副題ゼロ、『他人の子供を、たくさん育てた私の体験から、判ることを、まず最初にお話しましょう』
以下の文章で、私がずいぶん居丈高にものを言っているとお考えになる方があるとは、思います。人に本当の事を説明するのが、いかに大変なものかを書き上げて、10時間後ぐらいにしみじみと思うのですが、
実は、私は『自分は、かっこう(鳥)か?』と思うほど、他人のお子さん方の世話を一方的に押し付けられて、それらを育ててきたのです。どうも、外見がとても優しく、また、おとなしく見えるせいか、いつもいつも、踏みしだかれ、他人にこき使われる役割りなのです(笑い)。
北久里浜では、とんがった岬状の場所に住んでいたので、ご近所の数が、とても少ないのですが、そのうち、二軒が、子供を幼稚園に入れないで、朝早くから、内へよこして、私に面倒を見させるので、本当に、往生をいたしました。当時、フジテレビに、ポンキッキと言う幼児向け番組があって、それが終わるのが朝8時15分だったのですが、それが、終わった途端、小さな兄弟が、二人遊びに来るのです。
お母さんが、ルソーの『エーミール』の信奉者で、『子供は、しつけをするべきではない』という考えなので、何にもしつけができていなくて、それは、大変だったのです。あまりに、物分りが悪いので、別に障碍児でもないのに、幼稚園が入園試験で落としたのでした。他の幼稚園にもトライしたそうですが、すべて入園拒否だったそうです。
でも、お母さんは反省しないで、『川崎さんは、公平で、優しいから安心だ』といって、私に預けっぱなしです。その間、レコードを聞いて(ロックをがんがん音高く掛けている)、編み物にせいを出しているのです。だから、お子さん方は、手作りの、とてもかわいい洋服を着ています。お人形さんみたいにかわいいです。
私は自分の子供を自由に遊ばせたいから、管理はしたくないのですが、自由に遊ばせる際にも、子供なりのルールをわきまえていないと、危なっかしくて、子供だけで遊ばせられないのですよね。『よその家・・・・特に子供サークルの家以外の家・・・・・のものを壊してはいけない』というような、基本的な事がわかっていないので、いつも目を離せず、本当に大変でした。それなのに、お礼ひとつ言われない。
もう一軒の家は、経済的観念から、けちで、こどもを幼稚園に入れないのです。銀行にお勤めだから、給料は高いはずで、子供を幼稚園に通わせられないはずはないのですが、お母さんが、お定まりの、『男の子の方は、かわいいが、女の子の方は、かわいくない』というご家庭で、お母さんが、「お兄ちゃんを通わせたけれど、別にたいしたことも習って来なかったから、こっちは通わせないでいいわ」と言ったらしいのです。お父さんは、妻の尻に敷かれるタイプだから、「そうだね」と言うことになったのでしょう。
お母さんにかわいがられていないから、とても陰険なところがあるのです。お菓子を自分の家でもらっていないらしくて、我が家で、おやつに上げるお菓子が大好きです。が、そのうち、私が洗濯ものを干している間に、つまり、午前10時より前に、お菓子を探し出して、押入れに隠れて、食べるようになったのです。我が家の、まだ幼稚園に上がっていない下の子よりも年上なので、内の子に遠慮するということもないし、内の子も、どうしてか逆らえないらしくて、本当に困りました。基本中の、基本である、「泥棒をしてはいけない」とか、「お母さんをだましてはいけない」ということを、自分の子にまで、教えられないので、本当に困り果てました。
これは、教えても、言うことを聞かないだろうと思って、防衛上、高いところに隠したりしたのですが、駄目でした。五歳でも探し出してしまうのですよ。
だから、すべてのお母さんに言いたいが、「こどもは、きちんと、自分で育てないと駄目ですよ」と。そして「愛情豊かに育てないと、ずるい子に成ってしまいますよ」とも。ずるい子は親の前と、それ以外では、態度を変えるので、真実が見えません。自分の家に、他人のお子さんを呼んで、一緒に遊ばせる。それも、一日に五時間ぐらい一緒にすごす姿を見てみる。そして週に二回は、そういうことをしてみる。こういうことが非常に大切です。
今、子供社会にいろいろな問題が起きていますが、お母さんが、小さいときから、ほとんど、面倒を見ていないから、そういう、もろもろの事が起きると思っています。保育所もいいのですが、保育所は、先生が、重労働、かつ、長時間労働なので、どうしても、先生の方が、管理的に、支配する仕組みが、できあがっていると思いますよ。そうすると、本当の意味での、複雑な生活の、各種の場面での対応を、こどもは学べないのです。そうすると応用力がないので、学校へ行ってから、いじめられっ子になったりする。
本当に、男性側のお給料を高くして、幼い頃の子供を持つお母さんは、子供の面倒を見たほうがいいと、私は考えています。お勤めに出る方が、ずっと、女としては、楽ですよ。だけど、その時期の苦労を、お母さんは、体験をしておかないと駄目なのです。母にとっても、子にとっても。両方にとって、そうなのです。
あの頃の私は、『自分は何んて、損な役割を、いつも担うことになるのだろう』と、残念に思ったり、悔しいと思ったりしていました。そして、あまりに疲労が激しいので、歯をめちゃくちゃにいためました。根幹治療と言うのを、しなくては成らず、それが、効果があがらない際は、抜くのです。だから、上は、今では、総入れ歯です。
ところが、人生に無駄な事はなかったのです。神様は、よくした采配を行っていらっしゃいます。あの長い年月の苦労があるから、今、人間を見る目が養われていると感じています。誠実な人間か、そうでないかが、すぐわかります。骨惜しみをする人間か、そうではないかも、すぐ見抜けます。
北久里浜のご近所だって、そういうばかげたお母さんも居れば、ちゃんとしたお母さんも居たから、その差に、まず、気がつきましたしね。そして、子供が大きくなるにつれ、ご近所からは、自由になるので、やがて、楽になりました。が、そこから、始まって、世の中には、いろいろなタイプが居るものだと言うことが、わかりました。
こういう駄目なタイプのお母さんですが、実は、「父親が戦死しています。だから、お母さんが働きながら、自分を、育ててくれた」という過去があったりするのです。で、自分自身が親にかまってもらっていないし、それゆえに、豪胆で気丈なタイプでもあって、「川崎さんは、神経質すぎる」と思っているらしいのです。だから、それとなく、困っていることを、暗示しても、ぴんと来ないらしくて、反省しないのですよ。
私はあまりに、思い余って、「あの子達、今は、押入れで、お菓子を食べているな」と言うころあいを見計らって、そのお母さんを、我が家に呼びました。押入れでお菓子を食べている現場を見たときは、さすがに、恥ずかしかったと思いますよ。押入れ、下段の客布団の、白いシーツの上に、お菓子の生キャラメル風のお砂糖部分が、べっとべっとについているから、逃がれようもない証拠でした。そんな狭い空間に、自分の子が隠れていて、自分を上目遣いに見上げる。それは、恥ずかしかったでしょう。こういうのは、毎日『お世話になりますね』と、お礼を言いながら迎えに来てくれれば、悪い芽が小さいうちに、摘み取ることもできるでしょう。毎日、話し合えれば、事はもっと、容易なのです。
だけど、他人の苦労がわからないから、お礼を言いに来ないのです。デモ、時々、そちらでも遊ばせてくれれば、こちらだって、心が休まるのですが、それこそ、カッコウ(鳥)の託卵並みに、私に預けっぱなしなのです。
だから、常に、自分のやり方と言うのを、疑わないと駄目なのです。それをやらないと、駄目なのです。自信があるのはいいけれど、それでも、『これで、私の日常は、いいのかな?』と言う疑問符を、常に、自分自身に対して突きつけておかないと駄目なのです。そして、こういうことは、育児書にも書いていないし、教育心理学の教科書にも載っていません。現場に居て、体験してこそ、初めて、判ることなのです。預けっぱなしで、テレビドラマなんか見ていたと思いますよ。彼女には、手芸の趣味はなかったから。
そして、自分が得をする方に回るのは、駄目なのですよ。自分が損をする側に立っていると、安心なのです。上の件でも、お世話を長く続けてきた私の方が、実質的に、上に立つのでした。だから言いたいのです。『勝気で、目に見える形で、上にたちたい主婦なんて、最低だ』と。誰の事を指しているか、連続してお読みいただいている方には、すぐ、お分かりでしょうね。
ところで、以下の文章ですが、27日いっぱいさらしていた総タイトル『倉本聡さんって、NHKと、喧嘩しているはずだったのに?』を、上のものに、変更させていただきます。
副題1、『倉本聡さんって、NHKと、喧嘩しているはずだったのに?』
副題2、『倉本聡さんの、エッセイを読むと、三鷹ストーカー事件についても、理解できるとこが、あるのだが』
副題3、『北の国からの、忘れられない名場面・・・・・汚れた運動靴を拾いに行く場面』
副題4、『北の国からでは、貧富の差が描かれている。そして倉本氏は、貧しいものの味方だと思われるのだが?』
副題5、『中絶の費用に関する、菅原文太の、北の国から内での、名・台詞』
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副題1、『倉本聡さんって、NHKと、喧嘩しているはずだったのに?』
私は一度、や、二度に限らず、三度、四度、大島町長、川島理史氏について批判的に触れています。だからこそ、大島町長、川島理史氏は、何度もNHKニュースに登場しました。単に報告をされるということではなくて、インタビューまで受けています。それも、五分以上の長さにわたって。
特に最近、これは、ひどいと思ったのは、猪瀬知事が、「年俸を、12ヶ月返上します。ゼロ円で働きます」といっているのに、リンチに近い形式で、都議会、総務会で、攻め立てられましたが、まさしく、その同じ時期に、『大島町長、川島理史氏が、10月16日の当夜、不在で、適切な指導を行えなかった、責任を感じて、3ヶ月の減給を申し出でた』というニュースを流し、と、同時に、彼のインタビューを流したことです。短いですが、また、彼が夜7時のニュースに登場しました。10月26日と、27日に五分以上の長さで、彼をインタビューしたことに引き続いての話しです。
私のブログは、得がたい真実を書いています。ので、それを、つぶしたい勢力は、多くて、私が書いたことへの反対方向の、事実とか、ニュースが必ず、流されます。ただ、大島町長・川島理史氏が、どうして、これほど、大切にされるかと言う事実への分析が、ここで、やっとできるようになりました。
それは、有明海問題について、書いた、2012年12月20日の記事と、次の21日の記事を、書いた後だからです。そこは、私としては、相当に重要な事を書いています。それゆえに、ここでも、はっきりと、書き抜けるのですが、川島理史氏が、あれほど、ちやほやされるのは、共産党員だからです。
現在日本最大の権力者は、安部総理大臣でもなく、天皇陛下でもありません。世界を牛耳っている、国際的軍産共同体であって、それの意を呈して動く、日本人エージェントたちです。彼らのうちの一部は、オモテ社会でも有名人です。だが、大衆社会では、それほど、有名になっていない人物が、極大の権力を握っているケースもあるのです。
彼らは、その権力を、どういう風に行使するかと言うと、フリーメーソンなどを通じて、各界にいる協力者の、力も仰いで、まず、メディアを動かします。最近では、朝日新聞よりNHKの方が、如実に使われていると思いますが、誰もNHKを批判をしません。と言うのも、少しぐらい有名になって居る人は、テレビの世界の効果を知っていますので、より、有名になるためには、テレビに出られなくなると、困ると思っているので、NHKを、絶対に批判をしないのです。
それにNHK側も良く考えておられます(笑い)
たとえば、ルール違反の毒舌が売り物の、ビートたけし氏を、重要な番組に起用しています。主にBSプレミアムで、放映をされた、美術番組です。一時間半か二時間を使わせていました。それから、同じく、直言やら毒舌が売りの、爆笑問題を、総合チャンネルの深夜帯で、知的な番組に使っています。そうなると、彼らがNHKを批判することは考えられません。
また、あまり、政治的な発言はしないが、フジテレビに長らくべったりだった、タモリだって、『ぶらタモリ』に使われていますね。あれがあったからこそ、彼は『いいとも』をやめたくなったと、私は見ています。
そして、極めつけは、倉本聡さんです。氏のエッセイを読むと、NHKと、ケンカをしたと書いてあります。氏は1970年代にはすでに、有名な脚本家だったらしいのです。ここで、らしいと言っているのは、私はテレビドラマの脚本を書く人に、関心がなかったので、良くわからないからなのです。倉本聡氏の才能を疑っているわけではありません。
で、大NHKを敵に回したと、エッセイ集で読みましたけれど、フジテレビで、放映をされた『北の国から』は、傑作だと、私は思うので、倉本氏が喧嘩したというNHKのスタッフは、それなりに、駄目な連中だったのだろうと思っております。傲慢だったか、尊大だったか、どちらかの弊害があったのでしょう。
今のNHKは、当時よりは、低姿勢になっていると思いますが、1970~80年代に掛けては、視聴率など、気にもしていない態度であったと思います。週末の、しかも、ゴールデンアワーのプロデューサーなど、江戸時代のお殿様より、威張っていたと思います。
しかし、威張っていても、所詮サラリーマンの枠を出ない生き方です。大組織・NHK・を背後にしているから威張っていられる、虎の意を借る狐の類でしょう。だから、この喧嘩に、私を含む、世間のたいがいの人は、『倉本さんの方が、正しかったのだろう』と判断をして居る筈です。わたくしはさらに、『氏には、そういう過去があったからこそ、北海道への移住決意もあって、あれほどの、傑作が生まれたのだ。天は、面白い采配をなさるものだ』と、感じていました。
ところが、その倉本聡さんが、最近、立て続けにNHKに出ておられるのです。それで、は、ハーンと、頷けるものがありました。
それは、美術9条の会と言う忌まわしいものがあって、・・・・・・それに、よって、私が甚大な被害をこうむっているわけですが、・・・・・その9条の会に所属している渡辺豊重さんと、かれに、金魚の糞よろしく、くっついて歩いている、一の瀬智恵乎(=三鷹ストーカー殺人事件の被害者の母)さんに、いじめられて来ているわけを解明しつつありますね。
それを書かれる事は、そういういじめを源流として、計画した伊藤玄二郎、酒井忠康、井上ひさしなど、鎌倉エージェントの三人組にとって、不都合な事だから、倉本聡さんを、NHKテレビに』露出させることによって、私の文章を否定して行き、私をへこませようと、その三人が考え出していて、それゆえに、私が、一ノ瀬さんを批判しているからこそ、その叔父に当たる倉本さんを、NHKに頻繁に露出をさせる事が、私をへこませることにつながると、彼らが考えたので、倉本さんを多数回、露出をさせていると、、私は見ています。彼らは、自由自在にNHKを動かせますので、こういう風に手配をしていると、感じています。
数ヵ月後に、倉本聡原作のテレビドラマが、NHKで放映をされる可能性があります。が、私は、倉本さんは、美術9条の会には関係がないし、
しかも、傑作、『北の国から』を創作した人だから、氏のドラマがNHKに登場することは嫌ではありません。これもまた、天の采配だと考えています。「よかったですね。NHKと、和解ができて」と、祝福をします。井上ひさし・関連もの・が過剰に露出するよりは、よほど、自然であり、感じがよいことだと考えています。
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副題2、『倉本聡さんの、エッセイを読むと、三鷹ストーカー事件についても、理解できるとこが、あるのだが』
ところで、倉本さんが、NHKと、喧嘩したのは、政治的な理由ではありません。つまり、倉本さんの男気の発露だったのです。侠気といってもよいかな?
で、私は好意を持って、倉本さんのエッセイを何冊か読んだ記憶があります。繰り返し、話しているように、中学や、高校時代の子供って意外にも手がかかり、母親は、まっすぐ、自分の志向を実現するべきではないと考えている人間なので、その頃は、図書館で借りた本を読むのがメインの仕事でした。鎌倉の中央図書館って、とても小さくて、それゆえ、ドキュメンタリーとエッセイについては、読みつくしてしまったと思うほど、読書に集中していた時代です。
そういう私から見ると、一ノ瀬智恵乎さんの生活ぶりは、批判に値するものでした。最近知り合ったわけではないのですよ。8年ぐらい前から気がついていました。彼女の方は何も気がつかなかったと思いますが、3分一緒に居ただけで、その人の本質がわかる私が、同じ場所に、8時間ぐらい一緒に居たのですから、いろいろ、気がつくのも当然です。
特に子育てについて、やるべきことをやっていないと考えていました。それでも、それ自体は、批判すべきことでもないのですが、彼女が画家として高い評価を得ている理由のひとつとして、・・・・・母であること・・・・・があげられていると感じていたので、『嘘ばっかりですね。 この人も、私の雪ノ下、自宅近辺で、嘘ばかりついている安野夫人と同じく、こどもを自分のアクセサリーと考えて、ただ、母であるという立場を、利用しているだけですね。本当の子育てをやらないで』と、感じていた次第です。
それは、後注1であげている4本のブログで書いていますが、まだ、書き足りないところがあるぐらいです。特に社会階層の問題を取り上げて語らないといけない部分もありますから。
ただ、倉本聡氏のエッセイを読むと、氏が激しく兄を、叱責しているところがあります。兄と言う人物は、○○をされたとありました。その弱さを怒っておられるのです。それで、もし、沙彩ちゃんが、そちらのお孫さんだったら、あの上昇志向も仕方がないかと、思っていたのです。つまり、家族の中にある弱点を抱えている人は、却って強い上昇志向を持つことがあるからです。そういう意味で、高松二郎の孫だと沙彩ちゃんが、フェイスブックか何かで宣言し、それを、高松側から、彼女の死後、否定をされているというのも、理解できるのでした。
と言うのも、今は削除されていますが、あの三鷹ストーカー殺人事件についての、世間一般の評判は、沙彩ちゃんにも母の一ノ瀬さんに対しても、決して同情的ではないのですね。その理由ですが、一般家庭の、少年や少女達の性が、あの事件で、さらされてしまったほどには、乱れていないことを指し示しています。
渋谷で、援助交際に励む女子高生が多いと言うような報道を耳にすると、非常に乱れているように思いがちですが、実際にはそうでもないはずです。高校時代までに、セックスを経験するような子供は、まだ、少数派なのではないかしら? だから、そういう若い人々から、沙彩ちゃんの方が批判をされています。お母さんの事も無論批判をされています。
と言うのも、引きこもりが、実際には、300万人程度居るはずだといわれていますよね。それは、18才から、38才までを含むとして、一年間で、15万人生成されているとなります。
一年間で生まれる子供の数が、110万人程度だったと思いますから、一割を超える少年が引きこもり状態になっていると見なされます。少女の方はリストカットに入り、少年の方は引きこもりに入りがちなのです。すると、その男の子たちは、セックスなど、経験していませんね。だから、その周辺を入れて、半数程度の子供にとって、セックスにふける、日常など考えられないのです。
それは、働くお母さんが多くて、私がここで、主張しているほどの注意を子供に、注ぐことができなくても、そういう家庭では、お子さんの方がきちんと自覚をして、のりを超えないということでしょう。子供のそばに居られない母が多くても、子供の方が、自主的に、規律を守っている野が、感じられます。実際の日本社会には、そういう子供が多いということを示しています。
「セックスの上で、紊乱をおさえなさい」ということは、口で教えることではないのですよ。お母さんが、苦労をしていると見れば、子供は自己規制をします。セックスは、せめて、大学に入学するまで、やってはいけないということを教えるのが母親ですが、口で言ったって駄目なのですよ。母親自身の生活が反映している世界です。
それこそ、母が、愛情を注ぐから、子供が判る部分なのです。そして、愛とは、エネルギーであり、時間を掛けないといけないものです。べたべたすることが愛でもないのですが、こどもを注意深く観察しながら、こころで、サポートをしないといけません。特に沙彩ちゃんは、一人っ子で、兄弟が居ないので、子供同士の会話から、こどもの本音が見える可能性が少ないです。だからこそ、気をつけないといけません。
それなのに、五月にお母さんは、海外に行っているし、当日も外出していましたね。これは、まずいです。注意深さが足りません。すでに、池永チャールス・トーマスとの間に、悶着があるということがわかっている段階で、お嬢さんを、こんなに、野放しにしていてはいけません。
もっと、保護しないといけないのです。そんな役割は、画家として、ちやほやされることに比べると、とてもつまらない仕事です。だけど、子供を生んでしまった限り、やらないといけない仕事のひとつです。
だけど、一ノ瀬さんはやらなかったのです。とても無責任です。ただし、一ノ瀬さんの、父が、もし、倉本さんのエッセイに出てくる、○○した兄だとしたら、仕方がないといえるかもしれません。遺伝子の中に、無責任が入っているとして・・・・・
倉本さんは、兄を、「人間として、無責任だ」と、𠮟っているのですが、芸術家って、そういう部分も内包して、芸術家たりえるのだから、倉本聡の方が、頑健すぎるともいえるのです。氏は、下の方のお子さんだから、親もリラックスして育てたので、頑健な精神を養ったのでしょう。兄といわれる人が、長子だったら、親が神経質に育てた可能性はあります。
で、それがあると、書きにくいなあと思っていたのですが、一ノ瀬さんは、その兄と呼ばれているきょうだいの子供ではなくて、姉と呼ばれる人の子供だそうです。どこかで、それを読んだのですが、それを読むまで、この一文を書かないでおいてよかったです。
ただ、お葬式を公開形式・・・・(開式の時間などを、マスコミが知る形)・・・・で、やったのは、ひどくまずいと思います。家族だけで行い、倉本さんも参列しない方がよかったです。そのほうが沙彩ちゃん自身の名誉も家族の名誉も守ったと思いますよ。
そういう判断ができなかったというのは、お子さんのすべてを、あまりにも知らなすぎたということが、裏にありますね。それだけ、不注意なお母さんだったのです。これは、絵描きとか、作家と呼ばれる、すべての母に突きつけられている課題です。作家と、母であることの両立が、どれほど、難しいことかを明瞭にしている事件です。
人間の精神も行動もひどく複雑なものではありますが、母親の方が、子供を真実愛していたら、子供の方は、道徳的に、自己規制をするはずなのです。「母親を、悲しませてはいけない」と自然にわかるはずだから。また、母親の方も愛情豊かだったら、三鷹警察署に、訴えに行ったその日に外出をするなどと言う不注意な事は、絶対にしないはずです。そこは虫の知らせがあるはずなのです。
私なんか、8年ぐらい前から、『この人は危ないお母さんだなあ。将来お子さんの事で、きっと苦しむことと成るでしょう』と、判っていたぐらいですから。他人なのに、そこまで判っていたのですよ。比較して、一ノ瀬さんは、あまりにも鈍感すぎる。
美術9条の会の人たちが、私をいじめて来なかったら、ここまではっきりとは書きませんよ。どうせ、井上ひさしが、裏で暗躍していたに決まっていますが、ワシオトシヒコ、赤津侃、野見山暁司、そして、渡辺豊重が、どう動いたかが重要です。特に最後の人物は、横須賀線の車内で、いじめて来たのですが、それを、そばに居た一ノ瀬さんが、笑いながら看過したので、本当にびっくりして、こんにちの惨劇を、予定調和な事として、すでに、その時に、心の中に受け止めたのでした。
人の子の母親である人物が、いじめを一快楽として捕らえることの忌まわしさに、びっくり仰天をしたからです。子供がそばに居なくても、母とは、道徳的規範を守らないといけません。昔から言うでしょう。お天道様(おてんとうさま)の下を歩けるかどうかと。
渡辺豊重さんの方は、横浜のサッカー場のエントランスの天井画を描くという仕事をもらっていて、それと、バーター取引で、こうする様に教え込まれているから、仕方がないとしても、一ノ瀬さんは、それほどの、大金をもらっていないでしょう。じゃあ、こういう態度をとってはいけません。
『悪魔様たちと、とつるむ』と、こうなる。そんな一例として、この事件を、受け止めています。他人を、自分とは、何の直接の因果関係もないのにいじめるという事は、天のご加護に見放されるという事なのです。
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副題3、『北の国からの、忘れられない名場面・・・・・汚れた運動靴を拾いに行く場面』
ドラマ『北の国から』は、純と蛍と言う小学生が主人公として、第一期が始まりました。普通は、ドラマなど見ない我が家だったのに、それだけは、子供が友達から評判を聞いて来たのか、それとも、新聞の案内を見て、よいドラマだと思ったのか、主人以外は、全員見ていました。夜10時からだったはずで、実は大人向けのドラマだったのかもしれないのですが、ちょうど、純と蛍と、同じ年代のわが子たちも、熱心に見ていました。
私の子供たちが、どの場面を好きだったのかは、彼らには質問をしたことはありませんが、私としては、一番、ショックであり、また涙を流したのが、運動靴を、ゴミ捨て場に拾いに行く場面です。第一期以降のスペシャルでは、他にもありますが、第一期では、この場面です。
純と、蛍の両親は、離婚をしています。きょうだいは、母の妹、に、こまごまとした部分の面倒を見てもらいながら、父と一緒に北海道富良野の、特に麓郷と言う山の中で、暮らしています。電気もガスも水道もない地域です。蛍の方は無条件に父が好きなのですが、純の方は父に批判的で、東京を懐かしく思っています。
あるときに、きょうだいだけで、東京に行き母に会います。母にはすでに、再婚相手が居ます。その役を伊丹十三が演じていました。仕事上はサラリーマンらしい男性です。伊丹十三は、きょうだいが、はいている運動靴(=今で言うスニーカー)を見て、あまりにも汚れていて、みすぼらしいので、町の靴屋で、新しい運動靴を買ってくれます。
遠慮があるので、きょうだいは、伊丹十三の言うがままに、そこで、すぐ履き替えます。継父である伊丹十三は、東京びとの典型として、靴屋の主人に、「古い方、捨てておいて」と頼みます。で、靴屋の主人は、はいと言います。この部分を書いた後で、グーグル検索を見てみると、この後、二人は、巡査(平田満)に質問をしてゴミ捨て場を探し出し、運動靴を拾いなおすのでした。
平田満の部分は、忘れていましたが、きょうだいが、古い靴を拾いなおす場面は、忘れられないほど、感動的でした。これは、30年以上前の話なので、まだ、ごみの分別収集はない時期であって、半透明のゴミ袋に入れる形ではない形で捨てられています。
父は、開墾して、少量の作物を作っているのですが、現金収入はほとんどありません。だから、モノを大切にするという習慣が、子供たちの身についているのです。と、同時に、見ている私達に、純と蛍が、北海道に居るお父さんの事を思い出して、その大切さを、こころから感じた場面として、忘れられないものとなっています。その後、「続く」と成って過剰な説明はなかったと思いますが、兄弟は次の週には北海道で暮らしていました。
つまり、ここには、明瞭な主張があるのです。『東京より富良野の方が、子供にとっては、いいのだ。お父さんと一緒の方がいいのだ。東京でお母さんの元で生きていくよりは』という。
これは、倉本聡の、強烈な時代への批評となっています。1980年代はバブル期であって、モノは買っては、捨て、買っては捨てる時代でした。しかし、その30~40年前には、日本中で物資が欠乏していたのです。『今の、あんたら、少しおかしいのではないですか?』と言う問いかけが画面から、ひしひしと伝わってくる、すごい場面でした。
第二期とか、第三期として、2時間ドラマとして、中学生になった子供たちの生活が描かれ、大人になるまで続きました。
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副題4、『北の国からでは、貧富の差が描かれている。そして倉本氏は、貧しいものの味方だと思われるのだが?』
実はインテリの家庭では、親戚をそれほど、大切にしないと言うことがあります。庶民的な家では、一家眷族の中から有名人が出ると、すぐ、自慢をする人が居ますが、インテリが、身についている家では、そういうことはおしゃれではないと、見なされ、軽蔑をされます。そして、お互いに、尊敬をせず、大切にも思いません。それは、どうしてかと言うと、多面的にものを考える習慣がついているからです。社会的な成功といったって、それが、いつ逆転するかはわからないし、人間なんて、どいつも、こいつも、たいしたことはないよと思っている気風も有るでしょう。
こういうことを言うのは、沙彩ちゃんが、ああいう形で、殺される影に、ご両親が、相手の男性の扱いを間違ったというところがあると思うからです。
もし、倉本さんのドラマ『北の国から』を見ていたら、貧乏人を馬鹿にしなかったでしょう。そうなると、あそこまでの恨みを池永チャールストーマスから、浴び去られなかったと思うからです。
殺されるだいぶ前から、別れさせようとご両親は、手を尽くしていたそうですが、それを、相手の男の子、池永チャールストーマスは、納得していなかったと思われます。警察に相談するということは、形を法的に整えるということでもありますが、
最高の勝利と言うのは、法的に勝つことではないのです。心が安寧に成ることであり、安心できる境地に到達することです。
たとえば、ひとつの提案ですが、二人を別れさせないで、沙彩ちゃんと、池永チャールストーマスを、行き着くところまで行かせてしまう。たとえば、同棲まで行かせてしまう。無論、避妊具を使わない妊娠などが起きて、沙彩ちゃんは、堕胎などを経験することとなるかもしれません。
だけど、そっちの選択をしたら、沙彩ちゃんの、命が助かるという、想像が可能だったときに、どちらを取るかと言うことです。
こういうことも、本当に考えを深くしないと想像すらできない、選択です。だけど、レベルは違え、子供の、恋愛に親が、口を挟んではいけないのも、本当の事なのです。まず、「セックスを安易にしてはいけない」と、教えないといけませんが、恋愛に発展してしまったら、それが、失敗の恋愛であっても、失敗はまた、経験しないと、次の段階に行かれないのも事実なのです。
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副題5、『中絶の費用に関する菅原文太の、北の国から内での、名・台詞』
これは、二日目の推敲中に挿入する話ですが、倉本さんの『北の国から』スペシャル版で、主人公の純が、あまり、すきでもない女の子を妊娠させてしまう場面があります。
きちんとは覚えては居ませんが、純の父が状況をしてきて、相手の、叔父に、謝罪をしながら、そこはかとなく、中絶を願ったのだと、覚えています。その時に、中絶の費用は払いますと、父(黒板五郎)役の田中邦衛が、いい、娘さん側の叔父役の、菅原文太が、「誠意って、なんですか?」と言う場面が名せりふのひとつとして、いまだに、グーグル検索で、出てくる模様です。
実もふたもない解説をしますと、純自身も、お父さんもひどく貧しくて、中絶の費用を出すことだけでも、とても大変なのです。それでも、純にもまだ、結婚をする気はないし、そういう環境もないわけですから、ここは、相手のお嬢さんに中絶をしてもらうしなくて、その費用を出しますと、言うわけですね。それを、「誠意を尽くします」と、言う言い方に、換言するのです。
私は中絶をしたことはありませんが、当時のお金として、大体10万円かかるのではないかと、推察しました。それは、サラリーマンではなくて、山の賃仕事を時々、請け負う純の父にとっては、大金です。息子の純の方も貧しいのです。東京に出てきたといっても、大企業に勤務する金の卵ではないわけで、純もまた、月給が少ないのです。
だから、二人にとって、その費用は大金となります。・・・・・それでも、こちらが負担をします・・・・・というのは、誠実のきわみなのです。純側にとって見れば、文字通りの意味での誠意となります。しかし、相手のお嬢さん(地方出身だという設定)の親代わりの、叔父は、東京の住人です。東京の住人にとって、10蔓延はたいした金額ではありません。普通の家なら、貯金もあるだろうし、どうして、10万円程度で、誠意などと言う大げさな言葉が出て来るんだという怒りは、大きいでしょう。
「10万円ぽっちのお金をくれるより、ちゃんと、結婚しろ。責任を取って」と、言いたいところでしょう。だから、怒るわけです。デモ、叔父さん役の菅原文太が、怒っても、純側は平謝りに謝って、事は落着した模様です。純も、父親も英雄ではないが、犯罪者でもありません。
子供たちの失敗を大人たちがカバーをしあうのですが、順当なところだろうなあと言うところで、そのエピソードは終わります。
ただ、この部分をもし、一ノ瀬智恵乎さんが、見ているとしたら、次の章で言うような、態度で、池永チャールストーマスとは、接しなかったような気がするのです。だから、せっかく倉本さんが、書いた、子供たちの恋愛の失敗からは、一ノ瀬さんは、何も学んで居なったと思われ、そこから、親戚だから、喜んで、叔父の業績を、鑑賞するわけでもないのだろうと、推察したわけでした。それが、副題4に書き始めた部分の結論です。
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副題6、『子供の失敗は、子ども自身に解決をさせないと成長をしないので、次の段階にいかれない』
これは、ネットで読んだのですが、「別の男性とデートをした」と、沙彩ちゃんが、フェイスブックか何かに投稿をしたので、池永チャールストーマス容疑者が、激怒したとありました。それは、沙彩ちゃんが、恋愛の何たるかも知っていないということを示しています。となると、警察に駆け込む前に、まず、沙彩ちゃんを教育しないといけません。
どういう教育家と言うと、恋愛を止めなさいと、言う教育です。恋愛と言うのは計画的にするものではなくて、陥るものですが、
それでも、沙彩ちゃんのやっていたものは、ゲームの一種であって、とてもではないが、恋愛と呼べるものではありませんでした。
ここが、私が言う、小学生時代に、お母さんが出歩きすぎた弊害の現れているところなのです。夕方4時か5時ごろ、お母さんが家に居ないことはさびしいことなのですよ。子供は、その寂しさを埋めるために、compensation (補償作用)が、必要となります。寂しさを埋め合わせるための快楽を子供が求めることと成ります。ゲームをやったり、漫画を読んだりすることも、その種の快楽のひとつですが、その中でセックスの快楽におぼれるようになる可能性は強いのです。自慰としてですが・・・・・
これが、別の部屋でもいいから、親が在宅だと、そういう風にはならないのですが、親が家に居ないと成りやすいのです。それでも、お母さんが、家計の足しにするために働いているのなら、お母さんに対する感謝があるので、子供は自制します。だが、一ノ瀬さんの日常生活を見て、沙彩ちゃんが、「お母さんって、大変だなあ。気の毒だなあ」と思った可能性は少ないのです。
『お母さんって、毎日遊び歩いているわ。だから、私も好きな事をやるのよ』と言う感覚を幼い頃から、沙彩ちゃんは持っていたと、感じます。中流の上の家庭育ちだと、芸能プロダクションに入りたいなどとは、言い出さないはずですよ。沙彩ちゃんの選択は一見すると元気で、主体性があるように見えるけれど、実際には、間違った方向です。だから、それを言い出した時点で、親子は、激しくぶつからないといけなかったのです。
どうして、すっと、芸能プロダクションに、入らせてしまったのだろう。ここですが、才能があるのなら、芸能プロダクションに入ってもいいのです。だけど、綾瀬はるかさんでも、沢口靖子さんでも、将来伸びてくる人には品性があるでしょう。内面が大切です。ああ言うスターは、そんなに、軽くは、男遊びはしないでしょう。
ともかく、体を使って育児をするというところが見られないですね。思春期の子供の、間違った方向性を正そうと思ったら、親はすさまじい体力が要りますよ。だけど、葉山の美術館のオープニングに来ていたときの一ノ瀬さんには、消耗している感じは、微塵も、見られませんでした。ずるいというほどではないのですが、沙彩ちゃんが、小学生の頃、一種の育児放棄をしていたと、推察されます。特に心理的な面で、です。
ともかく、親側の努力とか、反省が一切見られないのが、驚きなのです。警察に駆け込む前にするべきことがいっぱいあります。
この際は、池永チャールストーマスと別れさせるのなんかよりも、ともかく、沙彩ちゃんをネットの世界からも、それ以外からも、隔離することが必要だったでしょう。たとえば、富良野の倉本さんの塾に預ける。
東京の私立高校は、休学にして、富良野の道立高校へ通う。その上で、池永チャールストーマスが、自宅へ訪問をしてきたら、母である一ノ瀬さんは、カレーでも作って、もてなし、いろいろ、話をしながら、二人が、将来にまでわたって付き合っても、結婚ができないのだということを、池永チャールストーマスに納得をさせていけばいいのです。
ひどく大変で犠牲は多いでしょう。デモ、思春期の子供が曲がってしまったら、それくらいの苦労は、どこの家でもやっているはずですよ。そして、きちんと正当に苦労をした家では、その後では、うまく行っているはずです。親は身を粉にして、苦労をしないと駄目なのです。それを他人(=警察)がやってくれるなんて思うのは、甘すぎます。自分が働かないと駄目なのです。
それこそ、8年ぐらい前の、小学生の頃に、やっておくべきことだったのです。それをやっていないから、16,7で、セックスに耽溺してしまった。だけど、ここで、がんばって、軌道修正をしないといけません。それは、二人を別れさせる前に、自分の子供を教育しなおすことが必要なのです。
それが、lazy で、できないのなら、いっそのこと、沙彩ちゃんと、池永チャールストーマスを同棲させるところまで、行かせないと駄目なのです。それで、子供が生まれた後で、分かれて、離婚をして帰ってきても、沙彩ちゃんは、それだけ、大人になっていて、今度は、よりよい結婚ができるでしょう。
ともかく、池永チャールストーマスを、野獣か、きちがいに、させてしまった両親の手法は、間違いだったと思われます。こういう手合いこそ、丁寧に、慎重に扱わないといけないのです。時間がかかるでしょう。だけど、それをやらないと駄目です。それをまっ反対に、ただ、単純に、別れさせようとしていたのではないかな?
それで、できないから、法的に見える措置へ入った。だけど、前報でも言ったとおり、最高の法的措置と言うのは、がたがたと、目に見える形で、騒ぐことでもないのですよ。
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副題7、『貧乏だからと言う理由で、相手を低く見てはいけない。一寸の虫にも五分の魂はあるのだ』
ともかく、お嬢さんの命が失われてしまったら、それは、失敗と言うことでしょう。そのためにも、相手を激昂させるのは、失敗です。この際ですが、新聞で報道をされているのは、「同志社大学の学生だというのは嘘だったから、付き合わないでほしい」と言う言葉だったみたいです。デモ、それは、池永チャールストーマスにとってみたら、『お前は貧乏だから、内の娘とは付き合うべきではない』と言われているのと、同じことですよね。
そして、実際に貧乏だったらしいです。彼の自宅を報道陣が大挙して訪れています。それだけの人が入れるということは、入り口にオートロックがないマンションなのでしょう。
反対に、沙彩ちゃんの自宅を上空から撮影した映像を見ました。あのオタクは、井の頭だとすると、1億2千万円から、1億5千万円で売れるオタクです。池永チャールストーマスだって、目で見える形で、貧富の差を感じていたでしょう。それをさらに、悪い方向へ刺激するような言葉を吐いてはいけません。大学へ行かれないほどの、貧乏だったと仮定をすると、そこを刺激する言葉は禁物なのです。
私はこの2013年の1月から、不動産物件を捜し歩いています。それは、北久里浜にある、ひとつの持ち家を主人が売るといったから、代わりに別のものを、ほしいと思ったのでした。で、不動産価格と言う側面からでも、この日本に、シヴィアな、階級が在ることを、その時期に、きわめてはっきりと、納得をした次第です。
私の方に、こだわって、挿入すると、結局は、何も買えなかったのです。だけど、売るはずの家も売れなかったので、差し引きゼロであって、収入はないものの、損失も出していないと言う形で、2013年はくれそうです。
デモ、つくづくわかったのです。不動産から見たこの国の貧富の差を。
池永チャールストーマスの母親が住んでいる家は、もし、賃貸ではなかったら、1500万円程度で買える家です。だけど、沙彩ちゃんの家を、或る個人が買おうとしたら、1億5000万円は出さないと駄目です。門内に、二軒の家があるそうで、敷地も広そうですから。
或る二人の人間が相反する意見で、直接対決をする際には、金持ちと言うか、より上のほうが気を使わないと駄目なのです。弱い方に対して、丁寧に、気を使って対応しないと駄目なのです。子供が殺されてもかまわないのなら、どんな、態度をとってもいいのですが、ころされては困るのなら、最高の丁寧さを見せて、相手を扱わないと駄目なのです。時には、池永チャールストーマスが、少年期には、与えられていなかっただろう愛情さえ、自分が見せて、納得をさせることが必要なのです。
皆様に、納得をしていただけるかどうかは、知りません。だけど、私は、そういう形を取れば、沙彩ちゃんの命は失われなかったと思っています。本当に子供を愛しているのなら、一番大切なものが、子供の、命であることは判り、それを救うことが一番だということも直感で判ったはずです。
なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1955384です。
2013年12月26日より書き始め、28日の午前3時に推敲を終える。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
後注1、
渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△
母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△
リボンの騎士から、小学生のヰタ・セクスアリスを語る。三鷹ストーカー事件
本八幡事件+三鷹ストーカー殺人事件・・・警察に相談してはいけない真の理由とは何か?