これは、16日付の文章の後半です。その文章が、システム的な破壊を受けて、画面上に、文字列がパッチワーク上に分散するものですから、是では、誰にも読めませんねと、思って、分割をしたのでした。昨日の段階で、3つに分けております。祖いて、19日の夜8時に、推敲を終わりました。で、恒例の、△印を総タイトル横に、つけておきます。
雉が歩く鎌倉の美しい住宅地は、実は、警察がその悪で覆いつくす場所であって
浜銀鎌倉支店を設計した隣人は、挨拶もなしに、人の家に入って工事をする
それに続く部分を、ここに置きます。
副題4、『学歴と頭の良さは、無関係である』
私は長年、銀座で画廊巡りをしていて、どこの画廊のオーナーがどんな性格で、どんな目的を持ち、どんな生活態度をとっているかなど、ほとんど知っています。「誰が、慶応卒で、誰が芸大卒で、誰が、教育大学(現在の名前は、筑波大学)卒だ」なんて言う事をも、知っています。ただし、はっきり言うと、有名大学卒と言う、オーナーの学歴を知っている画廊が、立派なことをやっているわけでもないです。画廊が上等な運営のもとに、上等な仕事をしているかどうかは、ひとえに画廊のオーナーの努力や気概にかかっています。それから、お金もむろん関係がありますね。ビルのオーナーが運営している画廊などは、テナント料を支払わないでいいので、よい企画を連発することができるので、有利です。
良く東大の名前を、このブログ内で、出しますが、それは、社会を分析するのに役立つ道具だから出すだけで、東大卒だからと言って、偉い人だという、バイヤスがかかって、こちらに、見えるわけではないのです。または、ベール(紗)が、かかって、美しく見えるわけでも ないです。
で、その反対に、その人の学歴を知らない(または、高卒だと、思われる)人でも、ひどく出来のいい人はいるわけですね。
これから重要人物として、登場するH夫人は、その学歴を私は知りません。職歴の方は知っているが、学歴の方は知りません。だけど、とても、頭が良くて出来がいい人だと、見ています。
ただし、私は、こういう人をも、自分側にまきこむことは致しません。自分の家へ上げることをしないし、外で、お茶を一緒にすることも致しません。あ、ここで、一つ思い出しました。この山の住人であって、かつ、プロの画家の方から、絵の指導(批評)を受けたりしましたよ。国画会等の、公募団体展にかかわっているときは、審査があるので、他人の目からどう見えるかは、結構大切なことだったからです。
ただし、それは、前田、安野連合軍に対して、対抗すると言う事とは、別問題なので、埒外に置かせてくださいませ。また、オープンハウスも一回したし、近々また、やりたいとおもっております。将来画廊喫茶にしていきたいという夢を持っているから、・・・・・いや、本当のことを言うと、自宅を、プチ美術館にしたいと、思っているぐらいで・・・・・その練習段階として、元気があれば、オープンハウスをしたいと、おもっております。しかし、その際も、政治色抜きですね。すべての存在へお招き状を出します。
しかし、こういう人間は、日本には、なかなか、いないです。一般的には派閥ができやすいし、そういう網の目の中で暮らすと言う事に、日本人は、安心感を持つらしいです。で、小野寺夫人も、一方では、東大卒のモダンなかつインテリでもある女性だけど、一方では、村社会のおきてに生きているらしくて、この山では、強い存在だと彼女が認識しているらしい安野家へ、夫妻ともども、訪問をして6時間も一緒に居たわけですが、自宅の方へも人を招き入れたりしていました。
ここで、町内会用、掲示板を見てください。まさしく、うぐいす村と、書いてありますね。『ここは、村社会だ』と、小野寺夫人は理解をしているのでしょう。
そういえば、前田清子さんは、高校まで、静岡県で暮らし、小野寺夫人は、北海道で、高校まで暮らした人です。東京圏に出てきた一代目ですね。だから、東京圏の、一戸建て住宅街に暮らすマナーと言う意味で、判っていないところがいっぱいある。そういう二人がつるんでいるから、客観性が無くなるのでしょう。
それがまた、大いに意味を、持つのです。その一つが白井小野寺家が、建築中の期間での、H夫人ご招待です。それもまた、前田家や、安野家の、案にのっとって、やったことでしょう。
これを今まで書かなかったのは、読者の皆様が、・・・・・私が、「自分は招かれていないのに、H夫人は招かれた」と、ねたんでいるから、その訪問を、特に注視をするのだ・・・・・と、誤解をなさるといけないと、思っていて、書かなかったのですが、
今日初めて、ここで、書き始めたのは、腸詰屋について書き始めているからです。
腸詰屋が、2004年に行った、いじめと、H夫人が、関係があると、昔から、考えているからです。その件ですが、ずっと、この12年間、思い続けてきました。腸詰屋について、今般ブログを書き始めているわけですが、その際に、「2004年の。いじめについては、まだ書きません」と、後注2に置いてある一回目のブログ内、では、言っています。それは、「スパイラルに、いろいろと、積み上げていかないと書けません」とも、言っています。で、次(=二回目)の移転予定の、ビラが八幡宮前店の窓ガラスに、夜遅く貼ってあるのを見たが、どうも、私をひっかけるためのビラみたいに思えたので、云々かんぬん・・・・と、ビラについてだけ、触れております。
『ビラは、彼が張ったものでは無いかもしれない』とも言っております。
そのスパイラルに積み上げていかないといけないのだと、言う、部分の、一つがH夫人の存在とその行動でありました。それを書く為には、その政治的動きの、他の物を、書かないといけなくて、それは、上のエピソードで現れたお隣の小野寺夫人の動き(=私を招じ入れるよりも先に、H夫人を招じ入れた)にも、顕著に表れているのだと言う事です。あれが、H夫人であったことが絶妙なのです。
もし、安野夫人とか前田夫人が、最初に訪問をした人であってごらんなさい。すぐさま、私が硬化すると、前田氏などから、思われているから、H夫人が使われたのです。だけど、ね。『バカも休み休みしなさいね』と、思いますよ。そのらせん状にねじ曲がった策略でさえ、すぐ読める私ですから。
H夫人は、そつのない人だし、礼儀は、正しいです。だけど、『ポイントポイントで、前田家などのお役に立ちましょう』と言う人であって、4,5回ほど、『やられたなあ』と、思っていることは、有ります。
それの、うちの一つだけを、本日書いたというわけです。H夫人は最近では、目立った動きをしていない人です。しかし、前田家と連動して、いろいろ過去に行ってきていますね。今、前田家が、飛んだり跳ねたり激しい動きをしています。すると、腸詰屋の事も思い出すし、したがって、白井・小野寺夫妻の分析と、H夫人のあれこれを、書かないといけなくなりました。
なお、遼太君の一審が軽すぎる問題については、後日、また、取り上げます。本日は、現代日本の警察とは何なのだと言う事をまず書いて、その次に寝屋川事件について触れて、その次に遼太君一審について触れる・・・・つもりでしたが、腸詰屋の、2として、書いているうちに、もう、疲れたし、午前二時に近いので、寝ないといけません。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3362787です。
2016年2月16日から、17日にかけて、これを書く。雨宮舜 (本名 川崎千恵子)
後注1、
隈研吾氏の、新国立競技場当選は、氏ではなくて、日建設計の勝利だと、思うが、 2016-02-03 02:43:56 | 政治
後注2、
線路に咲いた一本の百合・・・・・腸詰屋・鎌倉が行った、私に対するいじめと、その後の展開△△ 2016-02-14 14:04:03 | 政治