で、2000年ごろからは、数年間ワシントンホテル秋葉原を愛用していたのに、貸しパソコンを頼んだら、持ってきた人物が、その数年前に、渋谷・宮益坂郵便局(本局)二階で、掃除夫の姿で、表れた、刑事と、全く同じ人物だったので、びっくりして、それ以来ワシントンホテル秋葉原は、使っていません。
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*3)、渋谷の郵便局の方は、2017年9月28日の早朝に、ものすごい罠が、張られて、その罠の担い手として現れた刑事でした。前夜から泊りがけで、本の発送の仕事をしていました。午前五時から六時の間に高齢で、背が低い、如何にも掃除不然とした、本当の、掃除担当の男性が現れて、掃除は、すでに済んでいるのに、二度目としてさっきより体格の立派な男が現れたのです。その五分前ごろから、急にあたりに、大音響が鳴り響き、目玉の大きな背の高い男が掃除夫の制服姿であらわれたのです。そして、私が、四冊目の自著の発送を行っているテーブルの周辺を、数回まわりじっと私の顔を見つめました。
もし、私が、そのぎょろめの男に、「あの大音響は何なのでしょうか?」と、質問をすれば、「え、音なんか聞こえませんよ。あんたは、普通の人には聞こえない音が聞こえるのだから、幻聴があるね。だから、分裂症に違いない。おーい、おーい。みんな、出てこい。ここに分裂症の人間がいるから、入院させよう。入院させないとだめだ」と、どなって、壁の後ろに隠れていた数人の仲間を呼び出して、かれらと一緒に、私を、拘束して、猿轡をはめるか、特殊な薬で、失神をさせて、そして、精神病院へ入れようと・・・・・そういう、策謀を実行するために表れたのでした。
あれはね。我が家が立っている場所が、165段も上がる山の上なので、800冊と言えども出版した本を持って上がるのが無理なので、
出版社から、宮益坂の渋谷本局まで、車で、持ってきてもらいエスカレーターで、二階まで上げて、一晩かけて、処々に発送しようとしていた最中です。そして、鎌倉には、メモとして、「かくかく、しかじかのことをするので、帰りは非常に遅くなります。もしかしたら、泊りがけになりますよ」と、書いて置いておきました。しかし、主人がそれを正しく理解できたかどうかが不安でした。でね。私はね。常に主人を愛しているのですよ。ご近所様は、全く正反対だと、思っているみたいですが、絶対に、こちらの方が正しいのです。で、心配させてはならないと思って、電話をかけたのです。
でもね、本の発送をしていると、言うと、必ず弾圧を受けると、わかっていたので、「急に友達の家に泊まることになった」と、言ったのです。すると「ダメだ。帰ってこい」と電話内で怒鳴るのです。『なんて勘が悪いのかしら?』とこっちが怒りたくなるのですが、仕方がないので、本当のことを告げます。私はスマホを持ち歩かない主義ですから、当時郵便局の前にあった公衆電話から鎌倉へかけています。でね。公衆電話だから、大丈夫かしら?と思ったがさにあらずで、さっそく、敵さんの攻撃が始まりました。トイレを使わせないという形です。それが、夜9時50分からの話で、自宅へ電話して、本の発送をしていると言っただけで、郵便局側が意地悪をしてきたのです。二階にゆうゆう窓口があります。その右側が、自由に出入りできる形になっていて、その奥にトイレがあるのでした。しかし、自由に出入りできるはずのところが、ドアに鍵がかけられてはいることが出来ず、かつ、蛇腹のカーテン越しに、郵便局の人を呼び出そうとしたが、全く反応がありませんでした。主人と電話を交わした以降は、そこの蛇腹カーテンが開くことはありませんでした。
この時に出版した本は、【伝説のプレス】で、銀座の画廊巡りの話です。まったく政治性は無くて、危険なところは一切ないのです。だからね。ただ、ただ、私の頭が良いと言う事をCIAが1965年から知っていたと言う事が問題なのです。私が、結局は日本のオピニオンリーダーに成って行く・・・・それを、恐れて、すべてを、やらせない。そういう形で、つぶしていこうと、言う策略だったでしょう。
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*4)、ところで、出版の日付は、2007年8月20日に置いていると思います。ちょっと今手元にないので、うろ覚えですが。すると、2009年8月10日付で、山本冬彦さんが【週末は、ギャラリーめぐり】という本をちくま新書として出したのです。山本冬彦さんは、多数の作品を買い上げているから、銀座では有名な人です。奥野ビルに、氏のオフィスもあるし。尚、この本は、奥野ビルの画廊==ただし、その日初めて訪問をした画廊のオーナー(男性)からもらったのです。五階だったかなあ? 山本冬彦さんの本に気が付いて居ない、私に気が付かせるために、そういう企みごとが案出されたのだと思います。
同じ様なテーマと分野ですが、違いが明瞭にあります。私は、良い作品に出会うと、心が弾み、揺り動かされます。非常に心情的な文章です。山本さんのは、そういう部分は無いです。銀座の画廊のことをよく知らない、一般サラリーマン相手の、案内書です。ビジネスライクです。山本冬彦さんは、画家(美術系作家)ではないのに、美術家連盟の理事になっています。はい、はい、さようですか?と、言わざるを得ない。
しかし、この時点だと、まだ、笠松敦子さんのご主人が、筑摩書房にいたころですよね。実は、2011年の五月に笠松家に、新百合ヶ丘の公衆電話を使って電話をしています。その時にご主人が出たのです。そして、ものすごいレベルで、バカにされました。その裏に、この山本冬彦さんの新書があって、伊藤玄二郎らから、会食に誘われて(それこそ、芥川賞審査をする料亭、新喜楽でね)「川崎千恵子なんか、ウジ虫ですよ」と笑いあっていたのでしょう。
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*5)、この時、銀座の画廊のオーナー(特に現代アート系の画廊)あてには、一軒に、20冊は送っていた。今は自由が丘で、画廊を開いている芸大卒の黒田悠子さんが、銀座の一丁目で、21+葉という画廊を開いていたころで、スタッフのお人形みたいにかわいい女性が、いつもにらんで、来るので誰かが讒言を入れているとはわかったが、この機会を利用して誰が讒言を入れていたかを推察していきたい。
黒田さんが芸大卒だから、似た様な攻撃に使われた馬越陽子さんからの、話だったか? 内藤律子さんからの話だったか? それとも、国画会の、芸大卒の誰かからの話だったか? それとも、野見山暁次さんからの話だったか?
黒田さんは、私と同じく、感情を表に出さない。そのレベルは、栗田玲子さんより上ですね」というほどに、練れているのだけれど、この返却には驚いた。グサッと来た。で、つらくて、そのママにしておいた。ごく最近、クラフト紙をやぶって、やっと開けたのだが「あ、20冊、この本が手に入ってよかった。ラッキー」と、最高にポジティブに考えた。しかし、又それも盗まれているかな? この二年間にそれを画廊で、配った記憶がないし、美術関係者以外に、あげようとも思っていない本だが、今は、20冊ほどもないと、思う。この家には、2冊ぐらいしか無いと、思う。泥棒の被害は計り知れない。
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*6)、山口みつ子さんが他殺であると言う事は、この四冊目の本、伝説のプレスで証明できる。私は、2007年に、ギャラリー山口にも20冊、梱包して渋谷本局から送っている。それが、8月29日に京橋三丁目の画廊に届いたと仮定しよう。その三年と、四か月後の、2010年1月14日だった。山口みつ子さんが、「これだけは、配れなかったのよ」と、返してくれたのだった。白くて、小さいきれいな紙袋に、4X6判の本が、ちょうど四冊程度入る形で、きちんと収められていた。そんな大きさの紙袋を彼女が用意できたのは、文房具、特に封筒関係専門の会社の社長令嬢だと、聞いていたので、ああ、そうなのかと、思った。
三年も前の、本だ。それに膨大な荷物と作品を処理しないといけないのに、黒田悠子さんとの、あまりの違いに、感動したし、その時のみつ子さんの悲しげな顔が忘れられない。
ところで、私は別の日に、このブログ内で、その白い紙袋は、スタッフの白川さんから受け取ったと書いて居るだろうか? 今は、13年たっているし、その後、激しい刺激にも何度も出会っているので、どちらが正しかったかを忘れてしまった。だが、もし白川さんからだったら、悲し気な顔の、みつ子さんと、鉢合わせをしたのは、京橋の美々卯の裏辺りだったかもしれない。
みつ子さんは、コンビニの白いレジ袋を提げていた。そして、そのレジ袋は小さくて、サンドイッチが入っていると、私は感じた。みつ子さんは、レストランで、お昼を食べるのではなくて、コンビニのサンドイッチを持って帰るのを恥じている様に、何とも複雑な顔をした。レストランだと、1200円かかる。だが、サンドイッチだったら、四分の一のお金で買える。銀座の画廊のオーナーとしては、その差が恥ずかしいことだったのかもしれない。
今ほど、さばけていなかった私は、ただ、黙ってすれ違う以外の、態度をとることが出来なかった。つまり、「ああら、みつ子さん、今日はサンドイッチ、例の小さな公園で、一緒に食べましょうよ。私もそこのコンビニで何かを買ってくるから」と、言えばよかった。そうしたらあのみつ子さんの恥ずかし気で、かつ悲し気な顔を明るいものにしてあげられたのに。
でも、みつ子さんは、絶対に自殺ではない。それを証明するあれこれをどこかで書いて居るが、今は見つけている時間が無いので、先へ進みたい。私は、一月から三月の間に、理由は原因を説明しないまま、何度も自殺ではないと明言をしている。で、その私を否定するために、オリックスの若手投手が、飛び降り自殺をしたと、報道をされた。赤ちゃんが生まれたばかりだった。3月14日か19日だったと、最近、その日付は、当時の新聞が我が家に入れ込まれて知った。
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*7)、 笹井芳樹さんの死の真実、
笹井芳樹さんは、もう、真実を暴露したいと、奥様におっしゃったので、殺されたとみている。この事件には三輪喜久代さんという私のICU時代の同級生(特に1965年度の)が絡んでいる。彼女は、長年ロンドン在住で、CIAエージェントの役割を果たしている。1966年4月から春秋社勤務にはいったが、その時代から、伊藤玄二郎とは親しいはずだし。彼女はAFS経験者だから、英語がペラペラな上、日本化学会の会員でもある。したがって、彼女が押せば、NATUREは小保方論文が正しいと信じたはずだ。これは、右翼的とみなされていた私が、浮かれ騒ぐのを狙った引っ掛けだった。無論、引っかからなかったが、笹井芳樹さんは、気の毒なことになった。特に、小保方晴子さんは、高校時代から、いたこ(痛い女子)と呼ばれていて、関係を持つと、ひどい目に逢うと、言われていたそうだ。笹井芳樹さんは、その典型である。
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*8)、 妹の他殺を調べ確信するために、清新町を歩き回って、迷ってしまい、清新町江戸川べりの公園による入り込んでしまった。そして、なかなか出られなかった。その結果、その公園の立派なことに驚いた日のブログがある。それを否定するために小池都知事は清新町の方の公園の樹木を、400本切ると発表した。しかしそれだけだと妹を殺した連中の悪意が見え見えで、すぐさま私に真相を書かれてしまうので、代々木公園の樹木、1100本も切ると発表をした。
さてその次が妹だ。妹も他殺なのに、自殺だと、言われた。彼女の夫からだ。自殺より他殺の方がいいだろうに、彼は生涯初めて私にかけて来た電話内で、延々と、妹の自殺死体について話した。それ以前に、妹自身から、これも、生涯に初めて、奇妙な電話がかかって来た。両方ともに、長電話である。それが、録音をされて平木さん、及び富沢さん、及び、渡辺夫妻、及び、大原光孝さんに帰化されたら、彼、彼女たちは、当然に、私をバカにするだろう。私は、バカにされてもいい。だけど、それが、孫や、子供に悪影響を与えたら耐えるに忍びない。だから、私は戦う。戦うのはかえってマイナスですよと、言う人もいるだろう。忘却に任せなさい。しかし、平木伸明さんが、攻撃してくる限り、敵は、その電話を録音をして、悪利用をする可能性があるのだ。
姪は、私を裂ける様になった。セガサミーの一族と結婚をしたので、財界か競馬界からも、指図があるのかもしれない。妹の夫には、千葉大卒なので、共産党からの指図があると思う。他殺だと、知っていて、私にわざと三十分の電話をかけて来て自殺だと言った。それを録音されて、しかるべき時とところで、使われたら、私は目も当てられない。
妹の他殺を調べ、それを、確信するために、清新町へ二回行った。後で、当時描いた文章のリンク先を探すが、夜になって、方向感覚を失い、歩き回って、迷ってしまい、清新町江戸川べりの公園による入り込んでしまった。そして、なかなか出られなかった。その結果、その公園の立派なことに驚いた‥・・・・そう友一日のブログがある。それを否定するために小池都知事は清新町の方の公園の樹木を、400本切ると発表した。それは、私のブログを読んだ人が、フォローのために、清新町の14階建ての都営住宅(分譲型)を見に行ったり、公園に行ったりすることを恐れての事だった。神戸の連続殺人事件のデータを、地裁には生きさせたのも同じ心理だ。おびえの心理だ。どうい事かというと井上ひさしが、常にかかわっていて、私が酒鬼薔薇聖斗の、声明文は、井上ひさしが、書いたのであろうと、言っている。
ベテランの筆跡鑑定家が、他の、井上ひさしの手書き原稿と照らし合わせれば、すぐわかるはずだ。しかしそれだけだと妹を殺した連中の悪意が見え見えで、すぐさま私に真相を書かれてしまうので、代々木公園の樹木、1100本も切ると発表をした。今度の代々木公園の樹木伐採も同じなのだ。井上ひさしが、やまゆり園事件のアイデアを練った。で、その一周忌を迎えて、私が、再び、真実を語りだすのを恐れて、7月11日(=一周忌の2週前)に妹を殺した。
本当は私の方を、この三年間の間に殺すはずだったのだ。2020年の暮れには、武蔵小杉の関東労災病院内度トゥールで、ぬるい水に入ったコロナウィルスを飲まされてしまった。5cc~10ccの間だけど。
だけど常に助かっている。渋谷郵便局の大音量サイレンを利用して、幻聴があることにして、精神病院へ、収容するという罠にも引っかからなかったし、ありと、あらゆる殺人用企み化は、命が助かっている。だが、1965年に後ろから、首を絞められて以来、本当に何度も何度も殺されかかっている。だが、死なない。ほぼ不死鳥みたいなものだ。そして現場で、私は冷や汗をかくでもないし、心臓がドキドキするわけでもない。で、あまりにも泰然としていて、全く動じないので、敵がひるんでしまうのだと思う。常に無事である。
この平然さは、一度も座禅修行に行ったことはないのだけれど仏教を理解したことが大きい。中学生で、中勘助の提婆達多を読んだ。あの読書で、人間には乗り越えられない壁があるのだと、教えてもらった。提婆達多は、ただ、ただ、シッタルダと、戦うのだけれど、シッタルダは、何も反応しない。自分の心の内を語らない。
ただ、ただ、敵役にして悪訳中の悪やきうたる提婆達多を、通じて、中勘助は、仏教とは何なのか?を教えてくれた。そして、仏教の要諦はあきらめることにあると教えてくれたのだ。だから、殺人犯に狙われると、私は、結局諦めて、しまうのだ。その姿勢が、外から見ると、泰然自若のごとく、見えるのだろうと思う。
すみません。途中ですが、四時半になるので、寝ます。では、
@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
と、同じ人物だったので、びっくりして、それ以来ワシントンホテルは使っていません。
歯ブラシに戻ります。備え付けのものですが、毛の硬さが自分に合っているので、泊まるたびにもらって帰って来て三本ぐらいある筈ですが、普段は、二本だけ台所に置いて居ました。洗面所はあるのですが、その排水溝の、掃除が面倒くさいのです。で、主人だけが使っていて、私は台所で、歯磨きをしています。特に冬は洗面所は寒いので、こっちのほうが楽ですし。
歯磨き用のチューブは非常に高いものを使っています。植物の味と香りがして、それは、盗まれる可能性があるなあと、以前から、感じていました。ところが、それは、盗まれておらず、歯ブラシの方が盗まれています。それとお風呂の掃除用の、不格好なスリッパ。ともかく金目の物を取ると言うよりも、困らせてやれっという傾向。また、今回の泥棒ちゃんは、味の素のスープストックチューブも、盗んでいます。これって、何度目かの感じがする。相当貧乏らしくて、基本的なものしか買わないらしくて、あ、これ、うちにはないと思うと盗むらしいのです。それと、歯ブラシが盗まれていたのには、四日か、五日前から気が付いていました。包丁も同じ日だったでしょう。ただし、四本ぐらい包丁があるので、私は関孫六のペティナイフというのだけを、好きで、使っていたので、他の包丁が盗まれている事には全く気が付きませんでした。ペティナイフを使い始めたのは、3年ぐらい前からです。キャベツの外側をはがすとか、白菜を切るのは、無理だと思っていたのですが、使い方によってはペティナイフで、すべてできるのです。今の私は、食卓にまな板を持ってきて椅子に座って切っています。まな板は、五枚ぐらいあるがサイズの小さなものを使っています。81歳って、老人ホームに入っている人間もいる世の中です。だからこれでいいと思っています。応用力と開発力と、融通性は、抜群にある人です。だから、一人で、何の伝手もなくてもニューヨークへ行って安全に暮らし、仕事もすることが出来ます。
会社の先輩や、同僚などの多数の人からの援助を受ける駐在員マダムなどとは、まるで違う、高い能力を持って居るのですよ。あ、は、は、自慢しちゃった。
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*4)、伊東屋の鉛筆
これは、思い過ごしではないのですよ。県立(神奈川県の事)近代美術館本館(八幡宮境内に存在していた)が、いよいよ、閉鎖になると言うころ、美術館側は、銀座の伊東屋製の記念鉛筆を作ったのです。
伊東屋の鉛筆は、普通は赤、白、黒で、2B 丸型だったのです。しかし、最近は、丸型は、2B ではなくて、固くなり、しっぽに消しゴムのついてない、6角形のものが、2Bと改変されました。この改悪は、むろん、私の尾行が、伊東屋で、私が、毎回、何を買うかをチェックしていて、その上で、伊東屋に、「こういう風に、改良(実際には、改悪)をしなさい」と命令をしているのだと思います。築地警察署発ですが、間に誰かを入れているのかもしれません。
なぜ改悪かというと、伊東屋の丸形鉛筆には、お知りに消しゴムが付いているのですが、それが、良質なのです。ほかにも消しゴムが付いている鉛筆は多数あるのですが、みんな消しゴムが硬くて、用を足しません。というのも、この消しゴム付き鉛筆を使うのは、ほとんど、大人の、紙のパズルを好む人だからです。
神のパズルは、昔は、二コリ独占で、数独と、カツクロがありました。私はカツクロの方を好んでいます。カツクロは、素因数分解を利用しているので、その本の冒頭の説明文の、因数分解というところだけで、敬遠する人があると思いますが、面白いですよ。私は、40~70代まで、週刊誌を読むか、カツクロをするのが、電車内での、習慣でした。5秒に一回ぐらい消しゴムを使うので、伊東屋の柔らかい消しゴムは、最適でした。ほかの会社が固いゴムを使うのは生産から、売れる日までの、時間が判らないから劣化しないがためでしょう。その点、伊東屋は、生産調整ができるので、柔らかい消しゴムをお尻に引っ付けているのです。その丸鉛筆が2Bから、もっと硬くなってしまい、柔らかい鉛筆は、消しゴムが付いていない形になっています。世のパズル愛好家には不便を強いているのです。それでかなあ。伊東屋って、前と比べると展示商品が少なくなっていると思いますよ。大丈夫かな? 入り口もわかりにくくなっています。私みたいに昔から通って居る人間には大丈夫ですが海外からの人はわからないで、帰っちゃうのではないですか? 大丈夫?
山野楽器店も同じです。入口が全く変わってしまっているので、大丈夫かしら?と思います。
私をいじめる為のCIAエージェントからの命令を聞いてしまうと、その企業は必ず、衰退へ向かいます。大丈夫?
さて、神奈川県立美術館が、本館を八幡宮に返還する際に、記念品を作ったのです。それは、何種類かあったのですが、伊東屋の鉛筆もあったのです。印字は、何もしていないのですが、胴体のカラーが、パステルカラーで、塗ってあったのです。銀座の店頭で、売っているものとは、まるで違うのですが、消しゴムの色や、丸みで、すぐ伊東屋製だと、わかるものです。
私は13本買ったのです。買ってすぐ、5本ぐらいに減っちゃって、これは、おかしいと思いました。その上、今は、二コリのパズル本にも触っていません。忙しくなりすぎたからです。で、鉛筆が減る可能性がないのに、一本か、二本しか残っていません。十三本買ったのに平気で、盗んでいく人間がいるのです。合い鍵を持って居てね。
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副題5、『三菱銀行やら、郵便局の、ラベル付きボールペンが入っていることもある』
あのね、今、銀行はお客が、何か、紙に記載をしないといけないという際に、長い柄の、昔のペン風なボールペンを使っています。だけど、私の事務用入れ、小引き出しに、普通の形容の、ずんぐりむっくり型ボールペン(先っぽから黒、赤、青の三色が出てくるような太い胴体のもの)が、「三菱銀行」または、「鎌倉郵便局」のラベル付きで、入っていたことがあります。これは、記念鉛筆を盗んだ人間と同じかもしれません。その男は、この引き出しをほかの件でも、しょっちゅういじりますので。
または、四種類いる泥棒の内、警察官、その物かもしれません。というのも、警察は、井上ひさしのアイデアに基づいて動きます。もちろん、公的には、2010年4月9日に、死んでいる筈になっているので、伊藤玄二郎を経由して、鎌倉警察署は、言う事を聞くわけですが、彼だと、その日以前でも、街歩きはしないでしょうし、銀行にもほとんど入ったことがないでしょう。だから、机上の空中楼閣(想像の世界)で、紡ぎだした、アイデアを、使用させます。彼にとって、大三菱UFJ銀行が、盗難を恐れて、いちいち、ラベルを張るなんてしみったれたことはしないのだと、言う発想がありません。だから、コンビニで、買ってきた様な、ずんぐりもっくりの実際には、使っていないボールペンに、レベルを張って嫌がらせ行為をしてきます。
しかし、ここで、上からの命令ではなくて、しょっちゅう泥棒に入っている、その、カラー鉛筆を盗んだ男が自分一人で、発案をしたと仮定をしましょう。彼は、最近、銀行に入って、紙に何かを記入する様なことはやったことがないと、推察しています。今、彼が住んでいる居宅は、奥様の名義です。家出してしまっている奥様の名義です。つまり、彼は、銀行の窓口で、数千万円単位の引き出しをするために、紙に、金額を書いて窓口に提出したという経験はないのです。では、数百万円単位の、定期預金の、書き換えをしているでしょうか? 私が引っ越してきたころ、今では家にいない奥さ様とも仲良しだったので、いろいろ、短い会話をしていますが、「うちの主人は、神経が繊細なので、会社勤めはだめなのです」と言っていました。すると一生会社員ではなかったわけです。madame of pig headさんは同じく、夫婦そろって、会社勤めはしたことがなさそうです。しかし、郵便屋さんが秋の一日に厚さ4cmの株主配当金を持って居たので、その配布先が、madame pig shaped head 宅だと、想像をすると、十分に富裕だから、明太子とか、コンソメスープの素を冷蔵庫から、ちょいと盗むという必要はなさそうです。
すると、例のパステルカラーの、美術館本館・閉鎖・記念・伊東屋・謹製・鉛筆を何本も盗んだ例の男が、このラベル付き鉛筆も自宅にあったものを利用して作ったのだと、言う事となります。まあ、彼の家に、プリンターがあるかどうかはわかりません。奥様が使っていたのがある筈です。が、わかりません。
で、プリンターがないとなると、こういうボールペンを偽装して、ラベルを制作することは無理になります。しかし、フランス語を教えている奥様が、プリンターを持って居ない筈はないです。家出するのに重い重いプリンターを持って出ますか? ただし、孫男性がプリンターの使用方法を知らなかったと仮定しましょう。ソルト、彼が、入れ込んだのではないと、なります。
では、警察そのものが入れ込みましたか? まあ、警察も泥棒に入っています。それは、日経新聞のコラム(警察の内部を連載していた)を、読んだときにわかりました。縮刷版を探せばわかります。
しかし、どうも、このカラー鉛筆の男がやったのではないかと、言う考えを捨てられないのです。それはですね。彼が、私の依頼(花輪夫人のご紹介により、1500円の請負仕事として、食器戸棚(外へ置いていたので誇りまみれに泣ていて、鎌倉市の粗大ゴミに出すのも気が引けたほどに、古いものを壊してくれたのです。主人が、心筋梗塞を患っていて、この山には住めないだろうと、判断をしたころのことです。
私はなたをふるってもらう場所として土の地面より、コンクリート打ちをしてある場所の方が、やりやすいだろうと、そういいう場所に案内しました。:::::::ここで、挿入ですが、主人は驚くほど見事に回復をして、平気で、石段165段を上下できる様になったので、引っ越しは、無しになったのですが::::::::
その時、その男は青い瞳をきらりとさせて、クーラーの室外機を見つめたのです。
この青い瞳をきらりとさせて・・・・・とは、赤毛のアンによく出ている表現で、蒼色のひとみだったかもしれません。ともかく、内心で考えて居ることで、言葉には出てこないが相手(この場合は私)に意味が分かる、目線のことを指します。その男が、室外機へ目線を走らせたことは、α年後に、意味を、成してきます。
室外機の上に、きちんと重ねて置いてあった、大量の植木鉢に目線を走らせたのです。
私は彼が植木鉢に注目したと言う事はわかりましたが、何を狙っているかはわかりませんでした。
ところが、彼は植木鉢を大量に盗んだのです。それは、自宅で使うためではなくて、私を貶める為でした。だらしがない人だと、言う規定をおっかぶせる為だったのです。
つまり、大量の植木鉢を盗んで、捨ててはいけない日にわざと出したのでした。私は植木鉢を使わない日には、重ねておきます。彼は、大量の植木鉢をわざと、重ならない様に イコール わざとかさばる様に、袋詰めして、出してはいけない日に、大(40リットル入り)一袋、中(20リットル入り)二袋、小(10リットル入り)一袋に入れて出したのです。