれど、決して、警戒心を持たず、かつ、威張らない態度なので、なんて感じがいいのだろうと、あらためて思いながら、「なんで、今日はここにいらっしゃったのですか?」と、聞くと、「ランバンに招かれました」との事。で、それだけで、別かれたのです。それっきりのはずでした。
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副題9、『私の方に、時間がたっぷりあったので、デートを提案してみたのだが?』
さて、邂逅は、そこで、終わり、彼女は、その名声ほどは、豪華でもないリッツカールトンの一階の廊下を、向こうへ去っていき、私は、45階へ登るエレベーターをキャッチしました。45階がロビーであり、そこにお昼用のビュッフェ(=バイキング)があるのなら試してみたいと思ったのです。
すると、予約制であって、しかも11時半から開場との事でした。30分も待たないといけません。どうしようかなと迷いましたが、私がお昼のバイキングを訪ね歩くのは、非業の死を遂げたとされている山口みつ子さんを慰めるためですから、新しいところはトライしてみたくて、30分無駄にしても、いいと決断をして、予約を入れた後に、また、一階へ降りて行きました。予約さえしてしまえば、11時30分より遅れてもいいそうですから、新国立美術館まで行って、クレラーミューラー美術館からの来訪展でも見るかなと、思いました。
しかし、おなかがすき過ぎていました。実は上にリンク先を上げているブログを書くのが非常に大変であって、睡眠時間がめちゃくちゃになっていました。1日から2日、そして3日にかけて、40時間も連続して起きていて、水曜日に寝たのが、夜の六時です。そして、その同じ夜の11時にはすでに目が覚めていました。ですから、大内順子さんと出会った日には、午前3時に朝食を取っていて、午前六時から自宅を出ていましたので、すでに、8時間たっていて、おなかがすいている時間帯だったのです。
で、どうしたものだろうかと、迷っていると、目の前で、あるお客が、ウエディングドレスが飾ってある部屋へ入っていきました。それで、私もそのドアに入って、「ここに、大内順子さんが見えました?」と訪ねるとノーとの事です。で、角を曲がった次の部屋を見ると、入り口にテーブルが置いてあって、そこに招待状が山積みになっているので、ここだろうと、見込みをつけてスタッフに聞くと、「いらっしゃっています」との事です。「じゃあ、ちょっと待たせてください」と頼んで、前にあるスツールに座って待っていました。
もし、私が最高に健康な状態だったら、にっこり笑って、「私ね。招待状は持っていないのですよ。だけど、入れてくださる」と、申しいでて、許可をもらって入っていたと思います。私って、そのくらいの人間的な魅力は持っているタイプです。(笑い)
ところが、この一連の醍醐イサム論(本日のも前報も、上にリンク先を上げている文章も、すべて、醍醐イサム論の一部です)を書き始めてから、それが、あまりにも広範囲にわたるがために、消耗を仕切っていました。
で、ランバンの三人の若手スタッフに、こちらが見つめられているという状況にも耐えられなくて、「すみません。私ね。エレベーターの前で待っています。大内さんには、私の事は、何もおっしゃらなくてもいいわよ」と、断って、誰にも見つめられない場所に、移動をしました。そこで、『どうせ、30分暇つぶしをしないといけないので、ここで、待っているのは、大内さんとのデートのためだけではないわ。その申うしいでが、不発に終わってもかまわないわ』と、静かな心境で待っていたのです。
すると、その遠慮がちな態度を、ランバンのスタッフさんが、好感を持ってくれたのか、大内さんを彼らが案内して、数人が、目の前に現れたのです。それも幸運だったのですが、デートの申し出でに、大内さんが乗って来てくださったのも幸運でした。それで、二人で、45階へ再び上がる事となるわけですが・・・・・
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副題10、『ここで、山口みつ子さんについて、解説をさせて下さい』
ところで、私がリッツカールトンの、お昼のランチビュッフェにこだわったのは、山口みつ子さんの慰労のためだったと、上で語っています。山口みつ子さんの、みつは光が当て字として当てられていますが、正しくは、人べんつきの、光・・・・・・・・・・であって、ワードの変換には現れて来ません。で、山口みつ子と言う当て字でググルと、私の文章が最初に出てきて、他にはありません。それは、以下のものです。
古い文章だし、暗い内容なので、読んでくださいとは申し上げませんが、私が山口みつ子さんの事を常に思い出して悼んでいるというのは事実なのです。ところで、もし、あなたが、違う字=山口光子と入れると、お写真と、もうひとつの、文章が出て来ます。もし、さらに、異なった入力である『ギャラり-山口 山口光子』と入れると、私の別の文章がもうひとつ出てきます。また、他の美術家の文章が、五つぐらい出て来ます。
山口みつ子さんの死には野見山暁司さんが大きくかかわっていると、私は確信しています。
別に彼が突き落としたというわけではないのですよ。ただ今回、一ノ瀬さんのお嬢さん、沙彩ちゃんの死に関連して、初めて、美術9条の会と言うものがある事を、私が知ったわけですが、
野見山さんが、その呼びかけ人の一人である事も知り、『やはり』と思った次第です。
私は良く豪語といってよいほど、『自分が何かを、知りたがったら、・・・・・何も手を尽くさなくても、熟柿が手中に陥るように、・・・・・・自然に情報が手に入ってくる』と申し上げております。
三鷹ストーカー事件が起きて、美術9条の会と言う存在があることを知り、その呼びかけ人として、赤津侃さん、ワシオトシヒコさん、渡辺トヨシゲさん、そして、この野見山暁司さんが、入っていたことを、知ったのは、その典型的な例でした。
三鷹ストーカー殺人事件が起きたからこそ、以前から不審を抱いていギャラリー山口のオーナーの死が政治に依拠するものであり、・・・・・野見山さんは、そういうところで、きわめて政治的に動いているからこそ、テレビに出たり、雑誌で、数多く取り上げられるのだ・・・・・という以前から抱いていた信念を、さらに強めました。
元に戻ります。リッツカールトンの45階ロビーの大内さんとお茶している場面に戻ります。
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副題11、『二子玉川へ大内順子さんと一緒に行く事に、予定を変更する』
大内さんとお茶を飲んでいる最中に、大内さんが普段、田園都市線を利用されている事が、わかりました。その途端に、私は方針を変換して、このホテルのビュッフェバイキングはキャンセルして、大内さんと一緒に、二子玉川まで行く事を決意します。ここで、余談ですが、今、リッツカールトンの、ビュッフェバイキングって、幾らだったのだろうと、確認をしてみたら、非常に評判が悪いのでした。一生、試食しなくてもよい場所みたいでした。(笑い)
でも、一応予約を入れているわけですから、大内さんに、断って、食堂まで出かけてキャンセルの手続きをしました。その中座している間に、大内さんにメールが入ったらしくて、席に戻っても、大内さんが依然として、携帯(または、スマホ?)をいじっていました。
それを見た時に、一瞬、ぞっとする感覚を得ました。私の尾行者が、私が大内さんの目の前を離れた途端に、彼女に知人の名前を使って、連絡を入れ、(これは、可能なのですよ。IT的には可能です。)「目の前の女性には、気をつけなさい。ただし、礼儀は失しないように接してください。その女性は、非常に頭が良いので、あなたが、礼儀を失すると、すぐブログに失礼な事を書きますからね」と、書いたのではないかしら?・・・・・と、直感的に思って。
で、それ以降の私は、突然に楽しさが消えてしまって、消極的に成り、できるだけ、はしゃがないように努力し、かつ、大内さんが、どういう人間なのかの観察も、怠らないようにしなくては、と、忙しすぎる人間に変化したのでした。その前は楽しかったのですよ。
どこにお住まいかを聞いて、「都心に一戸を持っていて、パリにも昔は、一戸を持っていて、今は、田園都市線沿いの郊外に暮らしている」と聞いて、働く女性としては理想的な住い方だと感じましたし。ただし、ここで、一戸と言っているのは、すべて、マンションひと区画、と言う意味で、です。パリも東京の都心も、日当たりのよい、庭付き一戸建て住宅を建てられる空間はありませんので。
私こそ、それと同じ理想をもっていたのに、山手線の内側に、セカンドハウスを作る前に、油絵を描かなくなってしまい、版画も作らなくなってしまったので、笑い話と化した理想ですけれど、大内さんと、同じ形式で、住みたいと、長年思っていたのは、事実です。
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副題12、『大内順子とは、理想的なマナーの持ち主で、しかも頭が良い人だった』
私は大きな懸念を抱きながら、かつ、それを見せまいと努力をしながら、引き続いて自然体で、会話を交わそうと努力をしました。それにしても、その日の私の体調は最悪で、しかも、おしゃれの方も、最悪でした。銀座の画廊めぐりの今週分はすでに終わっていたので、東京では、知人には、会う可能性がないと思っての外出であり、一切の気遣いとおしゃれ心を失っているものでした。ナンと言う不運だったでしょう。(笑い)ファッション界の大物とお茶するにしては、最悪のびんぼうったらしさでした。
男性には興味のない話だと思いますが、女性向けに、その日の二人のファッションを説明をさせてくださいませ。まず、私のインナーは、30年前に買ったらしい白いリブ編みのセーター。今の値段で、3800円ぐらいのものでしょう。もちろん化繊です。
一方大内さんのインナーは黒か、こげ茶のウールのリブ編みセーターですが、金色のラメ糸が、全身に絡んでいるもので、現在の売値で、15万円ぐらいのものでしょう。
ボトムですが、私の方は、娘のものか、息子のものか、判らないほど、古いもので木綿製です。いわゆる作業服風なデザインで、太もものところに、作業用ふたつきのポケットがついているものです。もっといいものは幾らでも持っているのですが、たまたま、ブルー系統のおズボンは洗濯中だったのです。紺色が、ブルーのコートに合うと思って着てきたのですが、売値が、4800円ぐらいのもので、(笑い)、一方大内さんのボトムは、これも、ウールの黒で、売値が15万円ぐらいのものだったでしょう。
参った参ったですが、最悪なのはコートです。30年前に母が妹に買ってあげたものですが、妹が着ないと言ったので、妹からもらったものです。
その買い物の時に同時に私には、小豆色のコート(両方が編み物)を買ってくれて、これは、80万円(50年前の値段です)の留袖を持っているという友達でさえ、「捨てるときは私に頂戴」といわれるほど上等だが、デザイン的には地味目のものでした。
だが、妹の方は、派手派手なのです。大きな真珠や、輝く、これも、サイズが一cmもある大きなビーズが、てんこ盛りについています。妹は実際には地味な性格で、しかも職業も製薬会社の学芸部と言う地味目な仕事についています。
だけど、出張先がホテルでの医学会と言うものであって、そこはゴージャス極まりない世界なので、母が、派手派手なコートを、選んだのでしょう。であって、妹も無論着用しなかった模様で、まっさらな状態で、私はもらったのでした。私は、絵にお金がかかるので、洋服は買いたくなくて、せがんでもらったものの、10年は着なかったものです。デザインが、近代の東京向きではなくて、戦前の上海なら通用するかな?と言う類のものなので。(笑い)
しかし、母が死んでしまうと、突然に大切なものと思えてきて、真珠や、ビーズなどの大きめの飾りをすべて取り去って、日常着として使っているのですが、ファッション・ライターの大御所、大内順子の目の前で、お茶するにしては、なんともふさわしくない服装でした。
『なんと、今日は、運がよくて、かつ、運が悪い日だろう』と思いましたね。でも、これも修行のひとつだから、平静に、平静にと自分に言い聞かせて、お茶をし続けていたのですが、その過程で、大内順子のマナーには舌を巻いていました。
私がよく言っている・・・・・『相手を対等に扱い、少しばかり大切に、上として扱うこと』・・・・・を体現しているマナーだったからです。で、一方の私ですが、少しも卑下せず、会話を続けました。この卑下をしないと言うのも、また、修行により、獲得をした、高等なマナーなのですよ。
社会的なランクが上の人に対しては、卑下をした方が楽なのですから。対等である事の方がきついし、つらい、方法なのです。ただし、対等であるからこそ、意味のある内容の話ができるのです。 彼女の話の中で、最も感銘を受けた話は、パリの住居を手放すときの、心模様でした。『どんなに価値の高いものでも、手放すことも、大切だ』という話。
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副題13、『さあ、ミステリーを、とき始めましょう』
さて、これから、森少子化問題担当大臣が、6日(=参議院に、特定秘密保護法案が、提出され可否を問われる日)に、エルメスのスカーフを、最大限に活用した話に入るのですが、
パリに行ったときに、頼まれたエルメスのスカーフを買おうとして、日本人客がいっぱいお店につめていて、なかなか、買えなかった話を笑い話として、大内さんに話したのです。それが、直接に影響していると感じました。
私にしては、文明批評をしたつもりでした。パリのエルメスに、日本人女性がわんさと、たかっていて、スカーフを買い捲る。そんな浅ましい姿は、絶対にパリ側からは、馬鹿にされていると、感じています。猿の群れがきゃっ、きゃっと、騒いでいるみたいに見えて、恥ずかしい姿でした。それに、大内順子さんは、同感してくださると、信じて話したエピソードです。
しかし、それが、悪用をされた模様なのです。
態度は最高に立派な大内順子さんですが、たった一回の邂逅であっても、彼女なりに、私のファッションセンスをチェックしたら、貧乏人と断定した可能性もあります。そして、私が「エルメスのスカーフを嫌いだ」ということも察したと仮定してみましょう。そして、彼女にとって大切な人物から、『雨宮舜=川崎千恵子は、悪人だ』と聞かされていたら、森少子化大臣を使って、かつ、エルメスのスカーフを使って、彼女におしゃれをさせることが、私へ対するいじめにつながり、敵方の最高の目的である、私を鬱病にさせて、文章を書けなくさせるという目的に合致していきます。
これは、想像しうる最悪のシナリオですが、森大臣が、最後の本会議場で見せた細いベルトで、スカーフを固定して、幅が広い形で、スカーフを見せ付けるというのは、彼女のように、普段、忙しい人(特に弁護士業もあった)には思いつきもしないであろうファッションナブルな作戦です。
このいじめ策を大内順子さんに納得をさせて、議員会館などにつめて置かせて、裏で森少子化大臣を、指導させたとしたら、あのすばらしいセンスが、生まれた可能性も簡単に納得ができます。
ただし、間に立つ人は、誰であっただろう? フランスに強い奥島孝康氏かな?
さて、上は最悪のケースの想像です。もっと温和なケースも想像しておかないと、いけません。大内順子さんは、目の前に見えたとおりの、マナーのよい人であって、森少子化大臣のエルメスのスカーフは、ひとえに、彼女への追尾により、「どんな、会話を交わしていましたか?」と、誰かが問い合わせることによって、別の人物が思いついたことに過ぎないという案も、浮かびます。それを中間の路線とすると、さらに温和なラインは、大内順子さんは、一切にあずかり知らぬ境地に居て、ただ、携帯を、盗聴機として使われて、盗聴をされていたから、そのアイデアを抱いた別の人間が、それを使うこととなり、森少子化大臣は、その人の忠告に基づいて、エルメスのスカーフを6日の国会議事堂内で、駆使することとなった・・・・・というケースです。
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副題14、『死せる孔明、生ける仲達を走らす?』
ここまでで、すでに、(初稿では)1万9千字を超えます。この長い文章のまとめとして、思い浮かぶのは、
上の言葉です。そこからいろいろ、ご想像をくださいませ。で、この文章の結論は、皆様にゆだねます。と、7日(土)の午前五時に、書いて、家事に入ったのです。ところが、茶碗を洗いながらふと機がつくと、本日の主役の名前・・・・・大内順子・・・・・を、すっかり失念をしているのでした。10分ぐらい奮闘しても思い出せず、なんとなく、まず、山口県に関係があったと思い出し、そこから、毛利藩、大内氏と思い出して、やっと、大内順子へと、たどることができました。
5日の午前中には、ホテルリッツカールトンのロビーと田園都市線の車中で、『なんと、マナーのよい人だろう』と、崇敬の的だった女性を、この文章を書き終わった途端に、名前さえ忘れているのでした。
それは、私が潜在意識の中で、彼女を疑っていることを指し示していました。森少子化担当大臣を、エルメスのスカーフを使って、最高にファッショナブルに仕立て上げたのは、やはり、大内順子さんだったのです。彼女は、永田町の、議員会館内の、森オフィスに、つめていたと思われます。そして、この件は、『お前はいつ、いかなる場所でも尾行をされていて、何事も自由にはできないのだ』と、敵が私に知らせることに役立っているのでしょう。
だけど、それに私が参っていますか? それはないです。有名人、大内順子さんの内面には、がっかりしていますが、私自身がそれによって、何らかのダメージを受けることは、一ゴウもありません。
なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1925308です。
では、2013年12月6日夕方に書き始め、7日の夕方に推敲を終わる。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)