一昨日=7日(木)の深夜、ネットで、「八幡宮が、なんとかかんとか」と言う文書を見つけました。しかし、私は、それを読んでいる時間がありませんでした。この常用パソコンのデータを、別のメディアに移す作業、に追われていたからです。3年使っていて、80ギガ以上の情報が入っているので、大変なのです。時間がかかります。でね、東京へ行くのに、持って出たのですよ。電車の中で、その仕事を、引き続きやろうと考えて。それで、B4型の大型サイズのパソコンをトートバッグに入れて肩で背負い、もう一つの手で、アテンダントバッグを、ひきながら。真面目なんです。(苦笑)或る一つの仕事を始めたら、それが、一応完結するまで、早くやり遂げたいのです。
ところで、夕方の五時過ぎに、メトロ京橋駅構内に居た処、大衆的新聞が、惹句用ポスターを掲げているのです。「ドロドロしている」とか、「富岡八幡宮で」とか。その時点では、荷物が多すぎるので、日刊現代も、夕刊フジも、東スポも買わないで、帰宅しました。ただ、頭の中で、『横浜の富岡八幡宮(京急富岡という駅があって、私の頭にはその存在が、埋め込まれている)だろうかしら?』とか、ぼんやりと考えて居て、事件の詳細は、知りませんでした。8日の晩、NHKニュース7の録画を、夜の11時ごろ見て、初めて、詳細を知ったのです。
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副題1、『事件と言うのは、それが自然に起きたもので、政治的な裏がないものだったら、どんなに、残酷なものでも、猟奇的なものでも、正しく伝えてほしいと、思っている。そこから、後に続くものが、学ばないといけないことがあるからだ』
この事件は、母親が悪いのだろうと、推察しています。で、親子関係は異性の子供を贔屓するという傾向があるのですが、
この弟の方を母親が、ひいきして居て、そして、父親は、養子だったと仮定をすると、母親側の意見が強くなります。それで、まだ、父親が65歳を迎えないうちに、20代の、弟の方を後継者にする様に、関係者に、母親が、納得了承をさせたと、推察すると・・・・・この事件も、ありですね。で、弟を解任させた背景に、母親の死等があったと、仮定すると、判りやすくなります。急に力関係が変化して、父親が、実の娘を大切にしたいと、考えた理由も納得ができます。
その上、この弟の方が、母親の不倫の結果生まれた子だったと、仮定をすると、ここまでの、ドロドロも起こり得ます。
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副題2、『しかし、長女が、1960年代に生まれているので、父親側に、いろごと沙汰があった結果の妊娠出産だったかもしれない』
あのね、兄弟間の憎悪としても、今回はあまりにも激しすぎます。それで、<<<兄弟の間で、片親が違う>>>という隠された事情があったかもしれないと、思い到ります。姉も弟も美形ですが、姉の方が、いわゆるふくよかな、フェロモンも多そうなタイプです。弟は、普通の日本人としての美形男子。で、隠された異母兄弟であるとなると、ここまでの憎悪もありだと、成ってきます。
この二月、私は深川を舞台にした歌舞伎、【梅ごよみ】を見てきました。ここでの、菊之助には、久しぶりに、満足しましたよ。気風の良い深川芸者【仇吉】を演じて居て、相手は、勘九郎が演じる、【米八】です。二人は、染五郎演じる若旦那・丹次郎を取り合ったのに、若旦那は、最後には、二人とは、関係を絶って、素人のお嬢さんと結婚をするという筋です。そこで、ライバルだった二人は、顔を見合わせて「しらけるねえ」と言い合うという洒脱な筋でした。深川が舞台なので、船も出てきます。
下は、梅ごよみと言う、小説に関するwikipedia からの引用です。江戸時代の四大ヒット小説本の一つとされた、『春色梅児誉美』(しゅんしょくうめごよみ)為永春水作 の挿絵であった浮世絵です。
そういう小説を明治に入って、【木村錦花】と言う人物が、脚色をしたらしいのが、歌舞伎の作品です。
つまり、地域として、深川は、色事に寛容だった一帯だと、推察ができます。で、副題1では、お母さんの方が不倫の恋愛にふけった結果、生まれたのが、男子の方である。と、仮定していますが、こちらでは、お母さんは、まともな結婚をした人であり、お父さんのほうが遊び人であって、長女の方が、色町の、女性を相手にできたお子さんであったという・・・・・別の方向の説に取り掛かります。でないと、どうして、あれほどの、大きな憎しみが、二人の間で、さく裂をしたかが、理解できないからです。ただ、これらは、すべて、見てきた様な嘘をいいの類であり、証明をされている事ではありません。
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副題3、『もし長女が、色町の女性と、お父さんの間に、生まれた子供であって、二人が、異母兄弟だと、仮定をすると、あれほどの、仲の悪さも、理解が、可能になる』
野見山暁次さんと言う文化勲章受章をした画家がいます。私はある事情から、この人をずっと、追いかけているのですが、氏の結婚を、ここで、対照例として、出してみたいのです。氏は、炭鉱経営者の息子として、潤沢な資金に恵まれ、何の心配もなく、芸大に、進学することができました。ちなみに、私の父は、「美校に進んだら、食えないよ」と、旧制(山口)中学時代の先生に、忠告をされたそうです。で、自分が制限されたポイントを私にも応用をしたので、私は芸術系の学部には、進むことはできず、文学部さえも受験するのは不可能でした。「親から自立してしまえば」と、誰かから、言われても、それほどの、気概は、高校生の段階では、なかった方です。
野見山さんは、芸大に、進学できただけではなくて、未だ、敗戦後で留学費用が制限を受けていた時代に、パリへ留学することもできました。そういう特別な、ルートを歩んできたうえで、バーのマダム、しかも、年上の女性と結婚をしました。それが、パリ留学後の、しかも、画家である身には、可能だったのです。で、野見山さんのケースでは、その結婚生活は、無事に進捗し、奥様の死去で終わりました。お子さんは、生まれなかったと、記憶しています。で、現在では、秘書の山口千里さんが、お子さん替わりを務めていますね。
しかし、富岡八幡宮の宮司となると、違うでしょう。もし、姿を現さず、写真も出てこない父・宮司様が、野見山さんと似た様な恋愛関係に、陥って、相手が、深川芸者だったら、まだしも、昔芸者だった女性が、独立して開いていてバーのマダムとして働いていて、しかも、年上だったと、仮定したら、どうでしょう。
これは、結婚ができません。宮司の職と言うのは、画家である野見山さんとは、立場が違うのです。で、これから、先は、3つのケースに分かれます。
*1)・・・・既に、結婚をしていたが、奥様との間に、お子さんが無かったので、愛人が生んだ子供でも、引き取った方がいいと、親族一同が判断をして、姉娘の方を、ひそかに、実子として、入籍をさせ、実子として育て上げた。昔は、男女の区別など、出産前は、できない時代だったし、愛人は、中絶をする意思がなかったので、長女でも、跡取りとして、引き取られた。お婿さんを取ればよいと考えられて、引き取られた。ただ、名門の家柄なので、医者が、協力して、実子として入籍をする形で、引き取られた。しかし、実母ではないし、実子でもないので、お母さんは、長女の方には、冷たく当たった。しかも、引き取った後に、自分に、長男が生まれた。それで、母親の方は、長男を溺愛したので、長男は、わがままで金遣いの荒い、青年として、育ちあがってしまった。
*2)・・・・すでに結婚をしていたというのは同じなのだが、お父さんが、養子だったというケース。それで、外の女性に産ませた子供を引き取ったとなると奥様は、上記のケースよりさらに強く、夫にも長女にも威張って接したであろうし、後に生まれた長男を溺愛した度合いもさらに強かった可能性が高い。そして、長女をネグレクト(=看過)した。父親の方は、それで、長女を不憫に思い、強い愛情を内面に感じて、注意をそそいでいた。それで、長女の方は、立派な人間として育ちあがった。
*3)・・・・この兄弟の、実父である先代宮司は、養子ではなくて、正式な嫡男だったが、当時は、まだ独身であった。で、親族一同が、鳩首会議を開き、急きょお嫁さんをあてがい、正式な披露宴を行った。お嫁さんには、内々で、事情を呑み込ませ、産後の肥立ちが悪いという事で、深川から遠く離れたところで、数か月暮らし、その間に、産まれたお子さんの、年上過ぎる月齢をごまかす作業を行った。名門の家なら、大学同期の、友人は、支援をしてくれるはずで、かつ、祖父母段階の、知人まで、動員すれば、医者の協力を得ることなど、簡単だったので、奥様の、実子として、お子さんは、入籍し育てられた。しかし、三年後、男の子が、奥さんの実子として、生まれたので・・・・・うんんうん、・・・・・その後は、上のケースと同じとなる。
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副題4、『もし、死んでしまった、この二人が、中学生ごろから、すでに、異母兄弟であると、お互いに、知っていたのだ・・・・・と、仮定をすると、・・・・・弟が、不良化し、お姉さんが、しっかり者として、育ちあがった・・・・・その道筋については、理解が可能になる』
・・・・さて、この種の私の想像が、すべて、当たっていたと仮定をして、バーのマダムをしていた、実母はどうなったかと言うと、いわゆる手切れ金をもらって、将来は、深川に近寄らない様に、誓わせられたと、推察される。しかし、本人に才覚があり、頭もよければ、そんな、条件に満足できるはずはない。ひそかに、長女に近づいた可能性はある、幼稚園や、小学校低学年だと制服や持ち物に名札をつけているので、すぐわかる。
そして、誰もいない場所、たとえば、線路際の小道とか、川の土手の内側などに連れて行って、長女が、まだ、理解力が少ない段階では、「私はね。昔、あのお宮で働いていた女中なの、あなたのことは、非常にかわいく思っているわ。だけど、お母さんに憎まれて追い出されたの。だから、お母さんには、私と遭った事は内緒にしておいてね」と、諭し、大きくなって理解力が深まったら、「私が実母なのよ。あなたは、あの家では、どういう処遇を受けていますか?」と質問をして、冷遇をされていると、知ったら、大きく励まし、「私が見守っているから大丈夫よ」などと、告げた・・・・・と仮定をすると、
あの兄弟が、中学時代から、仲が悪かったとか、長女の方が、とても、しっかりした人間として育ちあがった事も、理解ができるのだった。人間どこか、マイナスがあると、それを補うために、可能な部分で頑張る事となる。
電通で、上司のパワハラを受けて、自殺した高橋まつりさんは、母親を責めたりはしないものの、父親が居ない事をマイナスだと、感じ取っていた。だから、頑張りに頑張った。東大卒もその頑張りの、ひとつだっただろう。そして、離婚の真実は、母親から提案した離婚であるとも内々に知ってしまい、ひそかに母親を恨んでもいたであろう。だから、母親の事を、最終的に、頼る場所としては、考えて居なかったのだ。だから、困難に極みに見舞われたときに、誰にも援助を求めず、自殺に至ってしまった。
しかし、こちら、富岡八幡宮の、長女様の方は、実母の愛も、実父の愛も受けて居て、ただ、内面で、自分には、欠落があると、知っていたので、頑張ったと、思われる。しかし、実の弟の方は、父親の愛を信じられなかった。父親の、人格の方も信じられなかった。しかも、父親の血の中に、入り込んでいる遊び人気質も、自分の方に、出てしまって、自堕落な生活に、おぼれきってしまった。一方で、姉にさげすまれていることも知っていたので、事件直前までは、自分を被害者の方であるとか、弱者の方であると、認知して居た可能性は強い。名門に生まれ、経済的にも何の不自由もなく育ったのに、これほどに、不良化し、かつ、殺人事件まで起こしたのは、結構なレベルで、自分を被害者だと認定して居た可能性が強いのだ。自分には、被害があるので、埋め合わせてもいいだろう。金使いぐらい自由にさせてくれ」という考え方があったと、推察される。実際、すべての人は、ストレス発散の、工夫をしているものだ。何かに逃げている人は、他にも大勢いると、推察される。
戦前までは、結婚後の男性が、愛妾を囲うのは、許されていることだった。だから、この兄弟の数代前に、人気の高い、深川芸者の、血が入って居ても、おかしくはない。だから、弟の方にも、遊び人の血が入っていたと、考えられる。
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副題5、『神社庁が、このご長女様を、宮司としては、認可しなかった。七年間も宙ぶらりんにされたので、氏子たちと図って、神社庁を、脱退することになったそうだ。もし、弟の方が、「姉は、正式な妻との間に生まれた子ではなくて、これこれ、これこれのバーを経営していた女性との間の子供です」などと、文書で告げ口をしていたら、神社庁は、それを、取り上げて、長女さんを、宮司として認めなかった可能性がある。そして、富岡八幡宮に、たいしては、その理由を告げなかったと、思われる。内々に、処理された過去を、ここで、表に出すわけにもいかないからだ。
二人が異母兄弟であって、怪文書が飛び交う関係だったと、今では、表向きにも言われているので、数年前に、秘密文書を弟が、神社庁に送ったという私の想像は、ほとんどの部分で、真実だと、思われる。姉の方がブログを始めて、苦しみを投稿していたと、dot.com(朝日新聞系列、特にアエラのサイト)では、言う。
その中で、宮司さんが連合する会合において、セクハラパワハラが当たり前であり、自分も腰を撫でられたという、ブログがあると、書いてあった。
:::::::::なお、ここで、挿入なのだが、dot.com には、相当に、充実した記事が、この件で、連なっている。それは、この姉の宮司のブログを愛読していた記者が居て、すでに、取材をしていた可能性を感じる。または、女子校とか大学で、この姉・宮司と、同期だった女性が、アエラとか、週刊朝日の中にいる可能性を感じる。世の中とは、結構狭いものだ。::::::::
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副題6、『姉宮司は、経営者としては、立派だった模様だ。で、氏子側の信頼は厚かった・・・・・ただし、気が強いのも事実で、また、気の強さを前面に出すこともいとわなかった模様。それは、弟をつよく、刺激した筈だ』
神社庁と、宮司さんの集会は、別個のものだと、私は推察しているが、宮司さんの間に、ひそかに、・・・・・この女性宮司が愛人の子供だった・・・・・といううわさが回っていたと仮定すると、彼女が宴会の会場でおしりを触られることもありだと、考えられてくる。
しかし、この姉宮司の方にも、問題はある。天皇、皇后陛下をお招きして、行事を執り行い、それを、NHKニュース等に、取材をさせる映像がNHKニュース内で出てきた。そうなると、弟は、ぎりぎりするほどの悔しさを感じた筈だ。弟は神社側からは、疎外をされていて、神社側の情報は、一切入らなかったと推察しているが、NHKニュースで、見る映像だと、当然、知る事となる。
ところで、ここで、氏子連中と姉宮司が結託をして、神社庁の統括支配から離れたという話が出て来る。弟宮司は、お賽銭を、自らの、遊興費として使ってしまっていたが、姉宮司は、必要な補修工事を行い続けたので、氏子からの信認は厚かったそうだ。
しかし、こういう、事実はNHKニュースには出てこない。では、なぜ、弟は、それを知ったのだろうか?
これは、9日の深夜書いた文章を、幾つかに、分割した部分の一つです。原文は発想の赴くままに、多数のテーマを入れ込んでいたので、それを、整理して、見ました。
なお、この後の、部分は、また、独立をさせて、公開をいたします。
このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4372124す。
なお、この文章は、次のブログ(後注1)へ、続きます。
2017年12月日深夜から、9日にかけてこれを書く 雨宮舜(本名 川崎千恵子)
後注1、