この章では、総タイトルを変更していきます。書き終えた内容に応じて、変更していきます。
*1)、大変複雑で、長いものを書き始めます。*2)、すべての事件は、母親に源泉があると、私は考えている。*3)、少女コンクリート詰め殺人事件の際、主犯の傍らにいた、女王気取りの少女は飯島愛だったと、私は、考えている
副題1、『前報(あと註1)に、絶対的な自信があるので、本日は新規投稿をしたくないです。しかし、また、新しい発想がわいたので、それは、記録しておきましょう』
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副題2、『札幌の、首切断事件も、顔の画像が出て来ない、母親に問題が有ったと、わかってきた。それは、農林事務次官の、息子殺しの際にも、すでに、言っているが、今回も、どうも、その様である』
札幌で起きた、修、瑠奈、浩子、三人家族が、協力しているらしい首切断事件は、解明不可能な、程、奇々怪々の、様子を示してきました。
テレビを見ている人が最も驚いたのは、首が、腐乱したまま、お風呂場に置いてあったと、言う話です。まず、首を持って帰ったのは、犯罪が、立証されないために、被害者像が、確定しないことを願ったわけでしょう?
ホテルの方の従業員は最初、被害者の首がない事には気が付かなかったと言っています。という事は、ホテルのバスタブに、血液は、残っていなかったと、言うわけでしょう。瑠奈容疑者、一人しかホテルには、入っていないそうですから、首を切った後で、何十リットルかの、水を出しっぱなしにして、遺体の、血抜きをしたはずです。そこまで、事件当夜は、丁寧な後始末をしているのに、自宅へ持って帰ったら、ふろ場に置きっぱなしにして、腐乱し始めたんですって。
私が当事者だったら、まず、お風呂場で、あついビニール袋に入れて、金づちで、上から、たたき割って、小さい塊にして、何回かに分けて、なまごみにしてだします。
しかし、この三人が、頭がおかしくはない人間で、そのIQの数値が、100前後で普通だったと、仮定をすると、生首は、小型クーラーボックスに入っていたので、腐敗臭が外へ出て来ないので、ひとまず、それで、いいと考えていたのでしょうか?
さて、これから先、見てきた様な嘘を言い・・・・・を始めます。当たらずとも言えず、遠からずでしょう。このお宅は、内部は、ごみ屋敷だったそうです。で、警察は、証拠物件として、最初は、段ボールに入れて、あれこれを、運び出していたが、そのうち、ビニール袋に入れて、ものを持ち出す様になったと言っています。それが犯罪が、決行されてから、そうなったのか? 前から、そうだったのか?についてですが、前からそうだったのでしょう。という事は、室内は、前から、においが充満する状況だったので、お風呂場から、死臭が漂ってきても、一家三人とも、気にしなかったと、言う形なのだと、推察しています。本人たちの体の洗浄は、遠くの銭湯に行くか、または、医療現場でつかう、清拭剤で、ふいていたと、考えられます。
さて、お料理です。この奥さんは、ものぐさらしいので、当然、お料理は、作りません。中食というらしいのですが、調理済みの料理を買ってきて、電子レンジで、温める。お茶碗を洗うのも嫌だから、紙コップや、紙皿を使う。夫は、勤務医ですから、自宅をクリニックにしている人ほど、高収入ではないと言っても、医者です。一般の会社員より、高給取りでしょう。しかし、すべてを調理済みのもので賄うとすると、お金が足りなくなります。それで、パートで、働いていたのでしょう。
しかし、こういうお母さんだからこそ、瑠奈容疑者は、小学校時代から、不登校になって居たのです。朝起きた時に食べるものがない。洗濯してある洋服がない・・・・・そういう事が、不登校のきっかけになったと、思います。
ただ、浩子容疑者に隠された夫への不満があって、それで、もともとは、普通の人だったのが、怠け者になったと、言う可能性もあります。わからない。ただ、この一家の、異常さは、浩子夫人に負うところが大きいでしょう。
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副題3、『私は、この事件は、お父さんが、共産党員であることが(特権を、保持できるので)問題の、原点だと考えていた。ところが、衣食住という生活の基本に置いて、義務を守らないお母さんがいた。こうなると、お父さんは、ちょっと、触れることができなくなる。普通の人だって、生活の基本形がダメになると、おかしくなるから。それで、この父親を、分析するのは、ずっと後で、行いたい。もう少し、正確な情報が手に入ってからにしたい。』
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副題4、『共産党と、事件というと、足立区の建売住宅を舞台として起きた、少女コンクリート詰め殺人事件を思い出す。私が、この2023年7月27日にそれを発見し、最も驚いたのは、アエラドットが、福光恵という著者名で、長い、長い【飯島愛特集】を、組んでいたことだった。副題を、
・・・・・飯島愛のプラトニックな素顔 没後10年・・・
とされて居る。ところで、アエラドットとは、オンラインマガジンであり、紙の印刷物ではないので、第二部まで、コピペした。
ところで、この事件が起きたころ、私は朝日新聞と毎日新聞の両方をとっていた。本当は、毎日新聞だけで、良かったのだ。このころ=1988年は、まだ、新聞は元気がよく、毎日新聞は、現代アートの美術批評を載せていたので、読むのを楽しみにしていたのだった。ところが、朝日新聞が、強引な拡販競争に乗り出していたころで、どうしてもとってくれというので、二紙、同時に取っていた。
すると、この足立区が、舞台となった異様な事件を、毎日は、報道するのに、朝日は、一切報道をしない。
最初は、この事件があまりにも残虐で、酸ぴ極まりない事件だったので、お上品ぶっている朝日新聞は、報道をしないのかと考えた。
ウィキペディアから、一部を抜き取ってここに置く。:¥:¥:::¥:¥::::::
A自らも少女を多数回殴打し、少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせた[判決 4]。この頃、少女は度重なる暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあった[判決 4]。Aらは同月中旬頃から、主にCの兄Gに少女の監視役をさせるようになったが、その頃から少女は少量の食物しか与えられず、年末頃には牛乳をわずかに与えられる程度であった。その結果、少女は、栄養失調とAらの度重なる暴行により心身ともに極度の衰弱状態に陥り、食欲は減退した。また、少女の顔面は腫れ上がり、手足などの火傷は膿みただれて異臭を放つようになった。その時の少女は、もう階下のトイレへ行くことも困難な状態であり、終日監禁場所であるCの部屋でぐったり横たわっていた[判決 4]。
::::: もう本当に読むに堪えない。
この少女はだまし討ちで、さらわれてきた、リンチを行うう不良少年たちとはまったく無関係の少女だった。新聞に載った顔写真を見ると健康そうな普通の美少女。
あまりに、ひどい状況だから朝日が報道をしないのかと思っていたが、ある日、この舞台となった家の持ち主が、なぜ、40日も、放っておいたのか理由を、知らせる記事が出た。両親は、病院勤務、医者ではないが、夫婦共働きで、中流の上と、言う収入のある家庭。だが、組合活動で忙しくて、子供部屋の様子など、チェックしたこともなかったそうだ。
なるほどと思った。それで、朝日新聞は、報道をしないのだった。共産党員の家で、起きた事件だったので、朝日新聞は、報道をしなかったのだった。
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副題5、『リンチ、事件は、自らのセックスの営みの刺激剤として、行われることを私は、熟知していた。それは、ご近所の住民、石川和子、柳沢昇夫妻に、寒い中を、私が、自分の猫を返してもらいに、訪ねると、待たされるといういじめを受けて、怒った私が、経験した石川和子さんの、股の間から、立ち上る異様に生臭いにおいで、気が付いたのだった。つまり、50を過ぎた大人が、他人の同じく、50を過ぎた女性を計画的にいじめるのは、自分たちのセックスの快楽を、亢進させることが目的だった。
私の猫は、当時、まったく社交的で、生徒が多くて、10人前後の人間から、ちやほやされる春秋窯で、遊ぶのが好きだった。ただし、石川和子・柳沢昇夫妻が、非常識で礼儀知らずなので、我が家では、私以外の家族は、猫をもう、外へ出さない様にと言っていた。ただ、ただ、私が、1947年ごろから猫を飼っていて、猫が大好きなので、自由にさせていて、毎晩迎えに行っていたのだった。
その時間が決まっている。したがって、迎えに来る時間帯を利用して、私をいじめ、それによって、快楽を、二乗か、三乗化、していたのだった。その日、カウベルをたたいても、5分以上待たされた。挿入の真っ最中で、ピストン運動が、心地よくて、やめられなかったのかもしれない。ただし、この夜の、この最初の訪問時には、二人がピスト運動の真っ最中であるなどとは気が付かなかった。私は寒い中を五分以上待たされたので、さすがに気分が悪くて、猫を受け取った時に、にこりともしないし、言葉も一切発しなかった。でも、それでも、怒りがおさまらず、
一筆箋二枚に、「もう、私の猫は、自由には、外へは出しません。悪しからず(つまり、お宅へは、もう行かせません)」と、書いて、彼女の家のポストに入れた。ただし、彼女の家のポストは、投かんの、音が家の中で、聞こえる形式ではない。で、私は次の日の朝、彼女がそれを読むと、間が抜けた、伝達になると、考えた。その日のうちに、私の怒りは伝えたかった。
で、その夜に二度目のこととして、カウベルをたたいた。すると、彼女がドアを開けた。さすがに黙って、猫を受け取って、帰ったのは、効いたらしい。私が怒ると、すぐブログ化するのは、知っていたらしい。私は、この二度目の訪問の時は、声を出して、「あ、お手紙入れておいたから、後で読んでおいて頂戴ね」といった。すると、彼女は、「読まない。だけど、話し合いましょう。はいって」といった。私は、応接間(あったらの話だが)に招じ入れられて、上等な煎茶と、上生菓子が、提供されるものだと、考えた。日吉の実家ではそうだから、その上「私は、伊藤玄二郎の元愛人で、その面倒見の良さのおかげで鎌倉市から、有意義なサポートを受けていて、月に、200万円の収入があるのよ」と言っていたし。日吉では、白い紙箱にはいった、上生菓子が、常に用意されていたから、似た様なおもてなしを受けるものだと、考えていた。
ところが、予想に反して、私は、狭い玄関に、たったままで、彼女たち二人の弁解を聞く事となった。その家の玄関は、とても狭い。幅が75㎝、長さが2.3mぐらいだ。私が、東側のセメントの部分に立つと、相手は西側の木部の上に立つ。ところで、柳沢昇は、当時は、170㎝で、体重70キロぐらい。石川和子さんは、162㎝で、60キロぐらいだ。で、幅75cmの上がり框に二人が並んで、立つことはできない。で、石川和子さんの方がしゃがんだ。お相撲さんのそんきょの姿勢をとった。その後ろに、柳沢昇が立った。そして、二人は視線を絡ませ、言葉で、お互いににじり寄り、「ねえ、自分たちは、悪くないわよね」と、首から上の、セックス行為を始めた。二人は、私の方を見ていなかった。もし見ていたら、私が嫌悪感満載にして、90度に、おっぴろげている、石川和子さんの、スカートを見ていたのが、わかる筈だ。彼女の股の間から、立ち上る、強烈な、野生のにおいに、顔をしかめているのがわかっただろうに。
私は、黙ってドアを開けて立ち去った。あまりのばかばかしさに、20秒だって、待っていられなかったからだ。この項、つづく。
後註1,
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