銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

旧約聖書・・+・・新左翼とCIAと共産党が、2013年の今では、裏では、協力をしている事を語ろう

2013-12-18 16:15:13 | 政治

  これは、完璧に前報(後注1)に続くものです。そこが、字数的に限界に達した模様なので、新たに章を起こします。だが、物語が、だいぶ込み入ってきました。それを、過去文章のリンク先で、探すのも、あまりにもしんどい作業なので、ここで、副題1~4まで、この文章の舞台とnaっている諸環境を整理しておきたいと思います。

 雑誌や、新聞の連載小説だとすると『前号までのあらすじ』と、よく言っている部分です。ただ、これは、小説風に書いていますが、小説ではなくて、主人公(=私)が、実際に見聞きしたことをまとめたものです。

 なお、いつも通り、総タイトルを、書き抜けた内容に応じて、変えていく可能性はあります。それは、よろしく。第一回目は、新左翼と、CIAのエージェントトップは、日本では、表裏一体となっている』でした。が、19日の夜10時半には変更しました。『悪者達に、包囲されていても、よい生活を行えば、好転すると信じていた1980年代』へです。夜11時からは、『信仰とは、自分が、より強い存在に、愛され、慈しまれている事を自覚する事なのだ』と、書いて、その内容を逐一入力をしていたところ、どうしても、それが公開されません。で、その部分はヤフーブログ『北国の鉄道』へ、移行して発表をしてあります。そちらは、まだ初心者なので、ヤフー → ブログ →(記事検索窓を利用して) 北国の鉄道 → (すると、下部に現れたタイトル)私感・・・・・宗教の大切さ (を選択する)で、現れます。ご面倒をかけて恐れ入りますが、白眉の文章なのでしょう。だから、こういう措置を受けます。

副題1、『新左翼と、国際的軍産共同体は、表裏一体となっている・・・・・結婚をする前までの、特筆すべきこと』

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   副題イ、『私がデモには、参加するなと言う理由が、ここにある』

   副題ロ、『一票の格差の、違憲判決が続々出ている理由は?』

   副題ハ、『銀座周辺分析(=醍醐イサム論)から、急遽、鎌倉雪ノ下分析へ、方向転換した理由は?』

   副題二、『前田氏が、集団訴訟、過労死問題の原告になっていた』

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副題2、『京急、北久里浜駅周辺での、瀬島龍三との、出会い』

副題3、『鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮隣での、1980年代の経験類』

副題4、『自力本願系の、宗教を取るか?、他力本願系の宗教を取るか?・・・・が、問題だ』 

副題5、『靴紐が解けたことが、天の恩寵だった』
 
副題6、『旧約聖書の、ある一節を、1961年に読んで、いまだに覚えているのだが』
 
副題7、『民族の興亡は多産、如何にかかっている?・・・・・でも、食糧難が迫っていますね』
 
副題8、『宗教とは何なのだ?』

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副題1、『新左翼と、国際的軍産共同体は、表裏一体となっている・・・・・結婚をする前までの、特筆すべきこと』

 私は、1942年生まれである。戦争と戦後、大きな苦しみも経験をするが、1953年ごろから、家庭(実家)は経済的には恵まれた環境となる。たまたま、当時のエリートコースを歩み、順風万帆に見えるが、本人が気がつかぬうちに、大学在学中に、危険な状況に陥落することが始まる。

 大学一年だったときに、23人しかいない同級生の一人として、後に草創期のシステムエンジニアとして、活躍を開始する古村浩三君と、昼間は一日に、4~5時間、同じ教室で授業を一緒にするが、彼は夜の生活の方の寮で、ロックフェラー四世とか、後に、日経新聞論説委員となって行き、現在では、早稲田大学の教授をしている石塚雅彦氏と親しくなったらしい。・・・・・これが、もしかしたら、2007年に始まった私のPCへの激し区も執拗な攻撃の基礎となる出来事だったかもしれない・・・・・と、2011年の初夏に、フェイスブック内で気がつく。

 元に時制を戻す。1965年の大学4年生の時に、中学時の同級生、成岡庸司君が、早稲田大学の革○の委員長になっていることに、週刊朝日のインタビューで気がつく。と、同時にどうしてか、当時の国際キリスト教大学新聞会を、牛耳っていた、秋山豊寛(後にTBSの記者になって宇宙へ飛んだ)氏に通学バスの中で、しつこく絡まれてしまい、秋山氏をたしなめるために、成岡君との交流を語るが、それを、機縁に成岡君は、新左翼側から、裏社会(=国際的軍産共同体側)に、ひそかに、リクルートをされたらしい。そして、今では、日本在住の、国際的軍産共同体のエージェントたちを、統率する、大モノとなっていると、私は想像している。瀬島龍三を引き継ぐ立場であると、推察している。

 その頃、どうしてか、三人だけの日本人学生の一人として、学生会館内の小さな部室に招きいれられる。招待者は、ベイカーさんと言う金髪碧眼の学生で、その部屋で、『あなた方は、この現状(大学紛争で、学園は荒れ始めていた)をどう考えているかを、語ってほしい』と、せがまれる。

 日比谷高校で、成岡君と同期だった、S君(後注2)が、とうとうと、持論を開示する。と、ベイカーさんが、それに応じて、「あ、僕は三鷹警察署の署長と親しいから、その件(三鷹駅前で、会社員相手に、ビラを配りたいというS君の願い)は、許可を取ってあげるよ」と言う。私はびっくりしてしまう。どうして、アメリカ人学生が、三鷹警察署長と親しいのかと、いぶかしんだから。私の表情の微妙な変化を見て取った、ベイカーさんは、後日、私を、旧中島飛行機の滑走路で、後ろから首を絞めて殺そうとした。

 ここで、助かったのが、私がよく言っている、神様に見守ってもらっているということのひとつなのだが、当時は、痴漢に襲われたのだと、考えていた。だが、潜在意識の中で、800m近い長さの旧中島飛行機の滑走路で、痴漢をすることを目的にして、待っている学生もいるはずはないし、無論のこと、三鷹市民が、そんなことをするはずもないので、変だなあと思っており、考えに考え続けて、ベイカーさんがやったのだと、やがて気がついてくる。

 私は、ここまで。彼らが、悪辣な、組織だとは気がつかず、そのいきさつを、その事件から40年後に、メルマガ内で、書いてしまった。これが、現在の苦境の始まりでもあるが、ベイカーさんの個人的な失敗であって、私がひそかに暗殺を願われるのなど、受け入れがたいので、戦いを始める。

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副題イ、『私がデモには、参加するなと言う理由が、ここにある』

 この章にも次の日に輔筆します。S君は留年したので、1966年の4月に私が卒業した後でも大学に残っていました。その後、S君の身の上に起きたことが後注2に書いてあるのですが、それが、字が薄くなっていて表出をしません。で、ここでは、S君に関して違う側面から語りますが、私はS君の身の上に起きた、波乱極まりない事件を知って、それ以来、絶対に、「デモには参加するな」と、お若い友人には、言うようになりました。具体的な政治運動に携わっては駄目ですよ。

 今回の特定秘密保護法案でも、永田町に、集積したインテリを自認している人たちのその後に何が起きています? 達成感がありましたか? 徒労感だけが残ったのではないですか?何らかの組織や、集団に属している人は、またしても動員をかけられてしまった。疲れたと思ってはおられませんか?

 しかし、そういう組織に入っているうちに、もし、あなたが、悪辣な部分があれば、それはそれで、歯車に組み込まれて、何らかの不自由を味わうこととなるでしょう。時には、プロの、アサッシンン(暗殺者)に仕立て上げられます。

 また、反対にあなたが、純真だと、つぶされていきます。その手法は、その人に合わせた種々さまざまな手法がとられるので、それが、政治的弾圧かどうかは、本人にもわからないでしょう。で、抗戦する手法さえ見えず、やがて、「うつ病にかかった」ということで、社会的に抹殺をされてしまいます。

 デモに参加すると、その中に、隠れている、CIAなどのプロ集団に、あなたが観察され、一本釣りの目に出会うこととなるのです。そして、ただ、デモに参加しているだけでは、烏合の衆の一人ですから、あなたが、悲惨な目に出会っても、誰も、救いのための証言をしてくれは、しないでしょう。だから、世の中から、抹殺をされてしまって、それで終わりです。

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副題ロ、『一票の格差の、違憲判決が続々出ている理由は?』

 今、弁護士集団が、意気揚々と、勝訴の会見を行っています。18日も二つの違憲判決が出て、NHKニュースが、「これまで、全国五箇所で、2012年の年末に行われた衆議院選での、一用の格差が、違憲とされている」と、言っていたので、全国7箇所で、弁護士集団が勝訴を続けているわけです。

 だが、安部さんは、平気であります。また当事者も平気です。違憲で、かつ、選挙が向こうとされている岡山選挙区から、当選した、自民党議員も、別に、抗議するわけでもないし、控訴したとも聞こえてきません。

 それが不思議ですが、どうしてそうなるかと言うと、実はこの手の裁判も、実効はないのです。どうか、ご安心ください』と言う裏からのお達しが、安部さんに達している可能性が強いからです。特定秘密保護法案と同じく、これもまた、今では、私のブログをつぶすために行われているからです。

 どうして、そうなるかと言うと、前田祝一氏が、昔は、集団訴訟の原告の一人だったのを、私が知ったからです。激しい攻撃を、何波にもわたって、受けてきているので、その度ごとに、私も強くなります。物理学では、作用・反作用の法則と言うのがありますが、人間社会も自然の一部ですから、それが、当てはまり、

 私はどんどん、強くなっていて、バリバリと、モノを書くようになっています。

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副題ハ、『銀座周辺分析(=醍醐イサム論)から、急遽、鎌倉雪ノ下分析へ、方向転換した理由は?』

 最近のもので、彼らが最も怖がっているものは、醍醐イサム論です。それは、阻止したいが、一方で、大原光孝さんとお隣の小野寺夫人が、暗闇の中で、不審な、井戸端会議(無音であり、私を引っ掛けるために行われているのが、明瞭に察せられた)を見聞した途端に、私は急遽、銀座周辺の分析から方向転換して、自宅周辺の分析に、戻ることにいたしました。小野寺夫人を分析する必要もあるが、小野寺夫人と同じような機能を果たしている平木さんご一家も、ここで取り上げておく必要があると判断をしたのです。

 私はそちらのお子様は、かわいいと思っています。だからこそ、それを見抜いている彼らは、そちらを攻撃用弾丸として、使います。良心の塊であり、信仰者としての自述をしている私が、まさか平木さんにまで、言及するはずがないと見なされています。

 しかし、これは、心理的な暗殺作戦の一端なのですから、正当防衛のためには、どこかで、それに言及しないといけないので、先週に大原光孝さんの、工策を見つけた途端に、言及をし始めたわけです。ああいう種類の微妙ではありますが、本質は悪辣極まりない事をされると、神様が、「筆を進めてよい」と、後押しをしてくださるのを、感じるのです。直感ですが、好機が来たと感じます。

 で、言及をするはずもない平木さんに言及をし始めたのですが、これは、前田祝一氏にとっては、衝撃のひとつだったと見なされます。と言うのも、この山の住民が利用され悪用をされている種々の工策の、最初期の発案者は、当時は明瞭に生きていた井上ひさしですが、彼は、今は死んでいることとなっています。その上、大変微妙な使われ方をしていますので、それは、ご近所住まいの人間が関与していないと、発案ができない部分があるのです。

 それで、前田夫妻と、安野夫妻は、上部からの命令の伝達者の領域をすでに超えており、彼ら自身が発案を行う、エージェント化していると気がつき始めます。特にそれに言及した最初の日に、その部分が薄くなって、読めない形となったので、確実だと思われます。

 すると、平木さんご一家の動きも、小野寺夫人の動きもすべて、明瞭に裏側がわかってきます。両方に、前田夫妻の意志が反映しています。なお、前田夫妻と、安野夫妻は、表裏一体なので、両者一体となって、この二組への若い人への教唆、教導が続いています。その発案者4人のうちで、前田祝一氏にだけは、痕跡ほどですが、人間的原初の、良心と言うものが残っていると、推察されます。 これは、すでに詳細を書いているので、ここでは、詳細に触れるのは、止めておきますが、私は、それ(ミスター前田の良心)を、信じていた時期もあるのです。

 ともかく、前田氏は、私があれほど、見事に、かつ一気に、平木さんご一家の分析を行うとは予想できていなかったでしょう。だけど、前田氏が、2013年12月3日(火)の午後に、私の外出に合わせてタイミングよく、目の前を横切って行った際に、『何を、こしゃくな態度をとって、威張っているのですか? じゃあ、書きますわよ。特定秘密保護法案の裏も、平木さんや小野寺夫人の裏も』と、心構えを決めたのです。

 その上、6日(金)の金曜日に、これまた小ざかしい工策を、大原光孝さんと、小野寺夫人が共同して行ったのを見つけたら、『ああ、完璧に、触れていいのですね。特定秘密保護法案の裏側だけではなくて、この山に横行している悪の実態に』と、感じたのです。勝とうと、彼らが、励むときは、こちらもまた、勝機が、訪れるのです。平木さん一家について、その実態を分析することへ、神様からのご許可が下ったのを、察しましたから。

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副題二、『前田氏が、集団訴訟、過労死問題の原告になっていた』

 ところで、その前田氏が、種々さまざまな攻撃を自分で行ってきた時期もあるのです。その最大のものはペンキ塗りお当番事件と言うもので、その頃は、メルマガも、やっておらず、むろんの事、ブログもやっておらず、私はその激しい嫌がらせに負けた者として、ただ、沈黙をしているだけでした。その目的は、アジサイ畑欺もう事件をなかったことにしたいと言う趣旨で行われたと見ています。これもまた、波状的に、何度も繰り返される行動ですが・・・・・・

 あるときに二度目の事として大々的にペンキ塗りが行われたのです。場所は、この山の道路の一部分に付けられた鉄の手すりであって、それが、彼らが最大の頼みとしている道具なのです。アジサイ畑欺もう事件が、悪ではなくて、正当なものだと主張するひとつの道具となっているのです。で、それをペンキ塗りすることは彼らにとって、最大の勝利作業なのです。

 が、その二回目のときに、いっぱい下がっている『ペンキ塗りたて』と書いた紙が、美術館の、ホーム頁をプリントアウトしたものの裏側を使ったものであって、いかにも心理的な暗殺手法の一つではありました。この二回目に、実際に塗る作業をしたのは、前田さんではなくて、別の人ですが、その人は未亡人なので、私が自分に課したルールに照らし合わせて、実名をさらしません。

 で、私は、怒って、初めて前田氏を、グーグル検索にかけたのです。驚きましたね。前から共産党員だろうと思っていましたが、それ以外にも種々さまざまな事がわかって、急に政治分析に、進展が見られたのです。ただし、外部へは、7年か、8年ぐらい、それを明かすことはいたしませんでした。だから、私を見くびって、この3日に、わざと私の外出にタイミングを合わせて、威圧的に前を歩いても、ただ、内心で笑っているだけなのです。

 と、ここまで、副題イから二までを挿入として、19日に書いて、また、18日に書いた部分に戻ります。

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  副題2、『京急、北久里浜駅周辺での、瀬島龍三との、出会い』

 これは、どこかで何度も書いているが、自分の買った土地の隣接地主(=元海軍参謀、益山某氏、瀬島龍三の親友)が、1200坪の、横須賀市の水道山を、ただで、私有化するための、大規模な詐欺事件を企てる。それに、私が、巻き込まれたことから、日本での、CIAの総本山、瀬島龍三に目をつけられることとなる。

 この日(1979年8月ごろ)から、室内も電話もすべて、盗聴をされていたと、今では考える。実はもっと前からだったかもしれない。そして、それで把握したことは、すべて、心理的な暗殺に向けて、利用をされ始める。

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副題3、『鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮隣での、1980年代の経験類』

 鎌倉雪ノ下2丁目に、売り物が頻繁に出る住宅地があり、何度も見に来る。自然環境はすばらしい。何度目かに見に来て、購買を決める。

 石段が100以上あるので、老後の事を考えて、旧宅を売らなかったので、貧相な古家を買って移り住む。後に、父から遺産が入って、1987年に増築をするが、この増築ということがそののち、許可されないように、建築基準法が変わる。それを、2012年に入って初めて知るが、自分が、国家とか、県や、市を利用した、いじめ・・・(間接的な暗殺を願うもの)・・・の中に、組み込まれていることを知るのだった。ただ、この建築基準法の改悪も、私側の、よく言う五億円の被害のひとつなので、まだ、詳細には触れていない。

 電話の盗聴を利用して、私が安野夫人を嫌っていることを知った瀬島龍三は、彼女達、傲慢主婦一派を使って、種々の工作を行うが、その結果、私は、自分の持ち山を無許可で崩され、しかも、所有地も、実質的な泥棒に出会う。その当時、主人は松坂のセントラル硝子へ、出向をさせられていた。これも、私を孤立化させ、弱体化させるための裏工作ではなかったかと思ってはいるが、それは、私側の被害のひとつなので、まだ、詳細には触れていいない。

 そのほかもろもろの苦しみはあるが、お金が入った私は、少女期には封印をしていた画家になる道を目指し、いったん、すべての戦いを、無視して(または、あきらめて捨て置いて)生きていく事となる。 

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 しかし、ここまでで、特筆すべきことは、今、私への攻撃として、行われていることが、すべて、この1980年代には、始まっていて、実行をされていたことだ。つまり、私の生活に、何かの変化が起きたときが、激しい攻撃の端緒が開かれるときなのだった。
 良く知らない土地に移り住み、良く知らない人と出会う。それが、最大限のチャンスであると、瀬島龍三は捕らえていて、その新しい環境で、私に対する包囲網を構築する。
 彼は、大金を動かすことができるし、
 
 自分の人脈の中に、朝日新聞の、偉い連中とか、電通や、マッキャンエリクソン博報堂のトップなどが、子飼いとなっているし何でもできるのだった。だが、私自身はパソコンを使っていなかったので、何も気がつかなかった。あいまいな、形で、自分の周辺に暗雲が立ち込めているのは、推察ができたが、天を信じ、神を信じているので、美しい生活をすれば、何とか物事は好転すると、信じていた。
 特に子育てが、まだ、続いている時期でしたので、大きくは動けない時期でしたし。
 
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副題4、『自力本願系の、宗教を取るか?、他力本願系の宗教を取るか?・・・・が、問題だ』
 
 つまり、ご近所主婦を中心としたいじめを利用した、例の心理的な暗殺計画が、引越しと同時に進行していたわけですが、それには気がつかない振りをしてというか、無視をして、ひたすらアート修行の道へ入ったわけです。
 ここから先は、宗教観について、大切な事を書いたのですが、どうしても、グーブログ上で、表現が見えてこないので、(薄い字でも現れないので)、ヤフーブログ、「北国の鉄道」へ移行して発表をしてあります。それは、まだ、実績がないので、グーグル検索で現れませんので、先頭に書いたような、手順を踏んでいただくこととなります。ご面倒をかけて恐れ入りますが、例の、大巨匠に、嫉妬されている文章なのでしょう。ちょうど、電話もワン切りが起きましたし。
 
で、本日の文章のぴか一の部分が、ここに現れてこないので、仕方が無いので、先へ進みます。
 つまり、宗教観に基づくと、人間とは万能ではないのです。それで、一部分(つまり、悪人達との戦い)を切り捨てて、別の部分に励んだわけです。で、アートの世界でもいっていの成果を上げて、パリへ国費で、研修に行くこともできたし、ニューヨークへは二度も私費で、研修滞在ができることとなりました。
 
 まあ、そういう意味では恵まれている人ではあります。
 
 ところが、彼らエージェントたちは、頭がよくないのですね。アートの世界でも、いじめてくるから、これではたまらないとなって、すべての現象で、戦うことと成っています。
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 ところで、次の日の挿入として入れますが、当初は、この後に、2章・・・20年・・・分のまとめを入れるつもりでした。ところが、昨晩も、PCへの攻撃が起きて、後注2として書いている部分が、薄い字になって読めないとか、書いてアップしたものが、一切表出をしないとか、いろいろ起きてきたので、古いことをとろとろ、書いている余裕がなくなって、新しいものへ進みましょうと、予定を変えたのです。ただ、ここに20年間をまとめて入れれば、銀座での攻撃の分析と、井上ひさしの役割、
 そして、私にとって、彼こそ、エージェント中のエージェントだなとわかってきた伊藤玄二郎などが、登場してきます。それによって、このブログの全体像が明白になるのですが、昨夜は、その部分、2000年以降を、すっ飛ばしています。それは、ご容赦くださいませ。
 
 で、これから先は、以下にリンク先を置く文章(後注1)への続きとして、書き始めます。
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副題5、『靴紐が解けたことが、天の恩寵だった』
 
 私は普段、繰り返し言っているように、大変なめにあっても居るのですが、それでも、無事に生きていて、いっていの成果をあげているのは、信仰心があつくて、それに見合ったお助けが天から下るからだと思います。
 
 昔、フィギュアの選手の靴紐が解けたことがありました。それは、選手にとってマイナスだったのですが、私にとっては、プラスだったのです。それを、これから、2013年時点の事として語らせてくださいませ。そのリンク先である前報では、安野夫妻の家が、大変くらいと書いたわけです。不倫の略奪婚で敗れた前の奥さんは、自殺をしているはずだとも書いています。
 で、それを書いている時にまさしく、2007年から2008年にかけてしょっちゅうあった真夜中のワン切りがあったし、(ただし、往時より、今は、音が小さい)午前3自発で、忌まわしいコメント、『あんた大丈夫か』も入っていたのも、ある部分の人が『それほどの事を書いてはいけない』と、判断をしているのにも気がついてはいます。
 
 だが、私の方ではね。『今でしょ。今書くように神様がおっしゃっていますね』と言う確信があるのです。山ノ下で、大原光孝さんとお隣の小野寺夫人が、意味深に、無音で会話を交わしていたということは、上で、諄々と書いた、心理的手法を使った暗殺の一里塚なのです。自分を守るための行動は、基本的な人権のひとつです。
 小野寺夫人のその種の行動は、すべて、安野・前田、一派から起因していますので、安野夫妻の真実は書かないとなりません。しかも、前夫人が自殺をしているはずだと書いたのは、これが、初めてではないのです。彼らの攻撃は執拗で、繰り返されるので、何度もそれは、書かないと成らない事項となっていて、これが初めてではないのです。気が着かなかった人もいいかもしれないけれど、これが、初めてではありません。
 
 でね、その一回目の時のエピソードが大切なのです。その頃は、彼女は、自分が買っているとか、勝てるとか、そういう風に思っていたらしくて、自分が、私の前に、その姿を現すだけで、私を痛めつけられると思っていたらしいのです。これは、心理的な攻撃のマニュアルにでもなっているのではないかと思うほど、彼らのぺっ(=つば)がついた人間がとる手法です。
 
 だけど、私が書いている文章はすべて、正当防衛に当たるもので、先制攻撃ではないのです。だから、彼らが先にやって来ている悪を書き留めているだけだから、ビビる事は毛頭無いのですよ。で、安野夫人が現れたときに、そのタイミングを問題にしました。我が家から安野家までは、自宅内の折れ曲がった石段も入れれば、18mぐらい歩かないといけないので、2分はかかるかもしれません。糺、玄関と安野家の窓は、直線距離にして、10m、高低さ10mで、あちらの窓から、監視をしていれば、私が玄関を出るのは見えるはずです。
 
 で、我が家の室内盗聴が、そちらの、家に直に入ることになっていれば、私が主人と会話を交わさなくなったら、外出準備をしていることは推察できるはずです。
 昔は、主人に、きちんと、『行ってきます』と挨拶してから外出していましたが、この外出のタイミングを安野夫人ほかに、利用されていることに気がついてからは、
 外出の際に、主人には、挨拶をしないことに決めてあり、それは、主人にも伝えてあります。
 
 で、安野夫人が、見事なタイミングで、自邸から出てきて、私と出くわしたときに、すべては想定内だから、相手が思うほど、びっくりなどいたしません。それよりも、あ、やはり、書いたことは正しかったのねと、思うのみです。それを、さらに傍証してくれたのが、私の靴紐が突然解けたことなのです。こういう些細な現象でも、私は神のご加護を感じます。
 
 当時、1万8千円もするブルーのスエードのショートブーツを愛用していました。それは、丁寧なつくりになっていて、ファスナーと靴紐の両方で足首を締める形になっていました。で、ファスナーばかりで開閉していたので、2ヶ月近く、紐を締めなおしていなかったのです。だけど、家から出て、100歩も歩かないうちに紐が解けるなんて、これは尋常な事ではなくて、実にありがたい、天のお指図だったと思います。
 
 で、それを締めなおすために、安野夫人より、遅れました。石段は、50段ほど先で、踊り場に達して、そこで、90度曲がります。曲がると、安野夫人は、後ろにいる私を見ることができません。それで、曽野見えなくなるぎりぎりのところで、彼女は後ろを振り返りました。そのときに、私は自分が考えていることが、ほぼ、100%正しいことを確信をしたのです。
 
 あのね、頭の働かせ方が、二人は、まったく違うのです。でも、私の方は、彼女のやり方とか、彼女が考えていることは、すぐわかります。彼女が曲がり角で、後ろを振り返ったのは、靴紐が解けたことは見えないわけですから、どうして、追いかけて来る足音が、聞こえないのだと、まず思ったでしょうし、その事を放っておくこともできなかったのです。
 もし、自然な外出であれば、私が突然止まってしまって、追いかけてこなくなっても、気にする必要はありません。仲良しなら、まっていてあげるわと言うこともあるでしょうが、仲良しではないのですからね。自然な外出なら、淡々と、後ろを振り返らず、先へ進めばいいのです。
 しかし、彼女は、私が追いかけては来ないことを、気にせざるを得なかったのです。
 
 それは、自分がタイミングよく、外出して、私の先を歩くことが、威圧に役立ったかどうかを確認したかったのでしょう。下から石段を見上げると、私が紐を結びなおしているのが見えなかったかもしれません。
 ただ、彼女が振り返る直前に、推察したとおりではなかったと思います。彼女は自分の威圧が役立って、私が自宅へ一度引き返したか、それとも、彼女をやり過ごすために、一度とまったと、考えたのでしょう。その両方とも彼女の勝利感を高めます。彼女が結論を、どういう方向へ持って行ったかはわからないものの、
 私の方は、その振り返りを見た途端に、まったく異なった考えを抱きました。
 内心で、欣喜雀躍をしました。これが、私が正しいことを書いている傍証になると、感じたからです。ほんの些細な現象ですが、自分の諸行動が正しいことへの、確信に変わりました。
 
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副題6、『旧約聖書の、ある一節を、1961年に読んで、いまだに覚えているのだが』
 
 ここで、突然ですが、ちょっと、鎌倉雪ノ下を離れて、旧約聖書に、入らせてくださいませ。聖書は、何冊も持っているが、最もちゃんと読んだのは、1961年買った、小さなサイズのもので、当時浪人をしていたので、旧約聖書と言う、単純な(?)ものも読み得たのだと思います。
 
 娯楽性が少なく、繰り返しがとても多いので、若い身には、単純に思えたのです。ただ、世界の古典だから、しっかりと把握しないといけないなと思いながら読み進みました。
 
 無論、面白いところはあるのですよ。ヨブ記みたいにね。ただし、ユダヤ人の神話的歴史をたどるところは、あまり面白くはないのです。アブラハムの子供がどうしてこうしてと、延々と続きます。ただ、名前について、特記すれば、アブラハムは、リンカーン大統領の名前に取られていて、イサクは、アイザックスターンとか、西村伊作に、引き継がれていますので、やはり、読んでおいてよかったと思います。
 ところで、その中に、とても気にかかる一行がありました。
 
 『神は何々を祝福せず、その胎を開かれなかった』という部分です。何々の部分には、女性だと思われる名前が入ります。
 つまり、不妊の妻を持った族長(または、王様)が、居たと言う記述なのです。
 
 19歳で、未婚、見通の私から見ると、なんとも奇妙な記述でした。それに、同情心のかけらもない記述でもあり、『これは、問題があるなあ。旧約聖書って、別に聖なるお話だけでもないんだなあ』と、考えたのでした。
 
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副題7、『民族の興亡は多産、如何にかかっている?・・・・・でも、食糧難が迫っていますね』
 
 旧約聖書は、ユダヤ民族の歴史的神話の要素と、苦難の中にあっても神を信じれば、必ず、救い手が現れるのだという信仰の部分があるわけですが、ある、民族が繁栄する、または、そこまで行かなくても、継続をしていくだけのためにでも、多産でないと駄目なのですよね。
 
 本当は日本など、原発が、55基ですか、70基ですか、あって、それの核ゴミ(発電後の、核燃料棒)をどうするかを考えると、自然消滅しかねない国家なのですが、
 その一方で、子供があまり生まれない、傾向が強くて、その方向でも、滅亡しそうな国家です。
 消費税を上げたりすれば、ますます、庶民は不安がって、子供を生まなくなるでしょう。その前に、ふつうに暮らし、結婚をするのさえ、無理に成っている階層が多いのですよ。
 だけど、他国へ逃げて行けば幸せかと言うと、それが、またそうでもないのです。
 
 北朝鮮の今回の粛清ですが、恐ろしいことに、犬、120匹に襲わせて、それを、幹部300人が見物したということです。嘘であることを願いますが。
 粛清をされた幹部ですが、あの人は、北朝鮮ではインテリの方だったらしいですね。良く考える人が、今回は、粛清をされました。
 
 じゃあ、そのとなりの中国がどうかといえば、住居や階級の移動に自由がなさそうだし、子供を生む数の制限もあるそうですから、これまた、特権階級にならない限り、幸せに暮らせる国ではありません。
 
 私なんか預言者といわれるほど未来が見えてしまうのだから、本当に暗澹たる気もちになることもあって、そういう時は四川省などと言う極単純なゲームをして、思考停止にいたします。
 
 で、私は長らく、この文言を、ユダヤ民族の多産を願う、民族継続への願いの言葉として、自分とはまるで関係がないものとして、忘れていたのです。
 
 ところが、最初に、無視したその言葉ですが、45年後の今では、深い意味をもって胸に迫ってくるのです。
 
 最近、例の奥様からアタックを受けたり、また、彼女に使役・支配されている別の奥様のケンカイな行動を見ていると、その文言が、意味を持って思い出されるのです。
 
 女性にもいろいろ、種類があるのです。素朴な人、安心できる人、そういう女性と結び合い、たくさん子供を生んでもらうのが、幸せのひとつの形でしょう。子供を生むためには、女性側だけに責任があるわけでもないから、自分に安心して子供を抱かせてくれる男性と結びつくのも大切です。
 ご本人には、いろいろ、理屈もあると思います。「別に、不妊ではないのです。選択してそうしたのです」と、言う言葉が出てくるでしょう。
 
 デモ、そちら側から、やってくる心理的暗殺を狙った弾丸の、いくつかを、詳細に検討すると、やはり、『素直ではない女性だね』と、感じますね。
 
 私が平木さんに対して、相当な文句を書いているのも、
 
 せっかく素朴で、よい奥様と結びついて、愛らしいお子さんが、二人もできたのに、その大切なお子様方を、天の祝福のない人達への貢物となさっていることの、恐ろしさに、気がついてもらいたかったからなのです。小さいでしょう。だから、よけ意に、効果があると見なされて、頼まれていると思いますが、平成の八墓村が、起きた直後に、それを利用して、私を心理的に暗殺しようとする人たち、それらの手先に、利用をされていることの恐ろしさに気がついてほしかったのです。彼らは、世田谷一家殺人事件を、始め、種々さまざまな、不可思議な事件に、みんな関与していると推察できます。
 
 天文愛好家の犯人は、まだ捕まっていないでしょう。助ける人間がいて、無事に逃がしたのかも知れませんし。お分かりでしょうかなあ? 
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副題8、『宗教とは何なのだ?』
 
 先ほど、消えてしまった文章を思い出しながら書き直してみましょう。宗教とは、・・・・・・自分より、もっと上の存在に、自分が愛されていること。および、慈しみを受けていることを、あなたが、察することだ・・・・・と思います。・・・・・
 
 それぞれの宗教団体が、信者を縛りつけ、献金が、常に入ってくるように、作法とか、ルールとかが決められていて、不自由になっていると思います。それで、宗教、を嫌ったり、軽蔑する人は多いでしょう。しかし、私は65歳過ぎてから、強烈に宗教心(自分が見守られていることを信じること)が、大切な事に気がつきました。
 
 似非人格者と、似非、信者は、駄目だけど、本当の宗教心を持っている人間は、幅があります。その上ぶれないです。なかなか、いないけれど、そういうものなのです。
 
 これは、消えた原文ではないのですが、趣旨はそうです。なお、副題4~5までの間で、20年は過ぎていて、複雑なエピソードもあるのですが、本日は、それは、書きませんでした。
 
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この先に加筆をする可能性はありますが、この19日は、ここで、止めとしておきたいと思います。
 
 なお、このブログの2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は1941423です。
 
 
後注1、
 

天文愛好家殺人事件は、急に情報が消え、反対にイエメンで、外交官への襲撃が起きたが、その深層は?

 後注2、
 s君は、留年をした。で、これから語ることは、私自身が見たことではなくて、伝聞なのだが、成岡君が、エージェント化している証拠のひとつとして、語りたい。
 1966年に、講堂で、激しいつるし上げにあったS君は、絶望の果てに、千鳥が淵からお堀に飛び込んだそうだ。だが、どうしてか、救出され、強制的な睡眠療法で、心身ともに回復をした。が、懲りたらしくて、国際キリスト教大学時代の友人とは、一切の連絡を絶つ。
 夜。お堀に飛び込んだら、救出されえないと思うのだけれど、尾行がついていて、救出をされたのだと思う。つるし上げそのものも、尾行も、救出もすべては、裏でベイカーさんと成岡君が、協力して行ったと、私は推察する。日比谷高校の同期生として、成岡君は、純真極まりないS君を犬死させることがしのびがたかったのだと、私は推察しているが、間違っているかもしれない。
コメント
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