これは、最初期の総タイトルを、【除名という恐ろしい斧を、何故虚子は、久女に対して振るったのか? 】としておりました。だが、ちょっと、考えがあり、変更します。で、変更した総タイトルの内、・・・・・vs という間投詞で、くくられた右辺と左辺は、右辺が勝った方で、左辺が負けた方です。私自身は、勝った方に加担をしているわけではないのですよ。全然そうではないです。トップの、虚子 VS 久女は、特にそうで、久女の方に深い味方をしています。三番目の組み合わせも同じです。
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副題1、『杉田久女を、虚子が除名したというのは、当時は、大騒ぎだったらしいのです。虚子は、裏側の委細を語って、おらず、かつ久女が、亡くなった後で、その長女からのお願いに応じて、久女の句集へ、序文を寄せ、墓(実家側=長野県)への分骨の際、別の石に久女の墓碑銘を書いているので、ますます、一般人は、わけがわからないと、言うことに成っていると思います・・・・・その原因はや、理由について、他の人があまり書かないポイントを書きましょう。きっと、真実をついています』
私は、これを、虚子の政治的配慮だと、思っています。ストーカーとしての久女を嫌ったわけではなくて、虚子が、稲村ケ崎の海べりに持っていた、お屋敷で開いていた、句会に所属する、女流俳人たちの、なんとなく、久女を嫌う雰囲気を、感じ取って、そのカンパニーの統一をキープするために、九州に住んでいて、毎回句会(または、同人会)に出てくることができない久女を切ったのです。同時に排除された男性同人は別の理由があったのですが、久序は、場の空気を守るために、排除されたのでした。つまり虚子が、同人や、女流俳人を、交えて開く句会は、一種の社交界の同好会・・・・または、有閑マダムの、おしゃべり会の、ムードもあったのに、久女は、異質だったからです。1930年代の、虚子の句会だったら、来ていく和服も、上等でないといけなかったはずで、もし、教師妻の、久女の、おべべの絹地が薄かったりしたら、すぐ、ほかの女性には、わかるでしょうから。医者の妻、霞が関の官吏の妻、大企業の出世コースにいる、夫の妻に比較をすると、交通費の捻出だって、大変だっただろう、久女は、見劣りする、スタイルだったと、考えます。
もう一つの理由は、虚子は、軽い性格の人なのです。一方、杉田久女は重い性格の人なのです。いや、虚子は、文化勲章、芸術院会員等、全部引き受けているでしょう。有名人になる人の一般的な歩みそのものをたどった人です。ある程度以上に要領がいい。だから、奥様ともうまくいって、お子様が、俳句会で、優秀な人となりました。
一方、杉田久女は、まじめです。激しい集中をできる人です。そして、恋愛ではないと、自分では思っているが、夫を避け、虚子を敬愛するので、その部分は虚子に、危険性を感じ取らせたのです。それは、俳句『タビつぐや、ノラともならず、教師妻』を、読めば、虚子以外にも分かったことでしょう。
この辺りは、私が、よく知っている、野見山暁次・・・・山口千里・・・・山口みつ子の三角関係に似ています。私は、千里さんも知っているし、みつ子さんも知っています。みつ子さんの、人生設計では、画廊を、68歳で閉めて、それ以降は、九州にわたって、野見山さんの、公私共の、パートナーになるつもりだったでしょう。しかし、それをわかっていた野見山さんは、みつ子さんに対するバリアーを張るために、千里さんを、先に、雇ってしまいました。先手を打つというやつです。
みつ子さんは、具象画を描いていて、デパートで個展をする千里さんを、全然知りませんでした。みつ子さんにとって、突然現れたと、言うに等しい、千里さんにひどく驚いて、私に「千里さんって、どういう人なの?」と、質問をしてきたから、あれこれ、説明をしてあげました。どういう大学を出ているかとか、夫がどういう人であるかなどです。出来るだけ、みつ子さんを安心させるのを願って、「千里さんって、男みたいなところがある人なの」などと、言いました。
・・・・・大丈夫、千里さんと、野見山さんの間には、セックスの関係はない。マネージャーの仕事は、千里さんに取られてしまったけれど、恋愛の力で、野見山さんと結びつくことは、まだできるわ。がんばって・・・・・と、言葉に出さず、応援したのですが慎み深く、要領の悪い美都子さんは、ただ、ただ、何もしていなかったのでした。その間にCIAエージェントに、殺されてしまったのです。かわいそうです。悲劇の人です。
それは、彼女が、
「保坂航子さんのあなたに対する、罵りのメールは、裏に秋山祐徳太子がいて、・・・・・雨宮舜、何するものぞ・・・・と、個の画廊で、力んでいたから(=あなたを軽蔑したから)、発信されたものですよ」と、教えてくれたからでした。
野見山さんが、何故、みつ子さんを嫌ったかというと、まじめすぎるのをわかっていて、それを嫌ったのです。みつこさんは、処女だったのではないかなあ? 野見山さんも、それを感じていて、自分には、彼女は、重すぎると、思ったのでしょう。合わせ、切れないと思ったのです。みつ子さんは、方向転換をすればよかった。だけど、方向転換をしなかった。または、できなかったのです。千里さんは、人妻だし、非常に図太いです。だから、野見山さんとしては、前夫人と同じく、自分の方が頼ることができます。しかし、みつ子さんだと、自分が、本当の男性として、彼女を守る側に立たないといけません。それが、面倒くさかったのです。
文化勲章を受ける様な文化人って、一途な女性を嫌うのです。
野見山さんの場合は、山口みつ子さんを切り捨てて、(そう、まだ、同衾(ベッドインの事)は、していないのだから、僕には何の責任もありませんよと、白々しい顔をしておいて・・・・逃げたわけですが、
虚子も文化勲章をもらっていますよね。そして「彼女とは、まだ、同衾をしたわけではないから、僕を慕うことについて、僕には、何の責任もありませんよ。だから、今のあなたを避けたいのです・・・・・というのが本心だったでしょう。
この文章に、以下の説明を25日の夜に加えました。ところが、表出していないという形で、朝を迎えたので、一回すべてを、引っ込めました。で、その表出しなかった部分を含めて、後半をこれから、書き足していきたいです。
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副題2、『ここで、MSNというサイト=edge を使うと自然に出て来るニュースサイトで、野見山暁次さんの死が、25日に急に知らされました。22日に家族葬で、送られたそうで、しのぶ会は、後日、日程が、発表をされるそうです。敵さん達=伊藤玄二郎達、CIAエージェントたちは、私が、居間から、何を書くつもりか熟知しているので、本当は、MSNサイトにその情報を乗せないつもりだったと、思いますが、山口みつ子さん他殺説を私が、何度目かの事として、書くことを阻止するために、載せたのでしょう。死者に鞭打つとは、あなたの心が汚いのですよ」と、彼らは言いたいのでしょう。しかし、そういう風に考えられている時は、逆ザヤを張った方がいいのです。で、予定通り、上に、野見山さんが、ずっと、自分を、慕ってくれていた、山口みつ子さんを、捨て去った話を書いたわけです。
実は、山口千里とか、山口みつ子と、言って、あまり説明をしないのは、いままで、これらの人について、何本か書いて居るからです。しかも、現代アートの世界の人にとっては、既知の人だと、思っていますので、説明をいたしませんでした。しかし、演劇、または、俳句という主題に惹かれて、初めてここに入ってこられた方にとっては、知らないなあ。知らない人命が出てくるとうっとおしいなあと、お思いでしょうから、二人について簡略に説明をします。
山口みつ子さんは、文房具を製造する会社の社長令嬢だと、風のうわさに聞きました。育ちの良い人です。で、18歳ごろまでは、私立中高一貫教育の女子高育ちだと、思います。でもね。女子高育ちの人って、男女共学の大学に行きたがるのです。で、学生運動の洗礼を受けているかもしれません。が、反対に、女子高育ちの延長のまま、お嫁さんになるのに最適なレベルの短大卒だったかもしれません。ともかく、とても明るくて、品が良くて、そして無防備な人でした。だから、私の文章も絵も(個展に見に来てくれた人ですから)高く評価をしてくれていた人です。それは、村松画廊のオーナーだった、川島女史とか、ギャラリー舫のオーナーだった、平野和子さんとか、ギャルリーユマニテのスタッフだった、金成悠子さんなどとは、100%正反対の、態度でした。彼女は、私と同じ年なので、68歳の年に殺されなければ、102歳で、亡くなったと報道をされている野見山暁次さんの妻となるのに、とても適切な年齢だったのです。
なお、今年に入ってから知りましたが、金成さんは、ユマニテを2022年に、やめているそうです。しかし、伊藤玄二郎達が、給料の良いかつ、ユマニテに地理的に近い会社に、次の就職先として、お世話した筈なので、寂しくはない・・・・・と、言う形になっていると思いますよ。上からの命令に従順な人だから、どこへ行っても、オフィス業務従事者として、立派に務まるでしょう。
山口みつ子さんと、長年にわたり親しくしていた方が、「猫が引き止められなかったかしら?」とおっしゃったのです。自分より弱いもののお世話を、見ず知らずの他人には頼めないと、言う猫好きの心理からすると、当然、自殺は無いです。だから、その点だけでも、山口みつ子さんは、他殺です。自殺だとされていますが、違います。ピッキングか、その他の方法で、カギを手に入れた例の暗殺集団が、カギを開けて、息をひそめて待ち伏せしていたのです。猫は、麻酔剤で、眠らされていたか、みつ子さんが帰宅する前に殺されていたでしょう。いや、誰かがみつ子さんの猫を引き取りましたか? もし引き取った人が居れば、私のこの想像は、間違っています。ただ、急にみつ子さんが、亡くなったので、ギザで親しかった画廊のオーナーたちが、片付けを手伝ったそうですが、その時、みんなは、「猫は、きっと、マンションに大勢の人が出入りしたので、ビックりして、逃げちゃったのよ」と考えたと思います。それは、2010年でしたから、また、別の嘘が後付けで、生成される、可能性もあります。誰かが、「猫は、〇〇さんが引き取ったのだけれど、2018年に死んだのよ」などと、言いだして、それを私に知らせてくる人が有ったら、それが、傍証となって、100%、みつ子さんが他殺だと、言う事となります。
で、彼女は私と同い年ですから、もし、まだ生きていたら、満80歳です。でね、野見山さんより、22歳若いです。で、だから、2010年に画廊を閉鎖しようとしたときは、68歳ですから、まだ、まだ、健康で元気で、マネージャー兼プロデューサーとしてガンガン働けるし、野見山さんと、同菌をしても、楽しい語らいが出来たはずなのです。彼女のそういう希望は、野見山さんの個展を、只で、何度も開いてあげて、そして、オープニングパーティの費用なども画廊側で、準備してあげて、奉仕しまくっていたので、周辺も十分知っていた事でした。知ってはいたが、その恋が破れたことも、周辺は、知っていたでしょう。で、みつ子さんは、失恋して自殺をしたと、言う風に取ったのではないかなあ?でも、それを言ったら、彼女があまりにも可哀そうだから、お金の面で、失意があり、自殺したと言う事になっています。が、違いますよ。お金の事なんか、実家にでいりしている弁護士さんに頼んで、自己破産をしてしまえばいいでしょう。または、遺産を生前贈与してもらうとか?
銀座・京橋界隈の、ひとが、みつ子さんが、失恋をしたと、考えたのは、野見山さんのエッセーに、山口千里さんが、登場する様になったからです。
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副題3、『山口千里、山口みつ子、私、野見山暁次の、四角関係について、まだ、書けないことがある。いや、永遠に書けないかな? だが、今書けることを書こう』
美術の窓は、私はたくさん巻を持って居る筈なのです。だが、主人が雑誌類は捨てろと言ったことがあり、1980年代の、読みでがあった美麗な雑誌【優駿】は全部捨てられてしまったのですが、もしかしたら、【美術の窓】も捨てられたかな? ともかく、今は2008年の4月号が手元にあります。第一特集、河鍋暁斎・・・・・中特集、平山郁夫、
その中に、アトリエ日記・野見山暁次、137~139と三頁あります。この号では、すべての日が、細切れ文章です。しかし、こういう短文ではなくて、もっと、長い文章を書くときには、千里という名前が、4回出てきたのを覚えています。この号では、二回です。しかし、ギャラリー山口も一回出てきます。1月の最終週で、人形展というのをやっています。原文は、「初日勢い込んで、会場に入ると姫と題した、五体のぼくの紙人形、いずれも後ろ向きに飾ってある」と書いてあって、自分で正しい向きにしたとか、画廊に間違っていると声をかけたとかが、続いて出てきません。文脈はロボットに移行して、抽象的な考察が始まります。この読者が期待するセンテンスが出てこないで、別のテーマに移行するのは、書く人が、本当のことを書けない場合の、特質なのです。
つまり、書く人、野見山暁次は、その五体の紙人形を秘書である山口千里さんに運ばせたのでしょう。個展で、全室・野見山さんの作品で埋まる場合は、専門の業者が運びます。しかし、紙人形五体は、かさばるかもしれないけれど、軽いです。で、ちょうどよい仕事として、千里さんに運ばせたのです。その時みつ子さんは、初めて千里さんに出会ったのでしょう。光子さんにとってはショックだったと思います。というのも千里さんと私は、国展で知り合っている関係ですが、国画会の人って、昔は、サエグサ画廊で集合し、そこが裏手に引っ越したのちは、井上画廊で、集合していたからです。しかも、千里さんは、どうしてか、まだ、国画の会員ではなかったのに、三越で、個展をすることが出来る人でした。絵がテンペラで、質感が豪華なのと、テーマが具象系で、普通の人には、わかりやすい絵だからでしょう。
ギャラリー山口って、有名な画廊ですが、二人には、それより前には、接点がなかったのです。で、であった途端に、どちらが、ショックを受けたかと言うと、みつ子さんの方でしょう。それはね。光子さんが背が高い、しかも体重が50キロを超えているので、大女に見えるので、初恋なんかが、実らなかった可能性があるのです。
そういう過去を持つ、みつ子さんの前に、背が15cmぐらい低くて、体格は華奢で、お顔が和風のしっとりした美女である‥・・・と、言う事を知って、まだ一縷の望みを持って居たみつ子さんは、絶望をしたのでしょう。駄目だ。野見山さんは、千里さんを愛していると、考えて。で、千里さんが、帰ったどびょうびの夜にかなあ?、野見山さんの、姫という紙人形を全部、後ろ向きにしたのです。で、29日は、初日ではありません。火曜日なので。月曜日に見に行った、他の出品者から、「後ろ向きになっているけれど、なにか、意味があるのですか? 」という電話がかかって来て、野見山さんは、火曜日に見に行ったのでしょう。すると、やはり、後ろ向きになっていた。
でね。みつ子さんのレジスタンスの気持ちが判るので、「直してくださいよ」とも言わないで、帰宅したのでしょう。でもね。こういう小品展は、一般の、お客が多いのです。お安い値段で買うことが出来ます。各画廊は、種々の企画で、年末とか年始を盛り上げるのです。
私は、2008年にどういう事があったのかは知りません。でもね今、2023年の6月に入ってこれを読むと、「野見山さんも悪よのー」と、言いたくなります。
つまり、千里さんには、みつ子さんとの、過去のいきさつを、説明をしておいて、「どこかで、君を紹介しておかないといけないのだが、この人形展は、いいチャンスだから、顔合わせをしておいて。〇か月後には、あそこで、個展をするのだしね」と、言い含めておいたと、思います。それは、千里さんに余裕をもたらしました。
せめてみつ子さんの方にも、電話一本いれて、「今度の人形だけど、秘書の千里に持たせて搬入をするよ。初顔合わせだと、思うけれど、よろしく、お願いをします」と言っておけば、みつ子さんは、みつ子さんなりに、覚悟を決めて、応対をしたと思いますよ。で、ビジネスライクに処理して、お人形を後ろ向きにして飾るなんて言う事をしないで、済んだのです。
この後に個展が来るのです。その時に、この雑誌はすでに、出版をされていたかいなかったか記憶が全くないんですが、もしこれを読んでいたら、みつ子さんから、その、オープニングパーティのさなかに、質問をされた、「ね。千里さんって、どういうひとなの? 教えて」と、言う文言に対して、答えとして、上にあげたものにプラスして、次の二行を上げたでしょう。
「全然、気にしなくていいって、彼女って、お父さんは、土木建築会社でも経営しているんじゃあないかなあ? すごい、がらっぱちですよ。(あなたの方が、ずっと繊細で、フェミニンです)だから、あなたには、野見山さんの、妻になる、資格がある。がんばって、頑張って、秘書は、彼女にやってもらって、あなたは、ひたすら、身の回りに世話をおしてあげればいいは・・・・・と。
ここで、今日は留といたします。
@@@@@@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下はメモです。
田沢茂先生主催のアマゾネス軍団というサークルの話。
数多い、杉田久所を貶める小説類
私は読んでいませんが、吉屋信子と、松本清張が、久女をテーマに小説を書いている模様で、それらでは、久女を、恋愛過多の、一種のストーカーだったと、書いていると想像しています。そして、最もひどいのは、虚子自身が発表した小説【国子の手紙】らしいのです。