皆様は、もしお子さんがあったら、かわいいでしょう。だけど、猫とか、犬のかわいさって、子供や、孫にも勝るところがあります。まず、第一に責任がないです。というか、責任はあるのですが、出世させないで、いいです。(苦笑) 子供とか孫だと、ともかく、生活できる様に、育て上げないといけません。出世とは大げさですが、一般的に言うと、高校に入学させて、大学に入学をさせて、就職をさせないといけません。だけど、猫に対しては、そういう義務が、飼い主の方にありません。猫には、あるのかしら?
内田百夫妻は、「うちの猫は東大卒です」と、よく言っていたそうですが。
ともかく、普通の場合なら、ご飯を与えて、快適な生活と思われるものを保証してやれば、それで、いいのです。むろん、命の尽きる最後まで、飼うのは当たり前ですが、注意深く、猫を観察すると、たいへん愛情深く、飼い主に接してくれるのもわかりますので、途中で捨てたりするのは、やるはずもないこととなり、一生、付き合うこととなります。
ところで、私は猫と相当に仲良しです。そして、真夜中には、必ず、二人で、秘密の遊びをします。それは、ほかの人間が、いないときだけ見せる、彼女のもっとも勇猛な姿であって、たいていは、うんちか、おしっこをして来た後で、始まります。それを、私は<ライオンごっこ>と言っていますが、ともかく、彼女は真夜中に野生に帰ります。
で、上の写真で、右下に見える、私の膝を抱え込んで、蹴り続けます。猫用の、<けりぐるみ>と言うおもちゃ(ふっくらしたお人形)があるそうですが、私の膝を、獲物代わりにして、必死で、やり込めようとするのです。それが、一番好きなことですが、私が、立っていたり、中腰だと、違う遊び方を、求めます。それは、自分をひっくり返してもらうことです。でも、彼女が喜ぶ、もっとも、面白いやり方で、ひっくり返してやらないと、いけません。特に、思いがけない方向から、ひっくり返されたり、突っついたりされる事は、彼女の最も好きなことです。
で、その攻撃のタイミングも重要です。私の手を飛ばしていく間隔ですが、どのくらいの余白を開けるか。何秒、私が、体を動かさないでいるか、それが、最も重要です。そして、次の瞬間、矢の様な、攻撃の手を出してみる。その時、上(頭側)からひっくり返そうとするか? それとも、下(しっぽ側)からひっくり返そうとするか? それとも横(背中側)から、ひっくり返そうとするか? または、ひっくり返し行動の間に、突然に、単純な突っつきの運動を入れか、を、熟考しながら遊んでやるのです。同じ行動をしては、彼女がつまらないと言います。
その変化をつけるというのも、有効であり、忘れてはならない、攻撃策です。
野生の鼠とか、野生の、もぐら、や、野鳥などは、俊敏に、飛び立ったり、穴にもぐったりするでしょう。それに対して、猫としては、彼女なりの頭脳を使って、攻撃をしてくるのが、本来のすがたでしょう。しかし、家の中だけで飼われていると、そういう野性を発揮する場所も、機会もありません。で、私は擬似的に、それを作ってやるのです。
私は、私の利き腕である、右手を使って、ありと、あらゆる、自分以外の、他の、俊敏な小動物が、行うだろう、行動のまねをするのです。
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それは、とてもうれしい遊びらしくて、他の時には、絶対に見せない様な、輝きを見せてくれます。それを撮影しようとするのですが、どうしても、正面を向いてくれないのです。その理由の一つは、前報に書きました。『お前の望む通りに、してやるもんか』と、思っているからです。でも、ここで、私になつききっている猫のセリフとして、何故、お前などと使っているのでしょうか?
そこなのです。私の猫は、ライオン遊びをする時は、私を猫と思っているからです。そして、『猫としては、自分の方が優秀なんだぞ』と、思っているのです。『狩人としては、自分の方が優秀だ』と思っているのです。その彼女の気持ちを表すために、私自身を「お前!」と、呼んでみました。
だが、そこで、私が人間としての自分を、急に割り込ませて、『この生き生きした姿を撮影しよう』と願ったと、仮定します。いや、仮定ではなくて、いつも撮影をしたくなります。かの女の生き生きした姿と、真夜中ゆえに、ぱっちりと開いている眼の、真っ黒で、真ん丸な様子を見ると、つい、撮影をしたくなって、いつも食卓の上に置いてある、もっぱらカメラとして使っているスマホに手を伸ばします。
でも、スマホを、私と彼女の目の間にかざした途端に、『え、それなあに、それに、どうして、今、最高に面白いところだったのに、ライオンごっこを止めちゃったの?』と、思うらしいのです。
だから、顔をそむけるのは、怒りもあるのでしょう。でも、怒り自体は、表現しませんよ。それが、15歳になった彼女のおとなの選択です。小さい頃は、本当に引っかいたり噛んだりしていました。ひざも、布を通して、ひっかき傷だらけでした。お風呂に入ると傷と傷の間も、内出血が、小さく繰り返されていて、全体に膨らんでいて、真っ赤になっていました。だけど、今は、お互いのやり取りに、ルールはきちんと確立されていて、実際にかむことは、めったにありません。
上の写真でも、前足を、折っているでしょう。それは、『絶対に、攻撃をしないからね』というサインなのです。また、スマホを何回か、カチカチすると、その後では、お母さんは、人間から、また、猫に戻って、自分と、<ライオンごっこ>をしてくれると、信じているからです。『そんなありがたいお母さんを、怒らせて、ライオンごっこをやめられてしまったら、大損だ』と、そういうところまで、分かっているのでしょう。
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ところが、本日(12日の事)の夜には、10分ぐらいもの長い間、体を動かさず、ちらちらと、私の方(=カメラの方)を見つめ続けてくれました。いわゆるカメラ目線で、撮影をさせてくれました。で、上にあげた写真に似た40まいぐらいを撮影をすることができました。大変珍しいことでした。15年ぐらい飼っていますが、初めての事でした。
<ちらちらと>と、表現をするのは、顔の位置は変えないものの、目玉が動くのです。目玉は、違う方向へ、きょろきょろと、移動をします。彼女なりに、いろいろなことを考えているのが、その目玉の動くので、分かります。
今は、次の日の、午後、4時ですが、ここまでで、上の方の、推敲を終えたところです。こんなに簡単なことを書いているのに、誤変換が見られ、また、文脈の乱れが発見できました。恐れ入ります。
ところで、昨晩は、ここで、恐ろしいほどの睡魔に襲われ、猫の上に、遊びでなくて倒れ掛かりました。それほどの、眠気に襲われました。そこで、ここで書きやめたのですが、これから先、二つ、重要なことを書こうと思っていたのです。それを次の日の午後三時から、始めます。
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ところで、どうして、その時だけ、落ち着いて、ずっと写真を撮らせたのかが不思議です。だけど、よく神様の存在を語る私には、猫が、前報を理解していたと感じるのです。前報は、