すみません。今、一時間以上かけて、渋谷教会を探していたのです。私はね。そこで、一時間近く瞑想をさせてもらったことがあるのです。ウィークディの、夜7時ごろで、「えっ、渋谷という大繁華街に、こんな大きな教会があるの?」と、驚いた記憶があるのです。が、今、どうしてもそれが、見当たりません。入口が、大きな石造りの階段(30段ぐらい)だった記憶があるのですが、教会さえも、土地の高騰で、引っ越すのかしら?
1970年代に、ICU教会と同じぐらい広い聖堂を持つ、大きな教会でした。そこの、牧師をしている人のお嬢様が、これまた、きれいなこと、きれいな事、1958年に、半年ぐらい、別の教室ですが、私と同時期にお茶大付属高校の一年生をしていたと記憶をしているのですが、
前報で、私が述べた様なポイントを嫌って、都立高校へ、転出してしまったのです。日比谷か、戸山か、新宿高校だっただろうか? 其の後東大へ進学したのだけれど、自殺してしまったの』と、2024年10月26日の同窓会で、誰かから、聞きました。
私はね。傍にいる人で、自殺をしてしまった人に、後で、はなしをききたかったと、思うケースが、三人ほど、居るのです。
高校時代の友人が二人。ただ、この二人は、そばにいたわけではないのですが、心がわかる気がする。(二人ともに女性)
もう一人、大学時代の、知人(これは、階段教室で、試験を受けていた時に、15mぐらい後ろから、じっと私を見ていたので、「あなた、私はね。あなたが、この大学ではなくて、東大へ行けばよかったと考えているのはわかるわ。でも、今は、この試験に集中をしなさい」と、目顔で、命令したのです。その直後自殺をしてしまったのです。でも、私はにっこりとしながら、叱ったのですよ。
もしかすると、彼は、私の事を好きだったのかしら? こんなことを言うと、いろいろな方から、叱られそうですが、林君が私を見ていた顔って、主人が、四谷の橋の上で、20mぐらい向こうから、じっと私を見つめていて、その視線の強さにふと、気が付いて振り返って、主人の顔を見たその瞬間と、林君は同じ顔をしていたのです。林君の方は、1964年の話ですが、主人の方は、1962年の話です。ICU入学前の事でした。だから、ICUでは、何の恋愛事件も起こしていません。ただ、1997年に有名な手相観の日笠さんに、あなたは、芸術家でよかった。これが普通の主婦だったら、事件を起こす人になっていますよと、言われたほど、私は、所謂、お色気がある人間なのですって。両手に、金星帯という恋愛や、男女交際を、つかさどるラインが、4本もあるそうです。だから、もし、林君が、私を好きだったら、あの15m離れたところから、送った「早く目覚めなさい。今は、この試験に集中!、ほら、しっかりして」にショックを受けたのかしら?
彼は、江戸時代の幕府の学問の、首長、、、林・大学の守・・の子孫だったでしょう。それは、本郷弓町教会でのお葬式でわかりました。牧師さんが、「普通は自殺をした人は、教会ではお葬式をしません。でも、彼は、本当に純粋な少年だったので、教会で、お送りしましょう」と、おっしゃったのです。出席者は、20人強で、ほとんどが、40代以上でした。すべて、美形で、細身の、上品な人たちで、東大を卒業したであろう人たちでした。着ているスーツ(=背広)の上等な事、お母さんも、細身の体にぴったりと合った、上等なウールのスーツ姿でした。生協のカタログに出て居る様な流行を追った、黒の、ポリエステルの(当時は、他の種類の化繊だったかな?)ワンピース姿ではない。
私以外で、20代の人は一人もいませんでした。彼は、当時東大合格者御三家と、言われていた、武蔵の出身です。男子校なので、20代の男の子が、2,3人連れ立ってきていても、おかしくないのに、誰も、いませんでした。お母さまが知らせなかった? 武蔵出身で、東大へ行っていないのは、負け組だから、武蔵時代の、お友達がお葬式に来なかった? そうすると武蔵って、利益優先の子供を作るのですね。無駄な時間を過ごさないという冷たい、心理。
私は、この人の事をメルマガで書いていますが、お母様と、母一人、子一人の生活だったのもいけなかったのだろうと、語っています。お母さまは、きれいなきれいな女性ですが、もちろん、仕事を持っていました。戦争未亡人だから、独り身だったら良いのですが、もしかして、戦後の、風潮にのっとって、離婚をなさったのだったら、林君にはマイナスでしたね。
あほみたいに見える夫。怠け者に見える夫。靴下などが臭くて洗濯をするとき、嫌悪感を感じる男が夫。でもね、そういう雑多なものが、林家に在ったら、林君は、あれほど、純粋で、誰も友達がいないという人生ではなかったと思います。
私たちは誰でも、子供のお成績が良くて、美形であることを望みます。だけど、分布曲線の、プラスの方向へ、あまりにも進み過ぎても、だめなのですね。
私が東大卒、電通入社というエリート、高橋まつりさんが、上司のパワハラで、自殺をした時に、すぐ、お母さんが、離婚をしている筈で、それが、まつりさんの、心の余裕のなさを生んでいると書いたのも、林君のケースを考え抜いていたからです。
林君のお母さまは、すでに、100歳を超えていらっしゃって、亡くなっていると思います。再婚でもなさっていたら、まだ、救いがあるが、あの後、ずっと一人で、過ごされたと、考えると痛ましいです。
以下は、google で、検索した、林家の始祖についての、書物です。
2025-2-26 これを書く、雨宮舜(本名 川崎千恵子)