この章は、小説形式で書かせてくださいませ。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。しかし、場所が鎌倉である事とか、神域とは八幡宮境内を指す事とか、雪洞祭りとかは、それらを、架空の名前に移し、フィクショナライズするのが、難しいので、中途半端な小説とはなりますが、お許しください。これから、書く内容は、とてもではないが、ドキュメンタリーでは、書けない内容なので、小説として書いていきます。
というのも落ちた偶像とは、まさしくこれだと、言うほどに、宗教者、特に有名な方が、どれほど、おっちょこちょいで軽くて、そしてCIAに利用をされなすって居て、結果として、正しいものを汚し、傷つけて悪魔に奉仕をなさっておられることを書くからです。結局は人を死に至らせてもおられます。ご自分が包丁で刺したとかそういう事ではないのですよ。しかし、悪魔の側にいる人と組んでおられるので、関係者は、死に至るのです。この現象はあまりにも表と裏の乖離が激しすぎるので、まっとうに書いても、嘘みたいに聞こえるでしょう。だから、小説として書きます。
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副題1、『鶴岡八幡宮は、夏に、雪洞祭りというお祭り(しかし、一種の展覧会でもある)を開催なさる。そこに、ぼんぼりを献呈するのは、自由意思でできる事ではなくて、八幡宮様側からの依頼の紙が、届き、それに絵を描いて、待っていると、神官が、取りに来られる。お祭りの後に、お礼の人が、お礼の品をもって訪ねて来る。お礼はたいていの場合は、代表的な画家(主に日本画家)の本年度の作品が、うちわの形になっているものである。また、お神酒も、小さな徳利に入って居て、きれいな箱に入れて、頂ける。で、山岡百合子にとって、2006年までは、それは、上品であり、かつ、楽しい行事であった』
しかし、2005年に、百合子宅から、10mの近い場所に住んでいて、陶芸教室を開いている岩川嘉津子と、その現在の夫、柳田丈が百合子の猫を、種にして、警官を巻き込むとんでもない騒ぎを起こしてから、百合子は、身辺に異常を感じる様になる。岩川嘉津子は、本人がそういうのだが、鎌倉の有力者、加藤現二郎の元愛人だそうであり、いわゆるでかい面をして、威張りまくっている女性であった。しかし、実力もないのに、超がつくほどに優遇されているので、どこかに破たんが来たのだろう。それが、2005年の、大騒ぎと言う結果をもたらし、彼女は、結局、早世する。
しかし、これが、きっかけらしいのだが、鶴岡八幡宮様が、大音量の、騒音を出す様になった。春と秋の、流鏑馬の時、夏の音楽会の時などは、朝の九時から、行事が始まるまで、「マイクの練習中です」と言う大音響が響き渡るのだった。ほかにもおどろおどろしい形式の大太鼓の打ち方も、場合によっては、一日に、四回も五回も、繰り返される様になった。
百合子は、ブロガーである。そして、相当に頭が良い方だろうと、自覚をしていて、それゆえにほかの人が絶対に書かないであろう深さまで、政治の分析をしていた。で、鶴岡八幡宮様が出す騒音は、自分をイライラさせて、書物への、編集作業をさせないが為であろうと、推察する様になる。百合子は音楽についてもたびたびエッセイを書いて居た。百合子とは、一種のディレッタントであり、自分の専門に限らず、ありとあらゆる分野について書く人間だったが、クラシック音楽について書いて居ることのその内容から、『異様に耳がいい』と、感じ取られ、それをどう攻撃したらいいかと、分析をされているみたいで、それゆえに、鶴岡八幡宮様を利用して言論弾圧の、仕組みが、作用しているのだ・・・・・と、考える様になる。
小さなノートに、異様な音が発生する回数を、メモし始めたのだが、あまりに回数が多いので、鶴岡八幡宮様との縁を切ろうと、考える。特に、仲良くしていた川口みつ子さんと言う、銀座の画廊のオーナーが、自殺を装って、殺され、その後、八幡宮の境内にあった珍しい樹木である、アメリカキササゲも伐採をされ、などと、CIA側の激しい攻撃が極まったので、これは、ぼんぼりを献呈するなどという、場合ではないと考える。
鶴岡八幡宮様に対して、狐と狸の化かしあいをやっている場合ではない。きちんと、自分の、位置やら、考えを、示さないといけないと考えて、お断りをしたいと社務所に、事前に、言って置いた。ところが、お引きにならないので、2010年にも、紙は来た。神官は、浅葱色のはかま姿ではなくて、スーツで、みえた。
もう親密度は、失われていて、緊張感が高かったが、百合子は、リアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、一応作品を仕上げて、持っていき、来年からは、辞退したいと、はっきりと、社務所前で、言い張った。
その年も、一応お礼の品は来たが、持ってきたのは、白いシェフの洋服を着た料理人だった。しかもいかつい体格で、鬼のような顔をしているので、「ああ、刑事が変装をしているのだろう」と、思い到って、ますます、『八幡宮様からは、遠ざかろう』との決意を固める。で、委細をブログに書き始めるので、八幡宮様も、あきらめたのか、和紙をくださらない様になった。それで、百合子側は、安定した。悪い刺激が無くなったのである。それ以前の、方法とは、一方で、音で、いじめながら、一方で、和紙をくださるというもので、それは、端的に言えば、残酷な、いじめだったのだ。
で、八年間ほど、見物に行く事さえなかった。ただ、美術評論家の、高井忠実氏のぼんぼりだけは、その人物の精神の在り方を確かめるために、見に行ったことはある。加藤現二郎から依頼をされて居るのだと、推察されたが、ひどいいじめを銀座の画廊街で、彼が主導的立場に立って、行って来るので、『彼の精神とは、どういう状態なのだろう。そもそも、どういう人格の持ち主なのだ?』と、それをいぶかしみ、正しい状況を、探るために、彼が献呈しているぼんぼりを点検しに行ったことは、数回ある。が、雪洞祭りを全体として楽しむなどと言う、状況とは、ほど遠かった。
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副題2、『百合子は、自分も、何度も拉致され(それは、結局のところ、殺されるという意味だが)そうになるのだが、辛うじて、すべての災禍は潜り抜けて、生き続けている。しかし、心理的な意味で、ノイローゼにさせようとする、行動は、NHKニュース内でも、「異様な事件が起きました」と言う形で、多々見られ、仕事上の現場・銀座の画廊街でも見られ、この雪ノ下と言うう居住地でも、24時間みられる。
そういうさなか、自分の知人が、11人ほど、不審な死を遂げているのにも気が付く。そういうケースでは、来るべきはずの、死亡通知が来ていない。その上、数か月前に出会っているのに、「癌で、死にました」と、数か月後に、言われると、「嘘でしょう! 他殺ですね」と、言わざるを得なくなる。
これは、百合子の周辺から、味方となる可能性のある人を、遠ざける手法の、一バリエーションだけど、殺してしまうのだから、恐ろしい。友人を遠ざけることはすでに、何人もが、実行をされて居たが、殺してしまうのだから、恐ろしい。
百合子は、画廊のオーナー川口みつ子さんのケースだけは、彼女が、独身であって、子供がいないので、追悼する人間が居ないので、自分が引き受けようと思って、詳細に書き始めたが、それでも、困難が一杯あって、最終段階まで、行くのに、7年もかかった。で、他の10人については、まだ、端緒にもついていなかった。そういう時点で、妹が、似た様な形で殺されたのである。それほどに、百合子が、今書いて居ることは、重要な事であり、CIAが困り切ってしまう真実であると、確信をしている。
ところで、妹が殺されたことによって、百合子は大きく変貌をした。究極の不幸とか、究極の恐れとかに出会うと、ケラケラと、笑いだしてしまう状況を、芝居とか、映画の中で見ることがあるが、それと似ている。百合子は突然に、すっきりとした人になり、何物も恐れず、かつ、何物にもこだわらない人となったのである。で、2007年から始まった音による攻撃は、相変わらず、感じているものの、『まあ、それは、それとして、今年は雪洞を見てみましょう』と、言う気持ちになり、山ノ下へ降りて行った。
そして、或る雪洞の前に立った時に、百合子はぞっとした。それは、2026年の10月に行われた、母の七回忌で、お坊さんが手抜きをしたことを、思い出したからだった。その手抜きは、自然な事ではなかった。それは、後で、セーターを忘れたために、式場に戻った時にはっきりとした。お坊さんは、「鎌倉霊園側が、式場を、直後に、使う予定があると言っているので、早く終わりました」と、言った。法話もなく、喝もなかった。
ただ、私が、セーターを忘れたので、もう一回、取りに行ったところ、式場で次の法事は、やって居なかったのである。鍵がかかっていた。で、事務所に行くと、60歳に近い女性スタッフが「次の会をやっていますので、それが、終わったら調べます」と言う、ものすごい嘘。ガラスの扉の向こうには、誰もいなかった。次の法事の予定とは、100%の嘘だったのだ。
これは、鎌倉霊園ぐるみ、また、お坊さんぐるみのいじめである。鎌倉霊園に、そうする様に頼んだ人間が、誰であるかはすぐに分かった。霊園の実質的な、トップである、堤家の親戚で、総帥の、従兄弟に当たる人間・石坂弓彦さんだろうと、瞬時に推察した。しかし、お坊さんの方がはっきりとはしなかった。誰が、裏から、横浜、生麦のお寺のお坊さんに、手抜きをする様に、手をまわしたのか、それが、はっきりとはしなかった。で、それ以前に、は、ブログにこれを書くことはなかった。深い怒りは持っていたものの、ブログに書くことはなかった。
しかし、その11か月後、鶴岡八幡宮の、雪洞祭りで、或る雪洞の前に立った時に、天からのささやきが聞こえた。「この人です。この人が間に立って、ああいう悪い手配をしました」と。
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ええとね、皆様、私は疲れて来て、今夜(16日の午前二時、以降)には、もう、これから先を書かないで、寝ます。で、これから書く事の、ネタバレをしてしまうと、概要は、
:::::::::::::: 禅宗関係のルートを通じて、母の死亡時に、我が家の、菩提寺の、お坊さんに、通夜を、欠席する様に、加藤現二郎が、北鎌倉にあるお寺の、或るお坊さんに依頼をして、その悲しい現象が、出現し、
その時点(6年前の、2011年秋)から、ずっと、百合子は、悲しんでいて、しかも、誰がやっているか、薄々わかっていて、それをブログで書いて居るのにも、かかわらず、2016年の秋の、母の、七回忌にもおなじ手配をして、百合子を悲しませた、その当該のお坊さんが、雪洞祭りに、しゃあ、しゃあとして、献灯をしていたのだった。ものすごく嫌な感じで、ぞっとした。:::::::::と、成ります。
で、今、下世話なレベルで、簡単に書くと、
鶴岡八幡宮って、悪魔に侵食されて居る一帯となっています。そのお坊さんは、親、または、叔父が有名人です。禅宗界全体を通しても、一流の、有名人です。だから、甘やかされ切って育ちました。そういう人なので、わきが甘い人なのです。そういう典型として、伊藤玄二郎に依頼をされると、ひょいひょいと、言う事を聞いてしまう人なのです。私が実名で一切を書いたら、
そちらも、有名人だが、我が家の菩提寺のお坊さんも、その人が所属している宗派内では、すでに、とても、偉い人なので、大変なスキャンダルになるでしょう。宗教者が義務を果たさないのですから。是って、弁護士とか医者に当てはめると、本当に悪い事となりますでしょう。しかも、その宗派で、指導的な立場に立っているお坊さんが、そうしたのですから。
偉い偉いお坊さんが二人も、石川和子と柳沢昇みたいな、セックスまみれのどうしようもないわがままで、低劣な人物たちの、下手に立って、伊藤玄二郎に協力をなさっておられるのです。石川和子と、柳沢昇の二人は、奇想天外ともいうべきバカげた行動の結果、警察を巻き込む大騒動を起こしたのですが、その後、そこから発生したと思われる、二次的被害とか、三時的被害があまりにも大きいので、委細を詳細に、書いている私に対する復讐のために、伊藤玄二郎の、依頼の元、悪い事へ、二人が、使役をされて居るのですよ。恐ろしい事です。本当に、恐ろしい事です。だから、実名では書けません。ただ、お待ちくださいませ。小説化して書きますので。
私は何年も前から、「全部わかっていますよ」と言っているのに、最近まで、妹を殺すという恐ろしい事を、やってきています。こちらの、妹の死の方は、二人のお坊さんとは、直接の関係はないでしょう。そして、葬儀も無宗教で、行われたので、私は、いつもの菩提寺のお坊さんと出会うことなく、したがって、嫌な思いはしないで済みました。
でも、伊藤玄二郎には、妹との、関係は、ありますね。それが、〇々村〇彦君と、〇池〇子さんとの話となって行きます。だが、それは、この小説内には、入れないでしょう。
で、伊藤玄二郎は、常に動き回って居て、八幡宮様に依頼をします。そこで、八幡宮様側は、社務所に、浅尾慶一郎を滞留させたり、竹中直人さんを滞留させたりして、伊藤玄二郎とか酒井忠康氏に、協力をされております。私が何を書いても、高をくくって、同じことをなさっておられます。恐ろしい。恐ろしいです。特に、美術館の改築と伴って、アメリカキササゲの、切株は、取り払われたらしいですし。本当に恐ろしい。
ともかく、ここに登場する人物たちは、その実名は、いまだ書けません。その宗派では、トップクラスのお坊さん二人なので。二人は違う宗派に所属しておられるが、禅宗と言う意味では同じです。
その、鎌倉のお寺の方のお坊さんですが、ずっと前から雪洞は献灯なさっておられるのですよ。で、私が、自分も献灯をしていた、2007年ごろにも、はっきりと、彼のぼんぼりは、見ているのです。しかし、その時点では、母はまだ存命だったので、通夜に、お坊さんが、代理の人をよこすとか、七回忌で、早引けをなさるなどと言う、現象は起きていないのです。
しかも瓜南直子さんの死は、2012年です。それも、まだ、2007年には到来をしていません。だから、その時点では、ぞっとしたわけではないのです。
今回ぞっとしたのは、その雪洞の、書体の甘さとか、緩さもあって、それも嫌だったのですが、ぼんぼりの下にある、短冊の事を、見た時なのです。それは、お坊さん自体が書くものではなくて、鶴岡八幡宮様側が、書くものだと、思います。
私が献灯していた頃、自分としては、雨宮舜と書きたいのですが、それは、まだ、世間には、通用していない名前だから、八幡宮様側は、川崎千恵子とだけ、記されます。
酒井忠康氏だって同じです。世田谷美術館館長にして、元、神奈川県立近代美術館館長と、肩書が書いてあるわけではありません。それは、現在トップの飾り位置に立っている、奥谷博氏の、短冊だって同じです。奥谷氏の肩書としては、芸術院会員、文化功労者があります。近々、文化勲章受章者となられるでしょう。
もし、八幡宮様が、この私の、ブログ文によって、来年、奥谷氏の短冊に、文化勲章受章者などと言う冠名をつけたら、本当にがっかりします。そのうえ、今でさえ、飾る位置に、正当な、順番が、機能していないのに、肩書など、付けて、名前の短冊を作ったら、内々で、出品者側から、ひどく恨まれることとなるでしょう。だって、肩書なんて、どれが上なのか、ああいう雑多な世界の人が、同時に出品する世界では、上下関係を決めにくいものですから。
これも余計な事ですが、松尾崇氏の柱に、鎌倉市長と言う肩書をつけておられたみたいですが、元、市長も、出して、おられるので、何か、嫌な短冊だと、思いました。ただ、これは、私の記憶が間違っているかもしれません。隣に、黒岩知事のぼんぼりを見つけたので、勝手に、そういう風に思い込んでいるだけなのかもしれません。
問題の、私がぞっとした短冊に戻ります。その名前用の柱の短冊ですが、それだけ、冠がついていたのです。これには、そのお坊さんの甘い考えが現れていると、思って、ぞっとしたのでした。
昔、春日大社と言う冠名を見たことがある様な気がします。そして、奈良や、京都の、名刹のトップが、寄贈をしてくださっている場合は、そのお寺の名前がついていたという記憶も、あります。しかし、今は、そういう遠くからの、寄贈が減っている様な気がします。また、鎌倉市内の、神社仏閣からの寄贈も減っている様な気がします。
これは、芸能人が出しているから、出さないという、プライドの問題ではなくて、見に来ると、出品することのこわさ等が、判ってくるのです。その結果でしょう。世代交代も、進んでいるだろうし、書道のたしなみが、無い人が増えているのかもしれません。神社仏閣のトップだったら、相当に気迫のこもった、立派な書体のぼんぼりを寄贈しないといけません。変な書体のぼんぼりを見たら、『なあんだ。あのお寺のトップって、こんな、へなちょこな人なのか?』って信者ががっかりするでしょう。だから、自分の人生に、ほんのちょっとでも、忌わしい事とか、変な事とか、おかしなこととか、人に恨まれる様なことは入れてはいけないのです。それは、すぐさま書体に反映しますので。
私がその短冊の前に立って、ぞっとした雪洞に戻ります。雪洞はともかく、一個、一個違うのですが、名前用短冊は、みんな似たような形式で作られているのに、それだけは、書き方と書体が、隣のぼんぼり等と、違う様な気がしたので、『ご自身が、持参なさったのかな?』とも、考えました。もし、この推察が当たって居たら、『なんと幼稚な事だろう』と、思って、さらにぞっとしたのです。『人格として、とても未熟だから、手もなく、伊藤玄二郎にのせられてしまうのでしょう』とも思いました。
肩書の問題に戻ると、「先生と呼ばれるほどのバカじゃあない」という言葉が飛び交うのが、ちゃんとした、現代アート系作家の、世界であり、その矜持でしょう。自分が学校の先生を実際に、やっていて、相手が、生徒だったらそう呼ばれてもいいですが・・・・・と、お隣のマダムと、故・前田祝一氏に言っておこう。
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