今日はパンつながりで、いろいろ書いていきます。多摩川河川敷で、全裸遺体で遺棄されていた上村遼太君にとって、最後の晩餐はパンだったそうです。お母さんに、「お母さん、食べる?」と、自分の分を分けてあげようとしていたそうです。その言葉が、母との最期の会話だったとか?
これは、最初の総タイトルを、『木村屋(パン店)が、経営不振だって』としておりました。夜の、10時半に変更しました。
*1)、 木村屋(銀座三丁目)と、ジョアン(三越銀座店内B1)
livedoor が紹介した別のサイトの記事で、以下のタイトルのものがありました。
木村屋、売り上げ不振深刻 直営店事業から撤退危機?本社移転&リストラでも赤字解消できず
本文は、ビジネス・ジャーナルというところで発表をされた記事ですが、本当のニュースと言うよりは、一種の評論というか、創作文なので、ここに、コピペするのはやめておきます。
でも、銀座の木村屋、が、経営不振だというのは、非常に、(または、ぴったりと)、理解が可能です。
10年ぐらい前から、おいしくないし、割高だと感じていましたから。
ところで、銀座へ、30年間、毎週二度は出かけている私ですが、人に誘われる前までは、木村屋で、物を食べたことがないのです。と言うのも、そこは、自分が通ることが、少ない場所だからです。和光の並びですよね。しかも表通りです。で、非常に地価が高いところでしょう。
中央通りに面しては、昔は、10ぐらい画廊があったと思うのですが、ポーラが開いているとか? ともかく、バックが大きいところであって、しかも、どんどん数が少なくなっています。和光の中にも画廊がありますが、そういうところに展示されている作品は、既に、名声の確立した作家の作品なので、私には、あまり、関心がわかないものなので、この通りを通ることが少ないのです。
したがって、木村屋の、二階とか、三階で、ものを食べたことがありません。
しかし、ある時に、先輩と、一緒にデートをした時に、三階のレストランに誘われました。
その時に、ここのレストランが、上流夫人が安心して、お昼を食べに、入る、そういう類のレストランであるという認識を得ました。
しかし、お値段と、おいしさの、関係に敏感な私は、『ここは、このお値段にしては、おいしくない』と、判断をしました。1200円から、1800円の間でも、工夫をしているレストランでは、十分においしいものを食べられるのです。銀座でもそうなのです。競争が激しいからこそ、おいしいものをリーズナブルなお値段で食べられます。
その初めての訪問の時に、一階に、パン売り場があって、あんパン類が、大量においてあるのに気が付きました。で、その日か、別の日に、2,3種類を買って帰ったことがあります。ところが、かたいのです。食べる時にかたい。そして、お値段の割に小さいです。また、スタッフが立っている床が、高いです。お客が立っている床より、30cmぐらい高いところに、スタッフが詰めていると、感じました。とても嫌な感じを与えられます。しかも、お店の中のインテリアが暗い。
いや、記憶に頼って書いているので、間違っているかもしれません。だが、『え、有名店なのに、このレベル?』と、ひどく驚きました。
で、銀座へ行った時に帰りにパンがほしければ、三越銀座店の、地下二階にある、ジョアンというパン店で、買い物をして帰ります。ここのは新鮮で美味しいです。
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*2)サンジェルマン(日吉店)と、ポンパドゥール(伊勢佐木町店)
パンで最初に驚いたのは、サンジェルマンが、日吉に出来た時です。食パン(当時は、ブランパンという名前で売っていた)がおいしくて、母が驚いていました。私は実家に行ったときは買って帰っていたのですが、『このパンは、グルテンが多いのではないか』と思いました。
東横百貨店が、開発したパンらしいのですが、今は、JT傘下なのですって。日吉店は、ランクアップした、プルミエというブランドへと、変更になっています。鎌倉店は、普通のサンジェルマンです。
横浜に住んでいると、もう一つおいしいブランドがあります。赤い袋で有名なポンパドゥールです。ここも大規模店になりました。おいしいけれど、食べるスペースを作ることには熱心ではないですね。
この二つのブランドは、レストランの経営には、熱心ではなくて、また、大規模な流通もしておらず、直営店でだけ、売っています。その割合が多いです。
でも、味は、よいですよ。
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*3)神戸屋 と Vie de France
神戸屋は、食べさせることに熱心だけれど、高いですね。全体に。いや、経営者の方は、これでも安いと思っているのです。全体で、1000円を超えないから。
だけど、菓子パンと、コーフィーを飲むだけで、500円を超えるのは、よくないです。何か、変だと感じます。だって、雰囲気が喫茶店より劣るインテリアですから。少し衰退気味だと、思いますよ。お客様は、よくわかっている。どうしてそうなるかというと、菓子パンの、一つ一つのお値段が高いからです。30円から、50円程度高いです。そんなちょっとしたところだって、お客はきちんと見ています。
比較して、Vie de France です。神戸屋と比較をすると、一食につき、50円は安いかなと思ったり、椅子とテーブルが良いなと思ったり、配置に余裕があると思ったりします。神戸屋は、椅子が良くないし、配置が、狭すぎるところがあったりします。経営者に、『この値段だったら、このぐらいのサービスしかできないよ』と、言う、高をくくった姿勢があります。お客として、大切にされていないという感じがします。
ところで、Vie de France は、山崎製パンの経営なんですって。なるほどねえと、言うほど、立地条件のいいところに開店をしています。秋葉原に行ったときは、駅の東口にも西口にもありますが、必ず、電気街方面の、広場の正面に立地している、Vie de France秋葉原ダイニングによります。何かを食べて、エネルギーを補充します。もっと、疲れているときは、UDX内にある『とんかつの和幸』に行きます。こちらには、外人客が多いです。
Vie de France・秋葉原ダイニング(パスタなども提供するお店であって、vie de france の中でも、特別な存在なのかな?)にも外人客がおおいけれど、インド系が多いのです。が、和幸の方は、白人系が多いです。ともかく、ここのVie de Franceでは、お勉強をしている人が多いです。いかにも若い人の街、秋葉原という感じであって、しかも、理系の街、秋葉原という感じであって、パソコンか、ノート、または、教科書を開いてお勉強をしている人が多いです。それもまた、このお店を感じよく見せているでしょう。お勉強をしたい人が長居をできるお店です。神戸屋のイートインには、そういう雰囲気はありません。
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*4)deli france の、豆入りパン、 と、 山崎の食パン・超熟+ベーグル
ところで、山崎製パンの、大資本を使って、いいところに展開している、Vie de France なのに、鎌倉にはありません。それは、表駅(ふつうの駅だと、東口と言うところ)に、適切な場所を見つけられなかったのだと思います。
ところが、駅が小さいスペースですが、お土産ショップ街(1F)+レストラン街(2F)を作ったのです。ここへ、早速山崎製パンが目をつけて、Vie de France よりもワンランク上らしい、deli franceというのを展開しています。イートインスペースは、小さいのですが、コーフィーがおいしいので、みなさん、よく知っているらしくて、いつも満員です。また、私が好きなのは、うぐいす豆がパン生地の中に散らばっているパンです。これは、アンパンの変種なのですが、甘すぎず、おいしいです。
でもね、ここまで書いたけれど、実は大規模生産の、パンもひどくおいしくなっています。
山崎製パンの、食パン「超熟」は、とてもおいしいです。生協の食パン、それから、デリフランスの食パン、それから、超熟という循環で、食べています。それから、私はあまり買ったことがないのだけれど、フジパンの、本仕込というのもきっとおいしいでしょう。
そして、思いがけずおいしいと思って気に入っているのが、個包装をしてある山崎製パンのベーグルです。プレーンという、何も味のないベーグルが、ベストです。大規模生産なのだけれど、自社トラックで、配達をしているとか聞いています。新鮮です。
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*6)、ニューヨークの、毎朝一個だけ買ったベーグルと、3日に一ぺん、6枚だけ買った、ハム類を思い出す。
二回目の滞在として、ニューヨークのクィーンズと言うところに三か月滞在をした時に、毎朝、近所の独立系の小さなパン屋さんに、ベーグル一個だけを買いに行きました。そこらあたりは、別に貧民窟というわけではなくて安全な一帯なのですが、どちらかというと、ニューヨーク市民としては、貧乏な人が住む一帯です。ギリシャ系移民だったマリアカラスが、出たところです。
で、小さなパン屋さんで、恐る恐る、「トースターがないので、申し訳ありませんが、ベーグル一個だけを、売ってくださいませんか?」と言うと、「ええ、いいですよ」と言って、毎朝、一個だけ、ベーグルを売ってくれたのです。日本円に換算すると、当時で、50円か60円の買い物です。ニューヨークは食費は安いです。ブドウなど、たっぷり3房で、500円ぐらいです。日本は食費が高すぎると思います。どうしてかなあ?
この時が、2000年で、版画の研修のための、三か月ずつの外国暮らしの、三回目でした。それ以前には、いろいろと、ショッピングの際、いじめられたこともあったので、この女主人には、大きな感謝を抱いています。50円の買い物に嫌な顔一つしないのですよ。親切です。で、この女主人が親切なので、勇気をもって、近所のハム専門店に向かって行き、「一人暮らしなので、6枚だけ、薄切りを売ってくださいます?」かと、言いました。
その当時では、日本のスーパーとはまるで違って、ハム専門店は、パック入りの、ハムやソーセージなんて、扱っていなくて、大小の熟成中のものは、天井から下がっているし、ショーケースの中も斜めの切り口を見せる、太い、円筒のままで売っているのでした。種類は豊富です。で、いろいろ試してみたいのでした。でも、さすがに、2枚とか、4枚は、頼めなくて、6枚買って、それを三日に分けて朝食としました。今ちゃんと思い出しましたが、冷蔵庫はあったのです。だけど、電子レンジはアパートには置いてなくてトースターも置いてなかったのです。で、三か月の間に、血でできたものも入れて、幾種類ものソーセージやハムを味わうことができました。
それが、2000年の秋のことです。生肉を、売っている独立店舗って、あまりなくて、生肉はスーパーで、買いました。ひき肉でも、ごろっとする塊でしか、買えないのです。最低でも、500gぐらいか? スーパーでは、少量は無理なので、それを買って、常に、トマトソースを大量に作り置きしておきました。常に、気が張っていて、週のうち、三日間は、ほとんど、三時間ぐらいしか寝ていなくて、4日目にやっと、7時間寝て、また次の日から、3時間で起きるという生活で、痩せ細っては来ていましたが、食事の方で、体力を補っていたのです。四回食だったので、夜の11時ごろ必ず、スパゲッティを、その玉ねぎとお肉とトマトがいっぱい詰まっているソースで食べたものです。
ヘイター方式という特殊な版画を作っていて、それが、重労働なので、食べることは、絶対に欠かせず、今の、1.5倍は食べていました。そして、お昼ですが、マンハッタン島のチェルシーの画廊街の真っ反対、東側にあるコリアン経営の、惣菜やさんで、800円相当の、お総菜を買ってきて、一ドル100円相当のコーフィーと、パンで、ガッツリ食べていました。
それが、在ニューヨークのアーチストたちの嫉妬をあおることになっているとは、全く気が付きませんでした。
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*7)、『遼太君の家は、夕食が菓子パンだったのだろうか? 優しい遼太君は、良を少なくしているお母さんに、自分の分を分けてあげようとしていたのだった。なんとけなげで、かわいそうなのだろう』
お金があると、より、貧乏な人のことは、分かりません。だから、私たちは、上村遼太君が、どうして、あんな悲惨な、死を迎えなければいけなかったかについて、本当に理解をしているとは言えないのです。かわいそうに、かわいそうに。
彼の家族との最後の会話が、「お母さん、パン食べる?」だったなんて、悲しすぎますね。夕食がパンだったのでしょう。お母さんは、働いていて、疲れていて、料理を作る元気がない。で、菓子パンか、サンドイッチを買ってきて、みんなで食べていた。パンも高いので、大量に買ってきたわけでもない。で、量が少ないので、お母さんが、少ししか食べていない。または、全然食べていない。だから、遼太君は、お母さんを気遣ったのです。優しい子ですね。
でも、ひどい殺され方をしました。
この件に関しては、2チャンネルまとめサイトに、投稿している人たちの意見に大賛成です。
イ】、父が漁師になるとか言って、隠岐島に、Iターンをした。だけど、モノにならず、収入がなくて、離婚に至った。父親が、無責任だ。ビッグダディのまねをしたのかな? 父親が殺したも同然だ。母親が、仕方がなくて、故郷の川崎の実家に帰ってきたのだけれど、それは、貧しい人が住む地域だった。そして、母親は子供が五人もいるので、働くのに、忙しくて、遼太君に、注意を向けていたとは、言えない状態だった。
5人の子供のうち、一人は隠岐島に残してきたとも言われている。小学校六年生の、妹が、お兄ちゃんのことをとても心配していたそうだ。帰ってこないと言って。かわいそうに。
ロ】、このあたりの不良と言うと、在日の出自を持つ可能性がある。となると、警察はビビッて逮捕をしない。もう、分かっていると思うよ。だけど、逮捕されない。ひどいよね。しかも、逮捕をされても、実名も報道をされない。少年法も、本当にひどいよ。
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*8)、『これほど、貧しいと言うことが原因で、ひどい被害にあう少年とか、家族がいるなんて、知らなかった。生活保護は、こういう家庭こそ、もらうべきなのだろうに』
私は常に、・・・・・子育ては、中学時代とか、高校時代が大変なのです。その頃に、母親の方は、子育ての労働として、体は使わないでもいいが、心はたっぷり使わないといけません。そして、口うるさくしないで、待つことが大切です・・・・・と、言い続けてきました。
そして、本当なら、小さいころにもいっぱい教えないといけないことがあって、それは、保育所とか幼稚園だけでは教えきれないので、お母さんは、実は、夕方4時以降は、家にいた方がいい。仕事をするにしても、家に早く帰られる仕事にするべきだと、思っています。そして、「安倍総理大臣の、女性が活躍すべきだという、方向性は、日本が植民地国家であり、日本人が働いた、GDPがいろいろな仕組みで、海外に、吸い取られているので、奴隷国家、奴隷国民として、働く様に、迫られているのに、それを、ラガルド女史などから、迫られて、正しいと、金科玉条の様に、鵜呑みにしておられるの」だと、言い続けています。
だけど、その、「お母さんは、働くべきではなくて、家にいるべきだ」という提言の対象は、お若いなりに、中流、もしくは、中流の上の暮らしをしている所帯が、さらに、欲望を膨らませることに反対をして言っているのです。新しい環境の、タワーマンションに住みたいとか、奥さんが、ブランド物のバッグにこだわるとか、デパートの化粧品売り場で、半年に一回、6万円程度の買い物をするとか、夫が、ゴルフに凝るとか、車を保持するとか、年収が600万円以上ないと、生きていかれないという、心情を持っている・・・・・・とか、そういうケースに対して、言居続けている思考であって、この上村遼太君の、現在の家庭の様に貧しかったら、お母さんは、働かないとならなかったでしょう。
贅沢を求めているケースに対して、『妻または、お母さんは、働くのは、おやめなさい』と言っているのであって、上村遼太君の家ほど、貧しかったら、働くなとは言えません。だけど、それなら、私は、今度は、ひるがえって加害者側に向かいます。そちらの少年たちの母も、きっと、働いていたでしょう。そして、子供たちに、教えるべきことを何も教えていなかったのです。残念です。無念です。だけれども、どんなに、または、誰が後悔しようとも、上村君の命は帰ってきません。・・・・・
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*9)、『皮肉なことだが、父親の、Iターンのおかげで、遼太君はあれほど、明るいいい子に育ったのだった』
明治時代に、馬で、東北を旅した、イギリス人女性、イザベラ・バードは、「日本人は、貧しいが、子供をかわいがる。子供たちは、みんな笑顔であり、平和で、美しい国だ」と言ってくれているらしいです。ごめんなさい。彼女の著書・原文(翻訳でいいのだけれど、)を読んでいないので、伝聞ですが。
で、その頃の東北って、ほとんどの人が、第一次産業に従事していた時代でしょう。農業と漁業です。両方とも、親が家にいない時間帯はあります。だけど、会社勤めほど、長時間、家にいないわけではありません。日が昇るとともに、仕事に出かけ、日が沈む、2時間ぐらい前には帰ってくる。子供たちは、家の周辺で、祖父母などに見守られながら、子守などの手伝いをしながら遊んだり、子供でもできる作業を手伝ったりしている。
でも、テレビのない時代だから、日が沈む前の二時間は、両親や祖父母と一緒の大家族の中で、会話を交わしながら育ちあがるわけです。そういう会話の中で、教え込まれるのです。自然にです。決して強制的にではなくて、自然に、人間としての在り方を。
太宰治は東北のそだちです。ところが、こういう素朴な、第一次産業の家に生まれたわけではなくて、裕福な家に生まれて女中に育てられました。女中は愛情深い女性でしたが、6歳の時に、離されるのかな? それと、裕福な家だからこそ、よき会話がない・・・・・という条件下、中学時代の先生に、『どうも、善悪の判断が、できていない。心配だ』と、ある書類に書き留められてしまいます。後年、何度も心中未遂を繰り返して、相手の女性が、死んだり、最後には自分も死にます。これは、どう考えてもまともではないです。善悪の判断がしっかりしていたら、こういうことはやらないでしょう。
翻って、上村遼太君はどうだろう。彼にはあります。善悪の判断があります。ぱしりとして使われて、悪いことをする様に命令されたときに断わったそうです。
それが、殺された直接の原因ですが、学校へ行くことをも、恐れられていたそうです。それは、先生に、自分たちのことを告げ口されるという恐怖から、殺してしまえと言うことにもなったのでしょうが、
もう一つあるのが、目下と思っている存在から、善悪の判断を教え諭された恥の感覚でしょう。『負うた子に教えられ』ということわざがあります。自分より若い人間とか、子供とか、言う目下の人間が、より知識を持っていたり、賢かったりしたときに、それに従う、社会的に、上の階級の人の心構えをさとしたことわざです。
しかし、それが、できるのは、より上位の人間の方に、心の、余裕がないといけません。
で、この善悪の判断がいつできるかですが、2歳ごろにすでに、できる子はできていると、見ています。しかし、そのためには、小さなことでも、母親が、常に見張っていて、注意し続けないといけません。怒ったり怒鳴ったりしないで、注意し続けないといけません。私は、いつも我が家が、私立保育園みたいに、子供が来ているお家だったのですが、中に、一軒だけ、裕福なくせに、外遊びができることを誇りにするあまり、2歳ごろから、兄弟だけで、外に出しているお宅があって、その子たちに、全く善悪の判断がないので、本当にしんどい思いをした事があります。
実のお母さんに、いたずらの現場を見せると、(それは、ガムテープを部屋中に張り巡らせるものだったが、当時は壁に化粧合板というものを使った部屋もあったので、そこには、テープが引っ付くのだった)「すみませんでした。悪いことをしたら叱って下さい」と、言われるのですが、実際には叱っても、絶対に言うことを聞かないのです。
『これはね。あなたは、楽しいかもしれないけれど、大人が困ることだから、やっちゃあ、いけないのですよ』ということを、たたくでもないし、つねるでもない形で、とことん、分からせないとだめなのです。が、親がそれを、すでにやっている子でないと、他人が、教えたり叱ったりしても言うことを聞きません。その・・・・・叱られる→だからやりたいことだけど、止める・・・・・という、心の機序が、親によって確立されていないと、駄目なのです。しかも、それを、ありとあらゆる経験で、数百回、数千回、繰り返されていないと、駄目なのです。善悪の判断がおのずとできていて、自制心があるということは、そういう繰り返される経験の積み重ねで、やっと可能なことなのです。
だから、今の公立小学校や、中学校の先生は大変だと思います。私立中学校には、私立中学校なりの悩みが、先生の方にも、あるとは思いますが、でも、生徒たちの方に、一応のしつけはできていると思いますよ。
それを、ほとんどの親は、無意識の内に、やっています。一緒にいれば、無意識のうちに何万回と子供に注意を与えています。しかし、とても疲れることなので、他人には、できません。そして、野放図に育てられた子供は、他者には、コントロールが不可能なのです。いつの時点でもコントロールが不可能です。
上村遼太君には、13歳にしてその善悪の判断があったのです。それは、皮肉にも、お父さんが、Iターンをしようとして隠岐に渡ったから、可能になった事でしょう。、親子が、長時間一緒に過ごす、第一次産業の形だったからできた、人間形成だったと思われます。
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*10)、『加害少年たちを、矯正させるのは、ほとんど、不可能だろう。それを知っているから、友人も、助けてあげられなかったのだ。<殺されるかも>と、ラインで打ち明けられても』
テレビの取材陣に、小学校時代の同級生という子が囲まれています。その子は、きっと現場に花束でも、持ってきたところを取材陣に、捕まったのでしょう。そうすると、同じ中学校には行っていないとなるので、私立中学受験をした友達だと思われます。遼太君は、地頭は、よい子だったのでしょう。家庭が裕福だったら、その友達と同じ中学校へ行っていたかもしれませんね。小学校の六年生から、受験勉強を開始するのでは、間に合わないかもしれないが、私立中学を受験して、こういう恐ろしい先輩がいないソサイエティに、移動をできていたかもしれないのです。裕福だったら、それができた。
何はともあれ、いったん、こういう恐ろしい集団に取り囲まれてしまったら、実際には、逃げようがなかったと思います。お母さんが、もう少し、注意深い人だったら、あざだらけになった時点で、隠岐島の知人に預けるなど、トライしてみたらよかったのです。借金をしてでも、下宿代を出して、依頼をして、帰してあげたらよかったですね。でも、二番目の子供だから、愛情が少なかったのかもしれません。
ただ、ただ、かわいそうだったねえと、言うだけです。本当にかわいそうだったと、思います。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2766415です。
2015年2月24日、雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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