銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

spin off として・・・・・・川喜多記念館を牛耳る伊藤玄二郎(崔洋一、と、桜井よしこ)

2015-11-17 23:50:32 | 政治

前報、を整理中に、この部分は独立をさせた方がいいなあと、気が付いたところがあり、それを、スピンオフとして、こちらへ独立をさせます。
前報とは、三回目の総タイトルを、
画家にとっての独創性とは、どう言う物か? 渡辺幸子と、佐野研二郎のケースを考える  2015-11-17 09:49:37 | 政治

と、しているものですが、その中で、『スチュワーデス(=スッチー)と言う言葉はなぜ消えたか❓』と言う問題を論じています。こういうところが私の独壇場だと、思い到るのですが、何故、言葉の改変が行われるか?の、本当の理由をここ『銀座のうぐいすから』で述べております。

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副題1、『現代社会には、嘘が蔓延しているが、なぜそうなっているのか?』

 このブログの世界に対して、何か、を、誤解をされている方は、おおいでしょう。それは知っております。どういう誤解かと言うと、個人的な悪口を連ねている世界だと。しかし、違うんですよ。この現代世界には、嘘が一杯、蔓延をしています。どうして、そうなるかと言うと、私が、鎌倉エージェントと括っている、特権階級の、個人的な利益を守るために、そうなっているのです。それを解説するのが、ここの世界です。

 たとえば、最近の主役である、渡辺賢司・ミカ夫妻など、小物中の小物であって、鎌倉エージェントに、第6次、程度の段階で、利用されたにすぎません。しかし、W夫妻などと、記載をすると、さらに、悪辣なことをやってくるのが、鎌倉エージェントの常です。既に、彼らの存在と役割に気が付いてから、12年になっていますので、彼らのやり口と言うのは、とことんに判っているのです。で、すべての人で、利用されたか、本当の自分の意思で動いたかは、区別せず、『あ、これは、彼らの発案にのっとった行動ですね』と言う行動を取る人間は、きちんと実名で、所業を書くという方針にしております。

 この嘘と言う項目ですが、シャルリーエブド事件も、それから、今回の同時多発テロにも、嘘の部分が含まれています。劇場で、死んだ人が居るという部分は、真実です。それから、129人が死んだという部分も真実でしょう。しかし、『IS国(特にそのトップ)が、過激派イスラム集団だ』という部分が嘘なのです。
 実行犯は、洗脳に染まりやすかった、不満分子でしょう。そして、彼らは、Jihard John を除いて、真摯なイスラム教徒かもしれません。しかし、彼らを使役している連中が違うのです。それも、また、いわゆるCIAと言う言葉で括ることのできる連中です。

 しかし、それを詳細に、検討することこそ、彼らの罠にはまることなので、今回は、それは、パススルーをさせてくださいませ。銀座の画廊、ガレリアグラフィカについて論じる方が、ずっと、政治的意味は高いのです。だからこそ、筆先をそらせるために、あの同時多発テロは起こされたと、見ているほどです。

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副題2、『栗田玲子さんについて語るときには、表裏一体として、酒井忠康氏だけではなくて、もうひとり、伊藤玄二郎が浮かぶのだ』

 ともかく、銀座に戻ります。今回の論文は、すべて、2015年10月26日(月)に、北畠洋一さんと言う、映画評論家が、ガレリアグラフィカの、一階展示室で、普段は、そこに置いていない、テーブルと椅子を使って、事務・仕事をしていたというところから始まっています。もし、その週の壁を飾っていた、美術作品が北畠さんが制作したモノだったら、こういう事もありでしょうが、北畠さんは、銀座では、鑑賞者(=美術評論家)でしかないのです。作品を発表する人では、ありません。私は絵と文章の両方を創作することが好きですが、北畠さんは、美術作品を作ることはやらず、銀座の画廊の個展で発表したことはないでしょう。

 だから、この現象は、『レオスカラックス監督の、映画TOKYOの第二部について、私がさらに、書く事を止めさせる為に使いたかった、何らかの脅かしだった』と、推察しています。しかし、伊藤玄二郎って、本当にトカゲの脳味噌だと、思いますが、そんな罠にはまる私ではありませんよ。内心でせせら笑っていて、どうして、そういう現象を起こさないといけないのかの、根源に迫っていくのです。

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副題3、『伊藤玄二郎が、電話か、メールかまたは、会食をもってこの案を頼みに行ったのだろうが、それが、ばれた後で、今度は、鎌倉の方で、W氏と言う男性67歳を、詐病で、救急車で運んだのだ。これも、対私への脅かしだと推察するが、W氏は、無事に自宅にいる模様である』

 17日の午後に、銀座の画廊巡りをするために、外出したのですが、その途次で、下から山を上がってくる、渡辺賢司氏に出会いました。この件は、将来、別章で、また詳しく語りますが、『ともかく、彼が、自宅に居てよかった』とは思いました。病院内にいると、殺されますよ。

 伊藤玄二郎の後ろには、井上ひさしが居て、その二人が、次から次へと悪巧みを、考え出し、仕掛けてきます。で、私の頭は、今度は、途中で伊藤玄二郎に向かいます。そこだけは、スピンオフとして独立させた方がいいだろうという話題があります。それは、川喜多かしこ記念館の事です。

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副題4、『伊藤玄二郎は、川喜多記念館を牛耳っている』

 わが家の、峰を隔てて、山の反対側に川喜多かしこ記念館と言う施設があります。その掲示板だけは、人通りの多い小町通りに建てられております。

 ほとんど毎日そこを通りますので、よく見るのですが、そこに、伊藤玄二郎の名前を発見することがあり、瓜南直子さんが、伊藤玄二郎の教唆により、映画のプログラムについて、FB上で、投稿を重ねていたこともあり、私は、注目することと成りました。

 ここを舞台にして、伊藤玄二郎は、政治的に極めて、重要な、講演会とか対談を用意しているのですが、最初にそれに気が付いたのは、崔洋一監督との対談でした。崔氏は、NHKスペシャル内で、日本人の若者を怒鳴りつけ、その本質を露わにした乱暴者です。しかも、その2010年当時は、韓国籍の筈です。昔は、北朝鮮籍の筈ですが、北朝鮮が、弱体化したとか拉致問題を起こしたので、見限ったのでしょう。もしかすると、最近は、帰化していて日本国籍も取っているかもしれません。ただ、韓国籍だった時期に、日本映画監督協会の会長になっています。どうして、それが許されるのだろう。乱暴者だから、皆さん、恐れているのかな? だから、道を開けて通すのかな?

 ともかく、韓国を大切にするのは、民主党の手法です。私のご近所の安野家が、道徳的には、やってはいけないだろう、北側の畑を手入れする時と、小沢一郎氏がテレビの世界に、登場する時が連動をしているので、鎌倉エージェントは、徹底的に、民主党と連動をしていると、見ていました。

 JALが突然に破産をした後で、その会長に稲盛さんが選定をされました。稲盛さんの奥さんは、韓国の種苗家のお嬢さんなので、稲盛さんが、JALの会長になるとは、民主党が権勢を誇った時期です。そして、JALの破産は、内の主人と息子が、株を持っていたからでした。それは、私の資産を減らそう。そういう方向で、私の活動を低めにさせようとする動きです。それと同じことが、今般、再び旭化成の、データ使いまわし問題として、再燃してきています。

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副題4、『しかし、櫻井よしこさんの講演会を見つけて、驚嘆をしたのだった』

 よく、『君子は豹変す』と、申しますが、その実例を、私は小町通りに置いてある、川喜多かしこ記念館の、掲示板で発見するのです。

 上の節で、「川喜多記念館は、伊藤玄二郎に牛耳られている」と、私は言っています。ところがある日、そこの企画展を、お知らせする掲示板に、『桜井よし子講演会』と言う文字を発見して、仰天をしました。私は別に桜井よし子さんから、直截な形で、いじめられたことはありません。むしろ、反対に、戦後のレジームの中で独自路線を敷いて居る彼女は、偉いと思っております。ときどき、週刊新潮を買って、彼女の評論を読みますが、大体賛成です。

 しかし、・・・・・・川喜多記念館は、伊藤玄二郎に牛耳られていて、しかも、鎌倉エージェントは、民主党びいきだと、長らく思っていた・・・・・ので、自民党びいきの、桜井さんが講演会をそこでやることについては、仰天をしたのでした。

 しかし、この間、日曜美術館、まどみちお特集を録画で見た後で、鎌倉春秋社から、2014年12月28日付で、谷垣禎一対談集【興味津々】が、発刊をされていることを知り、それで納得をいたしました。谷垣禎一氏の対談集【興味津々】を伊藤玄二郎が企画した・・・それが、あらゆる異常なニュースを解く鍵だ   2015-10-23 07:06:22 | 政治

 で、それが、判ってからは、この桜井よしこ後援会は、伊藤玄二郎が、谷垣禎一さんに、紹介を頼んで、招聘したと、見ています。または、残間理恵子さんも彼らの仲間なので、彼女が経営しているプロダクションを通じて頼まれたか、または、別ルートだったかもしれませんが、今度は対談ではなくて、彼女一人の講演会でした。その方が効果があると、伊藤玄二郎は見たのでしょう。

 『自分との対談にしてしまうと、早速私が、気が付いて、あれこれを書くので、逆効果を生んでしまう。ここは、桜井よしこさん一人の講演会にした方がいい』と、判断をしたのだと思います。で、この講演会の目的は何だろうかな』と考えてみると、彼、または、まだ生きているいのうえひさしがこういいたいのだと判ってきます。『お前、桜井よしこさんに、手を出しても駄目だぞ。こっちがすでに、ぺを付けたのだからな』と。

 私は、2007年ごろまで、相当数の有名人とも、直接のつながりがありました。メルマガの送り先などにも相当数の有名人が含まれていたのです。本の送り先にも、ニュースショーの司会者とか、日本ペンクラブの会長(井上ひさしではない)とかが含まれていたのです。しかし、ブログを書くのに必死になっていて、メルマガを数か月送っていない間に、メルマガが、発送できないというパソコン上の、システム的破壊が起こされていて、そういう有名人とは、切れてしまいました。また、次の本を工業生産的に、出版をしてもいないので、献呈作業を続けてもいないので、有名人との間が切れたとも、考えています。

 『まあ、有名人と切れたのは、彼らの戦略だから、彼らが必死なのに、比較をすると、こちらは、そういう部分には、勢力を注いでいないのだから仕方がない』と、あきらめて、神様だけを相手に、歴史の証言を書くと、腹を決めているのです。

 伊藤玄二郎と言う人間は、そういう人間なのです。本人は、自分が頭がいいし、社交性があるので、それが可能なのだと、得意になっていると、思いますけれど、・・・・・

 誤変換は、残っているとは思いますが、ここで、しめといたしましょう。明日丁寧に点検をしたのちに、日付と署名を入れます。

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画家にとっての独創性とは、どう言う物か? 渡辺幸子と、佐野研二郎のケースを考える

2015-11-17 09:49:37 | 政治

 本日もツィッター方式で書かせていただき、総タイトルは、書きぬけた順番に変えていき、何度も変更する予定があります。17日の午前中は、『韓信の、股くぐり』で、始まる、総タイトルにしていましたが、午後に二番目のモノ『なぜ、スチュワーデスと言う言葉が消え、CAへと変化したのか、皆様は理由をご存知ですか?』へと、変更しました。そして、7時間ほど、外出していて、今、帰宅をしたところです。で、帰宅後、さらに三度目の、総タイトルへと変更します。

副題1、『この章を書き始める前に、今朝、布団の中で考えた事』

 私は前章の末尾で、「この続きは、火曜日に加筆いたします」と、言っています。それを、申しあげたのは、日曜日です。五年ぐらい前だったら、月曜日疲れ切って、銀座から帰って来て、さらにブログに取り組んだでしょう。と言うのも銀座で、各種工事(*1)に出会う、駐車違反監視員(*2)とか、路上喫煙監視員(*3)とかに出会う、また、画廊が、微妙な程度の、意地悪(*4)を繰り返すという現象に出会ってくると、さすがに疲労困憊します。

 それらを見るたびに、過去例とか、過去ブログとかを思い出し、それの政治的意味の分析を果たしながら、銀座を歩いて行くわけですからね。つまり、攻撃が激しいからこそ、今、自分が書いていることが正しいと、いえるからです。で、方針をどうするかを、さらにあるきながら考えています。

 私は、美術評論家として、ものすごく面白いかつ有意義なものが書けるのですよ。発表の場が、ブログしかないとしても、いつも、人がそこに集まってくる様な文章を書けるでしょう。そして、某画廊のオーナーが、「この一年間に、2000万円は、稼いだでしょう?」と、言ったほどです。その一年間とは、月刊ギャラリーに連載をしていた時期ですが、ああいう場所を持っているだけで、一つの文章について、10万円ぐらいは、請求してもいいのだと、しりました。世間がそういう風に、考えているのだと、知りました。だが、一銭も要求したことはないし、相手がくれたこともありません。ただ、他の美術評論家は、そういう事をしているのだと、知りました。

 ところで、最近数年間の文章は、美術評論とは遠く離れて政治の分析ばかりです。特に、この一か月は、すべて或るきっかけによって、思い出した事を書いているのですが、そのきっかけとは、2015年10月26日、ガレリアグラフィカの、南側の、壁に、小さな机が置いてあって、そこで、椅子に座り、事務・仕事をしている北畠洋一氏を見かけたことから始まっています。

 それを、きっかけに大海と言ってよいほどの、文案が浮かぶのですが、北畠洋一氏自身は、悪い性格の人間ではありません。彼もまた、悪事の道具として、使役をされた人間の一人です。前報(後注1)に出て来る、渡辺賢司・ミカ夫人も、現代日本の中では、インテリで、教養の深い方で、性格もよい人達の方です。ただ、使役をされた人に過ぎないのです。

 たびたび、私や、日本及び世界に、大迷惑を与える源泉として、取り上げる石川和子さん、安野智紗夫人、前田清子さんなどより、はるかに、上等な人間です。しかし、その夫婦を道具として使役をする人たちについて、私は、深い怒りを持っています。で、裏に隠れていて、他人を利用するずるいこと極まりない彼ら(=鎌倉エージェントと、私が括っている人間たち)の悪をあぶりだすために、目の前に、現れ、実際に、言論弾圧の、任務を担った人々については、気の毒だけど、実名で、その政治的な分析を重ねるということと成ります。だから、私と少しでも、知遇の有る方は、私が差し上げた本の中に入っているURLと、このブログの看板である『銀座のうぐいすから』等から、このブログを見つけ、毎日、間断なく、読んでいないといけないのです。

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副題2、『なぜ、スチュワーデスと言う言葉が消え、キャビン・アテンダント(CA)となったのか、皆様は、理由をご存知ですか?』

 栗田玲子さんには、著書を何冊も差し上げています。その上、彼女は、伊藤玄二郎と、会食したり、酒井忠康氏などとも、しょっちゅう会っているので、このブログの事は、知っているはずですが、毎回は、読んでいないでしょう。こういう現象は、そのリアルな場面に出くわしているので、確信をもって語ることができる部分です。

 井忠康氏、渡辺幸子さん、栗田玲子さん、私の四者が、ガレリアグラフィカの二階で、出会ったことがあって、私がただ一人冷遇をされたことがあります。尾行がついていて、そうなる様に仕向けられたと、見ています。私が二階に到達した直後に、渡辺幸子さんが入ってきましたから。

 渡辺幸子さんがどういう人で、どういう事を私に対してやったのか? それは、まだ、全貌をブログでは書いていないのですが、私に対する言論弾圧の、典型的な仕組みでもありました。個人的な電話のやり取りを盗聴された結果、渡辺幸子さんが、いじめてくる様になったのですが、それを、私が無視しきって、彼女およびICU同窓会展から去った、の私の行動を、最大限に利用をされたのです。

 彼女は勝気な人で、グループICU展では、自分が一番であると、思い込んでいました。一方で、新制作協会展で、なかなか会員になれない事を、悩んでいました。同じ様に、上野の公募団体展では、大きい方である、国展に出品している私に対して、電話でぼやき続けていました。それは、新制作協会内部の友人には語れないことだし、また、鎌倉美術家協会展や、神奈川女流展で出会う、自分より目下の人に対しても語れないことだから、私がカッコウの、愚痴のはけ口だったのです。彼女にしてみると、美大を卒業していないことが、大きな原因で、自分は新制作協会では、不遇だから、あなたも同じみじめさは、知っているでしょうとなります。実は、その通りでもあります。私は国画会内部では、すこぶる付きで不遇でした。絵の実力以外の部分で、そうなっているとは、思いますけれど。

 そして、私が、渡辺さんから、それらの愚痴を聞いていた頃(1999~2002年まで)、たまたま、私は、大修行中で、逗子のアトリエに一人暮らしだったので、夜の長電話対応が、できる時期でした。で、ある日などは、反対に、私の方から電話を掛けたこともあります。すると、夜の10時過ぎでしたが、私の電話へ子機で、対応をしながら絵を製作し続けていました。電話で、絵筆の音がするので、質問をしたらそうだったのです。まるで、鬼のごとき、制作ぶりです(苦笑)。そういう努力をしたり、あれをしたり、これをしたりと努力を続けていました。

 一方で、私は、別の世界に、興味を持ち始め、国展への出品を、止めようと考えていました。国画会内部で、出世の目が無くて、神経をすり減らす、嫌な事ばかりであるので、『こんなことはやっていられない』と、見極めをつけて、去る決心をしていたのです。でも、国画会も損をしていますね。その結果、国画会内部の真実を、忌憚なく書ける様になっているからです。島田昭三さんの真実を、妹さんが、お子さんを亡くしたことまで、含めて書いていますから。

 実力のあるものは、内部に抱えて、それなりの厚遇をしないとだめなのですよ。外部に放出をしたら大損をするのです。それが、できない国画会は、頭脳のない集団だと言えるでしょう。で、望月画廊(今はもう無い)で、行われたグループICU展で、国展用に、準備した100号を、出品したのでした。それは、多分ですが、2003年の、早春の事だったと思います。

 そのグループ展は、趣味の会であって、せいぜい12号サイズの大きさまでの、モノを出す展覧会でした。が、私は、自分の人生の方針転換を目指して、上野の都美館用の絵を、銀座の望月画廊で、展示をしたのですね。その画廊は、主に独立展へ出品をしている画家が、個展を開くところで、普段は、その壁面をずらっと、100号の絵が飾っているところだから、これは、画廊側から見たら、違和感のないところです。

 ところがね、日ごろ渡辺さんは、私に、「あのICUグループ展が負担になっているのよ。でも、社交上、欠せないから、出しているの。ただ、とても、忙しくて、あそこが、負担だから、鎌倉美術家協会展に出したものを、転用して間に合わせるわ」と、言っていたので、その言葉を利用して、私が裏切ったと、解釈をしてしまった模様です。つまり、出し抜いたと、考えたのですね。私は、彼女が怒り始めてヒステリックに私の荷物をソファから投げ落としたりし始めたので、『これは、何を説明しても無駄だ』と思って、会のリーダーに、退会を電話で、申しあげました。

 渡辺幸子さんは、画廊のソファで、乱暴狼藉をしただけではなくて、他にも、とんでもないことを電話で、言いふらしまくっていたのですよ。ただ、その内容については、さすがの実名主義の、私も、このブログの世界では書けません。ICU四期卒業生の何人もが、屈辱に、泣くことと成るので。

 渡辺幸子さんは、神奈川県ないの、女流画家の間では悪女として有名な人だそうですが、さもありなんと、その時には、思いました。彼女は初期の日航のスチュワーデスです。で、女の世界で生き抜く為に、意地悪の作法を身に着けたのでしょう。それと、次女だから、親の愛が薄かった可能性もあります。愛(アガペー)と言う問題については、何かが、間違っている人です。だから中退をしている彼女を、ICUの正式な卒業生としてしまうことは、ICUの根源に逆らっているなと、思いますけれど。

 でも、最近書いているエピソードですが、その渡辺幸子さんが栗田玲子さんに、「川崎さんって、怖い人なのよ」とおっしゃったそうで、それを聞いて、『おや、渡辺さんもやっと、私のことがわかったのかしら。あのころは、電話で悪口を言いふらしているぐらいだから、ひどく馬鹿にしていたのでしょうに』と、思ったことでした。だから、栗田玲子さんの思惑は見当違いもはなはだしかったというわけです。彼女はやっつけてやろうと、思って、そういうせりふを放ったわけですが、私にしてみれば、渡辺幸子さんってあく女中の悪女だから、彼女が、何を誰に言ったとしても、特に驚くことはなくて、ただ、あら、少しは思い直してくれたのかしら。彼女は、私と仲良しのころには、私の特徴については、何も気がついていなかったでしょうに』と思い至ったことでした。

 私と彼女では、関心を持っている分野が、まったくといってよいほど、違うのです。彼女は出世したいわけで、そのことに役立つことをやりたいのです。一方の私は、好きなことをやりたい人なのです。絵を描くのも好きだし、文章を書くのも好きです。そして、いいものとは、いい環境でしかできないと信じているので、悪い環境からは、逃げ出そうとする人なのです。しかし、逃げ出すと、「転石、苔を結ばず」のことわざどおり、社会人としては、不利になることが多いですね。だから、渡辺さんのほうだったら、絶対に『把握したものは、捨てない』という方向で進むでしょう。損得に対しては、敏感だから。だから、二人は、お互いに、真実の理解に達することはありません。

 ところで、スチュワーデスは、語彙として大いに使われ、スッチーと言う略語も生まれました。芸能界や、スポーツ界での有名人が、スッチーと結婚をしたというのは、大いに、テレビやスポーツ新聞を賑わわせる、現象でしたね。鎌倉では、二世帯住宅(三階建て)の狭い庭に、妊娠して、産むと主張をした愛人を、おなかの中の赤ちゃんごと、殺して、埋めた男性が居て、その奥さんがスッチーだったと、社会面で、大きく、喧伝をされました。

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副題3、『今、スッチーという語彙が、なぜ消えたかと言う部分まで来たら、パソコンがシステム的におかしくなったので、これは、鎌倉エージェントが行っていることだから、その結果、三段論法で、大蔵省と言う語彙を消し去ったのも、また、鎌倉エージェントであると、判ってくるのだった』

 しかし、今は、スチュワーデスと言う言葉は消え、キャビンアテンダントと言う言葉になっています。それは、ですね。渡辺幸子さんについて、書いている私の文章が、嘘と言うことと成る様に、鎌倉エージェント、特に、その当時は、完璧に、生存をしていた、井上ひさしが発案をしたことでしょう。文部科学省内に、井上ひさしたち、鎌倉エージェントの言うなりになる人間が居るのです。または、メディア支配で、この言葉を使うなと言う命令が発せられた可能性が感じられます。

 とこで、大蔵省と言う言葉が消えて、財務省になりました。また通産省と言う言葉が消えて、どこへ行ったのやらと、なっています。これらの改変は、私が逗子で、引きこもっていて、世界に通用する一流のアーチストになろうと修行中に起きて居るのでしょう。その頃はテレビを持っていましたが、スイッチを入れることは無くて、また、新聞は、独身なので、取っておらず、また、インターネットも自分がメルマガを配信する仕組み以外は、使いませんでした。

 で、私が、何も気が付かないうちに、行われた模様です。で、文部科学省に対して、力を持っているのは、当時では、瀬島龍三本人だったかもしれないのです。もし、この時期についての想像が当たっているとすると、その時の内閣総理大臣は、小渕恵三氏です。『大蔵省の名前を変更させることについては、小渕さんを、利用をしておき』ながら、次に、『本当に実力があると、見ると、海に浸けて、脳を損傷させた』と聞いていますし、それについて、私が、書き始めようとすると、小渕優子をいじめる政治資金騒動が起こります。彼ら、CIAエージェントの考えていることは、『君子は豹変す』の一言に尽きます。

 ここから先に書いた部分はスピンオフとして、次の章へ回しました。なお、この文章も未完ですので、18日の夜にさらに加筆して、完成をさせます。お待ちくださいませ。

 なお、このブログですが、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3209466です。後日推敲をして、その後、署名と書いた日付を入れます。

 

後注1、詐病で、救急車が雪ノ下へ来る? 税金を又無駄遣いをした? が、悪い方へ瓢箪から駒となったかな?  2015-11-15 02:15:33 | 政治

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