銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「法務局+財務局に、内容証明を送ると良い」と、有名弁護士さんに勧められたが、それは、蛮勇をふるうという類の行為であり、大いに躊躇はしたのだった

2017-12-27 04:42:28 | 政治

  以下は、今連続して書いている地籍変更届問題の、第5に当たるものです。

 今までのあらすじをまとめて言いますと、京急北久里浜駅の東側の丘の上に、美麗なマンションが建っていますが、そこは1978年までは、横須賀市の水道山でした。そこを、大建産業という、会社が、私有地化したのですが、まったくお金を支払って居ません。

 それは、実質的には、大、大、大のつく、詐欺事件なのですが、計画した人が、元海軍参謀という、戦時中なら、もっとも、頭の良い人間だと、見做された人種の一人である、故・益山重夫という人物なので、三~五つのテクニックを駆使して、成功へ導いています。

A,・・・・・・横須賀市内の、有力者を、自分の味方につける。・・・・・戦時中のエリートであった残渣が残っていたらしくて、市長、京浜急行、土木課長等を、抱き込んで、急峻な山を開発させ、京急池田分譲地というのをまず、作り上げさせます。で、京急が、いろは坂を作って、山の上に、自由に上れる様に、してくれるので、山の上野地価が上がるという見込みを立てた上で、駅に最も近い部分を、買います。たった150坪ほどをです。まだ、山林の段階だし、進入路もできて居ない段階だったので、現在の貨幣価値に直しても、30万円程度で、買ったと推察されます。益山さんの会社阿、大建産業という名前である事や、京急や、横須賀市が、手もなくひねられて、協力者となっている処から見ると、戦後最大の、権力者である、瀬島龍三が、裏で、加担をしていた可能性があります。ただし、1978年の8月の時点では、瀬島の影は、まだ、出てきていませんでした。

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B,・・・・・・益山氏が買った、場所は、山がくびれていて、ちょうど、花瓶の首の形をしていた。そして、彼が買った山林の、北側には、京急池田分譲地が広がり、南側は、横須賀市の水道山がそびえていた。この場所の、平作川を間に挟んで、西側には、武山富士と呼ばれる山塊があるが、そちらよりも高かったので、戦時中は、重要な拠点とされていた筈であり、海軍の知的トップである、益山氏は、戦時中から、この山を熟知して居た可能性が高い。で、最初から、この山を私物化する目的で買い、誰も注目をしていない段階で、すでに、重機で、水道山の開発を果たしてしまい、570坪ほども、蚕食していた段階だった。彼は、京急が作った道路と、ひとしいレベルの立派な進入路を私道として作り上げ、その周辺に、30坪単位の、建売住宅用の更地を作り上げた。合計14戸分である。

 また、自宅用に、50坪程度、その自宅の南側に、蚕食をして行くために、自宅の後ろに、高さ5メートルほどの木造の倉庫(幅50メートル、奥行き6メートル、)を作り上げ、その倉庫の北側には、トラック島が、自由に出入りできるための更地、150坪を用意した。

 私は生協という組織を間に挟んで、彼の土地を二区画買い、30代のサラリーマンとしては、理想的な、住宅を建てて、引っ越して来ていた。親が、知識が深いので、素人ながら、建築確認も取ってくれたほど何度恵、大工さんも、丁寧な仕事をしてくれたので、きれいでモダンで、しっかりしたおうちができた。そのデザインを益山氏が、自宅用に模倣をしたほどである。しかし、若いのにも関わらず、恵まれている雰囲気があることは、近隣の人々の、嫉妬心を浴びかねない。また、当時は、裁けた主婦という雰囲気を持っていない私は、主婦同志の、いじめとかに出会いやすいタイプであった。そこを益山夫妻には、つけこまれている。

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C,・・・・・・増山氏は、超絶技巧的なテクニックを弄して、ともかく、三期に分けて、10戸の建売住宅を建設し販売をした。それと、我が家用の60坪、さらに、北側に向かって、二つ60坪の、区画の戸建てがあるが、本当に、どういう手段で、土地を打煮だしたのか、徹底的に不思議なことをやり抜いて、ともかく、私が気が付いた時点では、すでに、彼の土地は、土地台帳上は、たった、2.73平米しか残って居なかったのだ。しかし、見かけ上は、彼は、既に、売り払った部分も入れれば、800坪程度支配をしていることになる。

 で、彼としては、「私は、本当は、一千坪以上の土地を持っているのですが、売り渡した、土地があるので、現在の処、2,73平米しか土地台帳の上では、残っておりません。これは、土地台帳の方が、間違っているのですから、土地台帳を、今から、変更してくださいませ」と、言いだすわけです。それを法務局に言い出すための書類を、地籍変更届と、言います。

 で、それが、受理されるためには、周辺地主がすべて、承諾することが必要です。で、承諾をしたというしるしに、周辺地主は、実印を押します。地籍変更届というのは、この際は、パンフレット状に厚かったのです。

 ところで、彼が、実際には、一坪以下の土地しか持っていないのに、これから、手に入れようとしていた土地には、その40年後には、以下の美麗なマンションが四棟建っています。

 結構、広大な敷地なのです。それは、水道山でしょう? 益山さんの土地ではないでしょうに?というのが、私みたいな、まっとうな普通の人の感覚なのですが、当時の法務局の人は、全員が鼻薬をかがされていたらしくて、いじめられきりました。謄本を取る際にも、順番が狂わされて、後の人が、先に撮るものだから、謄本を取るだけで、一時間以上かかり、かつ、何の謄本を取ったらいいかの調査も必要なので、いつも、三時間以上法務局で、時間を過ごしたものです。

法務局をだました最大の嘘が、周辺地主の印鑑を全部はもらわないで、済む仕組みです。それは、後注1の、副題7で、詳しく書いていますがこの山全体を架空の道路で囲んで、それを横須賀市に、寄付してしまうという設定です。そうなると、山の上に住んでいる数軒の、住民と、横須賀市の印鑑だけそろえれば、万事可能となる、盗みなのでした。一戦もお金を支払わないで、広大な土地を手に容れちゃうわけですから、それは、実際問題としては、盗みなのです。

 私は、相当な調査をしたうえで、確信をもって、これが、嘘満杯の泥棒であるという事を、法務局で訴えましたが、法務局側は、書類が整っている限り、受理せざるを得ないという一点張りなのです。

 日本は、法治国家の筈ですよね。だけど、1978年9月ごろの、関東法務局・横須賀支所内では、不思議な泥棒事案が、正々堂々と、受理されて、益山一派は、広大な土地を只で、手に入れたのです。

 そういう事件について、私は、今、丁寧に、丁寧に、書いている最中です。

  そして、小説として書くという目的にもかなえるために、周辺で、起きていることも丁寧に、描写をして行きます。以下は、本日新しく書いている部分です。

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副題1、『我が家の前を、通るときには、絶対に車を利用する益山氏が、このころ、車という鎧を脱いで、作業着・姿で、我が家の塀の南側の道路を盛んにウロチョロする様になった。しかも、一人ではなくて、何人かの作業員を連れてやって来て何かをしている。それは三浦半島に多い、山塊の一つを、削って平らにして、400戸程度の、住宅団地にしたのですが、

 カンカンとか、どんどんという音を立てていると、会いたくない人物だとは、思うが、何をしているかを知りたくなる。上滝氏の場合は、これ一回だけと覚悟をして、「あなたは、地籍変更届の書類に印鑑を押しているみたいだけれど・・・・・」といっただけで、

 上滝氏は、自分が川崎千恵子より優越していることを以前から知っていたと、見える。その劣等をしている私が、質問をしに来たので、復讐ができると思い嬉しくなったらしくて、ペラペラと、「地籍変更届であることを、自分は知っていて、その上で、印鑑を押したのだ」とか、「成功報酬を約束をされている」事まで、話してくれた。

 上滝氏との間の会話は、それが、目的だったので、成功したと言えるだろう。私が知りたかったことは、この地籍変更届が多大な悪や、嘘を内包していることを益山氏が、自覚をしているか、どうかだったので、益山氏が、上滝氏に真実を述べたという事を知ったのは、大成功だった。

 しかし益山氏本人に対しては、それほど簡単にまとまった質問が、できなかった。思い浮かばなかった。第一、質問自体が無かった。彼のやって居る事が、すべてわかって居るのだから、質問自体がないのだった。

 しかし、留守の時に何か作業をするのならともかく、わざと見せびらかす様にする。

 この様にして、電話線について、工事が、誇示的に行われて、我が家が盗聴をされる様になったのにも気が対いていたが、今度は、違う事をやり始めた。

 実は、我が家の、特に母の持ち分の周囲を、30cmほど、別の地境石で、囲んで、たった30cmだが、横須賀市に寄付をする事にしたのだった。だから、私が必死で調査をして、ああだ。こうだと悩んでいる時期に、とっくに事態は進展して居て、彼は、すでに、大金を濡れ手で粟で、つかむことに、成功をしていたのである。地境地主の印鑑は、もう一回もらっていたのだろう。図面も何もかもダブルで作ったと、思われる。で、そういう際にすべてを受け合って、肺、肺と、言った横須賀市・土木課長の、杉本某氏の、罪がいかほどに大きいかは、皆様も、しっかりと知ってほしいと私は思っている。その杉本某氏には、電話で、ちゃんと、「ここに悪がある」という事を、奥様を通じて言ってある。奥様は、私と大沼嘉津江さんを、三社連合とする、ママ友である。横須賀市立根岸小学校PTA広報委員として長時間を一緒に過ごした間柄である。ところで、京急がガードマンを使ってさんざんに脅かしてきているのですが、それも、この事件を隠蔽しようとする動きであり、杉本夫妻と、中野通巳吉と言う大悪人を京急が擁護しているという仕組みです。

 

 
 この写真ですが、二人男性が居ますね。それは、脅かしを、強めようとする作戦であり、私が、何か重要な事を書いたので、更に脅かしを強めようとして、二人のガードマンが配置をされたのでした。場所は、京急、金沢文庫駅で、私は、そこから、バスを使って、園芸店に行こうとしているところです。鎌倉の人でさえ、わざわざそこへ買いに行くという程に、有名な園芸店があります。園芸店に行くのにもこれほどに、ガードマンが引っ付いていて、脅かされるのです。何故なら、ルネ北久里浜と言う大マンションが建っているその、土地は、実質的には、盗まれたものだという事を、私が知っているからですね。
 ところで、手前の男性ですが、この男性は、神奈川県警の、特殊部隊の人間ではないかなあ。別の日に、横須賀中央駅の改札口で、京急の制服を着て立っていました。ともかく、彼が居ることで、私がびくつくと考えている連中が居るらしいです。お顔もきれいだから大卒エリートかもしれませn。ただ、高卒でも、頭が良くて、選抜をされて特殊任務について居るとか?
 警視庁管内でも、10人ぐらい、繰り返し現れる人材が居るので、すぐ、意味が解ります。私が、一段階レベルアップして、より深い真実を書いている時の特徴ですから。

 そういうわけで、今あそこに美麗なマンション、【ルネ北久里浜】が既に建っているのだ。私が何をどうしようとも、彼等は、自分たちの方が、勝つという仕組みを取っていたのだった。

 だって、横須賀市が絡んでいる。そして、京急も絡んでいる。その時点では、警察は表に出てきてはいなかったが、この件の、直後、鎌倉の方で、アジサイ畑欺罔事件が起きた時、その主因者たる、安野家と、前田家には、「警察の協力者であります」という看板が与えられていた。

で、大組織がいくつも絡んでいる。彼らは男が主体の世界だ。その男が主体の世界が、たった、一人の女である私にきりきり舞いをさせられている。それを許すことができるだろうか? メンツにかけてもできないぜとなるのだろう。だが、それって、彼らが、黄瀬川の戦いに蹴る平家となっていることを示唆するのだった。または、今回の、2017年の衆議院選前の前原氏を党首とする民主党といっていいだろうか?

 我が家の塀の前で、カンカンやっていた、新しい地境石の設置とは、・・・・・具体的に言うと、・・・・・この事案全体が、多数の嘘で囲まれている事案だったのだけれど、・・・・・そこに、さらに、ちょっとした嘘を付け加えただけだったのだ。

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副題2、『で、負けたことは、今は、見事にはっきりとしているわけだけれど、それで、私は泣いているのだろうか? または、悔しがっているのだろうか? いや、まったく悔しがっていないのだ。1978年当時も今も、悔しがっていない。 

 どうしてそうなるかというと、その答えはこうである。それは、青山弁護士と、栗原弁護士が後ろに居て、法律的にできる範囲というのをしっかりと、教えてくれていたからであった』

 法とは、被害者を守るためのもので、今の段階では、私が、受けている被害というのは、西側の地境に、急に青地というのが形成されて、その半分を、西隣にとられる恐れがあるという一点だった。それを守ることはできる。しかし、相手方の部分で相手方が何をしようと、それには、私は関知できないのだった。

 そのことをしっかりと知っているから、見るからに、挑発的に、新しい地境石を入れている、益山さんを見ても、何も質問をする事は、できない。だけど。その作業自体は、凝視していた。すると、益山さんが、わざと近づいて来て、こういった。

 「あんたねえ。100万円上げるから、判を押しなさいよ」と。非常に下品な言い方だった。下品だったのは、すでに、自分が勝ったと思い込んでいて、ただ、ただ、からかう為に、100万円という金額を出して来たからだった。

 その青地というのは昔からあったかどうかは怪しいものであり、しかも、原家の、実印をもらわないで、済むためのものだから、まったくまっすぐであり、しかも原家を囲んで、すっくと曲がっている。しかも、益山氏側に立っていることが明らかな上滝家には、原家に幅90cm分の土地を与えなさいと言う話は入って居ない筈である。こんな青地は、あり得ないのだった。

 それをきちんと私が知っているから、後日、彼らが実際にマンションを建て始める前(たぶん、2005年ごろ)に、私に探りを入れて来た際(後注1)にも、私は、「あ、はあ」という生返事をしただけで、別に動かなかった。北久里浜に見にもいかなかったし、杉本家の長男が不良化したというエピソードについても、その時点では、使わなかった。

 もう一度、1978年の益山氏が下品な様子で、100万円という金額を出してきた日に戻ろう。私は、ただ、黙って、益山氏を見つめた。睨むという形でもなくて、怒るという形でもなくて、ただ、じっと彼を見つめた。そして、何も言わなかった。という事は、彼の上げる100万円という餌を無視したことになる。このくらいの小さなことは青山さんにも栗原氏にも相談はしない。

 だけど、すべてが終わった時に、栗原弁護士にこの話はした。「あそこで、私は何も言わなかったことで、その金銭を受領するのを、拒否したことになるのですけれど、あれで、よかったのでしょうか?」と質問もした。すると、栗原弁護士は「むろんです。中途半端な妥協はしては、いけません」とおっしゃった。

 私はその時、「眼から鱗がおちた」という感じで、初めて、リアルな世界での、喧嘩のやり方を知ったのだった。だけど、栗原弁護士が、後ろに居て指導をしてくれているという安心感があったので、ひどく冷静に、益山氏を見つめることができたのだけれど、この事案には、疲れたなあと、実際には思っていて、それゆえに、リアルな世界では、ほとんど喧嘩はしない。だけど、この時点でも、実は、精神的には、私は買っていたのである。益山氏はお金を儲けるという意味では勝っていたが、精神的状況としては、彼の方が、負けていたのだった。

 もし、1978年10月11日の、益山氏の、急死が自殺だとしたら、彼は、この日の100万円云々という恫喝をした日のことも加味して、自分を、恥じていた筈である。おくさんが、自分の命令に従って、または、自分独自の考えで、私をひき殺そうとした(後注2)という事、その裏側を私が名跡に分析していて青山弁護士に即座に、しかも、盗聴をかいくぐって、知らせたというのも、精神的には負けたと、思ったはずである。私は、彼の予測をはるかに超える頭脳の持ち主だったのだ。それで、私を巻きおkンダ事が失敗だったと、感じていた筈である。どうせ、急に青字を設定するのだったら、私の土地の東南を全部囲って、原家と同じ様に、私の実印をもらわない様にすればよかったのだ。ちょっとしたケチをした。または、

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副題3、『ここで、途中だが、これを曝すのは、原家のお坊ちゃまが可哀想だからだ。その子に比べれば、安野家の次男と、冨澤家の次男のおぞましさたるや、比較にならない。原家の坊ちゃんは、子供同士で、トムソーヤーごっこをしていた。ただし、たき火をした事がないらしいので、あたりの枯れ草に飛び火した。山の上であり、道路が、くねくねと、いろは坂でもあるしで、消防自動車が、20分ぐらい来なかったので、大ごとになった。炎は、5メートルぐらいの高さになった。よくぞ、家に延焼して行かないで助かった。主婦たちが、大車輪というか、血眼で、バケツリレーをしたからだった。

 しかし、子供のしたことである。たまたま奥さんの実母である、美しいおばあちゃんが、自分の方が上だという意味で、いつも虐めて来ていたので、つい、地籍変更届の、青地問題が重要になって来るのと連動してこのエピソードを曝さざるを得なかった。原家側が、あれほどに、意地悪をしなかったら、この青地も、『どうせ益山さんの、自分勝手な嘘の一つでしょう』っと、笑って済ませておくべき問題だった。

 だから、日ごろが非常に大切だ。鎌倉雪ノ下の方の渡辺賢司だって、家を建てることができたのは、私の犠牲があったからなのに、引っ越してきてから、そちらから挨拶をした事が、一回もない。で、三原橋交差点そばで、交通事故に出会った次の日に、朝の10時に布団たたきをしたので、殺人事件を含む恐ろしい事をやり続けている鎌倉エージェントの、悪の象徴として常に使わせていただくこととなる。ただ、私は、身か夫人の方を、雪ノ下郵便局で出会ったことをチャンスとして、何で、ああいう態度をとるのか質問をしたいと思っていた。どうせ、前田家とか安野家から、何かの悪口を聞かされている筈だが、今書いている様な事を話せば、彼女なら、判る筈だったからだ。だが、そらして来たでしょう。だから賢司氏が、例の悪人連中の最先端で、攻撃をして来た。交通事故の次の日の、しかも、完全徹夜明けの、入眠時二時間目だったから、悪くすると殺人未遂に繋がる案件だった。

 いつかは、そういう事が白日の下のさらされるだろう。

 原家の坊ちゃんんに戻る。おばあちゃな行けなかったのだ。彼女は、益山家と、原家の争いで、無理難題を飲み込まされているという原家側一家全体の、苦労や口惜し、無念さを、より弱いと見える私にぶつけて来ていたと、見えるので、私は、数々の嫌な思いはした。

 だけど、ぼっちゃんは、その自分の実の、おばあちゃんより、私の方を、信頼できるとみて、「おばさん、119番に電話をかけて」、と、頼んできた信義は守りたいものだ。だが、それを、破ったのは、偏に、こちらの、かまくら雪ノ下での、あくどい企みがあるからだ。町内会総会ですって。しかも、下から順番に道路工事をするのではなくて、我が家の前だけを道路工事をするのですって。それは、徹底的に、安野智紗夫人と前田清子さんが30年前に起こした、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅だから、私を、いじめ弾圧する、方法の一つなのだ。

 だから、私は無論のこと戦う。で、冨澤夫人に聞きたい。もう一度、丁寧に書きましょうか。お宅の坊ちゃんが裏番長として、我が子にすさまじい暴力をふるったという事を。我が子は、私に何も言わなかったけれど、安野家の坊ちゃんと、もう一人の男の子が、27歳ごろに我が家に謝りに来たので、すべてが判ったのです。でも、その時には、我が家には来なかったお宅の坊ちゃんが、主役となって暴力的リンチをうちの子へかけたそうですね。だって安野君って、御成中学校で、おいちに、おいちにのあひるさんと、からかわれているほど、お勉強ができないそうですが、慶応大学教授の孫であるお宅のご次男は、お勉強はおできになるので、安野君の上に立って指導をしたのでしょう。

 ところで、おいちに、おいちにのあひるさんとは、5段階形式の通信簿で、1と、2しかないという事ですが、それでも、CIAが見込んだ家のお子さんだから、海上保安庁の職員となる事ができて、障害賃金1憶五千万円が保証をされているのです。は、歯、のんきだね。そして、これを書くと尖閣諸島問題あ起こされて、海上保安庁職員は、非常に偉いという報道阿、出てくるわけですね。外交委問題まで、引っ張り出されてかばわれている女ののです。今般は、モンゴルとの関係が劣悪になりましたが、それも安野智紗夫人を、私より、上の人として、NHKニュースを通じてかばう為です。 

 ところで、そのリンチ事件ですが、私達が、引っ越してきてから一か月後ぐらいだったと、娘が言っていました。しかも洋服で隠れている処だけを狙って傷を負わせたそうです。うちの娘が、その連中の、性格の悪さに驚いていました。だから、原家の坊ちゃんなんかとは、雲泥の差で、性格が悪いのです。慶応大学教授の孫なのにですよ。冨澤夫人に言いたい。町内会総会って、私をいじめたり弾圧するためのものですよね。それに出るという事は、敵さんに与する事だから、当然に、この件を蒸し返しますよ。高枝切事案の時にも同じ事が起きているでしょう。どうして、そういう想像力が働かないのですか? でもねえ。可哀想に、この冨澤坊やもネグレクトの結果なのです。冨澤家では、中二だったこの男の子の方を放ったらかしにして、小学生だった、三男にかかりきりだったのです。三男は、リトルリーグか何かで、活躍をしていたので朝から大型ジャーをもって夫婦ともども応援に行っていたのです。三男の方が顔がきれいで、背も高いです。性格もいいかもしれない。次男殿は背も低くて、顔も美形ではありません。そのことはご本人がしっかりと知っていると思う。その上に、両親が差別するのですから、より弱いと見えるものへの暴力が生まれます。その心理的な機序は、原家のおばあちゃんと同じです。(後注3他へ)

 ところで、ミスター冨澤って、バスの中で、挨拶をした私に、犬の様に「しっ!」ですって。私はイヌではありません。そんな失礼なことをされたら、何か、事が有ったらすぐ書きますよ。どうしてそういう想像力が働かないのですか? お子さんにも働かないし、他人に対しても、何の想像力も働かないのですね。栄光、慶応卒で、三菱重工勤務というのは、1960年代・大卒の男性としては、エリート中のエリートだと、思いますけれど、想像力の欠如がひどいです。それには、本当に驚きます。

 ご主人の方から、夫人の方へ戻ります。そちらは、安野夫人に比べると、善人です。アジサイ畑欺罔事件とは関係がないから。安野夫人など、それにも関係しているし、貴ノ岩騒動を起こしてもらって、そちらからも、CIAやら警察やらに、支援をされていますよね。数年前は、尖閣諸島の一件で、中国との関係を悪くして、今回はモンゴルとの関係を悪くしています。悪魔のごとき、女性です。貴ノ岩騒動が、どうして、安野夫人を擁護することとなるかというと、私が以前、藤田紀子さん(元憲子と名乗っていた)が、安野夫人とそっくりだと、言っていますので、藤田紀子さんをえらい人にするための措置が、今回の貴ノ岩騒動です。貴乃花親方を、偉い存在にするために、貴乃花親方の弟子が、怪我をしたという設定にしたのです。ほとんど、90%がでっち上げの事件です。貴ノ花親方は、全貌は知らされておらず、ただ、一部分の実を知らされて、絶対にお前を守るからと言われているのであれほど、ふんぞり返っているのですよ。

 ともかく、徹夜明けで、めちゃくちゃ、疲れているが、原君の山火事騒動という、同じ文章だけを曝し続けるのもなんだと思うので、一部分だけしか、書けていない、この文章を曝しました。

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 副題4、『朝の7時にルネ北久里浜に付いた。日の出の、茜色が、360度に広がり、非常に美しい。そして、午前11時に帰宅した。全天、雲一つなく、西に富士山が見える。ここほど、眺望と、環境共に、美しいマンション(三棟)は、日本全国、他にないのではないかと、思われる。しかも、瀬島龍三のお陰かな? 横横道路は、ここで、終点だ。だから、車を使えば、東京へも非常に近い。京急も、特急を運行しているので、品川まで、一時間だ。このマンションのお陰か、居間まで、傾斜地として放っておかれた場所も開発をされ、美しい建売住宅が、できて、売り出されている。それらの家からも眺望は素晴らしい。という事は、この北久里浜という場所のランクアップがなされつつあるという事。駅前ロータリーも広くてタクシーが待機している。で、タクシーを拾いにくい、堀之内、京浜大津、新大津の三駅の住人がわざわざ、北久里浜で降りるとは、喫茶店で、隣の人から、聞いたことがある。

 私は、庭にチューリップを植えながら、原夫人の気配を感じ取っていた。

 原夫人にとっては、この山火事騒動は、初耳だったと、思う。だけど、そういう事なのだ。誰も、他人に勝つことはできない。それが、日本という国なのだ。そして、こちら、鎌倉雪ノ下で、町内会総会というのが開かれて、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅が、諮られているからこそ、私は、北久里浜について詳細に書く。

 というのもどうも変な行動ばかりとる、西隣の白井達雄氏は、この美しいマンションを設計した人物だろうと、思うからだ。今般、彼が主役となって、町内会総会という、大攻撃をかけてきたわけだから、北久里浜を分析することが必要であり、大切な事となる。

 もし、原夫人が、私に、何かを書かれて嫌だったと、思うのなら、白井達雄 邸に、電話をかけて、町内会総会の裏側等を質問をしてほしい。川崎千恵子が、こういう文章を書くことを十分に予測をしてそれを行ったのかどうかを。ところで、白井達雄 邸の電話番号だけれど、もし、原夫人から、質問を受ければ、私が、お教えしますよ。ただ、猛火をあおるつもりはないので、できれば、ご自分で調べてほしいです。杉本夫妻などは、既に把握をしている可能性が強いですから、そちらに問い合わせていただくのでも結構ですよ。

 ところで、この一文ですが、実際には、27日にアップをしています。だが、25日に投稿をした事へ変更をさせてくださいませ。こちらで、後で、発見をしたいと思う際に、一日に一本でないと、発見ができなくなるからです。

   なお、このブログの、2010年にょり数え始めた延べ訪問回数は、4394829です。

後注1、

神戸の土師淳君殺しは、横須賀での、大詐欺事件を隠す為にCIAが実行した! 酒鬼薔薇聖斗の文章は井上ひさしが書いた物であろう   2017-12-22 23:47:16 | 政治 

後注3

鎌倉市立・御成中・生徒が、路上喫煙をしていた場所・将にここ雪ノ下で、禁煙ファッショが始まり、大口病院事件も起こされた  2016-10-03 03:04:34 | 政治

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