初稿を書いてから、三日目の朝、午前三時から、五時にかけて、二度目の推敲をして、さらに加筆をしました。複雑にして、かつ重くて暗い話ですが、以前より、数段わかりやすくなったと、思います。その部分には、アンダーラインを敷いておきました。で、完成した印に、恒例の△を総タイトル横につけておきます。
鎌倉・雪の下、及び銀座で、あれこれある問題の分析を私は続けてきました。その間、永田町で、安倍総理をめぐるあれこれがあり、都で、築地の移転云々という大問題があり、イギリスと、フランスの選挙とか、ヨーロッパで、相次ぐ、テロ被害と言う項目がありました。
しかし、それらは、看過して置き、ずっと、私固有の問題を書き続けるべきだと、考えており、その方向で、仕事をしておりました。
しかし、内心では、二つほど、そちらに、移行すべきか? と、思う問題があります。一つは、東芝と、高田のエアバッグの問題です。両方とも上場廃止かと、言われています。これは、無論、私狙いの、大げさニュースから始まって、にっちもさっちもいかなくなっていて、さらに、あくどい方向へ行こうとしている問題です。
つまり、旭化成建材の、杭うち疑惑問題と、同じ路線です。狙いは、私の資産を株価を下げて少なくさせるという方向です。気が付かなかったのですが、何と、息子が、両方の株を買ったそうです。それ以来、この問題が起きています。また、この資産減らしは、私本人だけではなくて、息子の資産も減らしてやろうとする方向であって、それは、JALの上場廃止から始まった、すこぶる悪辣な仕組みです。そこで、成功したなと、思って、味を占めた、悪辣な一味が、計画をし続けている事なのです。それが、悪い方向へ進行しすぎて、にっちもさっちもいかなくなっているところです。東芝、高田のエアバッグ、および、旭化成は、大損をしました。誰が助かるためですか?
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なぜ、韓国に、渡すのかと言うと、これは、鎌倉エージェントが起こしている事だからです。その中でも、主要な人物である、井上ひさし(公的には、自分を、死んだことにしていますが、本当は生きているのですよ・・・・・この彼が生きているという件をこの章の蛇足と言うところで、詳述をします)と、成岡庸司君の二人の出自に在日の影が、在ります。それで、韓国がとても大切な国となっています。
それと、米国本部における、CIAの中枢も、日本人の優秀さを恐れていますので、日本人を押さえつけるために、重石の一つとして、韓国やら韓国人、および、在日を最大限に利用をしています。米国の中枢は、本当に、日本人を恐れているのです。どうして恐れているかと言うと、日本人をだまし、植民地扱いをして搾取をしています。米軍基地の思いやり予算など、その最たるものです。米軍とは、日本を助けるために駐留をしているのではなくて、日本人の中で、真実に賢い人々が、気付いて来て、反乱を起こすのを抑えるために駐留をしているのです。
そして、もとより、自分を天皇陛下よりも偉いと、思って居る井上ひさしたちが、起案した、この東芝の、失墜と高田のリコール問題ですから、自分たちの思う通りに、恣意の横行があるのです。それが、韓国に売り渡すという政府の方針です。安倍内閣は、伊藤玄二郎の言うなりですから。
この、韓国に東芝のもっともすぐれた部分を、売り渡すという件ですが、最初からそれが狙いで、東芝の内部のごたごたが、過剰に世間にさらされて来た可能性があります。それは、大相撲壊滅作戦のころの大相撲協会の内部、特に理事長が、CIA側だったことと似ています。東芝の内部に、CIA側に立って動いている人間が居るのでしょう。
でも、ちょっと、雲行きが怪しくなってきましたね。メディアが、安倍さんが、失墜しそうだと、言っています。小沢一郎が失墜したのと同じ現象が起きるのかな? この二行は、まだ書くのがタイミングが早すぎたかもしれませんが・・・・・
→、→、→、→、→、→、→、→、→、間に蛇足と言う言葉で始まる井上ひさしの仮説的な死を説明する長い長い文書を挟みます。だが、意味上の、次へはこのおなじ茶色の矢印の処へ続きます。
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蛇足・・・・・・井上ひさしが、2010年の、4月9日に自分を死んだことにしたのは、山口みつ子さんの、殺害の影に、秋山裕徳太子氏が、保坂涼子さんと言う女性を、あおったことがあるわけです。保坂涼子さんの、作品について、良い美術評論を書いた私に対して、保坂涼子さんが、ギャラリー山口の内部で、武蔵野美術大学の先輩にあたる、秋山裕徳太子氏に、「この雨宮舜と言う人物は、どういう人なんでしょうか? どういうお礼をしたらよいのでしょうか?」という質問をしたのだろうと思います。この保坂さんの質問の部分は、例のごとく、私の見てきた様な嘘を言いの一つです。実際にその場にいて、それを聞いたわけではありません。
しかし、それ以降は、山口みつ子さんから、直接に、聞きました。・・・・・秋山さんが、「雨宮舜、何するものぞ」と言っていたわよ・・・・・と。
山口みつ子さんが、秋山裕徳太子氏について、言ったのは、正確には、上の二行だけです。
しかし、内々に、こういうニュアンスが含まれていました。「川崎さん、あなたの方が、美術評論家として、秋山さんよりずっと、優れているわよ。人間としても、むろんですがね」と。川崎千恵子は、私の本名ですが、あまりにも平凡なので、公的には、雨宮舜をペンネームとして使っていました。
その雨宮舜を、秋山裕徳太子氏は、力んで、けなしたわけです。それを保坂涼子さんは、正しいものだと、受け止めて、恐ろしい罵りのメールを私によこしました。
36行を101回繰り返したものでした。ただし、101回繰り返したのは、CIA(または、いつもハッキングをしていた筈の古村浩三君など)の仕業かもしれません。保坂涼子さんが行ったことではないかもしれません。しかし、101行で、36回だったかもしれないのです。ともかく、莫大な量で、行われた、恐ろしい威圧でした。罵詈雑言のひどいメールでした。
私は、保坂涼子さんの詩情をほめてあげたのに、驚くべき野蛮さの際立った文章で、ののしってきたのです。驚きました。本当に驚きました。
当時のAOLは、独自のシステムを使っていたので、パソコンが壊れると、無くなるので、今は、それが、手元にはありません。彼らは、こういう風に、パソコンを通じて、ひどい攻撃を行って来るのに、その証拠が残ることを恐れて、我が家では、すでに、この19年間で、15台以上の、パソコンが、壊されてきています。
で、私は画廊内で、みつ子さんを相手に、「その保坂さんから、ひどいメールが来たのよ」と、言いました。「36行が、101回繰り返されていたのよ」と。すると山口みつ子さんが、笑いながら、「あら、いやだ、それって、気違いですね」と言いました。
そこには、山口みつ子さんの、私に対する、柔らかな、そして、暖かい気持ちが込められていました。どれほど、嬉しかったか。で、私は、それで、満足をしたので、このことを2006年の当時には、メルマガで書いたりはしなかったし、保坂涼子さんに抗議をする事もなかったのですよ。
しかし、このことこそ、山口みつ子さんが殺された、大きな動機だったと、思って居ます。それをここで言うのは、本当につらい事です。非常につらいですが、その通りでしょう。では、どうして、その言葉が、CIAの、耳に入ったかですが、ギャラリー山口が盗聴をされて居たと、思います。それで、少しでも、私の味方をする人間が居たら、殺してやろうというのが、その動機だったと、思います。彼らは、既に大勢の人を殺しています。だから、その延長上で、山口みつ子さんと言う敬愛を多く集めていた人と、言えども、平気で殺したのです。無論、実行をしたのは、保坂さんでも秋山氏でもないし、野見山さんでも、山口せんりさんでもありません。警察の特殊部隊だと、思います。数人で、みつ子さんの、マンションをピッキングで開けて、その中で、待ち伏せして居て、クロロフォルム等をかがせて、窓から、突き落としたのです。
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ギャラリー山口が、盗聴をされて居たというのは、野見山さんと、千里(せんり)さんが、あまりにも、タイミングよく、画廊内に入って来て、千里さんが、「誰よ、ぎゃあ、ぎゃあ、言っているのは」と、叫んだ日に、はっきりと分かった事でした。あのね、私の声は、そう自分で言うのは、皆様にとっては、興ざめでしょうが、非常に美しいと言われています。山口みつ子さんも同じです。
むしろ、千里さんのその時の声の方が、恐ろしいほどに下品であって、ざらざらしていましたよ。彼女は、原田美枝子系の美女で、聖心女子大出身で、上品なはずなのですが、その時は、『うっ。千里さんって、実家が何か、労働者を扱う仕事でもしているのかしら。この声って、湊で、働く荷揚げ人夫を束ねたり、炭鉱夫を束ねたりする仕事を実家でやっていたとしか思えない声ですね』と、内心で、思ったものです。
私は、千里さんの、悪意と、『今は、即座に、この人(=私)を、撃退してやろう』という気持ちがわかりましたので、それをそのまま、受け止めて、すっとその場を去って、帰りました。何も抗議をしないでね。
何度も繰り返して言っている様に、現場でリアルな形で、喧嘩をするのは、私にとっては、おしゃれではない事なので、いつも、黙って去ります。ただし、それを、「弱い奴だ!」と、見くびると、その人物は、私からは、・・・・・本当のインテリを知らない人間だ。しかも、しかも田舎者だ・・・・・と、私から、見做されて、私に内心で、軽蔑されることと成りますよ。
東京圏の、一戸建て住宅街に育ったのなら、どれほどに、ご近所様が優秀なのかを知っている筈で、自分がひどい事をすれば、相手は、それを、きちんとわかっていると、思って過ごすのが普通なのです。だから、誰を相手にしても、こっちが威張ったりするのは、墓穴を掘ることだと、しっかり分かっている筈なのです。
保坂涼子さんは後で、東北の、住人だと判って来て、『なるほどねえ。田舎者なのだ。マナーを知らない、井の中の蛙なのだ』と、認識しました。画廊るたんで、中島三枝子さんと一緒になってひどいことをやって来た、長瀬いづみとかも、同じです。後ほど、とうとう、その実名が登場する金成(かなり)悠子さんも同じです。
しかし、その時(たぶん、2007年だったと、思うが)すでに、政治的な影を感じ取っていた私は、野見山さんが、CIAのエージェントとして、美術界で、機能をしていることを知っていましたので、ギャラリー山口を出る際の、帰り際に、
しっかりと、野見山さんを見つめました。すると、彼は、見たこともない様な表情で、眼を見開いて、私を見つめていました。とても、小さい目で、しかも怯えた目でした。自分が悪いことをしていることをはっきりと、知っている眼でした。秘書の、千里さんの方は、本当のところは、判っておらず、他の多数の(手足となって動く)人間と同じく、自分が正しい事をしていると、自認をしているみたいで、威張り返っていましたけれど・・・・・
あまりにもタイミングがいいので、京橋の、今は、イデミスギノがある場所で、路上駐車をしている車の中で、待っていたのだなあと、判りましたよ。そして、ギャラリー山口が盗聴をされて居るからこそ、そこで、山口みつ子さんと仲良く話している私を脅かし、二人が、仲良しの会話を二度とできない様にするために、野見山さんが、乗り込んで来て、山口みつ子さんに、あれこれ命令をした筈です。つまり、「川崎千恵子とは、付き合うな」と言う命令です。
この路上駐車の車内で、待っているという話は、馬越陽子さんが、ギャラリー手と言う、彼女にとっては、まったく関係のない画廊に、突然に現れて、私に対して、威張りまくった挙句に、頭がいい人なので、五分程度で、自分のやっている事の、ばかばかしさに目覚めて、「ああ、疲れた。ああ、疲れた」と、連発をした時から、判っていて、それを何度も、このブログの世界で、書いて居るのに、同じことをやってくるのです。それも彼ら・鎌倉エージェントの頭脳が、いかほどに、単純で、バカなのかを示しています。
山口みつ子さんは、私を好きでした。それを私もわかっていて、そして、画廊が盗聴をされて居ることもわかっていたので、その日以降は、いつも・目がお・だけで、会話をしていました。が、相当に、深い心の交流があったのです。
そして、死ぬ、四日前だったのか、な?!?!? 私が画廊を訪問をしたので、彼女は、突然に、思い出したのでしょう。私が託した私の自著【伝説のプレス】四冊を、「あなたが願った、相手に渡せませんでした」と、断りの言葉を添えて、部下の白川嬢が、私に、渡してくれたのでした。無論のこと野見山さんが、阻止したので、できなかったのです。それを、画廊が閉鎖されるという・超・忙しい時期に、きちんと思い出して、きれいな紙袋に入れて、返してくれるというほどに、お互いの、心の交流は密だったのですよ。しかし、そう言う点こそ、山口みつ子さんが惨殺をされた、理由の一つだったのです。恐ろしい話であり、私も、長年にわたって、かたるに語れない話の一つだったのでした。しかし、私自身も、何度も殺されそうになっていますので、「みつ子さん、許してくださいね」と、心の中で、いつも祈っています。
::::::という緑色の字で書いた、エピソードを、三日目に入れて元の初稿へ戻ります。
したがって、私の重要な味方になるはずだと、見做されて、殺されたと、推察しています。特に画廊を閉鎖した後で、仲良くなると困ると、彼等は考えて殺したのでしょう。彼らは、周南市の老人五人をはじめ、何人殺したかという程、平気で人を殺します。
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そして、2010年の、1月31日の日曜日に、自発的に、山口みつ子さんの、しのぶ会(=お葬式)が行われることとなっていましたが、つぶれました。それは、どうしてかと言うと、その前日の土曜日に、私が白い花で、盛花を作って届けたからです。画廊が盗聴をされて居るので、声の特徴から、私が訪問をしたということがわかるわけですね。それから、監視カメラ等でも、私がその日、銀座に出かけたことがわかるわけです。 警察も共産党も、今では、CIAの私兵ですから。その象徴が井上ひさしなのですよ。両方と、親しい人物です。
その日だったかな? 自治労の大デモが、銀座で、私が訪問をしている最中に、デモ行進をしておりました。高速道路沿いにです。
山口みつ子さんを殺したのは、警察の特殊部隊の可能性が強いので、駅の監視カメラ等も、点検して、私が、普段は出向かない土曜日なのに、銀座に出かけたこともわかっていたのでしょう。
で、私が土曜日に訪問をしたことは、伊藤玄二郎等、から、野見山さんに入るわけですね。または、秋山裕徳太子からかもしれませんが、お葬式を、潰したのは、野見山さんでしょう。ともかく、千里さんを駆使して、出席予定者に、連絡を入れ、来ないようにと、伝えたと、思います。もちろん、最終段階で、スタッフの白川嬢を手助けした、親切な、近隣画廊の人々へも連絡が入ったと、思います。
山口みつ子さんは、実家は裕福な方でした。しかし、両親は、亡くなっていたと推察されますので、姪や甥が居たとしても、自殺だと、喧伝をされて居る、人の葬式を行う意思がなくて、結局みつ子さんは誰に見送られることもなく埋葬をされたのだと、思います。気の毒で、気の毒で、たまらなくて、私はお寺へ、お参りに行きたいのですが、まだ、お墓のありかを知りません。
私はいつも、彼等、鎌倉エージェントの事をトカゲの脳味噌だと、言っています。野見山さんを含めて、全部そうです。野見山さんが、文化勲章を受章したと聞いても、まったく、氏への評価が、変わらない人間が、私です。
だって、あの自発的なお葬式を潰したのは、野見山さんが、私が来るものだと、勘ちがいをして、その私を、恐れたからです。野見山さんたちの流儀だと、・・・・・お葬式をチャンスだと、考えて、その場で、私が野見山さんを詰問するはずだ・・・・・と、推察したのでしょう。
それは、秋山裕徳太子氏も同じです。画廊が盗聴をされて居るわけだから、秋山裕徳太子氏は、保坂涼子さんの、あくどすぎたメールの影に、自分が居たという事は、判っているわけです。そして、それを私が判っているという事も、わかっているわけです。だから、私から追及をされることを恐れているわけです。
だけど、そういう風な予測のもとに、お葬式を潰したことが、トカゲの脳味噌だと、言っているのです。私は常に言っています。リアルな世界では、喧嘩をしない主義だと。だからこそ、土曜日に訪問をして日曜日には、訪問をしない予定でした。
はっきり言って、こういう連中よりはるかに上を行っているので、ばかばかしくて相手にしたくもないです。「蛆虫どもめ!」と、軽蔑しきっています。だから、こそ、金曜日にお花を買って来て、直径60cmぐらいの真っ白な盛花を作って、それを土曜日に、もっていって、それに託して、しのぶ会の出席をしたつもりになっていたのです。
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私は、15%ぐらいの真実の開示でしたが、2010年のうちに、「山口みつ子さんは、他殺である」という説を開示しました。この山口みつ子さんの、他殺という大謀略も含めて、鶴岡八幡宮の大銀杏は、倒壊をしたのですよ。伊藤玄二郎たちの原案でしょうが、鶴岡八幡宮様は、散々なレベルで、私をいじめて来られましたのでね。山口みつ子さんの他殺と言う現象によって、八幡宮のお宝である、大銀杏は、倒壊をしたのです。それが、33%ぐらいの割合を占めていると、思います。
なぜ、伊藤玄二郎がそういう行動をとったかと言うと、それこそ、石川和子さん、をはじめとして、下に名前を上げる雪の下の連中を教唆して、いろいろな悪事を、過去の、30年間にわたって、行わせていますので、こちらも、にっちもさっちもいかなくなっていて、・・・・・鎌倉で、一番有名で、一番大きな施設である、鶴岡八幡宮様を使って、いじめれば、彼女も参るだろう・・・・・と言う事で、私を、いじめきって来て、いたのです。私が音楽に関する投稿を何度もするものですから、耳が敏感だと、見做されて居て、音でいじめてやれとして、真夜中に行われる重機を使った鶴岡八幡宮様主宰だという、工事とか、2007年以前は、行われたことのない、長くて、数の多い大太鼓の打ち方・・・・・等は、全部私狙いの、音を使った、いじめですし、日本・イタリア友好150周年記念のオペラ【ジャパンオルフェ】もその一つです。
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でね。到々ですが、言ってしまうと、その保坂涼子さんが、航子という名前に変更して個展を行っている画廊が、ギャルリー・ユマニテです。2010年以来の7年間にすでに、三回も行っています。それをする事さえ、私に対するひどい攻撃に当たるのに、更にトイレに鍵を掛けるという拷問的な措置をわざと、見せびらかしながらやって来ていた画廊です。ところで、私は訪問をするたびに念の為にトイレは、鍵がかかっているかどうかは、確認をしていました。彼らの悪意を、知るためです。そして、ブログとの関連を調べるためです。もし、あのエレベーターホールに監視カメラが設置されてあったなら、彼等は、それも、誤解をした可能性があるのですね。毎回、トイレを使いたがっていると。そして、鍵をかけていることが大成功だと。したがって、他の画廊にもトイレに鍵を掛ける様に、命令をし始めた模様でした。後注2へ
その名前を言うまいと、今まで必死で頑張ってきましたが、また、トカゲの脳味噌連中が、画廊にあれこれ指図をしたらしくて、この2017年の、6月の5日と、12日に、移転した先の、画廊の入り口から、見ると、如何にもな小細工を弄していたのです。だから、怒って、とうとう、その実名を曝します。ギャルリーユマニテです。そして、その中で働いているスタッフが、金成悠子さんです。
そして、なんと何と、瓜南直子さんが、私を投稿で、いじめて来ていた時に、それに執事として、大協力をして、しかも警察と協力をしてスパイ役を引き受けようとしていたのも、ゆう子さんなのですよ。金田祐子と言います。ただし、彼女の方は、今、漢字を変えて、使っているのかもしれません。同志社大学の出身で、広島で、足場建設の会社に勤務敷してる女性です。
私から言わせると、結果としては、金田祐子さんが、瓜南直子さんを殺したともいえるのですね。しかし、彼女には、それが、判らないでしょう。私のブログを毎日、一字も欠かさず、読めば判るでしょうが、読まないでしょうから、判っていないでしょう。しかし、人って、真実を知らない方が、のんきに暮らせるものなので、金田祐子さんが、真実を知らないで、これから先も生き続けるのも彼女のためには、いいことだと、思いますけれど。・・・・・と、言っていますが、実際には、これは、思いっきりの皮肉ですけれど!?!?!
どういうことかとはっきり言うと、金田祐子さんは、私の紹介で、フェイスブック紙上で、2011年の初夏に瓜南直子さんと知り合ったのです。しかし、たちまちに、私を捨てて(?)、瓜南直子さんべったりになったのですね。それも、また、『瓜南さんを利用して、私を、いじめれば、彼女(=私の事)は、イライラするはずだ』となって、瓜南直子さんが、テレビに出るだとか、京都の泉湧寺でグループ展をするだとか、引っ張りまわされることとなったのですよ。
2011年の11月の初旬が、金田祐子さんと、瓜南直子さんが、最も激しく攻撃をして来た時期なのですが、投稿はすべて、削除をされて居ます。そのたった、半年後でしたね。瓜南さんの逝去は。彼女は引っ張りまわされることで、激しく消耗をしたのです。画家とは、静かな、毎日が必要な仕事なのですよ。テレビに出るなど、既に肝臓が悪かった彼女には、相当に大きな消耗をさせた筈です。流行にあった、旬の洋服を買いに行かないといけないとか、いろいろあって、ひどい苦痛を与えた筈です。結局のところ、私から見ると、見事な天の采配だと、なります。
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ただね。偶然の一致としては、もっと驚くことがあるのです。それはですね。その画廊ユマニテが、移転をした先が、まさしく、山口みつ子さんの画廊なのです。入り口のドアが、読売新聞に利用をされて、・・・・・読売新聞紙上で、暗喩として、・・・・・みつ子さんが、自殺だ・・・・・と、川島女史(村松画廊のオーナー)によって、喧伝をされた・・・・・のは、一月中だったか、二月に入ってだか、読売新聞を取っていない私は、時期は、正しくは、知りません。
ただ、exibit Live and Moris という画廊を経営して居た、森さんに、その切り抜きを見せられたので、却って、山口みつ子さんが他殺だと、確信をしました。わざわざ、そんな新聞記事を作って、川島女史が、悪人たちのお先棒担ぎをして、以下のように言ったのです。
「不況なので、画廊の中には、自殺をする人もある」と。そう言いながら、同じ記事に、挿絵として、ギャラリー山口の入り口の写真を使いました。そういう謀略で、彼女が自殺だと、喧伝をしたのです。一憶二千万人が、それを知る可能性の或る手段を使って、それをやったのでした。ひどい、ひどい、連中です。それに協力した川島さんもひどいですが、後日、その謎が解けてきます。
CIAさんたちは、実際には、殺したのですよ。だけど、直ちに私が、他殺だと、メルマガか、ブログで、書いたので、大急ぎで、多数の人間を、自殺と言う方向で、洗脳する必要があったのです。
頼まれても、その様な役目は、引き受けないのが、有名な画廊のオーナーだった人の矜持だと、思うのですが、川島女史は正反対の行動をとったのでした。読売新聞の取材だけではなくて、銀座や京橋で、「山口さんは、自殺なのよ」と触れ回っていたそうです。リアルな世界で、しかも、言葉によってです。
立派な画廊の、オーナーだった人の使命とは、同業者をかばう事だと、思うのに、川島女史は、鎌倉エージェント側に立って、同業者にはあるまじき、不道徳な行動をとったのですから、不思議だと、思うのですが、やがて、彼女には在日の出自があり、井上ひさし等(2010年の、4月9日まで、公的には生きていたことになっているので、その読売新聞の記事が出たころは、まだ、確実に、生きていました)に、直接面会をして、頼まれたのかもしれません。
########### ここから先に、森さんから、最初は、2010年の、三月、実際には、四月5日から、10日まで、個展をする様に、勧められるのですが、その間のあくどいいきさつこそ、すべて、井上ひさしたちのアイデアに基づいて行われており、それをすべて、理解をしている私が、
2010年の、4月7日に伊藤玄二郎の会社(かまくら春秋社)に、その時の個展の案内状を持って行って、「どうか、いらしてください」と言ったので、・・・・・裏側が、総べてばれている。書かれたら大変だ・・・・・と判断して、縮み上がった井上ひさしは、急にその、二日後の、9日に、自分を死んだことにしたのでした。あの時のメディア占拠を覚えていらっしゃいますか? 菅原文太の死亡時とかに、比較すると、驚くべき情報量でした。だから、私は、「井上ひさしは、自分を、天皇陛下よりも、上に置いている」と、言い続けているのです。安倍総理大臣よりも、上に置いているでしょう。何故かというと、やまゆり園事件等の、謀略のアイデアを提供しているからです。CIAの頭脳部分を担っているので、大切に扱われています。
ああ、急に思い出したことがありますが、井上ひさしが、死んだとされる時に、日経新聞に追悼の、文章を寄せたのが、小澤昭一氏でした。その長い文章の、中に、「実際には、井上ひさしは、嫌われていた」という記述がありました。私は、さもあらんと、思いましたが、その後、割と早い時期に、小澤昭一氏は死亡の憂き目に出会っています。山口みつ子さんの死と、似ています。そして、小澤昭一氏の追悼記事は、非常に少なかったのです。菅原文太も同じです。非常に少なかったのですよ。##########
この####罫線で囲まれている間は、詳しく書くと、100万字を超えます。で、今日はそれには触れずに、ここで、どうして、井上ひさしが、現在もまだ生きているのかを、語ったとさせてくださいませ。以上が蛇足としての部分です。上の茶色い矢印の処から、こちらの、茶色い矢印へ続きます。
→、→、→、→、→、→、→、→、→、
誰が? 助かるために、この、・・・・・東芝のメモリー部門を韓国に売り渡すべきだ・・・・・という様な、謀略が行われているのかと言えば、鎌倉雪ノ下の住民たち、特に、前田祝一・清子夫妻、および安野忠彦・智紗夫妻、および、白井達雄・小野寺夫妻の、三組と、それに協力している冨澤夫妻、および、渡辺賢司・ミカ夫妻、大原光孝さん等です。山口みつ子さんの死も、まず、それらの人々を助けるために起こされています。
また、30年前の、ここ雪の下から始まって、(正しく言えば、40年前の横須賀北久里浜で、始まっているのですが)、
20年前から、銀座(京橋を含む)世界での、私への、攻撃が、行なわれてきました。今、書きつつある、・・・・・山口みつ子さんと、大久保忠春さんが、殺された・・・・・とする話を、本当に最後まで、書けば、彼等、鎌倉エージェント側は、最大限に、息詰まってしまったというところなのです。それほどに、私が、今書いて居ることは、真実なのです。
そちら(=栗田玲子さんを筆頭とする銀座の住人達)をも助けるために、まるで関係がないみたいに見えるビジネス界、が、犠牲になっているのです。特にリコール数十万台とか大げさに言われているエアバッグの高田の方は、アメリカで、起こされている問題です。鎌倉から遠い場所で起こされているのですが、息子が株を買った以降に、それが起きているので、鎌倉雪ノ下の人間たちを助けるためだと、私には明瞭に分かります。
そして東芝の、メモリー部門の売り込み先に韓国が加わりましたね。政府主導ですって。
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私が、こういう風に上の二つの問題も、鎌倉雪ノ下のあくどい連中と関係があるのですよと、断言してしまうのも、テレビを、見ていると、判る事が多々あるからです。
今般、18日の日曜日に、101歳の女流画家、入江一子さんの特集がありました。これについての詳細は、説明をいたしませんが、・・・・・しかも、私は、まだ、その番組を45分間にわたって、すべては、見ていないのですが・・・・・冒頭に、本江邦夫さんが登場したことで、『は、ハーン、是もまた、なびす画廊の件で、私狙いの番組作りですね』と、思い当たった次第です。
というのもこの番組は、公募団体展系の作家は取り上げない方針の番組なのです。入江さんは、独立という大きな公募団体展に所属する作家なので、この番組に、登場するのは、珍しい事なのです。それに、入江一子先生(というのは私も女流展に出品していたことがあるので、先輩は、先生と、呼ぶのです)の、上野の森美術館での、100歳記念展があったとはいえ、それは、ずいぶん前の事であって、この番組の取材は、ちょっと、タイミングがずれていますので、私が考えていることの方が正しいでしょう。
まあ、『お前は、テレビに出られないじゃあないか。その上、貸画廊、云々と言っているが、それは、自宅を美術館にしていくのが最終の望みなのだろう。入江さんは、すでに、立派な個人美術館を作っているんだ。雲泥の差だ。ざまあみろ」と言う、いやみを示されているのでしょう。
と言うかなんというかなのですが、いつか、正当に、かつ、詳しく、この番組の企画をされた、裏側を書くと思います。本日は、簡単に終わます。ただ、
何故、今、入江さんなのかと言う問題は明らかにしましょう。入江さんが、ほぼ、15年前に、私を呼び出して、鎌倉山の別荘で会いたいと、仰ったのは、ニューヨークでの個展の件であって、それは、竹本三鈴さんと言う芸大出身の画廊(=Caelum Gallery in NY)のオーナーと関係があり、かつ、竹本さんは、周南市の出身という関係で、宮崎進氏と、関係があり・・・・・となって来て、
今、私が連続して、書きつつある、トイレを封鎖した画廊と、関係してくるのです。その画廊は、宮崎進さんを、専属作家としていますので。
そして、府中美術館の館長だった、本江邦夫さんは、今では、そこはおやめになって、多摩美の、教授ですって。そうなると、佐野研二郎問題で、私が書いたことも又、関係してきますね。
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ですから、上に名前を挙げた人々と、それから、近所住まいではないが、重要な鎌倉エージェント人(びと)である、
伊藤玄二郎、酒井忠康氏とか、警察庁内の、特殊部隊の、連中(安藤てる子さんは、未だに、頻繁に、複数の画廊を訪問をして、あれをせよとか、これをせよとか、教唆命令をしている筈ですが、同じ警察庁でも、他のルートで動いているとか、動かしている路線もあるでしょう。ギャルリーユマニテは、安藤てる子さんの支配下にはないと、思いますが、ここは、はっきりとは、判らない所です)とか、
人々、例えば、栗田玲子さんとか秋山裕徳太子氏が、『助かるなあ。この番組で』と、言う方向で、この番組が制作をされたのです。そして、制作が始まった時点も私には、はっきりとわかっていますが、それもまた、盗聴やら、上奏とか、スパイと言う問題と、関係が、ありです。おおありです。
あのね。入江一子さんと言う方は、本質的に、とてもかわいい人です。いい人です。しかし、どいう風に利用されているかという問題で、語ると、意味が出てくると成ります。本江さんも、秋山裕徳太子氏などと、比較をすると、ずっと、上等な態度を示す人です。『さすがに東大出身ですね』と、言う紳士です。しかし、事、政治が、からんでくると、不思議な、態度と、行動を示さざるを得なくなる人たちなのです。
しかし、本当の、悪人は、本江さんよりも、もっと深い奥に隠れている連中ですよ。裏に居る人物ですよ。だからこそ、ありとあらゆる事件に於いて、本当の責任者が、問われない仕組みが横行をしているのです。たとえば、那須の雪崩事故は、ほとんど、すべての責任が、猪瀬修一と言うずるい人物に帰趨します。
そして、取手市の、ピアノが上手だった美少女(=中三)の自殺の主たる責任者は、私は、担任の教師だったと、見ています。世間だって、全部それは、判っているでしょう。ところが、それができないのが、現代社会なので、人々は、市を訴えたり(市立中学の筈だから)、それより上部の、県に問題をもって行ったりします。しかし、そこまで行かれるのは、裏に、共産党の支援がある場合だけでしょう。
あのご両親の裏に、共産党の支援があったかどうかは、判りません。ただ、相当に美形の両親なので、エリート(たとえば、お父さんが、どこかの大学の、准教授ぐらいの職責に在るとか? 中央官庁の、課長ぐらいだとか、大メディアの記者であるとか、大手出版社の編集長であるとか? その親世代が、立派な職業についているとか)が、あって、文部科学省に、問題をもって行くことができたと、見ています。
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ここで、思わず、語りたい、自分の経験がまた、出てきました。
前報(後注1)で書いた、恐るべき担任には、お母様方は、大いに悩まされて、横須賀市の、教育委員会に問題を訴え様かと、言う人もいました。もっとも、被害の大きな人は、そこまで主張を、していました。しかし、協力する人が居なかったのです。それは、何故かと言うと、教育委員会にもっていっても、教室を支配しているのは、担任です。教育委員会が何かをしても、その言う事を担任が、聞かない場合もあるでしょう。その上、逆恨みをされたら、何をされるか、判りません。
預けている子供は小学校の一年生です。しかも、一学期、初めての父兄会で、あるお母さまが泣きながら、「今、そこの階段で、後ろから、先生に蹴られたと、うちの子が言っていました。コンクリートですよ。骨が折れるかもしれません。ひどいです」と、抗議をしたのを、みんな聞いていますので、さらに、怖がっているのです。
ここで、今まで語ってこなかった、その日の二人の洋服について語りたいです。これが、意外に、重要なのですよ。私のママともが、「父兄会には、いつも、和服で行くわ」と、言っていました。和服とは洋服に比べるとゼロが一つ余計にかかる高いものです。しかも着る手間、着終わった後の後始末等を考えると、ひどくお金と、時間が必要なものなので、学校の先生が、父兄会に着てくることはできないものです。和服で父兄会に出席すると言っていた彼女も、有名大学卒で、先生との関係は、まずくすると、まずくする方ですが、気が強い人なので、最初から、・・・・・『私は、すべての女性たちの、上に立ちます。普通のお母さんとも、私は違います。それから、公立小学校の先生とは、私は違って、塾の先生ですが、シロガネーゼです』・・・・・・と、主張しちゃっているのです。つまり、あっけらかんと、・・・・・「私の方が上なんですよ、このクラスのすべてのママと、担任を含めて」・・・・・と、主張をしてしまっているのです。で、却っていじめられません。
塾の先生をするという事。是もまた、問題です。まずくするとまずくするのです。上に挙げた泣いて抗議をした女性も塾の先生です。高い収入があるので、離婚をしてしまっています。それが、先生の方の内心では、軽蔑の対象となっているわけですが、いじめられている女性の方は、若くて、意識が高いので、自分がそのポイントで、いじめられているという事には、気が付いていません。また、気が付いていたとしても、『そんなことで、こどもが、いじめられて、たまるか!』と、思うでしょう。
ただ、塾の先生と言うのは、学校の先生から見ると、或る意味で、うらやましい立場となるので、嫉妬の対象には、成りやすいのですよ。どこが、うらやましいかと言うと、時間が自由で、労働量が少ないからです。しかも、子供の方が、自発的に通ってくるわけなので、学習意欲が高いので、教えるのに、楽だからです。40年前の当時、日本では、子供の数が多くて、クラスの定員は、ほぼ、50人であって、公立だと、学習意欲のない子もいるわけで、先生の労働量が多くなるので、四分の一ぐらいの労働で、高い収入を得ている塾の先生の事を、内心で、羨み、嫉妬するケースもあるのでした。
ところで、この時、皆さんの面前で、公開処刑みたいに、いじめられていたママですが、高い収入があることで、洋服が、高島屋で、買うクラスです。「そんなの、どうして、重要なの?」とおっしゃる向きがあるかしら。いいえ、普通の主婦にとって、高島屋で買ったワンピースを、普段着にしているというのは、なかなか、できない事なのですよ。だから、目立つわけです。この目立つということも、子供にとってはマイナスです。
40年前は、まだ、珍しかったポリエステル製、シフォンの、花柄のワンピースです。彼女はなよやかな体格で、太からず、細からずなので、そういう薄地のワンピースが、見事に似合っておりました。そして目が大きくて肌の色が白くて、学校全体を見渡しても、ぴか一の美女だったと、思います。
先生の方ですが、骨ばった硬そうな、筋肉の人で、しかも、紺のスーツだったと、覚えております。肩パッドが入っている様なスーツです。女性としての魅力などない方であり、ご本人もそれを良く知っているでしょう。
ところで、私ですが、材質のいいものは、着ていたと思いますが、無論ブランドものではないし、色もグレーなどの、地味目に抑えていました。目立たない様に努めておりましたよ。それが、幼稚園で、役員をして、会長まで、務めさせられて、理解をしたコツでした。子供のためには、母親の方は、目立たない事、それがすべてです。
取手の、中三女子のお母さんですが、結構、目立っていた方ではないかしら。モカ色の上品な、かつ、材質のよさそうな、カーディガンに、合わせるのが、白のインナーと言う姿で、テレビに出てきました。とてもきれいでした。取手の中学校の、母親の中では、ぴか一の美女だったと、思います。
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ここまでで、この章は終わりとさせて下さいませ。
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2017年6月21日から、23日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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