いよいよ、2010年もあと3日を残すのみになりました。
この10年間はずっと臨戦態勢でやってきました。自分がブログで書いてきた事を紙の本にする。それも、たった、一人でつくる事は、へヴィな仕事だったし、「母が、いつ、どうなるかな」と言う心配もあったし。でも、2010年は、印刷製本を工業的にしあげることはしませんでした。一応、5冊だけ(一種類の本を五冊です)試験的に、オンデマンド方式で作っただけで中断しています。一種の見本ですが、推察どおり、誤変換を、入れこめられているので、大変ですが、それにも慌てずに、おっとりと、休んでいるのです。で、余裕を持って過ごしています。
『敵様もバカだねえ』と、ここでいいたいところです。自由に本を作らせることを、過去の六冊で示していれば、芸術の本をまた作って、それを、配るのに忙しくしていて、こんなに、長いブログなど書かなかったでしょうから。いつも、相手を幼稚だと言うのは、そういうポイントをさします。近視眼的に攻撃をして来るので、こちらにも、マイナスと共に、結果としてのプラスも生まれるからです。
毎年、夏には、すさまじいレベルで、騒音に悩まされてきました。これは、私がパソコンでやっている本作りが、とても特殊なやり方なので、ハッキングをしていれば、それが、どれほど、苦しい仕事か、敵様が判るから、『それを、妨害してやれば、彼女は壊れるはずだ』と、推測され、音の洪水にさらされてきたのです。
普通の本の場合、まず、著者が、文章を作ります。それを、編集者が磨きます。その後で、印刷所の制作部と言うデザイナーが、頁デザインをして、目次や奥付のデザインもします。
売れる本だったら、表紙も凝りますね。私はそれらを、全部一人でしますが、頁デザインをしながら、文章を足したり引いたりしますので、すごく面倒な事になります。そばで、主人が見ていて、「出版社に頼んでしまえばいいのに」とよく言いますが、それほど、面倒な仕事をしているので音が妨害に役立つだろうと推察されています。
その騒音の中に、鶴岡八幡宮様も入っていました。今は、すでに静まっていますが、大音量を、特に夏に出すことを2007年から三年ほど、繰り返されたのです。どういう音が、問題だったかというと、音楽会が、何回か、開かれるのですが、その準備段階の仲間内の連絡の音が、午前中から、バンバンという大音量で響き渡ります。暑いさなかですから、ご近所は音を上げていて、「早朝の時刻を告げる太鼓の音だけは、小さくしてください」と、要望があったそうです。その際の音楽会は葉加瀬太郎さんのもので、その後、彼は、大きな位置を占めるようになっています。論功行賞のひとつでしょう。
また、騒音を出すことを目的とするために、我が家の東側の駐車場を有料になさいました。工事用の車が大音量を上げるのが、目的で有料駐車場になさったと思っています。また、もうひとつ理由があるはずです。先代の白井宮司さまのときは、そこは、地境地主である私など、ただで、使わせていただけました。また、八幡宮へお宮参りに来た、七、五、三の一家など、ただで、使うことができました。
電話で来客に、それを、告げていますので、意地悪をそこでもやりたいと考えて、伊藤玄二郎、原発で、何らかのルートで八幡宮様へ「有料化されますように」という教唆が入ったことも考えられます。銀行からでもいいでしょう。
でも、これらをそばから見ている私にしてみたら、『本当の理由はどうあれ、結果としては、ぎすぎすしているなあ。八幡宮さまほど、参拝客の多い、神社が、お金には不自由をなさってはいないだろうに。どうして、こんな措置をとられるの』と内心で悲しんでいたのです。
それも含めて、悲しさとパソコンが壊れ続けるという被害にたまりかねて『大銀杏がなぜ、倒れたか』という文章を今夏あげています。そして、3日ほど前に、荒い文章として、それを、再録しています。これから、それもさらにブラッシュアップをするはずですが、そういう批判をせねば成らぬほど、私のパソコンが壊れること、ほかの、私の個人的な、被害は甚大でした。
そして、もちろんのこと、それを書いたゆえに、雪洞祭りの献灯は控えさせて頂いています。でも、年末に牡丹園の入場切符はお送りを頂きました。それは、申し訳ないのですが、返しに行くのもなんですから、頂いておきました。事務的な措置でしょうと思うし。
八幡宮様に悪い教唆をしているのが、どこからかは、知りませんが、それでも、源発のアイデアは、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人組みです。その論功行賞として、NHKは井上ひさし氏へのオマージュを連続して流しています。もし彼が今なお、私の推定どおり、生きているとしたら、なんとあざとい悪人ぶりでしょう。
それと、彼の現在の秘蔵っ子であろう宮沢りえさんも大活躍です。2009年、篠山紀信さんのアトリエの家宅捜索という大騒ぎがあったのですが、その際に、連絡係だったと思われる、りえママ、(または宮沢りえさんご自身?)のおかげか、彼女が、今年の大河ドラマに出演です。
まあ、りえちゃんはお品がよくて、演技も優れているし、お顔もきれいですから、彼女の露出が多い事については、何も文句はつけられませんが・・・
そして、八幡宮様の上げる大音響についても、すべての諜略活動の裏側がわかっていたから、心頭滅却すれば、火もまたすずし、負けないで仕事だけは致しました。
だけど、あのぎりぎりの状態で、母の死を、迎えたら、私からかかっていく形で、兄弟げんかをしたと思います。一般的に、疲労すると、人は、寛容ではなくなりますが、私ももちろん例外ではありません。
このペースダウンは、負けたとか、参りましたということではなくて、ひとえに、母の終焉時に、みっともないことをしないがためでした。徹夜、徹夜の連続だと葬儀の日でも、誰かと喧嘩でもしかねませんし、遺産相続のこと、とくに、配分のことでも、いろいろ、不満を持ちやすくなります。そこでの争いごとを、一切起こさないがために、ペースダウンをしたのです。
それは、結構お勧めです。婦人公論などを読むと遺産相続でごたごたしたというようなエピソードが載っていますが、ともかく、誰だって最愛の人がなくなる際には、疲労困憊しています。だから、心身に余裕がないので、争いに入りがちなのです。そこで、余裕を持っていると、落ち着いて、考えたり、話を聞いたりできますから、何でもよい方向へ向かいます。
**********
ともかく、母がまだ、元気いっぱいであったら、きっと、七冊目の本を印刷製本に回していたでしょうから、お正月が来ることがどんなに、うっとおしく感じたでしょう。また、両方をこなさないといけないので、追い詰められたと思います。いらいらすることと成ったでしょう。
若いうちは、追い詰められてもいいのです。いらいらしてもいいのです。でも、老人になって、追い詰められたり、いらいらすると、そのたんびに、さらに老化が進むような気がします。そして、老化が進むと、もう回復をしないようにも感じます。脳細胞も回復が遅いし。悪くすると、認知症になりかねませんね。だから、常に、ゆとりを持つように努力をしています。
ただ、こんな結論に達すること自体が、思いがけないことでした。50代には、こういう心境になるとは、想像もしていなくて、どんどんどんどん、やるべきことが増えて、ずっと、忙しくしていて、追い詰められきっていて、でも、ステップアップは必ずして行くと、思っていたのですから、こんなにゆとりある年末など、迎えているはずがなかったのでした。
*********
そんな余裕の中で夜、録画しておいた、N饗アワーを見ました。今年はショパン誕生200年なので、ショパン関連の番組が多いのですが、この間放映された、4時間番組は最悪でした。せっかくの黒崎さん司会なのに、くだらない企画が目白押しに入れ込まれていて、うんざりするバカ番組と成ってしまっていました。制作の統括者は、誰だったのでしょう。
今回見たのは、第16回ショパンコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワが、シャルル・デュトワ指揮のN饗と競演する番組です。番組の作り方はいつもと同じなので安心していられたし、主人公に対する紹介も豊富で満足できました。
この一文を書くために、インターネットサーフィンをしたら、まだ、wikipedia もできていないほどの新人です。しかし、菅野恵理子さんという上智大学出身のかたが、すでに、このユリアンナ・アヴデーエワにインタビューをしていて、長い文章を書いていらっしゃるので、それは、大いに参考になりました。一番驚いたのは、すでに、学友と結婚をしていることが記載されていた点です。
NHKでは、それは、紹介をされませんでした。
私は、演奏そのものには、・・・申し訳ありませんが、・・・さして、感動しませんでした。それは、まず、テレビ視聴が音楽の鑑賞には向かない、ということがあります。一番なのは、生で聴くことで、その次がCDでしょう。
それと、ショパンの曲そのものが、私の肌合いにフィットしないということがあります。一枚のCDでも、シューベルトだったら、何回も同じものをかけたくなって、一日に、6時間ぐらいかけっぱなしにしますが、ショパンだと、一回聞くと、その芳醇さに、満腹に成ってしまって、二度目をかけようとは思いません。メロディラインが複雑すぎて、かつ華やかすぎるところが、敬遠をする由縁です。
10代から好きだった、シューベルトはいまだに飽きることがないのです。もちろん、ピアノ曲に限ってです。シューベルトのお歌(リード)は、聞くのがつらいです。これもまた、肌合いに合わないのです。
お歌の類はイタリアを中心とした南欧系のもの、または、オペラの中の曲なら、モーツァルトもベートーヴェンもOKですが、シューベルトのリードは暗く感じて、切ないので、聴きません。
もちろんのこと、楽曲を離れれば、ショパンは大好きです。ショパンは繊細で病弱な人なのに、政治にもきちんと向き合った国際人だし、立派なものだと感じます。それに創作者としては、短い人生の中で、最高の楽曲を数々、世に送り出したのですから、最高の人生でした。尊敬に値する人です。ジョルジュ・サンドのご長男とあれこれ、トラブルがあったと聞いていますが、それは、自然なことです。誰だってああいう立場だったら、もめるでしょう。
だから、ユリアンナ・アヴデーエワのショパンにそれほど、感銘を受けなかったというのは、彼女が悪いわけではありません。ひとえに、受けての私側の問題です。
**********
でも、何よりも驚いたのは、その人物像です。そして、特に、その賢さに驚かされました。美貌の女性だから、小さいころからちやほやをされていて、テクニックだけのおバカさんに成ってしまうお嬢さんも多いでしょうに、賢明な人です。それも、ごく上等なレベルでの賢さです。ずるさもないし、私利私欲の追求を目指している賢さでもないのです。
まず、そのステージ衣装ですが、パンツスーツなのです。髪型はボーイッシュでもなくて、ヴェルサイユの薔薇状態なのですが、ハイヒールのすぐ上は、細身のパンツ(おズボン)なのです。これは独特であり、個性横溢です。
ヨーロッパ系の白人、特にロシア出身としては、恐るべきほど、やせている人ですが、目が大きくて、少女漫画の主人公みたいな雰囲気が、上半身だけにはあるのです。が、全体像としては、驚くべき革新性のあるステージ衣装なのです。
これは、彼女の頭の片隅にジョルジョ・サンドの生き方などが、残っているのかもしれないし、ココ・シャネルなどの、生き方への共感があるのかもしれません。
でもね、ともかく、このスタイルには、彼女が、バランスを求める人であることを感じさせます。あの大きな目で、膨らんだピンクのサテンのスカートなどはいて御覧なさい。派手すぎで、聴衆は、その美貌に目を奪われて、音楽に集中できなくなるでしょう。それを潜在意識の中で察知していると推察しました。
だから、この地味さがぴったりなのです。もちろん、布地は絹を使っていると思いますから、人前で主役を張ることに必要な贅沢さは、きちんと保持してあるのですけれど。
次に驚いたのが、公式記者会見での質疑応答でした。
彼女は今回の優勝で、日本に招待をされ、N饗と共演する資格を得たそうです。それがNHKが提供したサービスなのか、それともヤマハの提供した賞なのかが、私にはわかりません。が、上に上げた菅原恵理子さんの文章によると、ユリアンナは、ヤマハのCFXというのを選んでコンクールでは、演奏したそうですから、ヤマハのご招待だったかもしれないと感じているのです。この『ピアノの音色如何』については、思いがいろいろあるのですが、ココでは、煩瑣に成るので、述べません。
それが、また、たいそうに、大切にされるご招待で、ポーランド大使館が、彼女を中心にして、ショパン生誕200年を記念する大・パーティを開いて、演奏会もお食事も着席で提供された模様ですが、その際に、公式記者会見があったのです。
壇上の出席者は、ユリアンナを入れて、4,5人です。そこで、なんと、ユリアンナは、自分の左側、同じ壇上の人であった、アルゲリッチに質問をしたのです。
マルタ・アルゲリッチは、同じくきれいな女性です。ユリアンナとはタイプが違うが、きれいな人です。仕事に自信があり、すでに有名だから、髪も染めないでいる現状ですが、ますます上品さが増しているひとです。
ユリアンナが『芸術家としての、時間を生み出すことと、それを支える生活の部分の時間の折り合いを、どうつけたらよいのでしょう(要旨)』と質問をしたら、マルタが、「それは、本当に難しいことで、私だって、未だに追及している課題です」と答えたのです。本当に、ユリアンナの賢さには、驚嘆させられました。
この時点では、私は、ユリアンナがすでに、結婚をしていることは知りませんでした。上に上げた、菅野さんの文章を読むと、『おや、おや、そういう側面でもこれからの人生大変でしょうね』と思わせられます。夫が、音大の同級生だったらしいから。夫婦間に知名度や、収入のアンバランスが生まれると、大変だからです。特に男性の方が下になると、現代でもまだまだ難しいところがあるでしょう。
この公式記者会見の場以外の発言でも、「賞を受けたから、といって、自分を失いたくない」というような発言があり、舞い上がっていないことをうかがわせました。ほかにも、ユリアンナの姿勢には、好感の持てるものがいっぱいです。ブログの世界でも人気がありそうですが、それは、彼女の生きる姿勢が招くものでしょう。
**********
上の文章から派生して、これから、政治の問題へ入って行かせてくださいませ。
三日後の大晦日の深夜から、鎌倉へいらっしゃる方が多いと思いますが、小町通りの美しい御影石の敷石ははがされたまま、三年弱が経過していて、リピーターは通りながら、怒り心頭です。「行政の怠慢よ」と声を上げながら通っています。これも私の未発表のエッセイ、『敷石を磨く男』が、きっかけとなっているのですが、その前に、ともかくの事として、石川和子夫婦が、とんでもない失敗をしなければ、このような、無残な道路状態ではないのはずなのだとは、言明をさせていただきたいです。
一般的に言って、共同溝工事だって、もしそれがまともなものだったら、一部分だけでもすでに、電柱が取り払われているはずですが、未だに一本もとりはずされてはいません。どうしてかというと、この工事が私を脅迫することが目的で進行しており、計画など何もないからです。私が外出しないときには、行われない日々が多いのです。外出すると、夜の11時ごろの帰宅時に、『彼女が、嫌いなガードマンが、たくさんいることになるから、びびるだろう。したがって自滅して行って、政治についての真実を書くことができなくなるはずだ』という推察のもとに、延々と工事が続いています。
私は確かに、そこを避けて別の道を通って帰ったことは、この三年間に、何度もあります。敵はパソコンのGPS機能でそれを、つぶさに知っていたわけですから、この工事が、脅かしとして役に立つと、判断をし続けたのでしょう。
その陽に工事現場を避けて帰ってきた日でも、誰もいない静かな場所で、突然にガードマンが現れて、待ち伏せをされていたことが続くので、敵方の発想や真意も判ってはいたのです。が、工事を見ると、怒り心頭で、帰宅してから冷静になれず、ブログでよい文章が書けないので、『見んこと、きよし』という諺に倣って、別の道を辿って帰ってきたのです。が、敵はすっかり誤解をしていたと見えます。引続き各種の幼稚な脅かし作戦は、取られていますから。
この年末には、さすがに、そのままではいけないと考えたのか、一応、偽装的に修繕をしました。表面を幅4メートルぐらいアスファルトで覆い直したのです。それも証拠隠しです。写真として、すでに撮ってある、240箇所にも及ぶ、無駄にして無意味な工事指標を消し去る野が、目的でしょう。
まだ、40%ぐらいしか成り行きを説明し切れていませんが、これらがすべて、石川和子女史夫婦の大失敗にその初因があるということです。それが恐ろしいのです。
鎌倉駅そばの線路の西側沿いに、レザンジュと言う知る人ぞ知る洋菓子店があります。その近所に、映画館という喫茶店がありました。そこら辺りが、2007年度中に建物一切が取り払われて、更地と化していますが、映画館の店主は引越しをしたくなかった模様です。今大船にありますが客層が違うでしょうし。無理に引越しをさせられたのは、彼女が、聞いた話として「石川和子は、自分は伊藤玄二郎の元愛人だったから、優遇をされていると、言っていたわよ」と教えてくれたからです。それは、私が、すでに、大迷惑を受けていて、「どうして、彼女はあれほど、威張っているのかしら。芸術家としては、とんでもないほど下品な人物なのに」と質問をしたから得られ田答えでした。
当時、喫茶店『映画館』のオーナーは私の知人の離れに住まいを定めていて、その関係で、彼女の自宅にも上げてもらえる付き合いだったので、そこまで教えて貰えたのです。ここいら辺が神様が常に、私に味方してくださると言うポイントです。しかし、その後、その大家さんとの、関係も壊されていますので、敵はすさまじいまでに、心理操作をやってきています。で、これらの被害をも含めて、20億円に達するというわけです。
ところで、その喫茶店の跡地ですが、未だに更地のままです。一戸だけ、新築物件ができましたが、敷地が極小なので、残り150坪程度、あいています。昔は利益を生んだ土地を、遊休地として遊ばせている持ち主は誰なんでしょう。
昔からの持ち主は変わらず、ただ、相応の家賃分だけを誰かがあがなっているとも考えられますが、それこそ、不動産好きな小沢一郎氏(または、その関連会社)の所有と、今ではなっていたりして・・・・
この想像は、法務局に行って、不動産の登記簿・台帳を見れば、すぐ真贋がわかるのですが、なんと、今は、一般の人は、台帳の閲覧ができないそうです。これもきわめて政治的な措置であり、瀬島隆三が裏から画策をしたのでしょう。このようにして、特権階級は、自分たちの悪を守って貰っているのです。
ところで、私が20億円の被害をこうむっている影で、伊藤玄二郎の押し込みとサポートで、鎌倉市内の公民館を中心に、週に6日ほど陶芸教室を持っていた石川和子女史は、私に「200人からの生徒がいる」と豪語していました。話半分として考えても、一人につき、三千円は純利益として上がるでしょうから、つきに三十万円は遊ぶお金にまわせるわけです。夫の柳沢某には、夜勤があるみたいですから、それがない週は、飲み歩いていたとしても、二人で1万五千円も払えば、おすし屋さんだって、焼き鳥やさんだって、鎌倉なら大丈夫です。だから、二人が遊び歩いた結果として、喫茶店映画館は鎌倉から撤退せざるを得ませんでした。恐ろしいことです。大柄な太った体格でしたが、しまりがない顔立ちで、作品もしまりがないものでした。大きい事は大きいがというだけの、ものです。そんな壷を、一年に二回焼いて、先生面をして威張っている人生でした。
でも、そういう風に飲んで歩いているからこそ、墓穴を掘ったともいえます。世間とはよくしたものです。
今思えば、その裏には、瀬島隆三がいて、伊藤玄二郎を次から次へと出世させたのも、石川和子女史に次から次へと、いい目を見させたのも、対・私としての、押さえに役立ち、私がいらいらして、自滅するのが目的だったと、はっきりしています。
かわいそうに、今では死亡している石川和子女子は、人生の大半を、国際的軍産的共同体の道具として使われたこととなります。私は、最初期から、彼女をそういう眼で、(内心では、かわいそうだなと思いながら)見ていたのです。
『この山では一番お人よしかもしれない。それに、だんなは、よく彼女に奉仕しているなあ。伊藤玄二郎に就職も世話をして貰って、そちらとも、和気藹々で仲良くやっているのだろう。割り切りが早いわね。伊藤玄二郎も大磯には、普通の家庭があるのかしら? だから、一種の厄介払いになったと思っているのでしょうね』と思ってはおりました。
だから、猫のことで、200回以上我慢のならない、傲慢振りを見せ付けられても、ほかの迷惑についても、ずっと耐えて黙っていたのです。私はね。自慢じゃあないが、すっごく優しい人なのです。しかし、「お母さんが切れたら怖い」と子供たちに言われていますが、優しさとは、我慢の力であり、我慢とは、体力も気力も必要なのですから、その力がいったん正面切って、正の方向に発揮されると、莫大なものとなります。
今、大銀杏倒壊の事で、大・八幡宮さまの吉田宮司を批判してしまうのも、その強さが、正面切って現れているという例のひとつです。
鎌倉には、年間、二千万人の観光客が訪れるといわれています。その人達はJRの切符代を含めて、一人につき、五千円は落とすでしょう。彼、彼女たちは、この二年と十ヶ月間、味わうべき、きれいな石畳を味わえませんでした。それが、一人につき、100円の損失だと仮定しても58億円の損失になります。それが、石川和子女子とその夫の、増長マンの限りを尽くした日常生活から生まれたとすれば、私が、すでに20億円の損害をこうむっていますというのも、この面からだけでも正しいです。もし、彼女が内省の人であって、芸術の追求と人間としての、自分の生活との両立の難しさを考えたら、こんなばかげたいきさつは起こらなかったでしょうに。
人の上にたつ人は、それが鎌倉ドメスティックであれ、当然のこと、自分を磨かなくては駄目です。それを忘れていた彼女は、鈍感きわまりない日銭稼ぎおばさんの典型です。
猫の事で私との間がトラぶっているのだから、それを避けるために、ご自分の猫を飼うべきでした。昔は黒猫を飼っていたのですから、新しい猫を飼う事は、慣れている範疇の事で簡単だったはずです。
それにしても、マルタアルゲリッチは、ユリアンナをかわいがっています。それが、目に見えて判ります。が、まだ、25歳程度で、これほど、慎重で賢かったら、45年ぶりに自分の後をついで、ショパンコンクールに女性として、二人目としての首位を取ったという以上の、思い入れが生まれたのも、必然でしょう。
では、今日はここで。 2010年12月29日 雨宮舜
この10年間はずっと臨戦態勢でやってきました。自分がブログで書いてきた事を紙の本にする。それも、たった、一人でつくる事は、へヴィな仕事だったし、「母が、いつ、どうなるかな」と言う心配もあったし。でも、2010年は、印刷製本を工業的にしあげることはしませんでした。一応、5冊だけ(一種類の本を五冊です)試験的に、オンデマンド方式で作っただけで中断しています。一種の見本ですが、推察どおり、誤変換を、入れこめられているので、大変ですが、それにも慌てずに、おっとりと、休んでいるのです。で、余裕を持って過ごしています。
『敵様もバカだねえ』と、ここでいいたいところです。自由に本を作らせることを、過去の六冊で示していれば、芸術の本をまた作って、それを、配るのに忙しくしていて、こんなに、長いブログなど書かなかったでしょうから。いつも、相手を幼稚だと言うのは、そういうポイントをさします。近視眼的に攻撃をして来るので、こちらにも、マイナスと共に、結果としてのプラスも生まれるからです。
毎年、夏には、すさまじいレベルで、騒音に悩まされてきました。これは、私がパソコンでやっている本作りが、とても特殊なやり方なので、ハッキングをしていれば、それが、どれほど、苦しい仕事か、敵様が判るから、『それを、妨害してやれば、彼女は壊れるはずだ』と、推測され、音の洪水にさらされてきたのです。
普通の本の場合、まず、著者が、文章を作ります。それを、編集者が磨きます。その後で、印刷所の制作部と言うデザイナーが、頁デザインをして、目次や奥付のデザインもします。
売れる本だったら、表紙も凝りますね。私はそれらを、全部一人でしますが、頁デザインをしながら、文章を足したり引いたりしますので、すごく面倒な事になります。そばで、主人が見ていて、「出版社に頼んでしまえばいいのに」とよく言いますが、それほど、面倒な仕事をしているので音が妨害に役立つだろうと推察されています。
その騒音の中に、鶴岡八幡宮様も入っていました。今は、すでに静まっていますが、大音量を、特に夏に出すことを2007年から三年ほど、繰り返されたのです。どういう音が、問題だったかというと、音楽会が、何回か、開かれるのですが、その準備段階の仲間内の連絡の音が、午前中から、バンバンという大音量で響き渡ります。暑いさなかですから、ご近所は音を上げていて、「早朝の時刻を告げる太鼓の音だけは、小さくしてください」と、要望があったそうです。その際の音楽会は葉加瀬太郎さんのもので、その後、彼は、大きな位置を占めるようになっています。論功行賞のひとつでしょう。
また、騒音を出すことを目的とするために、我が家の東側の駐車場を有料になさいました。工事用の車が大音量を上げるのが、目的で有料駐車場になさったと思っています。また、もうひとつ理由があるはずです。先代の白井宮司さまのときは、そこは、地境地主である私など、ただで、使わせていただけました。また、八幡宮へお宮参りに来た、七、五、三の一家など、ただで、使うことができました。
電話で来客に、それを、告げていますので、意地悪をそこでもやりたいと考えて、伊藤玄二郎、原発で、何らかのルートで八幡宮様へ「有料化されますように」という教唆が入ったことも考えられます。銀行からでもいいでしょう。
でも、これらをそばから見ている私にしてみたら、『本当の理由はどうあれ、結果としては、ぎすぎすしているなあ。八幡宮さまほど、参拝客の多い、神社が、お金には不自由をなさってはいないだろうに。どうして、こんな措置をとられるの』と内心で悲しんでいたのです。
それも含めて、悲しさとパソコンが壊れ続けるという被害にたまりかねて『大銀杏がなぜ、倒れたか』という文章を今夏あげています。そして、3日ほど前に、荒い文章として、それを、再録しています。これから、それもさらにブラッシュアップをするはずですが、そういう批判をせねば成らぬほど、私のパソコンが壊れること、ほかの、私の個人的な、被害は甚大でした。
そして、もちろんのこと、それを書いたゆえに、雪洞祭りの献灯は控えさせて頂いています。でも、年末に牡丹園の入場切符はお送りを頂きました。それは、申し訳ないのですが、返しに行くのもなんですから、頂いておきました。事務的な措置でしょうと思うし。
八幡宮様に悪い教唆をしているのが、どこからかは、知りませんが、それでも、源発のアイデアは、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人組みです。その論功行賞として、NHKは井上ひさし氏へのオマージュを連続して流しています。もし彼が今なお、私の推定どおり、生きているとしたら、なんとあざとい悪人ぶりでしょう。
それと、彼の現在の秘蔵っ子であろう宮沢りえさんも大活躍です。2009年、篠山紀信さんのアトリエの家宅捜索という大騒ぎがあったのですが、その際に、連絡係だったと思われる、りえママ、(または宮沢りえさんご自身?)のおかげか、彼女が、今年の大河ドラマに出演です。
まあ、りえちゃんはお品がよくて、演技も優れているし、お顔もきれいですから、彼女の露出が多い事については、何も文句はつけられませんが・・・
そして、八幡宮様の上げる大音響についても、すべての諜略活動の裏側がわかっていたから、心頭滅却すれば、火もまたすずし、負けないで仕事だけは致しました。
だけど、あのぎりぎりの状態で、母の死を、迎えたら、私からかかっていく形で、兄弟げんかをしたと思います。一般的に、疲労すると、人は、寛容ではなくなりますが、私ももちろん例外ではありません。
このペースダウンは、負けたとか、参りましたということではなくて、ひとえに、母の終焉時に、みっともないことをしないがためでした。徹夜、徹夜の連続だと葬儀の日でも、誰かと喧嘩でもしかねませんし、遺産相続のこと、とくに、配分のことでも、いろいろ、不満を持ちやすくなります。そこでの争いごとを、一切起こさないがために、ペースダウンをしたのです。
それは、結構お勧めです。婦人公論などを読むと遺産相続でごたごたしたというようなエピソードが載っていますが、ともかく、誰だって最愛の人がなくなる際には、疲労困憊しています。だから、心身に余裕がないので、争いに入りがちなのです。そこで、余裕を持っていると、落ち着いて、考えたり、話を聞いたりできますから、何でもよい方向へ向かいます。
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ともかく、母がまだ、元気いっぱいであったら、きっと、七冊目の本を印刷製本に回していたでしょうから、お正月が来ることがどんなに、うっとおしく感じたでしょう。また、両方をこなさないといけないので、追い詰められたと思います。いらいらすることと成ったでしょう。
若いうちは、追い詰められてもいいのです。いらいらしてもいいのです。でも、老人になって、追い詰められたり、いらいらすると、そのたんびに、さらに老化が進むような気がします。そして、老化が進むと、もう回復をしないようにも感じます。脳細胞も回復が遅いし。悪くすると、認知症になりかねませんね。だから、常に、ゆとりを持つように努力をしています。
ただ、こんな結論に達すること自体が、思いがけないことでした。50代には、こういう心境になるとは、想像もしていなくて、どんどんどんどん、やるべきことが増えて、ずっと、忙しくしていて、追い詰められきっていて、でも、ステップアップは必ずして行くと、思っていたのですから、こんなにゆとりある年末など、迎えているはずがなかったのでした。
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そんな余裕の中で夜、録画しておいた、N饗アワーを見ました。今年はショパン誕生200年なので、ショパン関連の番組が多いのですが、この間放映された、4時間番組は最悪でした。せっかくの黒崎さん司会なのに、くだらない企画が目白押しに入れ込まれていて、うんざりするバカ番組と成ってしまっていました。制作の統括者は、誰だったのでしょう。
今回見たのは、第16回ショパンコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワが、シャルル・デュトワ指揮のN饗と競演する番組です。番組の作り方はいつもと同じなので安心していられたし、主人公に対する紹介も豊富で満足できました。
この一文を書くために、インターネットサーフィンをしたら、まだ、wikipedia もできていないほどの新人です。しかし、菅野恵理子さんという上智大学出身のかたが、すでに、このユリアンナ・アヴデーエワにインタビューをしていて、長い文章を書いていらっしゃるので、それは、大いに参考になりました。一番驚いたのは、すでに、学友と結婚をしていることが記載されていた点です。
NHKでは、それは、紹介をされませんでした。
私は、演奏そのものには、・・・申し訳ありませんが、・・・さして、感動しませんでした。それは、まず、テレビ視聴が音楽の鑑賞には向かない、ということがあります。一番なのは、生で聴くことで、その次がCDでしょう。
それと、ショパンの曲そのものが、私の肌合いにフィットしないということがあります。一枚のCDでも、シューベルトだったら、何回も同じものをかけたくなって、一日に、6時間ぐらいかけっぱなしにしますが、ショパンだと、一回聞くと、その芳醇さに、満腹に成ってしまって、二度目をかけようとは思いません。メロディラインが複雑すぎて、かつ華やかすぎるところが、敬遠をする由縁です。
10代から好きだった、シューベルトはいまだに飽きることがないのです。もちろん、ピアノ曲に限ってです。シューベルトのお歌(リード)は、聞くのがつらいです。これもまた、肌合いに合わないのです。
お歌の類はイタリアを中心とした南欧系のもの、または、オペラの中の曲なら、モーツァルトもベートーヴェンもOKですが、シューベルトのリードは暗く感じて、切ないので、聴きません。
もちろんのこと、楽曲を離れれば、ショパンは大好きです。ショパンは繊細で病弱な人なのに、政治にもきちんと向き合った国際人だし、立派なものだと感じます。それに創作者としては、短い人生の中で、最高の楽曲を数々、世に送り出したのですから、最高の人生でした。尊敬に値する人です。ジョルジュ・サンドのご長男とあれこれ、トラブルがあったと聞いていますが、それは、自然なことです。誰だってああいう立場だったら、もめるでしょう。
だから、ユリアンナ・アヴデーエワのショパンにそれほど、感銘を受けなかったというのは、彼女が悪いわけではありません。ひとえに、受けての私側の問題です。
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でも、何よりも驚いたのは、その人物像です。そして、特に、その賢さに驚かされました。美貌の女性だから、小さいころからちやほやをされていて、テクニックだけのおバカさんに成ってしまうお嬢さんも多いでしょうに、賢明な人です。それも、ごく上等なレベルでの賢さです。ずるさもないし、私利私欲の追求を目指している賢さでもないのです。
まず、そのステージ衣装ですが、パンツスーツなのです。髪型はボーイッシュでもなくて、ヴェルサイユの薔薇状態なのですが、ハイヒールのすぐ上は、細身のパンツ(おズボン)なのです。これは独特であり、個性横溢です。
ヨーロッパ系の白人、特にロシア出身としては、恐るべきほど、やせている人ですが、目が大きくて、少女漫画の主人公みたいな雰囲気が、上半身だけにはあるのです。が、全体像としては、驚くべき革新性のあるステージ衣装なのです。
これは、彼女の頭の片隅にジョルジョ・サンドの生き方などが、残っているのかもしれないし、ココ・シャネルなどの、生き方への共感があるのかもしれません。
でもね、ともかく、このスタイルには、彼女が、バランスを求める人であることを感じさせます。あの大きな目で、膨らんだピンクのサテンのスカートなどはいて御覧なさい。派手すぎで、聴衆は、その美貌に目を奪われて、音楽に集中できなくなるでしょう。それを潜在意識の中で察知していると推察しました。
だから、この地味さがぴったりなのです。もちろん、布地は絹を使っていると思いますから、人前で主役を張ることに必要な贅沢さは、きちんと保持してあるのですけれど。
次に驚いたのが、公式記者会見での質疑応答でした。
彼女は今回の優勝で、日本に招待をされ、N饗と共演する資格を得たそうです。それがNHKが提供したサービスなのか、それともヤマハの提供した賞なのかが、私にはわかりません。が、上に上げた菅原恵理子さんの文章によると、ユリアンナは、ヤマハのCFXというのを選んでコンクールでは、演奏したそうですから、ヤマハのご招待だったかもしれないと感じているのです。この『ピアノの音色如何』については、思いがいろいろあるのですが、ココでは、煩瑣に成るので、述べません。
それが、また、たいそうに、大切にされるご招待で、ポーランド大使館が、彼女を中心にして、ショパン生誕200年を記念する大・パーティを開いて、演奏会もお食事も着席で提供された模様ですが、その際に、公式記者会見があったのです。
壇上の出席者は、ユリアンナを入れて、4,5人です。そこで、なんと、ユリアンナは、自分の左側、同じ壇上の人であった、アルゲリッチに質問をしたのです。
マルタ・アルゲリッチは、同じくきれいな女性です。ユリアンナとはタイプが違うが、きれいな人です。仕事に自信があり、すでに有名だから、髪も染めないでいる現状ですが、ますます上品さが増しているひとです。
ユリアンナが『芸術家としての、時間を生み出すことと、それを支える生活の部分の時間の折り合いを、どうつけたらよいのでしょう(要旨)』と質問をしたら、マルタが、「それは、本当に難しいことで、私だって、未だに追及している課題です」と答えたのです。本当に、ユリアンナの賢さには、驚嘆させられました。
この時点では、私は、ユリアンナがすでに、結婚をしていることは知りませんでした。上に上げた、菅野さんの文章を読むと、『おや、おや、そういう側面でもこれからの人生大変でしょうね』と思わせられます。夫が、音大の同級生だったらしいから。夫婦間に知名度や、収入のアンバランスが生まれると、大変だからです。特に男性の方が下になると、現代でもまだまだ難しいところがあるでしょう。
この公式記者会見の場以外の発言でも、「賞を受けたから、といって、自分を失いたくない」というような発言があり、舞い上がっていないことをうかがわせました。ほかにも、ユリアンナの姿勢には、好感の持てるものがいっぱいです。ブログの世界でも人気がありそうですが、それは、彼女の生きる姿勢が招くものでしょう。
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上の文章から派生して、これから、政治の問題へ入って行かせてくださいませ。
三日後の大晦日の深夜から、鎌倉へいらっしゃる方が多いと思いますが、小町通りの美しい御影石の敷石ははがされたまま、三年弱が経過していて、リピーターは通りながら、怒り心頭です。「行政の怠慢よ」と声を上げながら通っています。これも私の未発表のエッセイ、『敷石を磨く男』が、きっかけとなっているのですが、その前に、ともかくの事として、石川和子夫婦が、とんでもない失敗をしなければ、このような、無残な道路状態ではないのはずなのだとは、言明をさせていただきたいです。
一般的に言って、共同溝工事だって、もしそれがまともなものだったら、一部分だけでもすでに、電柱が取り払われているはずですが、未だに一本もとりはずされてはいません。どうしてかというと、この工事が私を脅迫することが目的で進行しており、計画など何もないからです。私が外出しないときには、行われない日々が多いのです。外出すると、夜の11時ごろの帰宅時に、『彼女が、嫌いなガードマンが、たくさんいることになるから、びびるだろう。したがって自滅して行って、政治についての真実を書くことができなくなるはずだ』という推察のもとに、延々と工事が続いています。
私は確かに、そこを避けて別の道を通って帰ったことは、この三年間に、何度もあります。敵はパソコンのGPS機能でそれを、つぶさに知っていたわけですから、この工事が、脅かしとして役に立つと、判断をし続けたのでしょう。
その陽に工事現場を避けて帰ってきた日でも、誰もいない静かな場所で、突然にガードマンが現れて、待ち伏せをされていたことが続くので、敵方の発想や真意も判ってはいたのです。が、工事を見ると、怒り心頭で、帰宅してから冷静になれず、ブログでよい文章が書けないので、『見んこと、きよし』という諺に倣って、別の道を辿って帰ってきたのです。が、敵はすっかり誤解をしていたと見えます。引続き各種の幼稚な脅かし作戦は、取られていますから。
この年末には、さすがに、そのままではいけないと考えたのか、一応、偽装的に修繕をしました。表面を幅4メートルぐらいアスファルトで覆い直したのです。それも証拠隠しです。写真として、すでに撮ってある、240箇所にも及ぶ、無駄にして無意味な工事指標を消し去る野が、目的でしょう。
まだ、40%ぐらいしか成り行きを説明し切れていませんが、これらがすべて、石川和子女史夫婦の大失敗にその初因があるということです。それが恐ろしいのです。
鎌倉駅そばの線路の西側沿いに、レザンジュと言う知る人ぞ知る洋菓子店があります。その近所に、映画館という喫茶店がありました。そこら辺りが、2007年度中に建物一切が取り払われて、更地と化していますが、映画館の店主は引越しをしたくなかった模様です。今大船にありますが客層が違うでしょうし。無理に引越しをさせられたのは、彼女が、聞いた話として「石川和子は、自分は伊藤玄二郎の元愛人だったから、優遇をされていると、言っていたわよ」と教えてくれたからです。それは、私が、すでに、大迷惑を受けていて、「どうして、彼女はあれほど、威張っているのかしら。芸術家としては、とんでもないほど下品な人物なのに」と質問をしたから得られ田答えでした。
当時、喫茶店『映画館』のオーナーは私の知人の離れに住まいを定めていて、その関係で、彼女の自宅にも上げてもらえる付き合いだったので、そこまで教えて貰えたのです。ここいら辺が神様が常に、私に味方してくださると言うポイントです。しかし、その後、その大家さんとの、関係も壊されていますので、敵はすさまじいまでに、心理操作をやってきています。で、これらの被害をも含めて、20億円に達するというわけです。
ところで、その喫茶店の跡地ですが、未だに更地のままです。一戸だけ、新築物件ができましたが、敷地が極小なので、残り150坪程度、あいています。昔は利益を生んだ土地を、遊休地として遊ばせている持ち主は誰なんでしょう。
昔からの持ち主は変わらず、ただ、相応の家賃分だけを誰かがあがなっているとも考えられますが、それこそ、不動産好きな小沢一郎氏(または、その関連会社)の所有と、今ではなっていたりして・・・・
この想像は、法務局に行って、不動産の登記簿・台帳を見れば、すぐ真贋がわかるのですが、なんと、今は、一般の人は、台帳の閲覧ができないそうです。これもきわめて政治的な措置であり、瀬島隆三が裏から画策をしたのでしょう。このようにして、特権階級は、自分たちの悪を守って貰っているのです。
ところで、私が20億円の被害をこうむっている影で、伊藤玄二郎の押し込みとサポートで、鎌倉市内の公民館を中心に、週に6日ほど陶芸教室を持っていた石川和子女史は、私に「200人からの生徒がいる」と豪語していました。話半分として考えても、一人につき、三千円は純利益として上がるでしょうから、つきに三十万円は遊ぶお金にまわせるわけです。夫の柳沢某には、夜勤があるみたいですから、それがない週は、飲み歩いていたとしても、二人で1万五千円も払えば、おすし屋さんだって、焼き鳥やさんだって、鎌倉なら大丈夫です。だから、二人が遊び歩いた結果として、喫茶店映画館は鎌倉から撤退せざるを得ませんでした。恐ろしいことです。大柄な太った体格でしたが、しまりがない顔立ちで、作品もしまりがないものでした。大きい事は大きいがというだけの、ものです。そんな壷を、一年に二回焼いて、先生面をして威張っている人生でした。
でも、そういう風に飲んで歩いているからこそ、墓穴を掘ったともいえます。世間とはよくしたものです。
今思えば、その裏には、瀬島隆三がいて、伊藤玄二郎を次から次へと出世させたのも、石川和子女史に次から次へと、いい目を見させたのも、対・私としての、押さえに役立ち、私がいらいらして、自滅するのが目的だったと、はっきりしています。
かわいそうに、今では死亡している石川和子女子は、人生の大半を、国際的軍産的共同体の道具として使われたこととなります。私は、最初期から、彼女をそういう眼で、(内心では、かわいそうだなと思いながら)見ていたのです。
『この山では一番お人よしかもしれない。それに、だんなは、よく彼女に奉仕しているなあ。伊藤玄二郎に就職も世話をして貰って、そちらとも、和気藹々で仲良くやっているのだろう。割り切りが早いわね。伊藤玄二郎も大磯には、普通の家庭があるのかしら? だから、一種の厄介払いになったと思っているのでしょうね』と思ってはおりました。
だから、猫のことで、200回以上我慢のならない、傲慢振りを見せ付けられても、ほかの迷惑についても、ずっと耐えて黙っていたのです。私はね。自慢じゃあないが、すっごく優しい人なのです。しかし、「お母さんが切れたら怖い」と子供たちに言われていますが、優しさとは、我慢の力であり、我慢とは、体力も気力も必要なのですから、その力がいったん正面切って、正の方向に発揮されると、莫大なものとなります。
今、大銀杏倒壊の事で、大・八幡宮さまの吉田宮司を批判してしまうのも、その強さが、正面切って現れているという例のひとつです。
鎌倉には、年間、二千万人の観光客が訪れるといわれています。その人達はJRの切符代を含めて、一人につき、五千円は落とすでしょう。彼、彼女たちは、この二年と十ヶ月間、味わうべき、きれいな石畳を味わえませんでした。それが、一人につき、100円の損失だと仮定しても58億円の損失になります。それが、石川和子女子とその夫の、増長マンの限りを尽くした日常生活から生まれたとすれば、私が、すでに20億円の損害をこうむっていますというのも、この面からだけでも正しいです。もし、彼女が内省の人であって、芸術の追求と人間としての、自分の生活との両立の難しさを考えたら、こんなばかげたいきさつは起こらなかったでしょうに。
人の上にたつ人は、それが鎌倉ドメスティックであれ、当然のこと、自分を磨かなくては駄目です。それを忘れていた彼女は、鈍感きわまりない日銭稼ぎおばさんの典型です。
猫の事で私との間がトラぶっているのだから、それを避けるために、ご自分の猫を飼うべきでした。昔は黒猫を飼っていたのですから、新しい猫を飼う事は、慣れている範疇の事で簡単だったはずです。
それにしても、マルタアルゲリッチは、ユリアンナをかわいがっています。それが、目に見えて判ります。が、まだ、25歳程度で、これほど、慎重で賢かったら、45年ぶりに自分の後をついで、ショパンコンクールに女性として、二人目としての首位を取ったという以上の、思い入れが生まれたのも、必然でしょう。
では、今日はここで。 2010年12月29日 雨宮舜