この写真は、NHK2023-6-29の、お昼のニュースからスマホで採録したものです。一億二千万人の日本人が、影響を受けるのに、NHKは、さしたる批判もせずに、報道をします。その姿勢こそ、これが、対私いじめの方策で、だれか、超富豪の、人に、円を売りなさい」と、命令すれば、簡単に起きる現象で、私が正しいことをブログで、公開で・・・・・・この際は、猿之助逮捕は、まったくふ頭であり、段四郎夫妻は、死んでいないと、書いていること・・・・・または、非公開(各種の泥棒被害・・・・ご近所様、もしくは警察がやっている攻撃の一種)を、非公開で、書いた事への、復讐として、起こされています。以前にも、何度も起きている現象ですが、このブログで、取りあげるのは、初めてです。
この文章は、私にとって書くのに、大変難しいことを書いているので、本日7月2日で、三日目に入ります。初稿に対して、二日目に加筆したところは青で、加筆しています。三日目に加筆をするところは、紫で、加筆をしておきます。2日、日曜日は、家事の合間に演円と加筆をしていく予定です。夜の、九時ごろ、もう一度、ここを除いてくださると、助かります。
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それを書くと、また、私が不自由になるので、書きたくなかったのですが、突然の円安は、私が、このぱそこんの、このgoo blog の下書きボックスに、或る考察を書いたからです。
または、こうかいとしての・・・・猿之助の両親=段四郎夫妻=は、死んでおらず、猿之助逮捕は、ただ、ただ、私の、ぶろぐが間違っているという方向へもっていきたいから起きている・・・・・と、見ているのもアメリカにある、CIA中枢が、動くところになるのでしょう。という挿入を二日目に入れて元へ戻ります。
非公開のタイトルとして、【ご近所の動き】、【泥棒の話】、【文化番組を通じての、攻撃】というのがあります。そのなかに、書いていることが、ハッキングを通じて鎌倉エージェントと、私が呼んでいる人物たちが読みます。世界中で、二十人は、それをやっていると思います。日本にいる、純粋日本人CIAエージェントも読むが、アメリカに、いる、NATIVE AMERICAN(とくにはくじんを指す)の中で、日本語を理解する、連中も読むかもしれません。
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副題1、『イスラム過激派に、首をちょん切られて、絶命をしたとされていう、後藤健司さんも、名前を変え、アメリカに家族で、移住して、夫婦で、私のブログを分析しているでしょう。奥様は東大卒で、元、AFP通信社勤務です。
ここですが、私は、インターネットで、公開されたと、されている二人の処刑動画は、見ておりません。特に探さなかったという行動もありましたが、もし探しても、私のパソコンには、それは、現れなかったかもしれません。で、二人が捕まったわけですが、軍事オタクだと、されて居た、湯川はるな君は、確実に殺されたと思います。しかし、後藤健司さんの方は、殺されなかったと、見ています。どうしてそういえるのかを、これから、書いていきます。
私のICU同期卒で、河出書房新社に、伊藤玄二郎と同期、または、1,2年後前後して、入社した、川名昭宣君という人物がいます。この人の奥様が、ICU卒ですが、もと、AFP勤務です。後藤健司という人物は、仙台出身です。これが、みそです。
仙台には、井上ひさしが、大きなネットを持っていてこの一家(後藤家)と接触があったとすいさつしています。でね。彼らは、或る謀略の準備に、10年かけることもあるのです。で、後藤健司さんも、10年以上の準備段階を経て、彼が、殺されると、日本国民の間に、劇的な同情を招く筈だ。という風に、育て上げられていったと思います。それは、アレッポについた途端に銃撃されて、亡くなった斎藤美香さんの、ケースと、同じ思考様式で、育て上げられたという形です。どうして、そういう必要があったかというとシャルリーエブド事件というのがありましたね。
あれ以来、この山の前田家で、二階の天井灯を午前零時まで、カーテンを開けたまま、点灯しておくと、言う微妙な嫌がらせ行為が始まったのでした。3.11直後に東電の名前で、我が家だけが、午前4時にサーチライトで、煌々と照らされるという事が始まり、音だけではなくて光を使った攻撃というのが始まったのです。それを継続させるために、CIAは、イスラム過激派とか、アラブの春とか、いろいろな、謀略事件を起こしました。パリで、現地で生活している人間を殺すだけではなくて、斎藤美香さん(父親は朝日新聞記者だったという。のちに都留文科大学教授になる)
後藤健司さん、そして、アフガニスタンで、井戸を掘っていた医師の、中村哲さんを殺しました。すべて前田家の、天井灯の脅かし効果を高めるためにぎせいになったひとたちです。前田家の天井灯の嫌がらせ行為は、西隣の白井達雄、一かに引き継がれ、やがて開き伸明案一家に引き継がれていき、いまだに、有効な手立てとしつかわれています。 30日の午前二時には、白井邸で、二階のペンダント灯が、ついていましたし、平木家など、2023年6月28日、29日、30日と、ずっと点灯しておりました。
上にあげた三人の殺された人物のうち、後藤健司さんだけは、殺されていないでしょう。というのは、どうしてかというと、彼を育てる準備期間中、緒方貞子さんまで、動員されて居ますので、簡単に殺しては、もったいない、からです。
という事は、イスラム過激派という存在が、実際にある、・・・・・・とそういう風に日本人を納豆させるべきだ。それに使おうと、しt、それは、小保方晴子さんのスタップ細胞疑惑の時に、わかりました。小保方さんの、父親が、三菱商事、韓国支店支店長だったという小さな記事を見ただけで、全て読めたのです。
小保方問題には、今は、触れません。一般の読者様に対しては、不親切だと思いますが、過去ブログを探して、リンク先を張り付けている暇がないからです。でもね、日本在住のCIAエージェントたちのうち、最高レベルの人間達、およびアメリカにいる、CIAスタッフのうち、最高レベルの人間たちには、私が今書いていることの水面下の部分(氷山の、90%の部分)は、即座に理解できるでしょうから、それで、いいのです。
さて、仙台の後藤家と親しい、人物が、後藤家の内部をあれこれ、CIA-じぇんとたちに告げて、そこで、健司君がリクルートをされたのでした。彼の特徴とは、顔がいい事(いわゆるイケメンだったこと)、言葉巧みだという事、そして、性的なテクニックにたけていることでしょう。その種の調査は、CIA-じぇんとたちは、リクルートをする前に行うはずです。私の方が、それが、わかるのは、のちに、・・・・・彼は、女衒まがいの男だ・・・・・と、週刊誌に垂れ込んだ人が、大勢いたらしいので、そこから、類推する、人物像です。
主に、渋谷の繁華街(クラブ、バー、小料理屋など)に、男を接待する女性を紹介していったという、時代もあった模様で、それを週刊誌に教える、人物もいたという事です。
しかし、CIAの連中は、準備に時間をかける、人間達ですから、事件の、10年は前に、健司さんにその種の仕事を辞めさせ、それ以来、相当なランクアップを図っていったのでした。戦場カメラマン。または、戦場取材記者という、肩書を与え、ありとあらゆる便宜を図っていったのです。
ネットで、いくら探しても、後藤健司さんの、卒業大学は出てきていません。で、私は卒業していないのではないか?と、思っていました。が、CIAエージェントは、平気でうそをつくので、
彼にうその卒業証書を与えていた可能性は、あります。例えば、明治大学とか、早稲田大学とか、ICUとか、上智大学とか、日大とかは、CIAエージェントに協力する可能性があります。学芸大学は国立大学ですが、協力、おく能わずです。ただ、学芸大学卒だと、東大卒の奥様の、尊敬を得られないので(というのは、国立大学同士で、親戚みたいなものだが、本家の長男が、東大なら、学芸大学は、分家の三男ぐらいな、立ち位置となるので)、私立大学にした可能性が高いです。で、後藤健司さんには、それを外には、絶対に出さない様にしなさい。取材陣から聞かれたら「戦場取材記者に必要なものは、勇気と冷静な、観察能力であり、大学入学時の偏差値が、高いかどうかは、まったく関係がありません」と、言いなさいと、教えていたと思います。
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副題2、『後藤健司さんの結婚は、一種のお見合いでもあるが、カトリック田園調布教会の会員に、健司さんが、なって居たことも、大いなる信用を生んだ。NHKニュース画面に、カトリック雪ノ下教会前の階段を下りてくる上流階級マダムへの取材ニュースがあり、マダムたちが、口々に「後藤健司さんは、ここのかいいんだったのに、お気の毒なことでした」というので、そういう事でしたか?と、私にわかったのだが、
川名昭宣夫妻と、緒方貞子夫妻は、すでに、以前から長らく、ここの会員であり、後藤健司さんを推薦して、彼の元女衒だった様な過去を、洗浄化してあげたのだった』
カトリックにおいては、長崎の大浦天主堂、文京区関口台の、東京カテドラル、鎌倉雪ノ下の、雪ノ下教会などが、とても有名です。しかし、テレビうつりが、もっともよいのは、一般人が、ほとんどその存在を知らない、田園調布教会かもしれないのです。ほら今の言葉で、言えばインスタ映えがする教会といえば、田園調布教会でしょう。
東横線に今【多摩川】という駅があります。この駅の西側にふんの場所に、田園調布教会はあります。ところで、この駅ですが、長らく、【たまがわ園前】と、言う駅名でした。まさかと思うが、以前、後藤健司さんについて書いたときに、ここの旧・駅名を取りあげたので、改名させたのかもしれません。
ともかく、庶民が憧れる様なソサイエティに入るためには、たいていの場合、推薦人が要るのです。川名昭宣君というのは、1995年ごろから特殊な権利を行使するので、私は、ひそかに、CIAエ-じぇんとの一人ではないかと考えている次第です。今まで、それを書かなかったのは二人の間に、仮称、【はっぱ】ちゃんという女性がいたからです。この人があたまが良いので、交流を失いたくないので、
川名昭宣君について、書かなかったのです。1962年ICU入学者にとっては、【はっぱちゃん】という暗号だけで、誰であるかが、わかるだろうし、それ以外の人にはわからないだろうと、言う想像のもとに、つけている仮名です。
今の私は、はっぱちゃんが、縁を切って来ても構わないという覚悟のもとに、これを書いています。葉っぱちゃんは、1960年代に、ヨーロッパ留学を果たしています。彼女は、親戚に、明治の元勲がいると、推察しているので、不思議ではないです。しかし、川名昭宣君もヨーロッパ留学を果たしています。もし彼が、ICU入学前に、東大、早稲田、慶応へいったんにゅうがくしたものの、そちらを蹴って、こっちへ入学してきたのだったら、あり得るかもしれないが、普通だと、ICUの場合、アメリカには、多数の留学者を出していますが、ヨーロッパへは少ないのです。だから、とても、不思議です。
なお、この続きは、将来描きます。睡魔に襲われたので、本日は、これで、おさらばさせてくださいませ。