これは、24日の午前二時までは、『横須賀市の、旧水道山を、お金を支払わずに、私有化した益山重夫と、瀬島龍三、それに加担をした杉本夫妻』としておりましたが、その時点で、上のモノへと変更しました。
最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。360度眺望が可能な京急北久里浜駅の、東側の丘の上に立つ、美麗なマンションです。ただ外壁のデザインは、皆様がNHKニュース内で、ご覧になった、傾きマンションと、そっくりではありませんか? あちらは、横浜市内です。こちらの写真の方は、横須賀市内です。だから、あちらの方が売値は、高かっただろうし、売った母体は、三井不動産レジデンシャルというマンション販売会社としては、超一流の会社です。
こちらの売り出し時に、私は無関心だったので、販売会社を知りません。
ただ、私の方は、このマンションが、建設に着工する直前に、敵さんたちから電話で探りを入れられています。東工大卒の、測量士を名乗る人間からでした。彼は、「杉本家(この悪事が、実行をされた当時の、横須賀市・土木課長。後に副市長にまで出世して行く)の坊やが、不良になったことを知っているか?」とさえ、問い合わせて来ました。それは、このマンションが建ってる土地に、多大な悪(=横須賀市の水道山がただで、瀬島隆三たちの手に渡った、地籍変更届をさす)が含まれている事を私が知っているので、着工すれば、何か、反乱を起こすのではないかと、予測をされたからです。
私は、その詳細を書いた原稿を既に、2003年にパソコンで書いています。タイトルは【元参謀の陰謀】です。瀬島龍三は、元陸軍参謀であります。ただ、彼は東京に住んでいました。一方、瀬島龍三の親友であると名乗り、この山に実際に住んでいて、水道山を、開墾し、蚕食し、結局は全部を自分の私有地にしてしまった益山重夫も元海軍参謀だからです。ただその原稿には、実名は登場しません。それを、パソコンを自由自在にハッキングできる鎌倉エージェント(=CIA、そのトップは瀬島龍三である。このマンションの売り出し者の一人でもある)は知っていて、それらの原稿を、私がしかるべき出版社とか、プロダクションに売り込むことを予測をしたのでしょう。
しかし、そういう現象は、もし起きるとしたら、それは、悪人たちが自らを投影した映像であって、私は、そういうタイプではないのです。善を志向し、美を志向する人間だから、誰かを貶めようとか、嵌めようとか、損失を与えようなどという事を、実行するはずもないのです。で、私の動きは電話の盗聴とか、尾行によってすべてが把握をされているので、私がその原稿を、【週刊文春】にも、【週刊新潮】にも、【週刊実話】にも、持ち込まなかったことは、知っているのですね。で、このマンションは、着工され、完成し、売り出されていて、各戸は、それぞれの、個人の所有物となっています。だから、こちらとしては、彼らの悪事に対して、何も妨害工作を行って居ません。
しかし、今現在の私は、その原稿=【元参謀の陰謀】よりも激しい内容の文章を書き、ブログで発表をしています。昨日の文章(前報=後注1)など、警察庁長官を、実名、坂口正芳で、取り上げてさえ、居ます。どうしてそういう風に変化をしたかというと、あまりにも被害が激しいからです。日常的に、24時間、被害にさらされています。それで、普通のレベルで、生きていくために、そうせざるを得なくなりました。そうですよ。普通の生活を送るためにでさえ、妨害を受けているので、こういう文章を書かざるを得ないのです。
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副題2、『私は、このマンション=【ルネ北久里浜、または、そらヒルズ】も、【らら横浜(傾きマンション)】も、お隣の白井達雄さんが、設計を担当したと、推察をし始めた。その時期は、傾きマンション騒動が起きてからである。たまたま、天意なのか、謀略なのかは知らないが、その数年前に、大船に在る、ミスタードーナッツの店内で、私が、一種の、ノマド生活者として、パソコンで、本の編集をしていたら、隣の、客が、「お宅のお隣の白井さんは、日本三大設計会社の横浜支店長であり、横浜銀行・鎌倉支店の設計をしたのですよ」と教えてくれたのだった。
その情報が手に入ったのは、最初は、天意だと、思っていたので、この事実をブログの世界では、使わなかった。だが、今では、それも謀略であり、それを、知らせることによって、私が、ぎゃふんとなって、白井・小野寺夫妻が、こちらに、加えて来る攻撃を、文章化しないことを、企まれたのだと、思っている。つまり、パソコンの仕事(=本づくり)は、主に、Microsoftワードと adobe illustrater を使うのだが、それらは、インターネットにつながなくても、ある隠れソフト(=FINDER)を入れ込められているので、世界中、どこに居ても把握をされてしまうのだった。しかし、自宅で、仕事をするよりも、攻撃の頻度は落ちるので、ノマド生活を、ほぼ10年間は、つづけたのだった。莫大なお金を、コーフィー代と、料理代と、貸しパソコン代に使ってきている。で、私が大船のミスタードーナッツで、パソコンを打っていることを知っていて、あのお客は隣に、送り込まれたのだと、推察している。
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副題3、『関東法務局、横須賀支所・支所長は、1978年当時、現在の貴ノ花親方級の、おしゃれな、人物であった。鄙には、稀なという形容詞がぴったりの人物だった』
ところで、今日初めて書くことを付記しよう。それは、一般読者にとっては、どうでもいいことかもしれないが、敵さんにとっては、重大な事である。大船のミスタードーナッツに現れた客は、白髪だったが、天然パーマであるか、または、美容室で、作った髪型であるかは、判らないものの、長髪で、かつ、ちぢれっ毛だった。私はふと思ったのだ。この男性って、あの時の法務局、関東法務局、横須賀支所、支所長に似ているなあと。
で、思い出話を、1978年当時に戻したい。私はその年、再度ICUに学士入学をする予定を持っていた。勉強大好き人間だからである。で、夏休みに、主人の故郷へ、帰省をせずに、「掃除をしたいので、三人だけで行ってちょうだい」と言って、子供たちと主人を、送り出した。
その留守に、しかも、夜に、重大な書類を、益山重夫夫人、智恵子さんが持ってきたのだった。口上は、こうである。「お宅の前の道路を横須賀市に寄付します。・・・・・ついては、お宅の実印は、既にもらってあるのです。・・・・・しかし、お宅って、一部分がお母さまの持ち分になっているのですね。それで、申し訳ないけれど、お母様に、実印を押してもらって来てください」というもの。この・・・・ついては以下、次の・・・・・罫線までは、は、主人が請け合ったらしくて、私には、記憶がない部分である。
で、私は性善説の人だから、「はい、はい」といって、それを受け取って、母に電話を掛けた。しかし、母の返事は意外なものであった。「変ねえ、普通実印って、こっちが損をする場合には、要らない筈ですよ。道路を寄付するというのだから、こっちが損をしますね。しかも、非常に簡単な事です。そんな書類に、実印を押す可能性はないはずよ」といいます。私は最初は怒りました。「お母さん、この書類を持って来た人は、戦時中の都立大学・工学部卒で、原節子似の美人なの。ご主人の方は、元海軍参謀なのよ。立派な人たちなの。疑うのは失礼ですよ」と。
しかし、母は、引き下がりません。で、ともかく、「そんな見も知らない人のために、実印を押すのなど、嫌です」というだけです。読者の皆さんは、私が母をほめると、見苦しいとお考えになると思います。しかし、戦前の高女専科卒にしては、頭の良い方ですね。実父(=私の実祖父)は母の実家から、養子縁組を解消されてしまった人物で、別の家に再度養子に入って居る人物ですが、往時の名前を柳井商業といった、高校の校長を、40年間務めた人間なので、母もその遺伝子を引きついで居て、落ち着いた、リアリストなのです。で、その時に至って、私はやっとその書類の中身を点検しました。
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副題4、『私は、益山重夫・智恵子夫妻に、たぶらかされたから、事件の全容を知ったのである。別に探偵ごっこをしたわけではない』
驚きました。その書類は、「現在の処、2.73平米しか持っていない益山氏の会社=大建産業が、実は、本当は、4200平米を超える土地を持っているので、その変更を届けます」という書類だったのです。2.73平米とは、一坪以下です。それが、1200坪に増えるのです。嘘中の嘘なのです。
すぐ詳細な仕組みはわかりました。私は、子供のころ、神奈川県一、頭が良いと、先生から言われていましたから、瞬時に、悪巧みの全構造が読めるのです。しかし、読めたものの、調べないと、確実ではありません。それで、財務局とか、法務局を訪問し続けることとなります。それから、益山夫妻が、善人なのか悪人なのかが、わからないので、前・住所地を訪ねて、ご近所様から、評判を聞きました。それで、意外な事を知りました。それは、益山氏は、戦時中は海軍参謀として、飛ぶ鳥を落とす勢いだった人物ですが、第二次大戦の敗北によって、苦しい目に遭った人だという事です。
で、海軍参謀だからこそ、この横須賀市の水道山のことも、熟知をしていたという事となります。三浦半島の、南の方では、突出して高いので、海軍の知的トップとして、レイダー基地に使おうかとか、いろいろ、利用法を考えていた土地だと、成ります。だから、気分としては、自分の土地みたいな、考えに、陥っていたとも、思われます。
一方で、旧軍人として、パージに出会い、生活が、苦しい時期がありました。で、いいとこ、お嬢様らしい前夫人は、米軍横須賀基地に勤務したのです。英語もできるでしょうから、将校倶楽部の要員になって、バーの接待役を果たしたのかもしれないし、PXの販売要員だったのかもしれません。しかし、その仕事によって、アメリカ人と恋に陥り、夫と娘を捨てて、アメリカへ出奔をしてしまいました。益山氏は、敗戦によって、二重三重の屈辱を味わった人物なのです。それで、不動産会社を、経営することとなります。だが、ちまちまと、賃貸物件を扱う仕事など、ばかばかしくてやって居られないでしょう。
特に自分の会社の、スタッフとして雇った、30歳は若い現奥様智恵子さんが、自分に惚れてくれて結婚が成立したので、勇気も回復して、大きな仕事をしようと考えたのだと思います。それが、地籍変更届の仕組みを利用して、1200坪の公共用地を私有化する事でした。その陰に敗戦によって味わわされた数々の屈辱によって、性格的に、一種の自暴自棄の要素も、自分の中に在ったでしょう。それと、シベリア抑留から帰国した、瀬島龍三も、シベリア抑留中に、アメリカから、リクルートをされて、すでにCIA要員へと変化していたと、思いますので、ねじ曲がった性格の人物となっていたのです。二人の、ねじれ曲がった性格の人物が、協力したのが、この地籍変更届という悪事を実行した仕組みだと、思っています。森友学園事件と似ていますが、一銭も支払われていないのが、違うところです。
それから、賢いからこそ、時の政治家を巻き込んでいません。京浜急行と、横須賀市には、手を入れて、言うなりに支配をしていますし、法務局も財務局も支配していますが、その時期の永田町には、これを持ち込んでいません。だから却って、表に出てこないのです。
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副題5、『益山氏が登記している会社・大建産業の、仕事の概要の中に、果樹園の経営というものがあった。なるほど、これが、みそなのだと、理解をした。ただ、その定款は、鉛筆書きという乱雑なものであり、まだ、法務局横須賀支所に対しては、元、海軍参謀であるというにらみが利いているものと思われる。一般人が、そんな雑な書類を提出したら、通らないと、思うけれど。
で、果樹園と称して、水道山へ、蚕食をしていたのだった。それを他人に見せないために、益山氏は、五メートルほどの高さの木造の塀で、自らの、家を囲い、かつ、シェパードを塀の中に放し飼いにしていた。なるほど、そういう形で、他人の目を欺くのだった。なるほどと、納得をする。
ところで、横須賀市の水道山へ入る道は、二つあった。山はほぼ楕円形であり、南側からは、急峻過ぎて入れない。北側からは入れる。しかし、京急池田分譲地が開発されるまでは、この水道山に入るのは、1978年当時よりは、はるかに、難しかったはずである。それは、北側も山であり、けっこう急峻であり、東側も、西側も、ほとんど、似た様な傾斜だったからだ。
で、京急池田分譲地が開発をされる前は、この山の土地は、二束三文で、売り出された筈である。それを益山氏は、150坪ほど買った。その当時で、一万五千円~三万円程度の、値段だった筈だ。しかし、買った時期にすでに、京急池田分譲地の計画は、立案をされており、益山氏は、そのインフラ整備に乗っかるつもりはあったと思われる。で、京急池田分譲地の中で、もっとも駅に近い部分を、彼は、150坪程度せしめたのだった。これが、立案をされたのは、1960年代であり、益山氏は、その頃から、京急の不動産部門を支配していたのだった。
私がその土地を買った当時(1974年ごろ)は、まだ、益山氏も引っ越してきておらず、分譲用の、築地ができている程度であり、あたりは非常に晴れやかであった。しかし、私が家を建てようとした途端に、目の前に、高さ10メートルぐらいの盛り土が、なされて新たな築地ができて居た。さらにその上に、敷地一杯を使って、建売住宅が建っていて、日当たりが悪くなり、土地の価値が、圧倒的に、劣化していた。
私は、若い人間であり、しかも益山氏から直接に買ったわけでもなくて、間に、生協が入って居たので、益山氏に抗議をすることなど、思いもよらなかった。が、西隣(ただし、北久里浜である)の・原家では、それを非常に怒っていた。
我が家では、一応だが、4メートル幅の道路を隔てて、高い家が出現をしたわけだが、原家の前には、道路がない。それで、日あたりが悪くなる度合いが、我が家より、さらに、きつかった。それで、原家の怒りは、深くて、そこが、益山氏が、次に、財務局を巻き込む策略を考えつく、所以に成る。
ところで、上の方に出てくる杉本夫妻だが、この人たちは、転入者である。地主ではない。しかも、益山一派に、協力した後では、御殿のような家を宮大工に建てさせて、同じ京急池田分譲地内に引っ越した。一種のわいろだと、私は、見做している。それを私に書かれると困るので、杉本正子夫人は、ひどい悪業を対私に対して、行っている。それで、私は、大沼嘉津江さんの事をあれこれ書くのである。大沼嘉津江さん、私、杉本正子の、三者間の、PTA活動を通じて、さらに活発に、嶋田章三さんを持ち上げることとなって行くのだった。だから、莫大な税金が、横須賀市から、嶋田さんに注がれることとなるのだった。
その上杉本正子夫人は、それ以外の、弾圧行為も種々行っているので、『そんな、お母さんの後ろ姿を、見ている坊やが、おかしくなってしまうのは、当たり前だ』と、私は思っている。母親をの人格が美しいのだとは、信じられない息子なんて、どうして生きて行ったらいい? だから不良少年となる。やっぱり神様は居る。天は見事な配剤をなさるのだった。
ところで、この盛り土の上に建てられた、建売住宅・四戸とは、益山重夫・智恵子夫妻が、水道山に蚕食して行って、クリとか柿とか、桃を植え、自分の果樹園と称して行くための、目隠しに役立てるために、作り上げられた住宅だと、思う。そして、この四軒の建売住宅のさらに奥に、高さ五メートルの木造の塀を作っているのだから、何をかいわんや。書類を見ただけで、すべてが分かったと言う野も、道理である。
原家は、益山氏から土地を買って転入をして来た人ではなくて、もともとの地主の家の、三男だから、私よりもはるかに元の状況を知っているので、益山氏に対する怒りは深かった。但し、インフラ整備が完了して、ここにも車で、入る事ができる様になって、引っ越してきた人なので、他者から見ると、二つの家の間に、優劣が、見えるわけでもない。今では、原家と、益山家を対等に思う人が多くて、しかも、益山夫妻の、土地を引き継いだ、智恵子夫人の実弟の、仲野通巳吉氏は、ただで手に入れた土地に、次から次へと、建売住宅を建てているので、笑いが停まらないほどの、おお金持ちとなっている。で、原家より上に立っているほどだ。おや、おやと、言うしかないが!?!?!
特に仲野通巳吉の長女が、ここに豪邸を立てて、転入してきているし、しかも、驚くべき傲慢さを、私に対して、見せつけて来たので、ここまでの事を書くのに、いささかの躊躇もない。
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副題6、『1978年当時、法務局で、公図を見ていてびっくり仰天をした。公図を見ただけで、益山氏の犯罪行為が明瞭だったから』
我が家は生協から、土地を買ったわけです。しかし、益山氏の持ち物だったことは明瞭でしょう。となると、益山氏は建売住宅敷地30坪が8戸+さら地60坪として売った土地が、三区画分に150坪を分割したわけです。それを正確にやったら、一戸当たり、坪しか分け与えられません。しかも、益山氏は、京急池田分譲地から、自分が開発した小規模住宅団地に、入って来る4m幅の私道を構築しているわけなので、それだけで、700平米を使っています。それは、坪数に直すと、230坪になります。しかも、益山氏の自宅用の用地が、50坪程度で、しかもその北側に緩衝地帯として、150坪程度の更地を置いています。となると、益山氏が支配を七得る土地が、すでに、820坪ほどになります。彼は、150坪しか買って、転入をして来ているのですよ。圧倒的に計算が合わないです。
で、公図を見ると、ぐっしゃぐしゃだったのです。幅が、横が、1cm、高さが、3ミリぐらいの大きさで、家が密集した状態で、記載をされてました。あり得ない場所に、家が実際には建っていて、其れの売買契約が成立したあとでは、法務局で、登記がなされているわけなので、法務局では、仕方がなくて、そういう図面を作っていたのでした。
ここで、僭越ながら、私がこのミステリーの回答を申し上げます。つまり、益山氏は、150坪以上を使って、小規模・住宅団地を形成したのでした。私が土地を買った時点で、すでに、500坪は、水道山に蚕食を果たしていたのです。
原家は、元からの地主なので、異様だと、内心で思っています。しかし、原家も車を使うためには、益山さんが、整備した道路を使わないと家も建てられない状況にあったので、最初は我慢をして居たのだと、思います。その上、地主といっても、山林地主ではなくて畑の持ち主でした。だが、この1970年の時点では、長兄は、横須賀市市議会議員(たぶん、おお金持ち)で、次兄は、歯科医院を経営して本人は、税関勤務でした。奥様も税関職員でした。だから、畑の手当てなど、すでに、やって居ない時点なので、何とも確証はないのだが、益山氏は怪しいと、思って居たのです。
ただ、ダブルインカムのご夫婦ですから、生活ぶりは派手で、毎週末、庭でバーベキューをしていました。長兄とか、その他の友人たちが招かれていて、にぎやかな家でした。庭は、300坪ほどあり、家の建坪も広いし、あたりを睥睨する一家でもあったのです。
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副題7、『地籍変更届とは、どんなに異常な変化であっても、地境地主の実印さえ、と説けよう書類に、押してあれば、認めて、通さざるを得ないと、法務局は言うのだった。で、その実印を地境・地主から、もらうために、益山氏は、二つの嘘を、構築した。
まず、一つ目は、地境地主の数を減らすことである。私が、それを渡された時点では、他の地境地主はすでに、実印を押してあり、その数は、11軒であった。しかし、現在のルネ北久里浜を見てみよう。それを囲む家は、11軒とは限らない。
この写真は、冒頭にあげたマンションを反対方向(南西側)から見た姿です。これは、遠景として、見る方向なので、設計者は、美しくは作り上げないで、平板です。冒頭の写真は、歩いて進入する道路側から、見た姿なので、美しさを、追及するデザインとなっていますが、こちら側は、住んでいる人自体は、見ない、景色なので、平凡です。つまり、お金をケチった設計となっています。
しかし、皆様、どうか、よくご覧をください。これだけの、大きなマンションを囲んでいる、したの一帯に立っている家がたった、11軒だとお思いになりますか。まったく数が違うでしょう。1978年当時だって、11軒ではなかった筈です。今だと、50軒以上の家があると、思いますよ。これらの家に、一軒、一軒、訪ねて行って、あの例の書類を見せたら、誰かが、「変だぞ、これ!」と、言いだすはずです。中には、土地を分割販売した、元地主とか、アパートをそこに建てて貸している人もいるはずで、そういう人物は、不動産や、法務局への、届け出でシステムに関して、知識が豊富なはずです。だから、私が気が付いた様なことは、絶対に気が付くはずなので、悪事はばれるはずです。
で、益山氏が思いついた案は、土地を全部、道路で囲んでしまい、それを横須賀市に寄付するという形です。そうなると、地境地主は、実印を押した11軒+横須賀市となります。相手にする数として、非常に少なくなり、交渉が楽になります。
後は横須賀市を籠絡するだけです。それで一丁上りとなります。
ここで、杉本某・当時の横須賀市土木課長と、その奥さんの正子さんが、大変重要になってきます。私はママ友である、正子さんに、このことは告げてあります。しかも電話はすでに、盗聴をされていたと思いますので、ご主人は、当然に、私が子の実質的な詐欺事件の全容をただしく把握して居る事は知っている筈ですね。それなのに、看過しました。悪人がやりたい方向で、看過して置いて、彼らが、莫大な利益を、無償で、得ることに力を貸しました。
ところで、杉本夫人は、その後ですが、いろいろな女性たちを使って、私をいじめきっています。北村充子さんをはじめとして、大沼嘉津江さんも、その中に加担をしているかもしれません。で、その結果、国画会で、私がいじめられることに繋がって行ったのかもしれないのです。
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副題8、『しかし、その道路は、益山氏が作ったわけではなかった。益山氏は、ただ、頭だけを使って、この事案を作り上げたのだった。上のマンションが建っている場所は、昔は、高さ60メートルぐらいの山が立っていた。その山をぐるっと囲む道路など、益山氏に作る力はなかったし、彼は、作るつもりもなかったのだ。ほとんど、作って居ないが、最近、山の西側で、京急に沿った部分だけ、200メートルぐらいの道路を、横須賀市が、1978年に制作したというプレートを見つけた。ここで、これを書くと、そのプレートは外されるかもしれない。が、私は実際にそれを見ている。しかし、その道路は、200メートルも進むと、昔からあったような、道と接続をして、その道と、やまの間には、多数の民家が立っている。私の予測通り、その地籍変更届をまっとうなものとするためには、それらの、平地に存在する民家の主、すべての実印をもらわないといけないのだが、益山氏は、ただ、机上の空論として、その道路を設計しているだけだから、
実際のお金は、横須賀市に出させたのだった。それを、杉本某、当時の土木課長は了承し、結託をして、横須賀市の財産を、一個人にタダで渡す事例の、書類上の、最大の、鍵となる道路の、一部さえ、横須賀市に出させたのだった。
まったく、横須賀市民を馬鹿に仕切っている話である。しかし、戦時中の海軍参謀というのは、最大級、または、最上級のエリートだったために、庶民など、虫けらのごとく扱うのだった。私もその庶民の一人だが、神奈川県いち頭の良い人間だと、子供のころ言われた人間だ。鹿児島出身の、益山氏とは、競争相手の数が違う。競争相手というか比較対象する、人間の数が違う。だから、私は、益山氏が、数十年かけて練り上げた、この実質的詐欺を、どんどんどんどん、見破って行く。八月に書類を渡されて、すでに、9月には、一切の裏事情を理解をしていた。
特に益山氏の会社というのは、当時は夫婦二人だけではたらいていた。建売住宅にしても道路工事にしても外部業者に委託をしたと、推察している。したがって、すべては、フェイクというかフィクションの世界であった。前報(後注1)で、私が取り上げた鎌倉市内の電気設備業者、石原電機などとは、まるで、違うタイプの会社なのだ。だから、鉛筆書きの、定款などを、法務局に、提出して、お茶を濁している会社だった。そして、そちら側の悪を、隠蔽するために、私は、この2107年12月20日だって、50人ぐらいの、人間に、影から囲まれて、見事に、パスポート、実印、貸金庫の鍵等、大切なものが、全部入って居る、ドイツ製のキャリーバッグを盗まれたのだった。
本当にすべてが嘘で組み立てあげられた世界である。その嘘で、練り上げられて土地に、豪邸を立てて、今、益山重夫、智恵子夫妻の姪が、住んでいて、私に対して傲慢極まりない態度を見せた。そして、鎌倉雪ノ下では、三人の主婦が先頭に立って、嫌がらせを、夜中まで続けるし、NHKニュースは貴乃花親方を持ち上げ続ける、方向で、20日に、ニュースを流す。
私は、だから、鎌倉エージェントに協力している連中を軽蔑しきっているのだ。だから、一ノ瀬智恵子さんについても、厳しい言い方で、彼女の真実を書く。小堀玲子さんみたいに、きれいごとで。「あなた、絵を描くのを止めちゃあだめよ」なんて言う筈もない。圧倒的な厳しさをもって、眺めているのだ。美術9条の会に入って居る人間など、真実は、何も知らない、ただただ悪人たちに利用をされて、舞い上がっているくずの屑だと、思っているから。
なお、この小堀玲子、香月ひとみ、一ノ瀬智恵乎篇は、数篇後で、再度、丁寧に、推敲してアップするつもりがあるが、ここでは、彼女たちが、警察と結託して異常な事をやったとだけ、書いて置く。
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副題9、『丸い道路で、山全体を囲むという嘘と、ともに、その山には、一般人が、入れない仕組みを作り上げた。それが、神戸で起きた、土師淳君殺人事件に代表をされる連続児童殺傷事件である。そのご、発生した【やまゆり園事件・など】・と同じく、猟奇性を、いやが応でも、盛り上げた事件である。その猟奇性を盛り上げるために、声明文を、酒鬼薔薇聖斗と名乗る、犯人に制作させ、マスコミに送り付けさせて来た。
この声明文だが、映像に出てきたのを覚えている。行が整わないカナクギ流である。右によれたり、左によれたりしている。是だが、今では、完璧に井上ひさしが、制作したものだと、判断をしている。井上ひさしは手書きの自分の書体をマスコミに何度も流し続けた。それは、酒鬼薔薇聖斗名義の」声明文を自分が作ったのだが、世の中の誰も、見破って居ない事を、得意がって、「どうだ。俺の書体は!」と、見せびらかしたかったのだと、思う。
あの事件だが何が目的だったかというと、水道山に、土師淳君の、首から下の遺体を置き、大変に恐ろしい事だと、一般市民に思い込ませるのが目的だったと、思っている。
で、神戸市という遠く離れた地で、そういう謀略を起こしたのだが、目的は、水道山を怖がる風潮を、横須賀市、根岸町、および池田町の、住人に植え付ける事だったであろう。上の方で、水道山に入るためには、二つの道があり、西の方は、益山さんの、門から入ることになると、私が言っている。しかし、そちらは、益山さんが、鍵をしっかりと書けている氏、どう猛な動きをする、シェパードが放し飼いをされているので、誰も入る事ができない。そして、高さ60mぐらいの水道山が、まったく、庶民(一般人)に歯、見えない様に、益山家の北側に、高さ5mの木造の塀を作っていたのだった。
:::::::ここで、ちょっと修正をしないといけません。その木造の塀というものですが、実際には、倉庫だったのです。薄っぺらい塀だと、倒れてしまうでしょう。しかし、東西の幅が、60m、南北の奥行の幅が6m、高さが5mの倉庫だったのです。益山さんの前夫人との間のお嬢さんが、すでに結婚をしていて、ジーンズのお店を旦那さんと、経営をしているとの話でした。どぶ板あたりだったのだろうか?
で、トラックで、商品を運び込んでいて、また、運び出している、それらのジーンズの保管用倉庫として、使われていたのです。だから、塀といっても、頑丈でしたね。ただし、ラワン製のべニア(12mm)のもので、組み立てられ挙げられただけで、塗装もしていないので、お金は、掛かって居ないものです。そして、相変わらず、土木業者としては、実態がない会社でした。材木とか、パイプとかが、各種機械類が、保管をされている倉庫ではなかったのです。::::::::
引っ越してきた時点で、すでに、水道山を、500坪は浸食していたと、私は上の方で言っていますが、この大きな倉庫兼塀の奥で、さらに、300坪は、開墾を重ねており、結局のところ、すでに、800坪は、横須賀市の、所有地に食い込んでいたのでした。 だから、彼にしてみたら、『既に、800坪は、自分のものなのだから、それを、1200坪に拡大するのに文句あるか? これこそ、地籍変更届の典型だろう』と、言う感覚で、事を運んでおり、
そういう方向で、関係者を煙に巻いていた可能性は、高いのです。
関係者とは、京急の重役たち、横須賀市長と、当時土木課長だった、杉本氏、関東法務局、横須賀支所所長、関東財務局、横須賀支所所長などを、抱き込んでいたのです。まあ、料亭などで、折衝する際には、瀬島龍三も同席して、威圧と、恫喝も、込められていた可能性はあります。
しかし、水道山に入るためには、東側にもう一本の道がありました。それが、タンクにまで至る道だったのだと、思います。しかし、【進入禁止・・・・・横須賀市】という看板が立てられていました。私はその時、すでに、鎌倉へ、引っ越しをしていたのです。
::::::::ここで、重要な挿入を入れます。この鎌倉への引っ越しを、喚起した、我が家への、現在の雪ノ下二丁目の売り物件のチラシ投入は、すべて、罠だったと、思いますよ。この雪ノ下の山は、売り物件が出るのです。特に私がメルマガやブログで、詳細を書く前は、安野智紗夫人に困り果てて、引っ越して行く人が多かったので、頻繁に売り物が出たのでした。しかし、三浦半島の、中央には山塊があるので、三浦半島の、東側に位置している、北久里浜、根岸町と、鎌倉雪ノ下の間の、連絡は、難しくて、非常に時間がかかるのです。直線距離は、短いはずなのですが、東京へ行くよりも時間がかかるのです。だから、普通だったら、北久里浜のいえに、こちらの物件の広告は入らない筈ですが、入ったのです。しかも、B5サイズの紙に、パソコンプリントアウトで、一軒だけが、印刷をされていて、不動産会社の名前もないという形でした。しかし、地番が、しっかりと、書かれているので、見物に来るのには、楽だったのです。罠だったので、中谷共二氏と、安野智紗夫人と、石川和子さんは、最初から、いじめる方向で、動く人間だったのです。::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。
しかし、敵さんが想定外だったことは、私達夫婦は、北久里浜のいえを、売らないで、こちらを買ったという事です。で、益山・瀬島軍団は、私を、いじめるために、事前に、予定をしていたローンが組めないと、言う形で、勤務先の日産自動車から、急に言われました。「日産のローンは家を持っていない人に対して貸すものだから、二軒も家を持つ人に対しては、貸せません」と、言われたのです。如何にも正しい理由みたいですが、裏で、日産自動車にも、瀬島龍三は手を入れて、そういう事にしたのです。それは、今でも続く、いじめの形の一つです。
急に困ったことになったわけですが、母が賢いので「銀行で、手形で借りなさい」と、忠告をしてくれて、しかも、手配まで、してくれたので、大丈夫になったのです。手形で、一千万円を借りて、一年に100万円を返すという形になりました。これは、住宅ローンよりも利子は安かったと、思います。瓢箪から駒で、いじめられたので、却って、利子が、安い形で、借金をする事ができました。両親には、感謝、感謝です。そして、後日、日傘雅水さんという有名な手相観さんから、「あなたの両親というのは、凄い方ですね。これほどに、親に恵まれている人は居ませんよ」と、言われることになります。土台線というのが手首に、三本か、四本、くっきりと表れていたからでしょう。
しかし、北久里浜を売らないわけなので、私は時々、北久里浜に行っており、従って、西側から侵入する道路が、封鎖されていることも知るという結果になります。
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副題10、『土師淳君殺しが、1997年5月に起きているという事も、タイミングがぴったりと合う。その頃の、私は海外留学の方途を探していた。パリで、外務省職員として、働いている親戚の、住所や、電話番号を別の、親戚で、都内在住の人に聞いたり、
コンセルバトワールの教授をしている知り合い(フライブルグ音大をしていた、直接の友人の妹)が、帰国をすると、アポを取って、面談をしたり、
文化庁の在外研修生の、応募には、推薦状が必要だと知り、それを、お願いしたりしていた。特にその事件の起きたころに、鎌倉小町通りの、【竹屋画廊】で、桐村あかねさんと出会い、「こういう要望を持っているので、パリの事情を教えてください」と、言い、中華レストランで、コースを取ってごちそうを、したりしたことも、敵さんが知れば、決定的に、ゴー発信となるだろう。
何がゴー発信かというと、海外で、暗殺してしまおうと、言う形での、ゴー発信だ。私がパリへ到着をしたのは、1998年9月1日だが、すでに、4日には、屈強の男たちに、バスティーユ駅の構内で、拉致されそうになっている。この20年間、私はそれは、臓器移植のための拉致行動であろうと、言い続けてきたが、違うと、今では考えている。特に週刊朝日が、・・・・海外で、拉致されて、四肢を、断ち切られ、性的奉仕をさせられる日本人女性・・・・という記事を何度も載せたが、それも、私への暗殺行動を、カモフラージュする為の記事だったと、見ている。北朝鮮の拉致は、少し、意味合いが違うと、思うが?
というわけで、私はそれに関心がなかったが、いよいよ、1998年から、北久里浜の水道山には、重機が、益山家側から入り、水道タンクも破壊をされ、山も、切り崩され、更地にさせられていったのだと、思われる。彼らは、1978年に地籍変更届が、受理され、大きな土地が手に入った直後、そこを開発する予定を、持っていた筈だ。
もし、その時点で、開発をしたら、土地は、高かったので、建売住宅を建てて、それなりの利益を得ようという形になったと、推察している。しかし、私が鎌倉に住んではい居るモノの、すべての事情を知っているわけなので、週刊誌等に垂れ込むことを恐れて、開発を控えていて、塩漬けにしていた。しかし、瀬島龍三は、神戸で。土師淳君殺しを、起こし、いよいよ、この土地から利益を得ることを画策をし始めた。本当は、瀬島は、関与せず、益山夫妻だけで、利益を得るつもりだったのかもしれない。しかし、そこら辺りは、私には、はっきりしないのだが、秘密がばれてしまって、私が、真実を知っているという事から、益山智恵子さんは、瀬島龍三に支援をお願いし、瀬島は、半分の土地を、自分が譲り受けることでその任務を了承をしたのだと、推察をしている。1997年の、土師淳君殺しが起きたころには、既に、益山重夫氏は、この世には存在して居ないし。で、私に探りを入れて来た、測量士に言わせると、その土地には、伊藤中何とかという名前の持ち主が、四軒ほどあるそうだ。分割して、持ち合っていると、言う事だったらしい。しかし、私は、事件は、1978年に彼ら側の勝ち(と言う事は、彼等は、公共用地を、ただで、私有化したという事)で、終わっているので、関心は無くて、測量士には、「ああ、そうですか?」という気のない返事をしただけで、北久里浜へ、現状を見に行く事すらしなかった。
で、彼等は、悠々自適というぐらいで、美麗なマンション、【ルネ北久里浜(=旧名そらヒルズ)】を建てたのだった。このマンションがグーグルの地図で、表出しない時期があった。それは、ここに多大は、嘘(上に連綿として書いてきた事だが)が、含まれているので、秘匿をしたのだった。私がそれについて触れ始めたからでもあるだろう。しかし、触れ始めて、三年は、過ぎているので、今では、グーグルの地図にも、それは、表出をする。
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副題11、『名前が変更された事案とか、事件の裏には、必ず、鎌倉エージェント(=CIA)が噛んでいる。そらヒルズは、ルネ北久里浜と、変更になり、平成の八墓村事件は、周南事件と、変更をされている。
土師淳君殺しの犯人とされている、少年Aは、昔は、酒鬼薔薇聖斗という名前だった。彼は、2016年だったか? 【絶歌】という書物を公刊した。無論、ゴーストライターが居て、そのゴーストライターとは、【天国の本屋】と、同じく、井上ひさしであろう』
ここらあたりは、過去に書いたものがあるので、リンク先を探すという事で、再度書くことは、ご容赦くださいませ。
日本と、日本人は、井上ひさしという悪魔に、牛耳られている大変な場所になりつつあります。そして、彼の意志とアイデアを要所要所で、実現し、実行する悪魔女が居るので、彼みたいな、人間が、権力を握り続けることとなります。
鎌倉雪ノ下では、小野寺夫人と前田清子さんが、今現在は、活発に動いています。安野智紗夫人は、貴ノ岩騒動が、彼女を持ち上げるために起こされたがゆえに、今は、静かにしているところです。横須賀では、杉本正子夫人がそれに当たり、銀座では、〇〇さんが、それにあたりと、いろいろ、わかって居ますので、これから、順次書いていく事となるでしょう。では、24日は、午前4時半で、一応筆をおきます。
ここまで書いても、地籍変更届家、(大詐欺事件)の、全貌は、まったく欠けて居ないのですよ。これで、40%程度です。
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@@@@@@ここが、現在書きかけ中の最先端です。
私のキャリ-バッグの盗難は、最大の、原因は、鎌倉雪の下にもあったのですが、横須賀市、北久里浜(正確な町名は、根岸町+池田町)にもあったのです。でね、その北久里浜で、行われた、大掛かりな、一種の詐欺事件(しかし、書類の上では整っているので、正当なものとして通っているもの)が決定的な悪であると、私の方が言えるものが、その中に入って居たのでした。
敵さんたちは、総勢50人ぐらいを用意して、準備万端を整えて、私のキャリーバッグを、見事な仕組みで、盗んだのですが、単純に脅かすために、行った、泥棒の結果、予想外の宝物が入って居たので、却って、びっくりしていて、返却をできなくなったのでした。
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副
そこで、行われた地籍変更届(悪)の決定的な証拠(法務局発行の、2.73平米しか、大建産業が持っていないという登記簿謄本)と、それが、1200坪(4200平米以上)に化けていくという地籍変更届用の測量図のコピーの、二つが入って居たのでした。
もし、悪人たちが普通の個人であったら、法務局の制度改正(または、改悪)もなかったでしょう。今、法務局は、土地台帳を、電子化しています。そして、一般の人に対しては、電子化する前の物を見せないという建前になっています。
後注2、