驚きました。下書きの途中で、他の事をして居る最中に、下書きが公開されて居ました。なんで中断をしたかと言うと、前回いつ清川病院(鎌倉一古い病院)に行ったのだろうか? と疑問が起きて、税務申告の元帳を調べていたのです。すると、ファイルが壊れていますと言って半年分の記帳が、全部は、開けないのでした。
まどか先生は「貴方が二月に来た時に別の先生にCTスキャン画像を解説して貰ったと、カルテに書いてあります」とおっしゃるのだけれど、私は11月以来そこには、行って、いない筈なのです。で、税務申告の元帳を開いて確認をしようとしたら、医療費も交通費も総て 「データが壊れて居て開けません」ですって。物凄い暴力です。
まあ、そう言うこともあろうかと、手書きも併用して居たので、何とか成りますが、三時間は、修復を実行しようとして、大変な努力をしました。ブラウザについてですが,edge で、書いてあった下書きは、そのままにして、chrome とか、firefox で、修復方法を探していたのです、その間に、edgeの、goo blog 下書きbox に、侵入し、公開という手続きを勝手にやった、人間がいるのです。悪意ある・やから・が知らないうちに、公開に持って居た模様です。
しかし実のことを言うと、それが、公開をされてしまっていたことを、恥じては居ないし、おろおろもして居ないのですよ。あの下書きを書き始めた目的は、今度の泥棒(=清川病院から、23-5-29日にもらってきたものが全部盗まれていた)が誰であるかは、平木信明さんの態度と白井夫人の態度でわかるから、あの二人の実名を挙げて、アホだねえと言って恥じないのです。
泥棒は、どうも、警察か、それに命令をされた、ご近所様の模様です。安野智紗夫人と仲良しの連中が、派手に派手に動いたので、そう判断をしています。で、警察の悪を語ると、ワードで、作った文書が破壊されると、言う暴力の攻撃を受けます。ものすごい暴力ですよ。はっきりと記録をしておきます。2023-6-6の夜、10時に発見をしたと、書いて置きます。
唯、一般の方には、あの下書きは、ちんぷんかんぷんだっただろうなあとは、思います。清川病院・院長【まどか先生(女医)】との会話を伏せていまので 特に、わかりにくいだろうなあとは思います。
下書きが、公開をされていると言う事を、知らないで、その日の公開用に、書いた文章が、以下です。それをこれから推敲して公開をします。
ところで、本日の私の行動ですが、午後二時にPCを、閉じてから、今は、夜の10時です。推敲を始めるのが、予定よりずっと、遅れています。が、microsoft の word が壊されて事への対応で、時間がかかったからでした。で、お約束の推敲を始めるのが、やっと、今です。恐れ入ります。
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映画 波紋に出て来る 安藤玉惠と彼女の黒猫が象徴をする物
その場面って、たった1分半です。それで女同士の競争意識を象徴しています。それはすごいテクニックだなぁと思いました。象徴主義のっ最たるものだと、考えます。
何が何を表しているかと言えば、クロネコがご近所主婦たちの間の競争 今の言葉で言えばマウンティングを象徴しているのです。
でも、黒ネコがこの映画の中で現れるのは、合計4回で時間に直しても、長くて2分です。
まず言葉だけで、問題が、語られます。スーパーのレジ打ちの仕事から、自転車で帰ってきた筒井真理子をご近所主婦の安藤玉恵が待っています。そして筒井真理子の一家に起きている変化====筒井真理子家では、最近は、どうも、奥さんの、一人暮らしらしい。息子もいないし夫もいない。昔とは全く違う。と、推察しているのですが、それを本人に直接に確認したいのです。いやらしいですね。相手が弱っている状態を、その本人に確認をするのです。
私だったら絶対そんなことをしませんが、こういうことをするのが普通の女なんでしょう。
実像としては、上智から早稲田に回ったという、決して普通の女ではなかった安藤玉恵が、演技力でそれを象徴しているのでした。
いやー上手です。ところで、この映画って、演技が、上手な女優さんばっかり出ているんですよね。あ、男優の方も演技派です。お弁当配布を待っているホームレスだって、ムロツヨシですから、すごい配置です。ほんのちょこっと出てくるだけなのに、そんな大俳優を使う。演技上手派のオンパレードだと言う事は監督も認めています。
監督自身はね。内面に浮かぶものへ向かう地味な、女性でしょう。決して他人と争うような事はしない。自分にとって大切なことがわかっているから、それ以外の事には静かに暮らしている。そういう人です。
だから彼女自身、安藤たまえみたいな 女性に過去に苦しめられたことがあるのでしょう。まあ、苦しめられたと言いうよりは、煩わさせられたと、言うところだと、思いますけれど。
ところで安藤たまえと筒井真理子は、最初には、言葉だけで、猫・トラブル・を表します。筒井真理子の方が、抗議をしています。「お宅の猫が入ってきて、困るんですけれど」と、いいます。猫は、自宅(または、自分のテリトリー)を汚すのを、確かに嫌がります。昔、日吉の実家で、大みそかに、大掃除をしていたら、物置の段ボール箱の上で、よその猫が死んでいたので、びっくり仰天をしました。冬だから、腐っていなくて、腐敗臭がしなくて助かりましたが、驚いたのなんのって。まあ、庭というか、地所が100坪だから、埋める場所はありました。どこのネコか、判らなかったから、遠くから、やって来たのでしょう。
都会の猫は、死に場所をほかの家の物置などに求めていたのです。昔の猫は、死ぬときも、飼い主には、知らせないで、行方不明になると言う形をとったのですよ。誰にも甘えないで、死んでいったのです。強くて、立派です。
ところで、映画に戻ると、安藤たまえはふんふんと言う形で、筒井真理子の抗議をやり過ごします。そして次の場面として猫が実際に庭で寝ているところが出てきます。非常に演技が上手な猫ですね。知らない人がいっぱいいる中で、堂々と庭で寝ている。レンタネコを撮影した荻上直子監督は猫のタレントスクールと関係があるのでしょう。
だから適切な、猫を選んで借りて、出演させているのです。
ところで、最初の会話の場面も、猫に関してだけは20秒位ですね。次に筒井真理子が猫を追い出そうとする場面が30秒位。あと同じようなことが繰り返されて全部で2分位なんです。
しかしそれだけでね。現在、弱い立場にある主人公が、近所のおせっかい系マダムに、「あなた負けたわね私の方が上なんですよ」と見下されている、・・・・・そういう状況を象徴しているんです。
だから、筒井真理子は、光石研の、歯ブラシを使って、小さな復讐をするのです。
私はね、この雪の下の、ご近所人間・・大原光孝さんと言う男性に「みんながね、川崎さんは 離婚するよって噂しているよ」(へ、へ、へ)と、音にならない笑い声をあげながら。からかわれました。
離婚をするためではないのですが、海外へ武者修行に、行く自由が欲しいので、それを許さない主人から離れて、隣駅の逗子で、古いマンションを借りて、3年ぐらい一人暮らしをしました。実は、版画を摺る機械(プレスという。私は、幅70cmの物を買った。今、朝ドラ、爛漫で、リトグラフ(石板用)のプレスが出てくるが、銅板用は、あれよりも重い。
ところで、朝ドラって、東大へ、東大卒ではない主人公が入っていくとか、急に版画を学びたいと、言いだすとか、私の知っている世界ばかり飛び出すので、面白いです。また、お金の使い方も、私と萬太郎は、そっくりでね。ただ、私には、竹雄は、いなかったけれど、親が遺産を残してくれたので、そこがそっくりです。
逗子のアトリエを、作ったのも、プレスを買ったのも、親の遺産でしたから。そして、夜も逗子に寝まし
た。一年に三か月だけ、海外で、版画修業をするにしても、急に出るわけには、行かないので、数年間逗子暮らしをしていたのです。大原光孝という、男性が、からかってこようがどうしようが、その一人暮らしの、期間が、今の自分に、大変、役に立っています。あの時の修行で、今の私ができたと思っています。
で、それは、絶対に必要なことだったと、しっかり、腹に落としているのです。ただし他人が見ると、わがままの極みでしょうね。だから、東大での、苦労等から、ドラマを始めて、幼いことは、回想シーンだけで。推移させたら、もっと、人気が出たと、思いますけれど。
ところで、雪の下の方へ戻ります。
ご近所は、最初から、瀬島龍三に導入されてしまって、引っ越してきた、たこつぼ社会で、敵ばかりです。だから、ありと、あらゆることが、からかいと、軽蔑の対象となっています。で、版画修業のために、一人暮らしをすると、・・・・・あの人は離婚をしそうだから、人生に負けたんだよね・・・・・と言うふうに見えるんでしょう。
そして、わざわざ、それを、ご本に人に面と向かって言いのけて、確認をしようとする。それが、映画とは、違って、っ専業主婦ではなくて、男の画家ですから、本当に軽蔑します。しかもです。彼本人の奥さんは、10年以上を家を出ているでしょう。画家修業をしているとは、聞いたことが無い女性です。女子美卒ですが。きっと、別の男性が出来たのでしょう。相手も熟年で、離婚をする気はない。こちらも離婚なんて、社会的にレッテルが付いてしまって損だから、席は抜きません‥‥という形だと、思う。
ただし、波紋では、光石研の側に、女性の影は、見当たりません。息子が結婚をしそうだと、言うところが、唯一、性愛を、感じさせるところですが、実は、別の意味・・・・・障害のある人を家庭内に迎える主婦の葛藤と、言う課題が、浮かぶので、甘い、恋愛模様では終わりません。
そして、主人公夫婦も、この映画の、中ではね、夫婦関係を、修復しあって仲良くなりました。ハッピーエンドです。と、言う風には終わりません。
これは今50代に入ったであろう・・・・・(もしかすると60代に入ろうとしている)・・・・・荻上直子樹監督自身の宣言ではなかろうかと、おもうほどです。・・・・・私はね、もう1人で生きて。いきたいんです・・・・・という宣言じゃないかしらと思うほど・・・・・と、と言いたくなる様な、エンディングを迎えます。ただし、ネタバレになるので詳細を、説明しないで、言葉を閉じますが、
ともかく、この、ご近所人間の、こ意地の悪さを、たった、二分間で、象徴的に描いている、監督には、感嘆をしました。
私の住んでいる山のご近所様が、毎日、毎日、24時間という姿勢で、攻め込んでくる意地悪(泥棒行為を含む)の、あれこれを、私は文章で書いているわけです。膨大な量を描いているわけです。しかし映画では、
たった2分で、同じことを、表現したのです。象徴としてですが、これはねやはり映画監督として非常に優れていると言うことなんでしょう。
彼女がどうしてそういう世界に入ったのか、どういう若年期を経てこういう監督になれたのか?
私はそれを知りません。だけど若い時からね、そういう方向で生きて来ることが出来た。それは、やはり実家の力だと思うんですよね。親と彼女の間の関係がそれを作ったとか、財力があり、文化資産が、おおくあったとか?。
他の、出演キャストも全てね、演技上の自分とは、別に、普通以上のランクの家庭出身だという土台があると思います。
他人の目から分析すれば非常に恵まれた人生を送ってきたんでしょうね・・・・・・って言うことになると思います。
23-6-5~6にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)