これは、ツィッター方式で、書かせていただき、総タイトルは、書けた順番に変更して行く可能性があります。最初は、『・・・・・ 大阪市の生徒自殺事件と比較しよう』としており、27日の、午前3時に、『・・・・・少女コンクリート詰め殺人事件と比較しよう』としています。
副題1、『上村遼太君の、裁判で、美しい女性裁判官が担当していたが、それもまた、裏で、鎌倉エージェントが動いたからだと、私は、思っている』
25日に、上村遼太君殺害、事件に、一審が、結審をしたそうです(後注2)。NHKニュースの画面に、美しい女性裁判官が映りました。傍聴席もいっぱいだったと、思います。
さてね。お父さんは、「悔しい。刑がかる過ぎる」と、裁判直後のコメントで言っています。私は判決直後に、下(後注1)の文章を書いています。しかし、そこでは、例の連中の、パソコンへの攻撃しか書いていません。どうしてかと言うと、判決が軽すぎるとは、思いましたが、当然の事、控訴されると、思ったからです。
検察当局って、社会を、きちんとさせるために、犯人を、刑に導く存在でしょう。結索バンドで、手足を縛って、自由が利かない様にしておいて、寒空に、二回も多摩川で泳がせたのですよ。そして、結索バンドで、縛ったまま、カッターナイフで、死ぬまで、傷つけて行ったのですよ。それに対して、検察は、9年から13年の、軽い刑期で終わっても、控訴しないのだそうです。
どうしてでしょうか? 裁判の、画像は、最近では、実写ではなくて、絵で、開示されます。そうすると、両親そろって、裁判へ、出席をしている絵が出てきました。両親は、再婚をしたのですか? いえ、それは、未だないのでしょうね。もし、そういうことがあったら、ネットでは大騒ぎの筈ですから。
両親は、自分たちの社会的ランクがとても低いので、裁判官とか、検察官とかに対しては、対等な、気分を持てず、「自分は、こうしたい」と思っていても、何も主張ができなかったのでしょうか?
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副題2、『これは、民事訴訟でもして、何らかの賠償金が、両親側に、入るのだろうか?』
世の中には、犯罪被害者の会と言うのがあるそうです。その人々は、何の賠償金ももらえないという形で、泣き寝入りをしているそうですよね。たまたま、相手が公務員だったケースでは、加害者本人ではなくて、組織側が、謝罪し、賠償金を出すケースがあります。
最近では、大阪市立・桜宮高校で、バスケット部の顧問が、部長に選任した生徒を、苛め抜いて、生徒が自殺したケースがあって、民事訴訟で、大阪市に多額の賠償金を支払う様、命令する判決が下り、大阪市長は、控訴しないと決めたそうです。これは、Kと言う教師が支払うべきであって、市が、支払うというのも相当に、釈然としないケースですが、こういうことは、ようようあります。
警官とか、自衛官が、上司の、いじめに出会い自殺をしたケースでは、組織が、賠償金を支払うケースがあります。そういうもので、裁判を何度も行ってやっと、被害が認められるケースもありますね。ワタミのケースとか、他の私企業のケースでも。この間、東電に対して、舅が、自殺したのは、東電の性だと、言う訴えを出して、賠償金をせしめた、お嫁さん(ただし、ご近所様からは、非常に評判が悪い)が居ました。また、アスベスト訴訟なども、死んだ人へ、賠償金が支払われるケースさえあります。
これらの事案に比較すると、遼太君の両親は、何となく影が薄いです。ただ、世間一般からの同情が、これほど、深く集まったリンチ殺人事件もないでしょう。
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副題3、『女性週刊誌とは、軽々と、CIAエージェントに、利用をされる媒体である』
今、浅田舞・真央姉妹は、巷の人気ものです。私自身は、麻衣ちゃんは、タレントとして、これからも生きていかれるが、真央ちゃんは、選手生活は、早急にやめて、プロスケーターまたは、指導者として生きて行ってほしいと、思っています。早く、ご自分を見極めて、きちんとしないと、清原選手の、二の舞になりかねないです。
ただね、最近では、人気が、高い真央ちゃんですが、トリノオリンピックの前あたりは、大きないじめに出会っていました。誰から?と、言うと、例のCIAのエージェントたちにです。真央ちゃんの、体型が美しい事と、フィギュア技術に於いて高い事が警戒の対象となったのです。どうしてかと言うと、在日の選手も、勝たせたい対象であるが、韓国に居る選手も勝たせたいと、彼らが願っていたからです。で、突然に出場年齢制限と言うものが設定をされ、真央ちゃんは、出場できなくなりました。
次がバンクーヴァー五輪です。この時は、真央ちゃんの全盛期であって、お母さんも健在だったので、ここで、取れるものだったら、金メダルが取れたはずなのです。
しかし、真央ちゃんに対しては、CIA側の、もろ手を挙げてのいじめがあったので、とうとう、お母さんが、亡くなりましたね。ストレスが大きかったと思います。ところで、浅田一家に対するいじめと言うのは、私の様な、外野に居るもので、フィギュアとは、一切関係が無いものにとっても、判るほどのモノでしたが、
バンクーヴァー五輪の時に、あまりにもひどい事がいっぱいあったので、思わず、2ちゃんねると言うのを、のぞき見したら、驚くべき記事を発見しました。それは、成田豊元電通顧問が、女性週刊誌を使って、浅田姉妹を、傷つける記事を作っていたと、言う事でした。国会図書館に行ったら? 判ると、思いますが、そういうことがあったそうです。
この成田豊氏、および、第12代経団連会長、 米倉 弘昌 (住友化学会長)氏、
2010年5月27日~2014年6月3日 及び稲盛和夫氏などは、徹底的な韓国びいきです。で、日本人である浅田姉妹よりは、キムヨナ選手が勝ってもらいたいと、思っていた可能性が強いです。
で、この章で、問題にしたいのは、彼らが、新聞テレビ等も、利用をするのだが、週刊誌を、最終兵器として、利用をすると言う事です。この間ワシオトシヒコと言う、 詩人にして、美術評論家に、権威を与えるために、週刊朝日を使って駿河台大学尾創設者一族を脅かして、教授へ押し込んだと、言いましたね。あれも、ひどい記事でしたが、浅田姉妹を貶める記事もひどいものだったみたいです。
今は、それほどの、恐ろしい逆風が、浅田姉妹に対して吹いていないのは、一つには、キムヨナ選手が引退をしたからでもあり、一つには、私のブログを否定したいからだとも、思います。
ところで、今、大切なことは、この上村遼太君殺害の、直前に、犯人側に、同情する様な記事が、いっぱい出た事なのです。事件直後に、一種の分析用飼料として出たのなら、意味が通るのですが、裁判直前に出たのは、タイミングを考えると、非常に怪しいのです。事前に、量刑を軽くしようという、申し合わせが、法曹関係者一同に内々にあって、それは、また、CIAが作用していたことだから、メディアも、動かされたと、私は感じるのです。
でも、成田豊氏は、死んでいます。そして、米倉氏は、経団連会長を辞任しています。そして、稲盛さんは、京都賞などで、ご自分の名誉を、誇示している存在だし、子分として可愛がっていた小沢一郎は、今見る影もないしで、この上村遼太君裁判にまでは、手を伸ばしていないと、私は考えます。
私は、この成田、米倉、稲盛世代は、あまり、観察して居なくて、彼らが何かをやったかと言う事は、特に、大きな事案、例えば、JALの破たんとか、マルハニチロの農薬混入事件以外には、気が付いておりません。
しかし、現存すれば、80代以上、中には、90を超える世代については、そうではあるが、現在、70歳以下の、世代については、自分に対して、ひたひたと迫るものがあるので、毎日、彼らの存在を、確認していますので、鎌倉エージェントと名付けて、特別に注視しています。
その中の、二人の、人物が、在日の出自を隠しているのではないかと、見ているのです。そのうちの一人は、公的には、自分を死んだことにしていて、しかし、実際には、生きていて、共産党と、警察を私兵として使っていて、自分を守りながら、ありとあらゆる、嫌な事件を案出している、井上ひさしです。
もう、一人は、私の中学時代の、同級生、成岡庸司君です。後者の方は、一般社会では、ほとんど、その名前を見ません。だが、丁寧に、ネットとか、社会現象を、観察していると、彼が、生存していることを、感じ取って居ます。で、そのどちらかが、在日の出自を持っていて、この上村遼太君殺害少年も、在日の出自を隠していたら、『これは、ひいきして、軽い刑で、終わらせておこう』と、考えるのもありでしょう。
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副題4、『これから先は、都市伝説の類なのだけれど、・・・・・どうも、ありえるケースだと、思われる、飯島愛の死亡事件・・・・と、少女コンクリート詰め殺人事件』
私ね、今、リンク先を見つけている時間が無いのですが、埼玉県で起きた、戦後最大にして、最初のリンチ殺人事件の事を何度も書いています。事件名は、少女コンクリート殺人事件と言うのです。主犯の少年は、母親が、ピアノ教師で、父親が、証券会社勤務でした。その母親に、小さい時から、放ったらかしにされて育っていて、愛情不足の極みであって、頭脳レベルは高いのでしょうが、高校受験に失敗して、当時は、落ちこぼれの行く学校だと、みなされていたところへ入学して、たちまちに中退をして、家に帰らなくなったのですが、実の両親は、探しもしなかったのです。
で、そのピアノ教師の息子が主犯として起こしたのが、コンビニか何かで、バイトをしていた少女に、オートバイ等を接触さえ、いちゃもんを付けるアイデアでした。そして、いったん、怯えさせた後で、救ってあげる別の少年が、現れたのです。で、被害少女は、すっかり彼等を信用して、一味の家へ、連れ込まれてしまいました。
それは、埼玉県にある建売住宅で、ごく、近所が近い家なのですよ。フォーカス(新潮社)か、フライデーに、その家の写真が載っていました。その家の二階で、40日間にわたって、サディスティックに責めさいなんで、殺してしまったのです。そして、遺体を、ドラム缶に入れて、コンクリートで、蓋をして、畑か、田んぼかに捨てたのでした。
加害側の両親は、家を売ってお金を作り、被害者側の賠償をしたそうですが、被害者の、お母さんは、ノイローゼになったそうです。これは、たとえ、田舎(または、郊外都市)であっても、高校生(女子)に夜のバイトなどさせたら、危険なのだと、言う事を教えています。迎えに行くとかしないとだめな日本になってしまったのでした。
この事件ですが、起きた当時、私はたまたま拡販競争の犠牲になっていて、朝日新聞と、毎日新聞の二紙を取っておりました。
毎日新聞の方には詳細が載っており、朝日新聞の方には、一切が載っておりませんでした。私は、この事件が、サディズムの、塊の事件であり、しかも、主犯の少年の傍らには、愛人たる少女が侍っていたと、されるので、朝日新聞は、それで、報道をしないのかとも、思いました。
その加害主犯少年の、愛人とされるのが、飯島愛で、マネージャーが、その過去に気がついてしまって、彼女を、脅してきていたので、将来をはかなんで、自殺したと、言うネットの情報を読んで、ありえるかもしれないと、思い到っております。だって、テレビタレントと言うのは、人気が大切ですよね。それが、もし、ああいう陰惨な事件の、加害者側、主犯の横に侍っていて、火のついたろうそくから、蝋を垂らしたのを横で見ていたなどと言う事がばれたら、一気に、ファンが去るでしょう。だから、ありえる話だと、おもっております。
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副題5、『その、陰惨な事件の、現場は、共産党員の家庭であった』
私は事件の起きた当時から、毎日新聞の記事を読んで、事件現場の、家は、共産党員の家であろうと、推察していました。父親が、病院勤務の事務職(または、薬剤師)、で、母親は、病院勤務の、薬剤師か、看護師と言う一家で、両親ともに、組合活動に忙しくて、二階で、それほど、陰惨な事件が、40日にわたって繰り広げられていることに気が付かなかったと・・・・・書いてあったからです。
で、私は今でも、鎌倉駅や、北久里浜駅、および、金沢八景駅周辺で、共産党に付け狙われて脅かされています。一種の嫌がらせを受けております。おまえの行く先は、こっちは全部知っているのだぜと、言いたい輩が、尾行者の、典型として、共産党と言う旗印を上げた、団体に、政治運動(デモ)などをさせています。
一番笑ってしまったのは、午前11時に、千葉県の原水協が、鎌倉裏駅タラバ書店前から、みずほ銀行(当時は、富士銀行だった)前へ向かって、旗を立てて歩いていた時でした。どうやっても、千葉県から、旗を立てて歩いてきて、午前11時に、鎌倉駅までは、到着できません。
で、これは、もし、旗が本当なら、電車に乗って来て、鎌倉駅から、私がそこ(=湘南信金、支店前)へ現れるタイミングを狙って、誇示したとも言えるし、千葉と言う旗だけが偽物で、鎌倉周辺の、人間を集めたのかもしれません。ともかく生気の無い事、生気のない事、ただ、ただ、上からの命令に、応じて動く、お人形さんなので、ひとりひとりをばらばらにすると、彼等、一人ひとりには、力が、まったくないのだと、言う事を感じています。
埼玉県の、少女コンクリート殺人事件でも、親が、家に居る時間帯に、少女は一階にあるトイレを使う為に、降りて来ていたと、言われています。様子がおかしいのは、目に見えたでしょうに、解決の方向へ動けなかったのでした。
しかし、ここで、大問題としたいことは、この主犯少年が、刑期よりずっと早く、釈放をされており、既に、高校生になる娘がいると言う事です。従犯の少年たちは、頭が悪いので、再犯をしたりして、厚生はなっていないそうです。が、主犯の両親は、当時としては、ハイカラな、四大卒の、エリートだったので、主犯少年もむろんのこと頭が良くて、もし、再犯などしたらアウトだと、判っているので、社会の中で、地味に暮らしていると見えますね。だけど、高校生の娘がいるとなると、7年から9年の刑期で釈放をされたと言う事となります。
朝日新聞が1989年の、事件発覚当時には、一切の報道をしなかったと言う事でも、共産党が、どれほど、ひいきされているかがわかります。が、どうしてそうなのかと言うと、他の方は、朝日は、左が強いから、共産党を贔屓したのだと、お考えでしょうね。しかし、私は違うと考えております。つまり、共産党とは、CIAに許容をされている組織なのであって、朝日新聞にとっては、事、CIAつながりでいえば、身内みたいなものだから・・・・・となります。
もちろんのこと、戦後の、1940年代に、国鉄労組を中心として、共産党が強くて、白鳥事件、松川事件、三鷹事件、下山事件等が、起きたころは、共産党とは、純粋に反資本主義組織(=反体制、反米)だったと、思いますが、上田耕一郎、不破哲三、兄弟が、主役を担うころ以降、大変身をしたのだと、思います。
でね、結局のところ、ここまでだけでの結論を付けると、CIAと、関連をしていると、罪まで、軽くなるのだと、言う話になります。
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副題6、『私は、56歳から62歳まで、デラシネの生活を送ったので、種々の大切なモノが行方不明になってしまった。それは、残念だが、中には、泥棒に、盗まれたものもある』
私は、56歳で、パリで、秋に三か月間、57歳で、ニューヨークで、三か月間、58歳で、これまた、ニューヨークで三か月間、版画の修行をしています。一回目は、自宅から出発していますが、それは、文化庁からの派遣だったので、家族を納得させ得ましたが、二度目とか、三度目は、私費渡航なので、家族が許すはずもないので、仕方が無くて、逗子で、マンションを借りて、一人暮らしを、していました。そして、自宅へ夜だけ帰宅する様になったのが、2002年の夏であり、昼間は、そのアトリエへ通っていました。そのマンションを完璧に、引き払ったのが、5年後ぐらいだったでしょう。で、この10年間ぐらいは、一種のデラシネ(漂泊)の時期だったのです。
それは、まったく悔いていないのですよ。お金は無駄遣いしたとは、思いますが、でも、あれが無いと、今、落ち着いて暮らしている、この日々は、無いと、思います。それこそ、『私の人生って、これで、よかったのかしら。ほかの生活って、あったのではないかしら』と、思い悩み、不定愁訴気味主婦になり、認知症などになっていたと、思います。体力があるうちに、種々様々な刺激と、苦労をしておいて、世界のアート界が、本当は、どうなっているのかを、見てきてよかったと、思っています。まだ、有名アーチストにはなっていないし、お金も儲けていないのですが、いろいろな人の支援を受けながら、ニューヨークで、上手にアッピールして行っている、草間彌生とか、オノヨーコとか、杉本博司とか、千住博とか、村上隆とか、言う日本人としてでも、成功した人たちと、もう少し、下のレベルで、奮闘して居る人達を、パリと、ニューヨークで見て来て、しかも、外人で、成功して居る人達と、金銭的には恵まれていない人たちの両方を見て来て、非常に落ち着いているのです。自分の立ち位置とか、自分の独自性とかを、きちんと見極めていて、それで、落ち着いているのです。
しかし、そのデラシネの、時期に、移動が激しかったので、いろいろなものが紛失をしてしまっているのです。その上、2007年ごろから顕著になった、泥棒のせいで、さらに、貴重なものが失われています。どろぼうが、入っていることは、なかなか、気が付かないでいたので、書類のうちで、何が、失われているかが、判らないのですが、泥棒が、もっとも、入った時間帯は、印刷所へ出かけていた時期でしょう。印刷所の、周辺で、警官がパトロールをしていたり、印刷所の、私の机のすぐそばに、警察官(もしくは刑事)が、変装して、座っていたりした時期です。
だから、泥棒が、警察である可能性が高いのです。
ちょっと、脇にそれますが、この印刷所における刑事の変装と言うのは、非常に愉快なエピソードなので、ここで、詳細を語りたいと、思います。
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副題7、『印刷所内に、刑事が、変装して待っていたが、むろん、見破っていましたよ。高をくくりすぎな、鎌倉エージェント達よ。あなた方って、本当に、トカゲの脳味噌の、持ち主ですね』
印刷所の、人達は、大変親切な人ばかりなのですが、ある時期から、急に態度変更が起きて、「玄関近くの応接間、一部屋から、動かないでください」と、命令を受ける様になりました。私は、6冊も本を作っているので、その印刷所を、訪問したことは、30回以上は、あるわけです。一冊の本を作るのに、五回以上は訪問しますので。
特に私は、文章の著者であり、表紙の装丁家であり、本文ちゅうの、イラストのイラストレーターでもあり、かつ、頁デザイナーでもあるので、印刷所の、中の、デザイン室で、デザイナーとの、打ち合わせが何回も、あるのです。で、3冊目までは、自由にデザイン室に入ることができて、デザイナーの、大型二画面パソコンを見ながら、「あそこを、こうしましょう」とか、「こちらを、こうしましょう」と言う打ち合わせを自由にしていたのですよ。
ところが、その頃(2007年か、2008年だったと思う。もしかしたら、2009年だったかな?)、急に印刷所さんが不親切になって来て、しかも、目の前に、刑事が変装したらしい、男が待ち構えていることとなったわけです。
でも応接室からは動けないので、仕方がないので、同じ部屋に、唯一存在して居て、机に向かっているその男に向かって「部長さんを、呼んでください」と言ったのです。すると、もぞもぞしているだけなのです。彼にしてみれば、この会社には、部長と言う存在が何人もいると、思うのでしょうね。会社ってそうでしょう? 総務部長、人事部長、経理部長、営業部長、エトセトラ、で、どの部長を指すかを知らないのです。で、動かないので、私が引き続いて、「内線で、電話をして呼んでください」と言ったら、
彼は、「僕はね。この会社の人間ではないのです。ここに机を置かせてもらって、営業をやっているので、内線番号は、知りません」ですって。「嘘も、休み休み言いなさい。あなたの顔って、営業位万のそれではないですよ。言葉づかいも態度も違います。それに、本当に、この会社内で、机を置かせてもらって営業をしているのなら、内線番号など、名刺をもらっているからわかっているはずですよ。覚えて居なくても、名刺入れから、部長さんたちの、名詞を出して、私にどれですかと、質問をすれば、いいではないですか」と、言いたかったけれど、常に、喧嘩はしない主義だと、決めているので、「ああ、そうですか? じゃあ、私は、場所を知っているので、自分で、呼びに行かせてくださいね」と言って、デザイン室へ出かけて、部長さんを呼んできて、先ほどの、応接室で、刑事がそばで、聞いている中で、打ち合わせをしました。
だけど、内心で、ものすごく、怒っていましたよ。『どうして、こういうことをされないといけないのか?』と、思って。だって、そのホンの中身は、今、ここに書いている様な文章ではないのです。芸術の事と、心理学の事と、哲学的なことを、平易にして、下世話なエピソードの羅列をもって、表現をしている本だから、政治には無関係です。 しかも、前田祝一、清子とか、安野忠彦・智紗夫妻とか、アルカマクなどは、一切出てきていないのですよ。もちろんのこと、警察とか、刑事とか言う文言も一切出てきていないのです。北久里浜も、瀬島龍三も、杉本副市長夫妻も、島田章三さんも、一切出てきていない段階です。
だけど、きっと私には、ものすごいレベルの文才があるのです。で、非常に大きな人気が出るはずなので、それを恐れているのでしょう。でも、どうして、警察が、自由競争の、妨害をするのですか? それって、ありえない事でしょう。何故と、内心で、激しい問い合わせを始めます。で、その答えを、副題8の、二重ガッコ内で、書いておきます。
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副題8、『しかし、警察官が、印刷所までの、道で、うろうろ、していた事もあって、この偽営業マンも刑事であるとも、推察されるとなると、私が本を作ることが、どれほど、に、敵さんたちの、恐怖の的であるかがわかって来る。だけど、警察は、どうして、また、誰の依頼を受けて、こういうことをやっているのだ?と、言う疑問が次の段階として、起きて来る。
「それが、もし、伊藤玄二郎一派の依頼を受けて、やっているのだったら、只では置かないぞ」と、覚悟を決める。だって、伊藤玄二郎と、私は、その規模と歴史において、出版社としての、大小はあるが、人間としては、同等である。なんで、これほど、妨害を受けないといけないのだ・・・・・と、怒りが激しくなり、その日以来、CIAの研究を徹底的にやり始めるのだった・・・・・多分、伊藤玄二郎や、前田祝一がCIAのエージェントだから、これほどの、命令を、警察に行うことができる。しかも、警察が、こういう偏波をするのは、日本国憲法に照らし合わせればとんでもない事なのだ。そして、こういうことを、考え始めたその陰に、2004年に、アルカマク(=現在の腸詰屋)が、行った裏切りが、大きな、意味を持って思い出されて来るのだった』
ここで、「書かないでおきます。書かないで置きます。三月末の、国際基督教大学の建学祝典まで、まっています」と、言っていた、腸詰屋の、2004年の裏切りと言うのを、超簡単に書き表しておきましょう。
アルカマク(=現在の腸詰屋)は、1999年から、2002年までの間に、開店を、していました。場所は小町通りの、外れ、今では、ローソンが出店をしているところです。私は、その頃未だ、逗子のアトリエをキープしていたので、朝早く、8時には、家を出て、逗子へ向かいました。そして、午後、五時ごろ、逗子を出て、鎌倉へ、五時半に帰宅すると、言うスケデュールで、動いておりました。
それで、毎朝、早めに店に来て、あれこれをやっているアルカマクの主人と、仲良くなりました。自然にです。その時間帯は、通勤者は、もう通っていないし、主婦たちなどは、まだ、買い物には、出かけていない時間帯で、小町通りを通る人間が少ないので、お互いに、存在が、目立つのです。
でね。私が鎌倉について書いて、書物化した、『れすとらん・ろしなんて』を買って くれる約束を作り上げておきました。
ところが、裏切りとは、本ができて持っていったら、「僕は買えません。だって、こんな豪華な本をただでもらったのですよ。あなたの本を、お金を出して買う気にはならないから」と言われて、下にある本を目の前に、出されたのでした。この本は、B5版で、頁は、500頁近いでしょう。そして、上製本(ハードカバー)です。
私は、声も出ず、黙り込みました。ところが、私の表情は、非常に表現が豊かだそうです。それでね、腸詰屋の主人も、ある程度以上に、申し訳ないと、思ったのでしょうか? 次に、「あの人は、オーラなんかないんですよ。それは、判っているのです。だけど・・・・・」と、言ったのでした。
それが、最近、何度も、その後ろ姿を、写真で、公開している前田祝一氏の本でした。彼が、今よりもっと痩せていた時代の話でした。私は、大いなるショックを受けて、友達、マダムYKへ、電話を掛けました。苦しくてね。そういうわけですが、驚いたことに、マダムKYは、さして同情してくれなかったのです。なんと、彼女は、1967年から、既に、CIAの可愛い子ちゃんになっていたのでした。それは、当時在学していた、アメリカ人大学生のベイカーさんが、本職のCIAとして、いろいろな情報を集めていて、私が、調布に住んでいたマダムKYのお母さん宅へ、彼女に、招かれたのを知っていたので、二人の間を割く為に、たいへんな厚遇を、彼女に対して行い、その結果、私との仲を裂いて行ったのです。そして、そこに、石塚雅彦さんの、姿も絡んでくるのです。今では、それが、明瞭に分かるのですが、しかし、2004年には、そこまでは、判らず、周辺の連中の悪意ある策略に、やられっぱなしだったのです。
この豪華な本は、翻訳本です。翻訳と創作と、どっちが、本当は価値が高いのかなどと言っても、彼等は、そんな、本質的なことは、問題にしない連中なので、仕方がないと、単純にあきらめました。しかし、印刷所の、応接室に待ち構えていた啓示を見た時に、アルカマクの主人が、裏切って来て、私に冷水を浴びせたのは、単に、彼一人の思考や、価値観の問題からくるものでは無くて、大いに政治的なものなのだ。そして、この件には、H夫人と言うご近所様も絡んでいるはずなので、私は、本当に容易ならざる不自由さの中に居るのだと、理解を私的はじめ、本当に、覚悟をもって、戦い始めるのでした。
だけど、暗い話の中にも、ある程度の、喜びごともあるのですよ。ただし、私は、自分にとって、嬉しい事とか、喜びごとは、語りません。→
優雅な生活―“トゥ=パリ”、パリ社交集団の成立 1815‐48
2001/5単行本
後注1、
遼太君事件に、ついて書き始めているところだけれど。 2016-02-16 21:43:33 | 政治
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後注2、
TBSニュースをグーグルで見つけて、アップする
リーダー格の少年の判決が確定しました。
去年2月、川崎市の多摩川河川敷で、当時中学1年の上村遼太君(当時13)が首をカッターナイフで切られるなどして殺害された事件で、今月10日、横浜地裁は、殺人などの罪に問われたリーダー格の19歳の少年に懲役9年から13年の不定期刑の判決を言い渡していました。
検察側と少年の弁護側がいずれも控訴の期限となる24日までに手続きをとらなかったため、判決が確定しました。(25日16:16)
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大阪市に7500万円賠償命令 桜宮高校バスケ部の体罰自殺事件 東京地裁 体罰と自殺の因果関係認める
大阪市立桜宮高校バスケットボール部の顧問だった小村基(はじめ)元教諭(50)=懲戒免職、傷害罪などで有罪確定=による体罰事件で、自殺した男子生徒=当時(17)=の両親と兄が大阪市に対し、「体罰が自殺の原因だった」として約1億7400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、東京地裁であった。岩井伸晃裁判長は「体罰と自殺には因果関係が認められる」とし、市に計約7500万円の賠償を命じた。
この裁判では、男子生徒の自殺後に両親が関東地方に転居したため、東京地裁で審理が行われた。
両親側は「自殺前に小村元教諭への手紙を書いており、体罰と自殺の因果関係は明らかだ」と主張。市側は「体罰と自殺の直接的な因果関係は明らかになっていない。男子生徒には受験や家族関係の悩みもあった」などと反論していた。