副題-2、「次の日に、前置きとして、書く、この章の総括・・・・・大久保忠春君の謀殺死は、山口みつ子さんのそれに次ぐ、又は、それ以上の、衝撃であって、真相を、本当に書けるかどうか、私は自分自身で、いぶかしんでいた。しかし・・・・・』
昨夜、というか、19-5-16は、早朝2時に布団へはいりました。しかし、午前5時まで、眠ることができず、五時に主人に「起こさないでください」というメモを残して、やっと寝入ったのです。が、たった3時間半で目覚めました。それは、大きな荷物を、肩から降ろした事の安堵が、大きかったからでしょう。大久保忠春君の死に関しては、過去に二度、取り上げて書いています。特に富沢家が主役となった高枝切り事件が起きて、それに、たいして猛然と怒った、私は、鎌倉エージェントが、起こした、もっとも、忌まわしい謀略の一つである、大久保忠春君の死(交通事故を装った、他殺であると、思って居ます)について、書く気になったのでした。高枝切りとは、大嘘中の大ウソが含まれている謀略です。で、それほどの、画期的なウソに直面して、別のもっと忌まわしい謀略の方についても、書く気に、なったのでした。
しかし、その時は、真相については、20%ぐらいしか触れていません。本章では、羅針盤、とか、ニッチギャラリーとか、具体的な名前を出しています。それが、顛末の最初の部分なのです。そこから、丁寧に、たどっています。また、19ー5ー17日には、後半部分で、加筆をしていく文案が、今、心の中にあって、其れを足すと、相当、はっきりと、大久保君は、謀殺をされたのだと、皆様も、ご理解がいただけるでしょう。
彼らは、私をやっつけて、それで、書けなくさせようとして、次から次へと、謀略を繰り出します。今、私が書こうとしているのは、平木家についての、特にお子さんが、どういう風に悪に利用されたかという話です。それは、やはり、あくどい事極まりない話なので、それを、書けない様にさせようとして、次から次へと、罠が、起案をされていて、秋篠宮、内親王、眞子様まで、利用されているところです。姫宮まで利用をして、阻止されようとしているのですが、19-5-15日には、別の人間、Mr 井上が、利用をされました。 舞台は、鎌倉駅に隣設する商業施設、CIALないの喫茶店Deli France です。
私は、良く、神様が存在すると、言って居ます。その時も神様のお導きで、罠に引っかからないで済みました。普通ですと、パン売り場で、パンを選び、それをレジにもっていって、コーフィーを注文をして、それから、席につくのですが、昨日だけ、たまたま注文より前に、席を確保しようとして、喫茶スペースに入ったのです。すると、ビル内の、進行方向からは、死角になっているコーナー(=戸棚の隣)の席に、Mr 井上が、ひっそりと、身を潜ませていたのでした。Mr 井上は、頼まれて、私を待っていたのでした。ただね、ずっと前から、準備をさせられていたので、手持ち無沙汰になり、スマホをのぞき込んでいるところであって、まなざしが下を向いていたので、目が合うことなく、私は、そこを逃げ出しました。踵を返すというのは、まさしく、このことだったでしょう。その際、パンを買う前に、席を確保しようとしたという事が、神様の、御援助という点です。
Mr 井上に出会う二時間半前に、地下鉄、銀座線、京橋駅ホームに在るエレベーター、を使って居ます。京橋にある眼科医に診察に行きましたので、そこのビルのエレべーターを、午後二時半に使って居ます。その次に、都営地下鉄浅草線、宝町の、下り線改札口へ降りる為の、エレベーターを、鎌倉へ到着する1時間20分前に使って居ます。その三つが、詳細に、警察の特殊部隊に、チェックをされていて、したがって、Mr 井上に、適切な時間に、Deli Franceで、待つように手配できたというわけです。
Mr 井上と、実際に、目があってしまったら、次に何が起きるかというと、彼から、こう頼まれるはずです。「どうか、僕の家内については、何も書かないで、ください」と。そうなると、私は、このブログに、大きな欠落を生じさせないと、いけません。特に雪ノ下で、行われている悪に関して、書きにくくなります。そうすると、自由が利きません。私はそれでなくても、このブログにアフィリエイトが、利かないし、ありとあらゆる不利を被っているのですから、せめて、自分自身の選択ぐらい、自由を、確保して置きたいです。で、瞬時にその罠がわかったので、踵を返して、その場を離れました。で、ここで、Mr 井上と、その奥様について、14日の、深夜、又は、15日の深夜、書く予定だった、事を、次の節で書いていきましょう。この一編の文章の構成としては、倒置法になってしまいますが、仕方がないです。
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副題-1、『Mr 井上とは、ペンネーム【岸田淳平】として、活動をしているニュアンスのある作家である。画家としての部分で、かれの方に名声があるので、私の方が頭が上がらないので、Deli Franceから逃げ出したのだとは、思わないで、欲しい。そんなことは、気にしていない。しかし、彼の教養の高さには一目を置く私だった。したがって、彼に何かを頼まれたら、断り切れないと、思う。したがって瞬時に逃げ出したのだった』
あのね、彼の教養が高いことは、34年前から、気が付いていました。この山に、は、大変難しい人間関係があって、普通の人だと、ノイローゼになるのだと、引っ越してくる前から、知っていました。で、実際に引っ越してきてみると、最大の癌が安野智紗夫人にあることが、わかりました。彼女は、勝気な人で、手あたり次第、目に入る範囲お主婦たちの、すべてに勝ちたいのでした。でね。その手段として、情報が入る井戸端会議を毎日午後、自宅前の道路で、主宰をしていました。それが、諸悪の根源だったのです。そこが、地形的に言っても、一本しかない道の、あい路中のあい路で、誰もが、そこを通らないと、町へ出ていかれないので、困り果てる事態でした。
その参加メンバーの中で、声がもっとも大きいのが前田清子さんでした。しかも、話題の中身がくだらないので、私も相当に悩まされましたが、もっとも、近い場所に住んでいる、藤本夫人は、さらに大きく悩まされたはずです。で、私が引っ越してくる前から、二人の間に、大いなる喧嘩が始まっていたのです。前田清子さんというのは、中学校で、良くいじめ事件が起きると、裏番長がいると、いいますが、彼女は、その典型です。裏か、おもてか、は、わかりませんが、集団統治を、数の論理を使って行い、村八分を作るという手法を駆使します。静岡大学の法学部出身で、都立大学(現在は首都大学と変名している)の大学院を卒業していて、かつ、その時点で、國學院大學の講師だったのに、どういう事を国家、又は、都の税金で学んできたのだろうと、本当に疑問に思うほど、低劣なのです。で、私が引っ越してきた当時は、村八分の対象が、藤本夫人だったのです。
どうしてか、というと、藤本夫人は復讐の手段として、前田家の方がぐうの音も出ないであろう、土地の不正使用を種にしていたからでを出してた。それを非常に上手な形で、出していたのです。そばで、見ていて、痛快なほどでした。おバカさんで、田舎者の、前田家など、対応をできない措置でした。で、前田夫人が謝罪をすれば、何でもないのに、此処で、瀬島龍三が乗り出してきて、当時の、会長中谷共二氏に、この件を利用して、私をいじめる様に、示唆したのです。それは、この時点(=1984年)より、6年前に、北久里浜で起きた、大規模詐欺事件の余波だったのでした。
そちらでは、私をたすけてくれた青山敦子弁護士が、その間の、六年間に、CIA側に取り込まれていて、この中谷共二氏の行った、異様な仕組み(我が家の東北側の、yamaを無断で取り崩すなど、いろいろ)を、私は法廷闘争に持ち込まなかったので、それ以来、前田家からは、なめられきっているというわけです。そして、その時以来、前田家の犠牲になって、我が家の花畑は、コンクリート打ちにされたのでした。複雑な事件ですが、私がアジサイ畑欺罔事件と呼ぶのがこれです。前田家など、我が家の、二倍ほどの、地所を使って居るのですよ。驚くべき強欲さです。
それで、鶴岡八幡宮の大イチョウも倒壊しました。というのも、前田清子さんが、傲慢の限りを尽くすのも、鶴岡八幡宮のご推薦で、國學院大學の講師に、なれたからです。前田清子さんは、いまだに、ぴんぴんしていますが、それは、彼女が悪女だからです。悪が実行をされると、関係者の内、善人に災禍が下ります。大イチョウの倒壊は、まさに、その適切例でした。
ところで、悠仁様のお机にナイフが置かれていた一件は、青山敦子弁護士と、私がお茶大付属高校の同期生だと、いう点を利用されている謀略です。青山敦子弁護士について、其の裏切りを、書かせないための脅かしでした。悠仁samaha,kareraかまくらエージェントにとっては、格好の道具に過ぎないのです。これは、皇室を、政治利用する、典型例です。ひどい話です。秋篠宮様、ご一家は、CIAに利用されまくっていて、お気の毒です。しかも、見返りがありません。踏みつけに、されっぱなしです。愛子様の、女性天皇待望論が、この時点で、出て来るなど、ひどい話です。お気の毒です。雅子様の父君小和田氏は、完ぺきにCIA側、ご愛顧の、人物ですから。
ところで、
私は藤本夫人に後年、大いに裏切られることとなるのですが、それでも、この35年間を通じて、親切にしてあげたつもりです。というのもすでに、引っ越してきた当時に、私の父の方がパーキンソン氏病と、脳挫傷の併発で、寝た切りだったので、それを藤本ファミリーに告げていませんが、藤本家の、ご主人の、義兄にあたる、藤本真澄・元・東宝重役と、私の父は、旧制山口中学で、大の親友だったからです。で、やさしくして、あげていたので、彼女も打ち解けて、来て、あれこれ、話してくれたのですが、その中に、Mr井上に関する記述がありました。
「あのね、みんな、私を無視して、あいさつをしてくれないのです。が、井上さん(ご主人の方)だけは、あいさつをしてくださるのよ」と。それが、34年か、35年前の話で、それ以来、何を観察しても、その通りで、この山で、一番に教養が高いのでした。学歴、職歴という意味では、言葉、または、文章で書けば、もっと上の人はいます。しかし、真実の、身についた教養という意味では一番の人なのです。だから、彼からの言葉には、逆らえないだろうと、みなされていて、かれはDeli Franceないで、待っていたのでした。
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副題0、『井上夫人の、ガンの闘病時代の思い出を、ひとつ、語っておこう』
井上夫人は、山間の煙というエッセイで、書いた、焚火の問題で、主役を張った人です。焚火をしてもいない私に電話で怒鳴り込んできた人です。私は、「自分はやっていない。見に来てください」と、言いました。これは、今に続く大問題となっていて、小野寺夫人の悪辣さを証明する問題なので、削除することのできない話題です。しかも、前田夫人が、真の首謀者でした。が、CIAの援助を受けているので、NHKが放映もしていない法改正が、2013年に行われたそうで(というのは安倍晋三内閣が、画然と、変身をした時期と合致しますね。右翼的と見える政治家から、もっとも、CIA側に忠実な政治家と、変身をした時期です。だから、それが、棄教の、踏み絵だったのかもしれないが?)
2013年の、法改正とは、廃棄物処理法案の改正で、焚火をしては、いけないこととなったそうです。NHKが放映をしなかったので、それを知らなかった私は、主人が大病をしている最中の大変な時期に、引っ越しをするつもりで、ごみを焼いていたら、小野寺夫人に怒鳴り込まれることとなり、警察に通報しますと、脅かされました。
これは、前田夫人たち、悪辣主婦連中の失敗を糊塗するために、日本国政府が、個人的に、彼女たちを、援助をしていると、いう件です。
ところで、今となっては後の祭りの典型ですが、井上夫人に言っておきたいです。私は、この76年の生涯を通じて、頭の、良さをほめられまくってきた人間です。
直近の例では、神田の学士会館内で,mada,日本ペンクラブの会長になる前の、阿刀田高さんから、「こんなに頭の良い人が、こんな会場に、いるなんて!」と絶句していただきました。というのもそれは、お茶大付属高校の、同窓会(その支部OPC)の会合だったので、おばさんばかり出席していたからです。阿刀田さんにとっては、女流作家連中の、高価なお洋服姿とか、きらびやかなお化粧ぶりと、比較をすれば、地味な集団だったでしょうから、思わず、こんな場所でと、いう慨嘆が出たのだと、思います。その前には、東大に勤めていた時期に、上司から、寿退職をしなければ、必ず、将来東大教授になれるよと、言われています。それ以外、数々の、エピソードの持ち主ですから、馬鹿にするなんて、愚の骨頂ですよ。もう、間に合わないでしょうが。ともかく、井上夫人の判断では、私は、馬鹿極まりない人間なのでしょう。私は、井戸端会議に出席をしないし、前田夫人一派に、いじめまくられていて、悪口ばかり聞いてきたでしょうが、違うのですよ。だから、私に対して、失敗をした、と、明瞭にわかる問題については、瞬時に対応をしないといけません。「焚火などしていませんよ。見に来てください」といって居るのだから、瞬時に、我が家の南側の庭に、来てみないといけません。
17日の午前中に、私が書きたいことは、こういう難しい事ではなくて、もっと、やさしい事です。易しくて、優しいことです。
私は井戸端会議には出ない方なので、ほかの家で、どういう状況が起きているかなど、知りません。ただ、安野夫人が、略奪婚の人であるなどというのは、彼女自身の、行動を分析して、転入後、たった二週間で、把握した、事実です。その後、ある人に確かめてありますので、本当の、話でした。彼女の行動は、中学生と、高校生、三人の母親としては、極めて異常だったからです。あんな、はた迷惑行為は、してはいけないという事は、三人の子供を高校生に育てるまでに、徹底的に、知っておかないといけません。しかも、わかっていないと、近隣から排除されます。それが、わかっていないという事は、こどもの、本当の親ではないという事です。そのほかにもいろいろがあったので、転入、二か月後には、彼女の精神構造とか、心理状態などは、100%理解を果たしていました。何か、優雅そうにふるまって居ますが、おへそが茶を沸かすというほどに、汚い心を持っているという、底部の真実が、みえる人間なのです。 まあ、彼女や、前田夫人や、小野寺夫人は、特別です。激しい攻撃をしてくるので、その本質が、詳細に、わかっています。しかし、井上夫人は、それほどには、目立たない、普通の、雰囲気の女性でした。
ただ、子供を見ると、親がわかると、よく言いますね。井上家の、次男が、本当にいい子でした
翻って語れば、今、妙本寺のお嫁さんになっていると、聞いている西隣の前の住民・遠藤家のお嬢さんは、『これ程、いやな子はいない』というほどに、表情が、いやな子でした。お母さんが骨惜しみの人で、毎日庭を掃いたごみを、60cmぐらい低い我が家へ、掃き入れる人でした。労働をしないので、今は小錦みたいに太っています。大丈夫でしょうか。妙本寺の将来は?
遠藤家の両親が子供に教えていることは、損得に、ついては、敏感になりなさいと、いう事でしょう。だから、あのお嬢さんは、妙本寺内では、破綻を見せないのでしょう。
でも、お母さんの、行動を見ていると、宗教心は、皆無ですね。昔から、よく、「おてんとうさまが、見ていますよ」と、教えられたものです。自分一人の事なら、鼻くそをほじったり、お尻をかいたりしますよ。だけど、他人が関係して居ることについて、あれほどに、だいたんに、他人を無視して、小ばかにできるとは、ただ、唯、驚愕の事実なのです。
井上家では、子供を愛していました。それが、いい子に育つ原点だと、思います。そして、猫も愛していました。真っ黒な猫で、ブーニンという25前の、人気ピアニストの名前を付けていたのです。そのブーニンが、藤本家の窓の外で、大声で啼くのです。すると、藤本夫人が、煮干しを、あげていました。でね。それもあって、『やはり、藤本夫人は、善人だなあ。猫はよく知っている。絶対に、安野夫人の家では、ああは、泣かないもの』と、思って居ました。
で、アジサイ畑欺罔事件の時の騒動については、『前田夫人の方が、悪女だから、あの争いは、起きたのね。我が家一人が犠牲になっているのに、あの前田夫人の、傲慢な攻撃性はなんですか?』と、思うので、いろいろ、観察を鋭くします。すると、ネット検索で、前田祝一という名前が、集団訴訟の、原告になっていることを知り、「ああ、共産党員なのか? そうなると、今、共産党は、警察に次いで、CIAの家来になっている、下部組織だから、ああいう態度をとるのだ」と、わかってきます。私を攻撃すると、あなたの方が丸裸になるのですよ。絶対に、それは、確かです。特に、神様のごえんじょがあって、人間を通じて、真実が伝えられることもあるので、もう、ほとんどの真実がわかっています。
お子様が医学部へ、進学してはいないことなど、ある人を通じて手に入った、事情です。質問など、していないのに、教えてもらった事実です。その事実は、町内会のあることで、彼女が、任務の人なので、質問にいったら、「今、気分が悪いので、答えられません」というので、確認ができました。そのころに、坊ちゃまが、医学部へ進学できないことが確定していたのでしょう。
その上に、さらに、大きいことは、6年前の観察が、裏付けられた事でした。六年前とは、お子さんが、中学校の時の話です。前田夫人がPTA総会で、威張りまくったので、私をも含め、周辺のママたちが、フリーズしました。『あの人って、自分の子供が、将来、東大か、慶応の医学部へ、進学できると確信をしているのでしょうね。あの威張り様を、見ているとそう感じます』と、考えたものです。そういう風に因果関係が成り立っています。自分の家の中の事で、他人に対する任務を放棄してはいけません。それから、他人に対して礼儀知らずもダメですよ。都会のブランド住宅街に、おいては、近隣にどういう人間が住んでいるかはわかりません。だから、常に礼儀正しくしていないと、後年、こういう文章を書かれることとなります。だから、安野夫人の家の前の、井戸端会議で、大声を出すのなどもご法度です。
そんな因果関係を知らないでいるから、田舎者だと、いうのです。数章前で、・・・・・お茶大付属高校の人間について、書くつもりがあるので、其れを阻止する為に、ナイフ騒動が起こされた・・・・・と、私は言って居ます。・・・・・その文章の登場人物として、【きっこさん】が居るのだけれど、彼女には。お世話になっているので、その実名を書けない・・・・・とも、語っています。その現象も前田夫人と関係があります。
【きっこさん】にお世話になっていると、いう現象は、いくつかありますが、一つは、彼女が、明瞭に、「白ちゃんは、実力があるからね」といってくれたことなのです。しろちゃんとは、高校時代の、私のあだ名です。そして、私は、東大卒でもないし、直木賞受賞者でもないし、東大の、教授にもなっていません。しかし、さじ加減一つで、そういう立場を、獲得していたかもしれない人なのです。しかし、きっこさんと接触をして会話を交わしていた、15年前には、役職もないし、収入もありません。だけど、私の方には、実力があると、いう事を認めていてくれる人なのです。それは、感謝しています。女性というのは、嫉妬深いものなので、こういう風に明瞭に他人をほめることはあまりありません。だから、なおさらに感謝しています。
で、前田夫人と藤本夫人の比較から離れて、井上夫人の闘病時代に戻ります。私が、自分の食卓で、「藤本夫人が、ブーニンに、煮干しを挙げているのよ」というと、息子が、「ブーニンって、僕にも甘えるんだよ。毎朝、門扉の横で待っている。で、顎をなでさせる」と、いいます。で、息子が泊りがけの出張に出かけた次の日に、朝の7時半に門扉の横のブロック塀を見てみると、ちゃんと、ブーニンが待っていました。ブーニンは、奥様の、入院前は、井上さん一家に、かわいがられていたのでしょう。愛情をいっぱい注がれていたのです。だから、奥様の入院で、一家中が、忙しくて、家にいない時期だったので、寂しくて、たまらなかったのだと、思います。それが、私が井上夫人を、思い出す物語の一つです。猫が、あれほどに、寂しがっていたのは、井上ファミリーが、どれほどに、やさしい人だったかを物語っています。
井戸端会議に出席をしないし、前田夫人一派に、いじめまくられていて、悪口ばかり聞いてきたでしょうが、違うのですよ。だから、私に対して、失敗をした、と、明瞭にわかる問題については、瞬時に対応をしないといけません。「焚火などしていませんよ。見に来てください」といって居るのだから、瞬時に、我が家の南側の庭に、来てみないといけません。
@@@@@@@ここが、16日午前中に書きかけている最先端です。以下は、15日、深夜書いた初稿です。
これは、前報から起こってきたスピンオフ的、文章です。しかし、胸の中は、ザクロが完熟して、破裂してしまったほどに、書くべきことがいっぱいで、いったいどこから手を付けていいのやらと、いうほどです。しかも、長時間外出して帰ってきたところですから、疲労をしていますしね。しかし、徐々に、盛り上げていきましょう。最初は、パン屋の話です。
ところで、最初に写真を置かせてくださいませ。これは、泥棒が、最近入って、トイレの窓枠に置いてあった、花瓶をわざと、床に落っことして、(ただし、実際に、割ったのは別の場所の筈。私は自室で、寝ていたので、音を立てると目覚めるから。どうして、そう判断するかというと、花瓶の割れた部品が、数が、足りないので、そういえる。)其のかけらを、タンクの上に、わざと、置いてあったのを、窓枠の方に、移動をさせて、証拠写真として、撮ったものです。これについての詳細は、また別の章で、語ります。鎌倉市内、特に鶴岡八幡宮や、小町通りにおける写真を、10枚ぐらい使って、彼等、鎌倉エージェントが何をどういう風に考えているかを証明いたします。彼等の悪辣さの、証明をいたします。
という冒頭写真を入れて、本日の主文へ入ります。
副題1、『私は一時期、銀座三越地下、一階の、【Johan】と、いうパン屋のファンだった。しかし、そこには、飲食スペースはない。そのビルの別館の9階まで、行くと、誰もが使える自由な、広場があって、そこでは、食べられるが、上り下りするのに、時間がかかるので、お店自体に、飲食スペースのある。【Deli France】 が、次の好感度一位店となっていく。まあ、【俺のベイカリー・京橋店】も、私のお好みの、飲食スペース付きパン屋だが』
神奈川県の、住民にとっては、特に東部の住民にとっては、おいしいパン屋といえば【サンジェルマン】でした。サンジェルマンの、噛み応えのしっかりした【白い食パン】ができた時は、衝撃的でした。50年以上前だったかなあ? 東急が作ったもので、日吉駅が、素朴な駅舎だった時代に、改札口そばで、売っていたのです。そして、どんどん、支店を増やしていって、鎌倉にも、大船にも、あります。そのうち、赤いインテリアが、目立つ【ポンパドゥール】も、のしてきていました。しかし、私が利用する駅には、そのどちらの、店も、飲食スペースがありません。
で、鎌倉駅構内と、新橋駅東側地下道に、あるDeli France が、好みの店となりました。:::::::::ここで、ちょっと、Deli France について、解説を加えさせていただきますと、山崎製パンが、運営していて、Vie de France の、もう一つ上のランクのパン屋だそうです。方針として、駅中、又は、直近に作るというコンセプトがあるらしくて、新規の駅ビル(例えば、鶴見駅のCIALなど)には、相当に、広いスペースの喫茶部がある、出店をしています。
ところで、鎌倉店と新橋店は、いれ方の、違うコーフィーが出てきて、鎌倉店のコーフィ-は、特に美味しいと、思って居たのです。それは、此処を利用する鎌倉マダムの、共通認識だったのに、なんと、この一週間味が落ちています。それが、政治的大問題なのです。:::::::::
で、喫茶スペース付き、パン屋の概論は、此処で、終わって、次からは、政治の文章へと入ります。
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副題2、『私には、どうも尾行が付いているらしい。それで、Deli France・鎌倉店に、週に四度か、5度は寄ることも把握をされていて、ついに、Deli France と、いうお店の中に、盗聴器が仕掛けられてきた。この二週間に、二度も、大きな泥棒行為に出っくわしているのだが、ある、外人から、Deli France ないで、私に好意を抱いてもらって、その結果、彼女から、もらったお土産の中についていた、短いお手紙が、どうしてか、テレビ横に、置いてあった。もらったのは、二年前なので、あの時、英語で、話したことも把握をされていて、その、短いお手紙を、別の日に盗まれて、そして、泥棒が入ったという証拠として、それを、ごく最近、テレビのそばに置いたのだった』
この様に、一旦盗んでおいて、其れを、しかるべき時に戻して、そして、そういう行為全般を通じて、それを脅かしに使うという・し組・は何度も経験しています。私の従兄弟がニューヨークのアゴラギャラリーというところで、25年以上前に個展をしているのですが、その時の案内状が、どうしてか、これも、又、最近、二か月のうちに、部屋の中に、落っこちていたり、北九州に住んでいる、中学時代の同期生であり、ギャラリー山口で、個展をする常連であり、かつ、野見山暁次さんの、北九州における、秘書役を果たしていた、大久保忠春さんが、暴走老女による、交通事故で、亡くなったそうですが、それは、何のお知らせもなかったのです。不思議です。普通なら、同期が、たった100人ですから、お知らせがあるはずなのです。
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副題3、『大久保忠春君に関する、雨月物語』
しかし、事故の一年後かな。【羅針盤】という画廊で、個展をしていた作家が、大久保君が教授をしていた大学の卒業生なので、質問をして、事故のことを初めて知りました。そういえばと、思い当たるのは、、おおくぼ君が、ちょうど、事故で、殺されたころに、毎日新聞の切り抜きをパネル化したものが、私の家の、一階の玄関傍の、本箱に目立つ形で、置いてあったのです。本箱はいくつもあるのですが、玄関傍の本箱は、一番、そばを通る回数が多いので、一番目立つものです。
毎日新聞の記事は、スペースとしては、10cm×10cmの小さなものです。しかも、地方版にのっただけです。唯ね。レジェンド(伝説)になりうる話だったのです。だって、横浜国立大学付属中学校、横浜・立野・校を、1958年に卒業したのは、たった、100人です。毎日展の方は、プログラムがないので、何人入選していたかがわかりませんが、200人から、300人の間だと、思って居ます。で、同じ中学を卒業、40年後に、同時に、毎日展という現代アートの世界では、評価の高い世界に入選したのは、伝説となりうるのです。しかし、せつないのは、毎日展が、つぶされていることです。毎日新聞が不況だからと、いう事ですが、もしかしたら、この記事が原因かもしれないと切ないです。、
こういうものを銀座の画廊の、個展に置いたら、ちょっと恥ずかしいです。しかし、つかったのは、江ノ電、稲村ケ崎駅、近傍の、小さな画廊での、個展です。私が営業をかけて、そこで、開いてもらったわけではなくて、ご紹介があったmonodesu。画廊は、道路から直接靴で入れる、6畳程度のスペースで、それを縦長に二つに仕切って、一方で、お土産を売る、一方で、アート作品を展示するという形式です。そういうところでは、私のことを知っている人は、一人もいません。だから、こういう小さな宣伝用パネルを作りました。細部は、20cmX20cmぐらい。
これが、置かれたころに、大久保君は殺されたのでした、暴走老人の事故を装ってです。私は、一瞬、雨月物語の在りを思い出しました。魂魄が、空中を飛んでくるお話です。しかし、このパネルは、我が家に通常侵入して居る、四種類の泥棒が、入れ込んでおいたものでしょう。
すごい話です。稲村ケ崎の、個展の、10年後君来に、大久保君は、単純な事故ではなくて、謀略として、ころされて、さらに、その、脅かしの意味を強調させるために、大久保君とのエピソードを書いた例のパネルを、気が付くように本箱に立てかけて置く。
私は、其の半年か、1年後です。羅針盤での個展作家との会話で、初めて、気が付くのです。で、殺されたのだと、直観的に感じましたが、仔細をさらに知りたくて、まず、銀座のニッチギャラリーのオーナー西村氏に、電話をかけます。西村氏は、芸大大学院卒ですが、学部時代は、大久保君が、教授をしていた大学で学んで、います。年齢から考えると、お互いに、知り合って居るはずだと、思って電話をしたのですが、「何も知らない」と、いう話でした。
私の電話はすべて、盗聴をされています。そして、こういう風に意味のある場合・・・・・CIA側は、すぐ動きます。それで、この件で、関係者、一同に、彼女(=、私事雨宮舜、本名、川崎千恵子)が、実情を、探り始めたので、気を付けて、対応をする様にと、連絡を入れます。
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副題4、『私は、山口千里さんと、高田弘子さんの対応で、かえって、自分の推理を、確定をした。彼女たちは、謀略的殺害を、否定したつもりだったろうが、私には、そうは、見えなかった』
私は、ニッチギャラリーのオーナー西村富弥さんは、好きじゃアないのです。気が合わない方だと思う。さそり座だそうで、それが、原因かどうかはわからないですが、気が合わないです。向こうも私を嫌って居ます。しかし、スタッフさん(今、お名前を失念しているが)が、超・賢いのです。それが、好みなのと、NY在住で、かつ、にっちで、連続的に、個展をしている小林さんが、親切なので、数年間、顔を出していました。そこで、一ノ瀬智恵子さんが、高松次郎と、親戚だと、三鷹ストーカー事件の起きるずっと前に、聞いたりしています。でね、西村富弥さんに、何も教えてもらえなかったわけですが、それでも、西村さんに、電話をした事はよい事だったのです。
次に、数日間、間を置いて,yamaguchisenrisanto,高田弘子さんに電話をかけたら,futa理が電話を、取り上げ、対応をしてきたからです。普通だったら、電話番号を見て、撮らないと、思います。
ここは、ものすごく大切なところです。だからこそ、めちゃくちゃな誤変換になっていますね。今は、そのままにしておきましょう。
山口千里さんという人は、野見山暁次さんの、秘書です。彼女が、秘書になったのも,koremaた私のせいというか、お影なのですよ。千里さんは、同郷の野見山さんを慕い切って居ました。しかし、野見山さんは、国画会には所属していません。千里さんは、美大卒業では、無くて、聖心女子大卒です。国画会の内部で、派閥がないです。で、出世できません。そのことへ、深く同情をしていました。だから、彼女と私が、仲良しなので、彼女だけを、出世させて、私を取り残して、悲しませるの、典型的、一例として、野見山さんの秘書に取り立てられたのです。
これが、山口みつ子さんを、ひどく、悲しませました。野見山さんの秘書を務めるのは画廊を閉鎖した後の、自分だと、考えていた山口みつ子さんを、ひどく悲しませました。それから、ご家族に対してもよくないはずです。私の主人に言わせると画家というのは大体わがままなものだそうです。それは、創作という仕事が、激しいsyuucyuuwo必要とするので、ある意味で仕方が、ないのですが、その結果、家族が、おかしくなるのです。千里さんの坊ちゃんは、無気力でした。それは、母親が画家であり、注がれる愛情が、量として、圧倒的に少ないからです。野見山さんの秘書になったときには、まだ、修正が、利く段階でした。ひたすらおぼっちゃまと、ご主人への、奉仕に専念すべき時でした。今、千里さんは、60代で、おぼっちゃまの方は、40代でしょう。大丈夫ですか? もう、育て直しは、無理じゃアないですか? ともかく、千里さんとの電話の後で、大久保が他殺であると、いう感覚はさらに強まりました。
西村富弥さんの返事は、「僕は知りません」というだけのもので、穏やかな声と、無駄のない対応でした。それは、親切というものではないが、毒はなかったです。しかし、千里さんの言葉には、毒や悪意がありました。其れを、今は、つまびらかにはませんが、私はその声と内容で、大久保君は他殺であると、確信をしたのです。
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副題5、『高田弘子さんという女性が、CIAにとっては、超重要な存在であって、かつ、日本の富裕層を、全部支配できる立場にいるのだった』
高田弘子さんが、これまた非常に重要です。彼女は、日本刀剣協会の、事務局長かな? だから、日本の、富裕層と、個人的な付き合いがあって、其れを網羅的に支配できます。とても、女性らしくて、コケティッシュですが、情というものは、ほとんどない人です。愛情もなければ同情もない。ただ、安野智紗夫人などと、比較すると、実力があります。経歴がすごいです。横浜国率大学付属小学校だ卒。同、付属中学校卒、フェリス女学院、高等学校卒。ブラウン大学卒、AFS経験者、ホスト・ファミリーは、ユダヤ系大富豪だそうです。ブラウン大学(私立女子大。今は、男女共学となっている)の学費は、むろん、アメリカの、養親がだしてくれたそうです。
konohitoga小学校時代の、友人と定期的に,懇親会を、開いているそうです。で、其れをの結果、私は、横山君(慶応三田会横浜支部長)とか、時田君(元、福音館社長)から、信じられないほどの無礼な仕打ちを受けました。弘子さん、本人からも、恐ろしい言葉を投げかけられたことがあります。
元へ戻ります。
大久保忠春君の死について、あれこれかいた目的は、まず、我が家の、電話が盗聴をされていること、次に、私には、尾行が付いていること。で、しょっちゅうよる場所には、盗聴器が仕掛けられていること。そして、そういう風な場所で、私が話したことは『知っているぞ』と、脅かしてくるために、
以前、盗んでいったものを返してくることがあるのだった。大久保忠春君と、私が、毎日展に、同時に入ったことを、パネル化したものを、使われたケースが、嚆矢だったけれど、ほかにもいろいろ、使われている。盗まれるものもあって、かえって、入れ込まれるものもあるのだった。
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これから先に書こうとしていいた事は、Deli France 鎌倉店の店内の、死角となる場所に、ミスター井上が、座っていたこと、
また、私は、この山に、夜の、7時30に、上ってきたのだけれど、安野家の前を通った際に、猫がするするっと出てきて我が家の、庭に登って行ったこと。ごく最近、猫が入って、スプレー(おしっこ)をして帰って居ること。臭くてたまらないが、これが、何度も、経験して居ることなのだ。
これは、二年以上前のことだが、安野家の猫が、私と、我が家のさびちゃんが、二階で、仕事をしているのにもかかわらず、我が家に侵入してきたことがある。その当時は、猫出入り口は空いていて、大きな鈴をぶら下げていたので、そこを猫が通れば、我が家の猫でも、安野家の、猫でも、鈴がなるので、わかる。
ともかく、午前、一時になったので、私は寝ますね。これ以上、頭を使ったら、死にますので、此処で、本日は終わりとさせてくださいませ。