この一文は、長い時間総タイトルを【今、シリア人はトルコ人と比べて、見捨てられていると嘆いているが、それこそ、国が弱体だからですよ。保坂航子に聞きたい。その意味が分かる?と】としておりました。それも、その通りですが、そこに行くまでの前段階で、非常に重要なことを書きました。ので、そちらに適合した総タイトルへ、変更します。17日、15:00時の事です。
副題1、『実は前報
を、5日間ぐらい晒し続けたいと、思っていた。が、ほさか航子の裏には、秋山祐徳太子が居る。それと、似た動きをする、人間として、がーしー議員というのがいるらしくて、その議員が、所属しているのが、NHK党だ。前から、NHK党と、がーしー議員については、書かないといけないとは、思っていたが、
トルコ大地震が起きて
シリア避難民が、『私たちは、見捨てられていると、言っているのを、NHKてれびで、見て、以前から、考えていた、国家のまとまりの大切さ、国家、その者が世界の中で、リスペクトをされていないと、こく民が、困るという典型が、展開していると、考える私である。
保坂航子という創作者は、秋山祐徳太子に洗脳され切って、恐るべき罵りの言葉を、メールで、わたくしに送り付けてきた女性だが、それを、画廊で、教えてくれた、山口みつ子さんは、画廊内に盗聴が仕掛けられていたせいで、
秋山祐徳太子を守る為に、殺されてしまった。
しかも、後刻、・・・・・金銭的に、追い詰められていたので、自殺した・・・・・などと、かわしま女史が、よみうりしんぶん記者とか、京橋きん辺の画廊街で、噂を流している。かわしま女史は、かんこくの、みんげい品のコレクションを画廊の、小部屋に飾っていたので、在日の出自があると、思われ、韓国とは、日本を、だんあつするた目に、使われている国家だから、川島女史の言う事は、政治的な嘘だと、考えた方がよい。
少女が椅子に座っている形の従軍慰安婦像とは、何度、使われた事であろうか? 私が何か新しい真実を書き表すたびに、あれが、大問題として、使われてきた。
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副題2、『関連企業≒下請けを、いれれば、社員、400人程度、派遣社員を入れれば、500人規模の文具製造会社のおじょう様だった、みつ子さんが、金銭の問題で、自殺をするはずもない。
おや、または、兄弟に、相談すれば、弁護士をしょうかいして もらえる筈で、もし、借金があったとしても、自己破産でも何でもできるだろう。いや、そこまでしなくても、遺産相続の前渡しとして、5000万円程度を、あの時点=2010年一月に贈与してもらえれば、清算できる可能性が高い。無論、税金対策は必要だから、あれこれ、弁護士やら、公認会計士が、動く必要はあったと、思うけれど、ともかく、京橋や、銀座で、流布されている噂は、大ウソである。
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副題3、『私が、山口みつ子さんの死の真相を、書いたのは、2017年の三月から、五月の間だった。後で、リンク先を見つけたいが、見つけるのが恐ろしい程、それを書くのが大変な話だった。きっかけは、ギャルリーユマニテが、誰の教唆かはわからないが、引っ越しを教えてくれなかったことにある。特にスタッフの金成悠子さんの意地悪だろうと、すいさつしていたのだったが、・・・・・まあ、いろいろやられていたのだが‥・・・この引っ越しの件は、オーナー十束さんも絡んで、教えないでいたと、判った途端に、、怒りが爆発して、
それ以前に、すでに、二回もユマニテで、個展をしていた、保坂航子を主役にして・・・・・山口、みつ子殺しの真実を、書いたのだった。光子さんは、わたくしに、保坂航子と、秋山祐徳太子の結びつきを教えたからこそ、殺されたのだから、本当に、本当に書くのが苦しかった。
しかし、2010年の、1月から2月にかけて、真実の理由は伏せたが、自殺ではないと、言明している。私の文章の方が、真実なので、三月に入って、オリックスキャンプにいた、若手投手が選ばれて、自殺したことになってしまった。その後、鎌倉エージェントと呼ぶ、私が、呼ぶ、東京在住を含む、また、桜田門に勤務するきゅう両生活者を含む、CIAエージェントの面々は、小保方晴子問題で、きょうりょくせざるをえなかった、笹井芳樹さんを殺して、自殺だと、報道をした。また、やまゆり園事件の真実を書いて居る私を、究極に脅かすために、妹を殺して、かつ、自殺と、妹の連れ合いから、人生で初めて、長電話で知らされた。それが、盗聴をされていて、録音をされていて、ご近所が、私をバカにする原因の一つとなっているだろう。
または、孫の将来に、災いをするツールとして使われるかもしれないのだ。 しかも、唯一の防衛手段である、文章を書くことは、SNSで、誹謗中傷をすると、逮捕されると、言う法律が、2022年6月に、国会を通ったそうで、私は、書き方において、大きく制限を受ける様になった。
今、私はどろぼうひがいになやまされつづけている。だが、警察から、合いかぎをもらって、泥棒に入っているご近所二軒について、書くことが出来なくなった。したがって、思いのままに嫌がらせを受けている。今週もすごい嫌がらせを発見した。
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副題4、『SMBC銀行というネームプレートが貼ってある、ボールペンが、文具入れよう引き出しに、最近、入っていた。これは、植木鉢の怪と、言う現象と、そっくりな嫌がらせだった。つまり、私がだらしがないと、言う証拠を突き付けて、夫婦げんかをさせる目的がある』
SMBC銀行の通帳が盗まれていて、一か月以上放っておいたのだけれど、今の銀行カードには、クレジット機能が大体ついているので、買い物をすると、言う形で、おかねをつかわれると困ると思い、停止だけをしておいた。2022年の年末のうちにだった。郵便局の通帳も同時に盗まれていた。ところで、郵便局は、他の件で、警察の言うとおりだと、ブログで書いて居るので、今回は、しえきをされなったのだが、SMBC銀行の方が、今回は使われた。
盗んだのは、誰かはわからない。四種類の泥棒が居るので。だが、SMBC銀行から、「停止のまま、放っておかないで、ください」というはがきが来た。こんなちいさな、事で、わざわざ銀行から、はがきが来る。それだけで、も、盗んだのは、桜田門が飼っている、CIAの手下としての、特殊部隊ですなと、判って来る。ま、ご近所様かもしれないが、私が、最近、SMBC銀行へ行ったことは、普通なら、ご近所様は知る由もない。もし、この悪さが、ご近所様だとしたら、命令を受けて、銀行から、盗んだものを入れ込んだと、思われる。または、警察から渡されたものを入れ込んだと、思われる。
私は、2007年ごろから、あまりにも多数回、盗まれることが多くて、(鎌倉市内だけで、金融機関のカードが、9枚あり、ほんとうに、しょっちゅう再発行再発行を、お願いしているので、みっともなくてしょうがなくて、わざと、新通帳を求めていなかった。で、盗んだ方としては、悩ませるのが目的だから、私が、健忘症で、すっかり忘れていて、悩んでいないと、思ったらしくて・・・・それでは、おどかしにならないので、・・・・・注意喚起のために、SMBC銀行から、わざわざ、はがきで「来てください」と、呼び出しがかかったのだった。
で、数日たって、行ってみると、いじめるのが目的だから、ロビーにほかの客がいないのに、対応をしてもらえない。で、もし、「どうして待たせるのですか?」とでも、問い合わせたら、東急のめちゃくちゃに、無礼な女性社員、栗原嬢を、注意したことが過剰なクレーマーであり、鶴岡八幡宮が出す、異様な大音量=流鏑馬の日の朝九時からの「マイクの試験中です」などと言う音や、ご近所のひどい行動(高価で、かつ、鎌倉ではア、買えない、お化粧品を、ちびり、ちびりと、盗まれていく)について書いて居ることなど、が、すべて、クレーマーだからであり、彼女の方が異常なのですと、言う形で、収斂させるために、あっち、こっちで、異様に待たされるのには、すでに、気が付いているので、SMBC銀行でも、ひたすら、にこやかにしていて、黙って待っていた。さて、シャッターが下りてから、15分以上たってから、処理が行われ始めたのだが、その時、ブース内に、差し込んであった、ほーるぺんは、ほそみの黒くて、長いもので、我が家の文具用引き出しで、今週発見した緑色の、短くて、太いものでは、無い。むろん、SMBCという張り紙も張っていないものだ。
しかし、それが、今週、引き出しに入っていた。しかも、みずほ銀行、と、井上蒲鉾店のボールペンも入っていた。井上蒲鉾では、6750円の物を、9日に注文をしていて、10日に発送をしてもらっている。だが、送り状は、井上さんの方で、書いてもらっている。ボールペンを私は使っていない。
みずほ銀行は、泥棒除けの物を出し入れするために、金庫室には週に二回は出入りする。しかし、何らかの手続きをするわけではないので、ボールペンは無論使わない。かつ、金庫室のものは、SMBCのそれと同じく、細くて、黒くて、長いものだ。しかし、引き出しに入っていたのは、コンビ二で、買える様なずんぐりして、太いものだった。なるほどと、思う。常に、スパコンを利用するし、どんな、独立した、パソコンもインターネットに繋がれている現在、井上蒲鉾で、使った、クレジットカード、みずほ銀行で、使った、金庫室出入り用のカード、SMBC銀行で、女性スタッフが、自分のデスク上のキーボードで、入力した、私の名前、それら、すべてを、桜田門、もしくは、鎌倉警察署が把握をして、三つのボールペンを、わざと、作りだし(張り紙を、貼るくらいお手の物だ)、ご近所様に命令して、主人が山の下に降りて、ごみを捨てている機会(五分以上帰ってこない)などで、私が寝ている間に、入れ込んだのかもしれない。
なお、私は、こういう、悪行には、ずいぶん前から、気が付いて居た。ゆうちょ銀行のボールペンが入れ込められていたことがあった、それ以来、十分に気を付けている。今回は、三本も一緒に入れ込められていたので、例のごとく、安野智紗夫人を、自分たちの守り神として支援をしている警察って、本当に単純で、頭が悪いなあと、思うのだ。特に、9日に井上蒲鉾で、注文をしたが、書いて居ないのに、9日には、ボールペンが入っていたからだ。わらっちゃうように頭が悪い。ただし、こういう文章を書かないといけないと、言う労働と、通帳やカードは再発行に最近、1100円かかるのでこの泥棒で、4400円の余計な出費がかかった。
こういうことは、全部弁償してもらわないと、困る。例えば、晶文社で、私の公刊本が出ると、言う様な形で、弁償してもらわないと、いけない。
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副題5、『なぜ、晶文社という固有名詞を出したかというと、この出版社から秋山祐徳太子が、【ブリキ男】という自伝を出しているからだ。このいきさつについても、数万字、書くことが出来る。そして、その裏に、私の小学生時代のお友達、K子ちゃんをある意味で、CIAが、殺して行った、いきさつがある。彼女のパソコンのデスクトップ画面のフォルダーなどを、勝手に、かれらが、いじった形跡があるからだ。それは、2001~2002年のころの話で、そのころ、私は、自分の方のパソコンのデスクトップ画面に、フォルダーをいくつも作って、その一つに、晶文社と、言う名前を付けており、そこ向けのエッセーをそこに集めていた。
で、このことは、言いたくなかった。というのもさもしいと、思われそうで、言いたくなかった。ただし、もう一つ別のフォルダーPHPが、榊原節子さんの、【凛として生きる】出版で、使われたし、晶文社は、秋山祐徳太子の【ブリキ男】出版で、使われたので、
私が、パソコンを使い始めて以来、私のパソコンがハッキングを受けていると、言う証拠にはなると思う。
秋山祐徳太子という人物は、ギャラリーアーチストスペースを、自分の画廊のように使っていて、そのスタッフを、自分の家来のごとく、手なづけていた。である日、彼が【ブリキ男】を買うようにと、私に勧めると、スタッフの内、背の高い方が、目顔で、「秋山さん、それを雨宮舜(=川崎千恵子)に勧めてはだめですよ」と、言った。
ここの画廊のスタッフで、もっと、気持ちの良い人間が同じことをすると、「〇〇さん、私は、背中に目が付いているのよ」とたしなめたりするのだが、この背の高いスタッフからは、嫌な扱いだけを受け続けているので、一ミリ幅ほども、心が動かされることが無いのだ。私の方は、彼を、人間とは思っていない。で、後ろに向けては、何も注意せず、ただ、「ああ、買いますわ」と祐徳太子に言って帰った。ただ、見本品が置いてあって、晶文社刊だとは、判っていたので、秋山祐徳太子が、誰かから、『この本は、川崎千恵子にダメージを与えるのが確実だから、彼女にあなたから勧めてくださいね』と頼まれてるのは感じた。
私はギャラリーアーチストスペース内で、その様な思惑が交錯するのを肌で、感じ取りながら、画廊の室内を、一周して、帰ってきてから、入り口にいる祐徳太子に向かって「秋山さん、山口みつ子さんが亡くなってから、何年になるかしら?」と言った。
これは、私にとっては珍しいセリフだった。だが、そういう事をぶちかましたのは、ブリキ男を晶文社が出した裏側を、感じ取っていたわけだし、それを、いじめ用に使おうとする秋山祐徳太子のあくどさも、十分に感じ取っていたからだった。
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副題6、『ある人が、秋山祐徳太子が、えびすに住んでいると、教えてくれた。恵比寿は、北と南に、工場がある地味で汚い駅だったのだが、そのころ、土地を買った人は、大儲けをしていると、思われる。今は、駅徒歩圏内、1キロ以内に住んでいる人の総収入は、山手線髄一ではないかなあ? 以前は、メジロや、目黒の、徒歩圏内に、高額所得者が住んでいた可能性があるが、今は、恵比寿が一番だと、思っている。
ここに北側順一郎と、言う画家兼、画廊のオーナーが住んでいる。一棟丸ごとご自分のマンションを持って居ると、聞いている。
この人が、或る時、テレビ画面(NHK一チャンネル日曜日、午後10時から・・・・・たぶん、2009年一月だった)に登場した。ご自分が主役ではなくて、或る気の毒な女流画家を特集したものだったが、サブリミナル効果を言えば、
対、私いじめの典型的番組だった。私は、NKさんという、2000年ごろ都美館で、草間彌生と五人展を開いていた画家が、行方不明になったことを不思議に思っていた。。
そして、それほどの、実績がある彼女が、国画会の国展で、落選をしたことがあり、それが、原因ではないかと、思い始めた。それで、それを追跡し始めた。
私は、北久里浜の水道山をめぐる、実質的大詐欺事件の余波で、そこに関係している可能性がある、島田章三さんから、偶然入選してしまった国展でいじめぬかれていた。自分の事を、あれこれ、言うよりもほかの画家も、いじめられている事を取り上げた方が、公正度が増すと、考えて、NKさんの事を書こう思ったのだ。もう、亡くなっていると思うので、実名をさらしてもいいのだが、お子様が居るみたいなので、イニシャルで、書いて置く。
NKさんは、大変実績がある人(=すでに、草間級の有名人)なのに、国展で、落選をした。それは、どうも、私を追随した行為だったと、思われ、それもあって、私は、いささかの、責任を感じていたのだった。私は独立独歩の人で、師を持たない。だが、やりたいことはたいてい、通る幸運な人でもあり、1990年に女流展に初入選をすると、次に国画会に、挑戦をして、一度も落選をすることなく入選をし続けた。
私は、どの会でも絶対に人に媚びないので、会員になることはできなかったが、絵はいいはずで、NKさんは、それを知っていたし、40代ごろの私は、見かけは、上等なので、目立っていて、噂があっちこっちで、流れる人となっていたのだと、思われる。で、私が国際基督教大学卒で、美大卒ではないと、言う事もうわさの種になっていたと、思われる。
でNKさんも美大卒ではない。どこかの大学の薬学部卒だと、聞いている。で、美大卒が、派閥を作り、会員の出世を牛耳っている世界には、疑問を持って居たし、何とかしようと思ていた筈だ。普通公募団体展って、二つを掛け持ちすることはできないのだが、女流展は別で、インター派閥的なところがあったので、もう一つ、どこか、別の団体に接触してもいいのだった。で、私のやり方を見て、『あ、そういう選択もあったのか? 彼女みたいに、たった一度だけ女流に入ったのに、国展に入選できるのだから、国展って、公明正大な、審査をするはずよ』と、思って、出品したら、落ちてしまった。
私は、なぜ、N子さんが、国展をおちたかは、すぐわかった。同じ作品を彼女は、女流展に出していたからだ。まずサイズが小さかった。50号Fの、しかもパネル(べニア板で出来た、平面、キャンバス地よりも無論安い)、だったし、使っている画材が、週刊誌の頁だけだった。
これは、コンセプチュアルアートとしては、意味を成すのだけれど、国画会では、通用しない作風だった。森本草介を、思い起こしていただきたい。氏はすでに、30号程度の小さな作品を出す段階だったけれど長年の実績があるし、会員なので、その大きさで、許容をされていた。だけど、N子さんの、現代アートシーンでの、名声を知る人が、もし、そこに居たら、「この人は、落選させるべきではない」と、言うべきだった。
で、私は、国画会の審査員って、自分たちの展覧会以外見ないのだと、結論をつけた。それも、私が国展を去る動機の一つだったのだけれど。
この間もやもやしていた私は、その後、女流展でも、彼女を見なくなって、心配の挙句、上條陽子さんに電話をかけて聞いてみた 。
すると、「ああ、あの人ってハイジンになったのよ」と、上條さんは言う。いとも気軽に。で、「俳句でも始めたのですか?」というと、「いいえ、いいえ、心の病の方よ」と、彼女はいう。
私は、心配していた通り、国展での落選が原因だろうと、思い、当時の審査会場の様子を、ある先輩画家(男性)に電話で、聞いてみようと決心をした。洋画部(平面ともいう)の、芸大派閥ではない人たちの二次会で、私に目をかけてくれている人だった。後で、聞いた噂によると、国画会きっての、正直者で有名な人なのだそうだ。だから、質問をするに、あたって、ずばり、あたりの人だったのだ。
しかし、驚くことに、こちらも、非常に冷たい反応だった。開口一番「だめだよ。あいつなんて」と、彼は怒鳴った。で、『どうしてですか?』と次の質問を発声すると、だって、「新聞種になったんだぜ」と、彼は、言う。「えっ。泥棒でも、したのかなあ。貧乏のあまり」と思いながら、黙っていると、「ははおやの遺体を放っておいたのだ」と、言う答えだった。
私は、全く疑問には思わなかった。『ノイローゼなんだ。お葬式が、面倒くさかったのだろう。で、杉並のお嬢様だから、広い林の中に住んでいて、お金もないし、このままにしておこうと思ったのでしょうね』と、解釈をした。以前と同じ様に同情をして、一文を書いた。
と言うのも、この審査と言うものが、公募団体展に於ける
金儲けの秘密でもあり、運営の秘密でもあり、強者が、いかんなく、恣意を発揮出来る場であって、しばしば、才能の芽をつむ、恐ろしい道具となっているからだ。私は、一種の宗教者でもあり、お母さんみたいな人だとも、言われて居るので、大勢の女の人から、その理不尽さと
非、人間性について、苦しみを、打ち明けられて居る。私はこの面でも正義感の一人であり、自分自身は公募団体展を去った。渡辺幸子さんとの大学の先輩後輩としての話題は、もっぱら、彼女が、新制作の会員になれない事への苦しみだったし。私の方が若いのに、聞き役だった。で、私の方は、そういう世界を去った。だが、足抜けが、簡単ではなかった。あたかも、女郎支配に似たニュアンスを示す仕組みが、そこには、あるのだった。いや、最もひどい態度を示したのは、山寺重子さんと、指原いく子さんだ。
まあ、まあ、彼女たち二人については、ここでは、詳しくは触れないで、先へ進もう。ただ、その二人によって、深く苦しめられていて、顔いろさえ沈んでいる女流画家が、国展内に、いたことも確かだ。横浜市在住で、私より数歳若い女流画家である。
その私の公募団体展における、審査という名の、古臭いシステムに関する調査が、電話が盗聴されているので、CIA軍団の知ることとなって、私の考えに対する反論として、社会派系番組を装った、その杉並区の空き家特集という番組が作られた。
実態は美術界において、評判の高い文章を書いていて、いるが、金銭的謝礼を受け取らない、私個人向けの、攻撃用番組、・・・・・NKさんが、主役の、恐ろしい番組・・・・・となっていったのだった。
残酷無比なNHK【杉並区の空き家】特集、お子様にまで、カメラを向けていた。MCの鎌田靖さんも、今、不幸せでしょう?
これが、2009年の1月だったと、記憶をしている。是もまた、天が、鶴岡八幡宮の大イチョウを倒壊させた原因となっている悪徳番組だ。そして、私は、当初、これが、酒井忠康氏の発案によるものだと、考えていたが、
秋山祐徳太子の発案によるものだったかもしれない。
私は、放映直後、上條陽子さんより、人間ができていると信じて居る 高橋和・先生に電話をかけた。彼女は独身で、かつ、猫の絵が上手で、本職の抽象画も素晴らしい芸術家だが、この日は、大いに共感してくれた上で、「用心しなさいね 世の中は、恐ろしいわよ」と、密かにだが、番組の裏にある物を、教えてくれた。その日は、私は、それには、はっきりとは、気が付かなかったが、この恐ろしい番組は、見事にも私狙いだったのだ。2009年の一月のNHK一チャンネル。
そして、その電話以降、高橋和さんは敵方に去った。でそれ以降電話を掛けていない。敵方に去ったと、言うのは具体的に表現をすると、ギャラリーアーチストスペースで、連続して、個展をすることを指す。和先生は、以前は、井上画廊専属の画家だったが、アーチストスペースに変わった。井上画廊が、やめたからで、やむを得ないとも、考えているが、髪に色を指して、若向きのおしゃれになさっていたり、いろいろ変化があって、おや、おや、秋山祐徳太子一味と、連合なさったのらしいなあと、思っている。だけど、人間としての本質は、立派な方で、その格は、秋山祐徳太子などとは、比較にならない。
私が和先生との接触をピタッと切ったのは、親切だった人の変節を知るのは、普通のランクのいじめよりきついからであって、かくして私は、「人は、石垣、人は城」っという格言から日に日に遠さかって行くようになった。
この番組が放映直後の、私の推察とは、異なっていて、
もし恵比寿の住民つながりで秋山祐徳太子がうらにいて、企画し、手配をしたのだったと、仮定をすると、秋山祐徳太子とは、私にとって、大切な人間を二人奪ったことに成る。
一人を殺し、もう一人は、彼女が精神病院へ入ったことを、NHKテレビで、強く大宣伝をして、言ったのだ。MCをしていた当時NHK所属記者だった、鎌田靖さんに、線路際か何かの、落ちくぼんだ土地に立っているアパートに、ひそかに身を寄せている、美術家ではない、息子さんまで、訪ねさせていた。残酷無比な、番組として、これを作ったのだった。
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副題8、『私は、近藤南海子さん(=NKさんの本名、すでに他界をされていると、信じるので、実名をさらす)に、ついて、同情する文章を書いた。すでに、草間彌生級の扱いを、2000年には、受けていたのにもかかわらず、国展で、一度、落選をしたことが、大きな引き金となって、意欲を失っていった女性である。それを2005年から、2008年ごろに、メルマガか、ブログかはわからないが、書いた。
ところが、それを、一億二千万人が、視聴する可能性の高い、NHK総合チャンネルを使って、私物化して、対・私への復讐を果たしてきた。2008年は、県水道局を利用した、アスベスト被害を、口実とした、第一次・・・・・安野夫人の井戸端会議が原因となって、藤本禎子さんが、道路の真ん中に入れた、電動のこぎりの、跡を消し去る工事があり、
それによって、勝ったと、考える、CIAエージェント連中が、NHK総合チャンネルを利用して、私への個人的復讐をやってきたのだった。というのも、北久里浜の水道山が、無償で、益山智恵子+仲野通巳吉、+、伊藤忠何とか(これは、瀬島隆三のこと)に渡った、事件の真実を知っている私は、・・・・・そして、益山智恵子さんが、そのころ、私をひき殺そうとしたことを知っている、私は、絶対に、殺さないと、いけないと、思いこんでいるからだ。
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副題9,『横須賀で、水道山をタダどりする事案(当時の時価で、四十億円が、ただで、手に入る、地積変更届)を、成功へ導くために、神戸の水道山へ、土師淳君の首から下への胴体を置いた。その際、犯人とされた、酒鬼原聖斗===後には、少年Aと、改名していく===が、書いたとされる声明文は、ある大人で、私のブログに、頻繁に、その実名が登場する、CIAエージェントだ・・・・・と、私は、信じている。
しかし、2022年6月に、SNSで誹謗中傷をすると、逮捕してよいと、言う法律ができたそうで、私には、その声明文原文を手に入れて、DNA鑑定をする、技術も資格もないから・・・・・東京圏に住むある大人が代筆した、声明文であるといっておこう。
彼が、左手で、愛用の万年筆を使って書いたと、私は、思う・・かな釘流・・だが、
その人間は、私の追及が、いよいよ、自分に迫っていると、考えて、乱暴なことに、伊藤玄二郎を通じて、日本の法曹界を動かし、地裁から土師淳君殺し、事件に関するデータ一切を、廃棄させ自分たちの意図が、目立たない様に、させるために、ほかの地裁にも命令をかけたのです。
また、あの事件当時より、化学(=科学)技術が進んでいるので、単純な、筆跡鑑定だけではなくて、書いている途中で、髪にしみとおった、皮膚からの退役が、しみ戸でいる髪から
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